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魔女であった娘と、騎士でもあったかも知れない娘 (犬丸『演劇部の魔女と騎士』)

2015.08.16 21:09|百合作品
今回は、『ひらり、』等に掲載された作品をまとめた、
犬丸さん『演劇部の魔女と騎士』について考えたいと思います。
物静かで、それでいて周囲をよく見ている唯地と、
彼女のところに髪の毛を触りに通う内藤の関係を初めとして、
演劇部で紡がれる部員たち各々の繋がりを描いた本作。
演劇部の代をまたいで展開される、個々の短編を繋いでいく作品の要は、
末尾の解説で小川一水さんが語っているとおり二つあって、
演劇部の中にいつだって見出せる「よい心」のつながりと、
語り切らないことにより仄かに示される「女の子同士の思い合い」であったと言えるでしょう。
この二つは、作中で如何にもテーマとして突き付けられるわけではありませんが、
それでも読後には胸の中に静かに響いているものであると思います。
お読みでない方は、是非お読みになって、このテーマを感じてみてください。

今回この記事では、先述した小川一水さんの解説から、考え始めたいと思います。
百合漫画作品では珍しくも、末尾に付されている解説ですが、
ここにおいて一つの問題が提起されています。
一部を以下に引用します。

 さて、最大の問題は、誰が魔女で誰が騎士なのか、だ。
 これはわからなくて作者に直接聞いたのだが、唯地がウィッチで内藤がナイトですというストレートな答えが来てしまって面食らった。それは読めばわかる。わからないのは内藤のどこがナイトかというところだ。
 内藤が騎士のごとく唯地を守るシーンはない。逆に作中作では魔女として島の女を誑かしに現れたようにも読める。そして唯地はしばしば口に出さずとも内藤を慮り、二人の関係を秘そうとする。その内心は魔女というよりも、むしろ。
 唯地と内藤が机を挟んだあの一瞬、どちらから顔を寄せたのか。それが描かれていない以上は、魔女がナイトでナイトが魔女かもしれない。
 そんな楽しみ方もできる。

 小川一水『魔女でないかもしれない娘と、いないかもしれない騎士』
   (犬丸『演劇部の魔女と騎士』、169ページ)


この作品の最大の疑問の一つとなるのは、上記解説で述べられているように、
騎士に重ねられているであろう内藤のどこが騎士であるのかということに違いないと思います。
これについて、唯地は魔女でないかも知れないと考え、
内藤は騎士でないかも知れないと考えるのは、
一つの読み方、楽しみ方として、膝を打ちたくなるものです。
実際に「魔女と騎士・海賊版」で魔女は魔女でありませんでしたし、
騎士に相当するであろう魔女狩師の方が実は本物の魔女でした。
それもあり、率直に言って、この読み方に私は結構魅せられています。

しかし他方で、内藤を騎士として読むことはできないのか。
漫画のタイトルのとおり、魔女と騎士の物語として考えることはできないのか。
考察をする立場として、ここを改めて考えてみる必要も感じるのです。
私としては、それを突き詰めないわけにはいられません。
そこで、以下では作中の騎士がどのような存在であるかを確かめた上で、
そこから唯地と内藤がそれに当てはまらないのかを考えていきます。

それは、解説に掲げられているものとは別の、読み方、楽しみ方に繋がるはずです。
もしよろしければ、作品をもう一度読みつつ、お付き合いいただければと思います。


さて、内藤のどの辺りが騎士であるかという問題を考えるに当たり重要なのは、
この作品において騎士は、誰かを「守る者」であるだけなのかということです。
確かに、騎士と言えば誰かを守るイメージでもって語り得るものですが、
魔女との関係においては騎士は、守る者ではなく、「討つ者」なのではないでしょうか。

現に「魔女と騎士・海賊版」においては、
騎士に相当するであろう役は「魔女狩師」となっています。
それは、魔女を討つためにはるばる島にやって来る者です。
騎士は、例えばどこかの国の王女を相手には「守る者」たり得るかも知れませんが、
国にとって得体の知れない脅威である魔女を相手には「討つ者」となるのではないでしょうか。

そうであるとすれば、内藤の騎士であったかどうかという問いは、
内藤が唯地を騎士らしく守る者であったかという基準でなく、
騎士らしく討つ者であったかという基準によって考えなければならないと思います。
そして、この基準をもって考えると、内藤は確かに騎士であったと言えるのです。

すなわち内藤は、劇中での魔女にイメージがぴったり合う、
あまり喋らず落ち着いている、元々の唯地の性質を討つ者として登場しています。
唯地は、中一のときに劇中の黒髪の魔女に合うと周囲に目されています(58ページ)。
彼女がこのように周囲に魔女に重ねられる理由は、作中で言明されてはいませんが、
一つ考えられることとしては、「魔女と騎士・海賊版」で提出されている、
黒髪の魔女と同様の性質を彼女も有していたということがあります。

つまり、本を読み続け(45ページ)、迷信と知っていた(52ページ)魔女と同じように、
よく本を読み(37ページ)、色々なことを知ってそうである(23ページ)。
一人で島にいながら、魔女狩師のことを知っていた(46ページ)魔女と同じように、
自分からは人に絡まないが、人のことについてよく聴き、よく知っている(15-16ページ)。
唯地は、作中で示されている魔女と同様の性質を、元々持っていたのです。

このように、魔女と同じ性質を持っていた唯地について、肉薄していって、
それがそう見えるだけと気付き、崩していくのが内藤であったと言えます。
唯地と内藤が出会ったときの、次の場面は象徴的です。

「ゆいっちー」
「…… 私?」
「うん かわいいかなって」
「……」
「変かな」
「…… わからない」
「…そう 何でも知ってそうなのにね」

――なんで そんな事いうの 頭の中を直接触っているみたいに (17-18ページ)


内藤は、魔女狩師が魔女に肉薄していって、彼女が魔女でないと気付いたように、
唯地の側へと近付いていって、彼女が何でも知ってはいないことに気付いているのです。
内藤は、こうして唯地に近付くことで、「あまり喋らないけどすごい頭良い」(12ページ)、
「何でも知ってそう」な、魔女のような唯地について、
彼女が魔女でないと気付き、魔女に似た性質を崩していきます。
唯地は内藤と関わることで、照れ、驚き、動揺する、ただの人になるのです。
こうした感情の動きだけは、劇中の魔女と重ねることはできません。
作中で描かれている限りにおいて、魔女は魔女狩師に淡々と対応しています。
この意味において、内藤は魔女としての唯地を討っているのです。

よって結論として、内藤のどこが騎士なのかと言えば、
まるで劇中の魔女のような、種々の性質を持っている唯地に肉薄していって、
彼女をその魔女らしさを討った点において「騎士」であったのではないかと思います。
『演劇部の魔女と騎士』は、元々魔女であった唯地と、
騎士でもあったかも知れない内藤の物語であったのです。



○その他の百合作品の記事(2015年)

   アイドルとして「輝ける」場所は東京ではなくて (壱号『アイコンタクト』)
   愛と千春にとっての「卒業」の意味の転換 ――三人で外に出て行く機会として
     (缶乃『あの娘にキスと白百合を 2』)
   好きという気持ちに隠れていた競技者としての憧憬 (未幡『キミイロ少女』)


テーマ:漫画の感想
ジャンル:アニメ・コミック

好きという気持ちに隠れていた競技者としての憧憬 (未幡『キミイロ少女』)

2015.07.26 19:36|百合作品
B00NMCE5LIキミイロ少女 (百合姫コミックス)
未幡
一迅社 2014-09-18

by G-Tools

今回は、未幡さんの作品で、『ひらり、』等に掲載されていた短編をまとめた、
『キミイロ少女』から、「好きの距離」と「一日白紙」について考えます。
それぞれの作品において、物語のテーマとして表れていることは何であったのでしょうか。
この問題について、物語を振り返りつつ考えていきます。
これにより、「好きの距離」と「一日白紙」という作品が百合作品として持っている、
特徴的な部分が明らかになっていくのではないかと思います。
もしよろしければ、内容を思い出しつつ少しの間お付き合いください。

(1) 「好きの距離」:好きという気持ちに隠れていた競技者としての憧憬

「好きの距離」は、菜月が由佳に向けているのが、好きという思慕の気持ちだけでなくて、
陸上で速く走れることに対する憧憬の気持ちでもあったということに、
菜月自身が気付く話であったとまとめることができると思います。
この中で印象深いのは、後者の気持ちが強調されているということです。

けだし、恋愛をよく描く百合というジャンルにおいては、恋心を何かと取り違えていて、
物語の中でそのことに気付くという流れは多い気がしますが、この作品は真逆の流れなのです。
競技者としての憧憬のために、由佳が好きという気持ちが隠れていたのではありません。
好きという気持ちのために、競技者としての憧憬が隠れていたという構図なのです。

具体的に言えば、例えば、同じ部活である同輩にやたら対抗心を燃やしていた主人公が、
その根幹にはどうしようもない複雑な恋心があったことに気付くという展開ではないのです。
自身の恋心に気付くというテンプレートの逆を行っています。
換言すれば、物語の中心を恋心からずらしている。

百合という言葉は、例えばガールズラブという言葉よりも広く曖昧で、
明白に「ラブ」と名乗らないがゆえに、恋愛以外も含み得ますが、
この曖昧さは、ある意味で特長とも言えるのだと思います。
百合はその中に、恋愛ならぬ関係をさらりと飲み込み得る。
そのように考えると、恋愛の好意でない気持ちを強調する作品は、
百合の中心ではないとしても、百合の勘所であるのではないでしょうか。
「好きの距離」は、そのような作品の一つとして、
好きという気持ちとは異なりますが、同様に強い重要な気持ちである、
競技者としての憧憬を敢えて強調している作品であったと思います。

(2) 「一日白紙」:空っぽに思えても今既に満ちている日常

「一日白紙」では、「花を挿さずに水だけを入れた花瓶」というモチーフが登場しますが、
ここに如何なる意味を見出すかということは、作品の一つの問題であるかと考えます。
水しか入っていない花瓶が、それで完成形として提示されている意味は何であったのしょうか。

というのも、水しか入っていない花瓶は、
展開の上では桐谷さんが上杉さんを追いかける理由になっているのですが、
仮にそれだけのためのものであったのならば、
花の刺さっていないそれを「完成形」として提示する意味がありません。
展開の上における小道具以上の意味があったと考えられます。

けだし、水しか入っていない花瓶が完成形と示されるのは、
上杉さんの考える「楽しかったこと」というのが、桐谷さんの考えることよりも、
遥かにちょっとしたことであるということを強調するためであったと思います。


つまり、桐谷さんが「楽しかったこと」と受け取らないような事象を、
上杉さんは「楽しかったこと」と取って、
「空っぽ」な一日と考えられそうな一日を、「空っぽ」でないと取るということが、
水しか入っていない花瓶によって表現されていたと思うのです。

現に、上杉さんが桐谷さんの代わりに書いた一日の感想、一日の中で、
楽しかったことは、一緒に花の手入れをしたという、あまりにもちょっとしたことでした。
それゆえに桐谷さんはこれを経験しながら、自分がまだ「空っぽ」であると考えていたのです。

そういう他から見れば「空っぽ」に映る、花のない水だけが入った花瓶のような一日を、
「楽しかった」一日として捉えることができるのが上杉さんであって、
「水しか入っていない花瓶」は、彼女のこの側面を浮き上がらせるために、
「完成形」として登場してきたのだと思います。

ゆえにこの作品は、一方で空っぽの花瓶を補充する上杉さんによって、
今後が満たされることを望む桐谷さんの心情をテーマとしながら、
他方で既に今の時点で桐谷さんが言うほど空っぽではなくて、
捉え方によっては既に満ちているのだということをもテーマにしていたと言えます。



○その他の百合作品の記事(2015年)

   アイドルとして「輝ける」場所は東京ではなくて (壱号『アイコンタクト』)
   愛と千春にとっての「卒業」の意味の転換 ――三人で外に出て行く機会として
     (缶乃『あの娘にキスと白百合を 2』)


テーマ:漫画の感想
ジャンル:アニメ・コミック

愛と千春にとっての「卒業」の意味の転換 ――三人で外に出て行く機会として (缶乃『あの娘にキスと白百合を 2』)

2015.03.08 17:16|百合作品
あの娘にキスと白百合を 2 (MFコミックス アライブシリーズ)あの娘にキスと白百合を 2 (MFコミックス アライブシリーズ)
(2014/12/22)
缶乃

商品詳細を見る


今回は、缶乃さんの『あの娘にキスと白百合を 2』について考えます。
最初に読んだことのない方にざっくりと内容をご紹介しようかと思います。
中高一貫の女子学園、清蘭学園を舞台として展開される少女たちの恋模様を、
半ばオムニバス形式でそれぞれに描いていく本作品。
主な語り手が一人に固定されていないこともあって、
色々な立場の感情の機微がきっちりと描かれる点が最大の見所かと思います。
例えば、以下の真夜の回想が、個人的には胸に残りました。

「真夜ちゃんが好き」

――「私も好きよ」なんて 言われたいわけえはないのだろうと思った
 目を見て 触れて キスがしたいということ

「ごめんなさい 私 あなたが求めているもの
 与えられる自信がない」
「そうだよね いきなり変なこと言ってごめん」
「けど私嬉しかったわ これからも良い友達でいましょうね」

――愛されたように愛をかえせないのは
 きっと才能がないのね 私
 (pp.175-178)


この作品は、愛した側を描くだけでなくて、愛された側をもきっちり描いていくのです。
秀才のあやかが天才のゆりねに出会う第一巻においても、
一方であやかがゆりねがいるために受ける劣等感を描きつつも、
他方でゆりねの天才であるがゆえの孤独を描いていましたが、
こうしたそれぞれの感情の機微の描き込みが、この作品の特筆すべき点かと思います。
第二巻においては、真夜を想う愛や千春の痛みだけが描かれるわけではなくて、
想われた真夜の苦しみも上記のように描かれていくのです。

けだし、このように個々の心情をきっちり描いているからこそ、女子学園を舞台とする作品ながら、
女子校もののテンプレートに当てはめて見るだけでは足りない作品となっています。
表紙を一見して女子校もののテンプレートかと思った人にこそ読んで欲しい一作です。

さて、今回は、この作品において描かれた「卒業」について考えます。
出会いをテーマとした第一巻に対して、「卒業」という別れをテーマとした第二巻。
ここにおいて、「卒業」とはどのように描かれていたのでしょうか。
このことについて、特に「扉を開いて外に出て行く」描写に注目して読み込んでいきます。
既にお読みになった方は、もしよろしければお付き合いください。



真夜が卒業するまでの一連の物語においては、
主に千春に関わって扉を開いて外に出て行く描写が頻繁に出てきます。
具体的には、第七話で閉じ込められた寮の物置から出て行く場面(pp.61-62)、
第八話で伊澄に連れられて真夜を見送りに家から出て行く場面(pp.86-89)、
第十話で卒業式の日に、愛と千春が部屋を出て行く真夜を見送った直後に、
伊澄が現れたために後から二人で部屋から出て行く場面(pp.147-148)の三箇所です。

このうちの第七話の場面において、
扉を開けて外に出て行くことは、真夜が卒業して寮を出て行くことと、
それを受け入れて進んでいくことと重ねられていることが分かります。
当初千春は、真夜と一緒に部屋の中に留まって心中したいと望んでいました(pp.55-60)。
これは、卒業せずにずっと寮で一緒にいたいという彼女の心情を表していると考えられます。
しかし、千春は卒業式の日には、真夜や愛とともに扉を開いて外に出て行くことになります。
この変化により強調されたのは、「卒業生が出て行き、在校生が残る」という、
典型的な卒業の枠にはまったものとは異なる「卒業」であったのではないでしょうか。

つまり、真夜の卒業に際して描かれたのは、真夜が部屋から出て行く一方、
千春と愛が部屋に残るというような、両者を分断する機会としての卒業でなくて、
三人ともが部屋を出て、新しい関係を作っていく機会としての「卒業」であったのです。
愛も千春も、当初は卒業を前者の意味で捉えていました。
しかし、真夜の卒業までに、二人は後者の意味で捉えていくようになります。
そうして真夜の卒業を受け入れて、一緒に外に出て行くのです。
それでは二人は何故、卒業の意味を捉え直すことができたのでしょうか。

まずは、千春の理由について考えてみましょう。
特に千春が「卒業」を後者の意味で捉え直すに当たり、
重要な役割を果たしたのが伊澄に他なりません。

このことが第八話の扉を開いて外に出て行く場面に表れていることは言うまでもないでしょう。
第八話で、真夜を見送りもせずに部屋にこもっていた千春を、
半ば無理矢理に外に連れ出したのは伊澄でした。

また、このことは第十話の扉を開いて外に出て行く場面にも表れています。
第十話で最初三人は、部屋の中でお別れを澄ました後、真夜だけが外に出て行って、
愛と千春は寮室の中に残る形に収めるつもりでいたと考えられます。
真夜が外に出て行った時点で、愛と千春に後を追おうという態度は見出せません。
伊澄が外でスタンバイしていなければ、おそらく中に留まっていたでしょう。
しかし、伊澄が外でスタンバイしていたため、
愛と千春は真夜を部屋の中で見送る形を取った直後に、
自分たちも部屋から出て行くことを余儀なくされています。
ここでも、真夜が出て行き二人が残るというような、
スタンダードな卒業の形が伊澄によって破壊されていることが、
三人が扉を開いて外に出て行くことで強調されているのです。

伊澄は、従前の真夜たち三人の関係に部外者の位置から四人目として入っていくことで、
特に千春に卒業を、真夜が出て行き愛と千春が残る「分断」の機会としてではなく、
四人での関係を編み直す「再構築」の機会として捉え直させていると考えられます。
現に千春は、伊澄が距離を詰めてきたために、
伊澄を自分たちの関係に入れていくことを考えるに至っています。

「へえー! 中等部の子?
 あたし上原愛! よろしくー!!」
「秋月伊澄っす よろしくー…」

「ど どういう風の吹き回し? なんで紹介してくれたの?」(中略)

これから先もやっていくつもりなら
 いつまでもコソコソしてるわけにもいかないでしょ
 安全そうなところから紹介していかないと

――デコ先輩 あたしのこと考えてくれてたのか…! (pp.127-128)


伊澄は千春に、関係を再構築していくことを意識させているのです。
千春は、一方で伊澄に半ば無理矢理に手を引かれて外に出て行くとともに、
他方で伊澄のために自分から外に出て行く意志を固めていると考えられます。

次に、愛の理由について考えてみましょう。
第十話で真夜とともに部屋を出て行くのは千春ばかりではありませんでした。
愛もまた、このときには真夜の卒業を受け入れて、一緒に外に出て行くのです。
愛の場合は、以下のゆりねの言葉によって、
卒業が分断の機会から再形成の機会に変化していると考えられます。

卒業が、自分たちを残して真夜だけが出て行くものではなくて、
自分たちも真夜の後を追って出て行くものに転換しているのです。

「今みたいにせんぱいと会えなくなるのイヤだよ
 でもそんなこと言ったら先輩を困らせちゃう でもイヤだよ~」
じゃあ 自分もその学校入ればいいじゃん 2年は一緒にいられる」
「でも とっても難しいらしいんだよ…?」
「まだ1年生なんだからどうとでもなるでしょ」
「おおお…? そうなのかな…? そうなのかも…」 (pp.22-23)


ここで愛は、真夜に一緒に残ってもらうことを望むのではなくて、
真夜の後を追っていくことを考えるようになっています。
ゆりねの言葉により、真夜とともに扉の外に出て行く気持ちを持てたと考えられます。

結論として、第二巻で当初「卒業」は、
真夜が扉の外に出て行き愛と千春が残る「分断の機会」であったところから、
三人で外に出て関係を編み直す「再構築の機会」へと転換する様を描いた話であったと思います。
愛と千春はそれぞれ、片やゆりねの言葉によって、片や伊澄の存在によって、
卒業を三人の関係のリスタートの機会として捉え直していくのです。


テーマ:漫画の感想
ジャンル:アニメ・コミック

アイドルとして「輝ける」場所は東京ではなくて (壱号『アイコンタクト』)

2015.02.08 16:19|百合作品
百合アンソロジー ユリボン (バーズコミックス デラックス)百合アンソロジー ユリボン (バーズコミックス デラックス)
(2014/12/24)
ほか 渡辺ペコ

商品詳細を見る


今回は、百合アンソロジー『ユリボン』に収録されている作品から、
壱号さんの一連の作品、『アイコンタクト ホームゲーム』と、
『アイコンタクト ビジターゲーム』について私なりに考えてみます。
簡単にあらすじを紹介すれば、有名になりつつあるご当地アイドルのかなえと、
彼女を近くで応援してきた初めてのファンの透子のお話です。
ご当地アイドルの枠を超えて、全国的に有名に、人気になっていくかなえを、
複雑な気持ちで眺めていた透子の気持ちが前者で描かれ、
それに対してかなえの気持ちが後者に描かれていく構成となっています。

注目すべきは、かなえが東京の事務所に移籍するかどうか迷っていたのに対し、
透子が自身の気持ちに整理を付けて背中を押す言葉をかけるにもかかわらず、
かなえはその言葉を受け取って東京行きを決めるわけではないということです。


というのも、かなえが有名になっていくことについて、
「手の届かない存在になっちゃうのかな」(141ページ)と考え複雑な気持ちでいた透子が、
「大好きだから」(142ページ)どこにいても応援するという、送り出す覚悟をしたのに対して、
かなえはそれを受け入れず自分は残るという選択をするのです。
透子が「どこにいてずっとずっと応援してる」と伝えた後、
かなえは彼女に対して次のように答えています。

「待って!」

――何で迷ってたんだろう そんな必要無かったのに
 かなえが一番笑顔を届けたいのは 透子ちゃんだから

「かなえ?」
「透子ちゃんは! かなえの初めてのファン!
 だから… ずっと持ってて!
 初めてのサイン… あげる!」

――かなえが笑っていられるのは かなえが輝けるのは
 それはきっと 大好きな人が側にいるから (143-147頁)


透子は背中を押しているにもかかわらず、
かなえはそこからむしろ透子の存在の大きさを再認識しており、
結果として地元に残る決意をしたのだろうということがここから推定できます。
透子が言葉とともにかなえに投げ返した始球式の野球ボールを、
かなえが更に透子に投げ返しているのは象徴的です。

この部分は、東京の事務所への移籍がかなえにとっての前進に見え、
地元に残るという選択は前進を拒み留まることを選んだように見えるだけに、
この答えで良かったのかという疑問を人によっては抱き得るのではないでしょうか。
特に「沢山の人達を笑顔にさせたい それがかなえの願いだったろう」(135ページ)とあるため、
この疑問は浮き上がってきやすいものかと思います。

今回は、だからこそ、この結末の意味を考えてみたいと思います。
かなえが送り出される展開ではなかった意味とは何なのでしょうか。
換言すれば、透子に背中を押されて東京へと前進していくかなえの姿の代わりに、
この作品は何をテーマとして提出しているのでしょうか。

一つ考え得るのは、前進を拒んだかのように見える地元に残ることの選択が、
実はかなえにとっての前進であったのではないかということです。
そもそも東京に行くことが前進であって、
地元に残ることが前進の拒否であるという捉え方自体が、
あくまで一つの捉え方でしかなく、必ずそうとは限らないのではないでしょうか。
この作品は、それとは別の考え方を提示しているように思います。

つまり、通常東京へ行くか地元に残るかということは、
前進を選ぶか前進を拒むかという選択のように見えますが、
実際は地元に残ることも別種の前進なのではないかという考え方です。
アイドルが到達すべき場所は何処なのか。
この問いに対し、アイドルが到達すべき場所は必ずしも東京ではないと突き付けるのが、
この『アイコンタクト』という作品であったのではないかと思います。
アイドルが到達すべき場所は、必ずしも多くの人の目に留まる東京ではなく、
彼女が最も「輝ける場所」であり、それゆえに東京行きを辞めたことは、
前進の拒否でなくて、かなえの前進の選択に他ならないのではないでしょうか。
かなえはアイドルとして、透子の側へと改めて「前進」したのです。

かなえの暴投が、始球式でプロには取れなくて、透子には取れたのは、
以上に述べたことを表す事柄であったのではないかと思います。
かなえは始球式のインタビューで次のように語っています。

「プクプク動画です! 配信を見てるリスナーに何か一言!」
「いや~気合い入れてスパイク履いてきちゃって ちょっとリキんじゃいましたー
 それに… …女房役(よめ)がボール受けてくれないとダメみたい
 もっと練習してきます!」 (31-32ページ)


圧倒的な暴投は、ご当地アイドルの枠には収まらず、
全国区でも活躍できそうなかなえ本人を象徴するものと読めます。
それをプロが取れず透子が取れるということは、
彼女を受け止める場所が、そうであるべきでありそうなプロ(東京の事務所)ではなく、
あくまで透子に他ならないということを示しているのではないでしょうか。

かなえが進むべきアイドルとして「輝ける」場所とは、
ただ一人の「女房役」の側に他ならなかったのです。


テーマ:漫画の感想
ジャンル:アニメ・コミック

恋の「凄まじさ」への反転 (大北紘子『Vespa』)

2014.07.20 22:20|百合作品
Vespa (IDコミックス 百合姫コミックス)Vespa (IDコミックス 百合姫コミックス)
(2014/06/19)
大北 紘子

商品詳細を見る


今回は、大北紘子さんの『Vespa』について、紹介しつつ考えていきます。
まずは、簡単に作品の雰囲気を紹介します。
裏表紙の概要が、表題作について簡潔にまとめています。

極端に男性の出生が減少した世界。
女性たちは貧富・身分の差から、
子供を産み育てられる身分と
労働に従事することで一生を終える身分に大きく分けられていた。
姫に仕える恋塚は、叶わぬ想いを胸に秘めて生涯を終えようと思っていた。
姫の隣国の女王への輿入れが決まるその日まで。
傲慢で、冷酷な女王に人身御供のように嫁ぐことになった姫は、
それでも恋塚に頼ることはなかった。
人形のように孕まされる役目を負った過酷な姫の運命を案じ、
婚姻記念式典の日恋塚はある計画を実行する――。 (裏表紙)


「Vespa」が壮絶な物語であることは、これだけでも十分に悟ることができます。
想いを寄せていた貴人が嫁いでしまうという身分違いの物語は、
さして珍しいものではありませんが、
極端に男性の出生が減少し、女性の間に明確な身分が存在するという世界の設定が、
物語に特有の「凄まじさ」を生んでいます。
次の部分は、これに息を飲むところであると言えるでしょう。

「姫様がどうなるかわかっているのか
 女王のところに嫁に行くのはただパートナーになるのとはちがう

 女王の国は代々血縁で続いている
 男が生まれにくいのは我が国と同様だが
 それでも精子のストックは十分にあるだろう
 逆に言えばそれさえあれば男はいらないんだ

 だったら女が女を嫁にもらうメリットは?
 女王が自ら子を生むとでも思うのか?

 姫様の腹を借りるんだ

 処女のままの人工授精と初産のリスクを避けるため
 一度適当な種で産ませてから正式に女王の卵を孕ませる
 わかるか?
 犯させるんだよ男に
 わざわざそのために希少な男を育てていると聞いたことがある
 もちろん姫様も承知だ お前それでいいのか」 (45-47)


男性の出生が少ない世界が生む、この類の権力関係が凄まじく描かれているのです。
とはいえ、「Vespa」はこの種の「凄まじさ」のみで覆われた作品ではありません。
クライマックスにおいては、むしろここから脱却していると見ることもできます。
姫と恋塚、そして女王は、そこでそれまで背負っていた役割を、劇的に脱ぎ捨てるのです。

このことを説明するためにも、今回は一つの問題提起から始めたいと思います。
私が疑問に思ったのは、物語の佳境における女王の行動についてです。



○大北紘子『Vespa』:恋の「凄まじさ」への反転


クライマックスにおいて恋塚は、婚姻記念式典を襲撃し、姫を連れて逃げ出しますが、
あと一歩のところで先回りしていた女王に道を塞がれてしまいます。

このとき女王は何故、「独りで」二人の前に立ち塞がったのでしょうか。

これまで彼女は、強大な力を持つ国家の女王として強調されていました。
その彼女が姫と恋塚の逃亡に気が付いたのであれば、
兵士に指示して二人を確保することもできたはずです。
仮にそうしていれば、二人に手痛い攻撃を受けることもなかったでしょう。
それなのにこの女王は、独りで二人の前に現れたのです。
このことは考えるべき一つの問題として捉えられると思います。

婚姻記念式典の全景を確認できる場面を見ると(74)、
警備の兵士は皆、恋塚と同じ格好をしていることから、
専ら姫の国の兵士をもってあてていたと考えられます。
しかし、女王も一国の女王であるからして、
その身一つで姫の国を訪れたとは普通考えられません。

やはり彼女がその身一つで立ち塞がったことは、違和感を覚え得ることです。
婚姻記念式典に女王の国から警備が回されていたかはともかく、
事実として女王は独りで二人の前に現れることとなった。
そこには如何なる意味があるというのでしょうか。

この問いに対する答えのヒントとなるのが、恋塚を撃った後の女王の言葉です。
彼女は姫に、自分の過去について語り出します。

「あなたたちがまだ子どもだった時代
 生身の男がまだ少しはいたわ
 外国ではまだ十分数を保っている国だってあった

 …身ごもったの 好きな男だったわ

 利口で血統も良くて申し分なかった
 母国に金を積んだのがプライドに障ったのかしら
 わたくしの子は生まれる前に死んだ

 殺したわ… 男という男を
 わたくしが始末してあげる
 あなたの恋人 まるで男の子みたい」 (93-94)


このようなことは、女王はここまで全く語っていませんでした。
彼女は徹底的に大国の女王として、姫の前に登場していたのです。
非常に象徴的な場面として、「18日前の黒色」での一幕があります。

「…何かご用…? あらイザベル おはよういい朝ね…」
「泣いて…おられたので…」
「あら わたくしだって怖い夢くらい見るわ」
「毎日…?」
「偶々よ… いやだわすごい汗…
 ねえお風呂につき合いなさい そうすれば午後は一人にしてあげるわ」
「陛下… どうしていつも黒い服を…?
 毎日泣いていらっしゃることと関係が…?」
かっこいからよ ばかね」 (137-138)


ここで女王は、姫に自分の過去について語るなどということはしませんでした。
あくまで大国の冷酷な女王という位置を守っているのです。
その彼女がクライマックスで自分の過去について語るのは、
姫のために大それた計画を実行に移した恋塚が原因であったと考えられます。
実際に女王は過去についての語りを、
「あなたの恋人 まるで男の子みたい」と締めくくっています。
恋塚を始末するということを述べる前の枕として、
女王は自らの過去を導出しているのです。

考えてみると、恋塚もここでは一近衛兵の身分を逸脱しているのでした。
恋塚は始まりの一撃が訪れる直前に、確かに迷いを覚えています。

――姫様 わたしは自分が正しいのかわからない
 こんなことをして激怒されたらどうしたらいい (75)


恋塚がそう不安に思ったのは、計画が明らかに分を弁えぬ行動であるためです。
それでも彼女は、近衛兵という立場から逸脱して、姫を連れて逃げ出しました。
姫が姫の立場から逃げられないと述べたのに対し、
それを無視して、姫を抱えて橋から飛び降りる場面(84-85)は、
恋塚の立場からの逸脱を、姫という立場を守る姫との対比の中で示しています。

女王は、恋塚の逸脱に対して、自らも逸脱で応えたと考えられます。
すなわち、近衛兵という立場から逸脱して姫を連れて逃げ出した恋塚に対して、
女王は女王という立場から逸脱して二人の前に現れるのです。

確かに彼女の物言いは、以前冷酷な女王のものに他なりませんでした。
しかし、それは外形上のことに過ぎません。
女王は女王でありながら、独りで立ち塞がり、自らの個人的な過去を語ったのです。
この場面での彼女は、既に女王とみなすわけにはいかなくなっています。
彼女はここで、近衛兵という身分から離れて、ただ自分の気持ちだけで動く恋塚と同じく、
女王という身分から離れた、ただの一人の女として登場しているのです。

彼女の女王という立場からの逸脱は、最終的に彼女の次の独白に繋がります。

――いつも絶望していたの いつも ひとりぼっちだった
 笑わないあなたが泣くと嬉しかった
 ずっと一緒にいてくれたら とてもいいなって思っていたのよ… (99-100)


女王は姫に気持ちを寄せる一人として、水底に沈んでいきました。
ここで行われたことというのは、姫と近衛兵、そして女王の物語からの反転です。
土壇場において、近衛兵という立場を捨てた恋塚を端緒に、
それぞれがそれぞれの身分から逸脱していきます。
その逸脱の果てに残るのは、ただの一人の人としての、誰かへの気持ちに他なりません。
それに基づいて、恋塚は姫を連れ出し、
女王は独りで二人の前に現れ、姫は女王をぶん殴ります。
ここまでは、男性の出生が極端に減った世界ゆえの、
身分に基づく凄まじい関係性が物語の中心にありました。
恋塚たちは、姫や近衛兵、そして女王という身分に従って、
それぞれの役割に則って演じているに過ぎなかったのです。
それがクライマックスにおいては、ただの三人の物語に収斂しています。
だからこそ、姫と恋塚は女王のところから逃げ果せたと考えられます。

結論として「Vespa」は当初、独特の世界の設定と、
それゆに起こる女王と姫の凄まじい権力関係を中心に据えて進行しながら、
クライマックスにおいてそこから劇的に飛翔してみせます。
姫と近衛兵、そして女王の物語は、恋塚たちの襲撃の土壇場で、
それぞれに誰かを想うただの人の物語に化けるのです。
女王が二人の前にたった一人で現れたことは、
このことの一つの現れであったと言えると思います。
「Vespa」は単に、その世界ゆえの「凄まじさ」だけで成り立っているわけではないのです。
そこから急反転して最後に前面に押し出されたのは、三人のそれぞれの想いに他なりません。
先のものとは別種の、その想いゆえの「凄まじさ」がそこにはあります。
これまで従っていた立場を投げ捨てさせて、
それぞれにとんでもない行動を起こさせる、人の恋の「凄まじさ」です。



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  そして二人は世界に抗う (大北紘子『月と泥』)


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