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静香にとってのPと未来の立ち位置 ――アイドルにさせてくれた人と、アイドルであると言わせてくれた人 (門司雪『アイドルマスター ミリオンライブ!2』)

2015.09.27 17:46|アイドルマスター
今回は、先日発売された漫画版『アイドルマスター ミリオンライブ!2』について考えます。
第一巻で静香のステージを見てアイドルになった未来が、
体調を崩した静香の代わりとして初めてのステージに立つ本巻。
静香の想いをみんなに届けたいという一心で頑張り、
アイドルとしての第一歩を踏み出した未来でしたが、
静香はそんな未来に対して同じアイドルとしての複雑な感情を抱きます。
第二巻は、ここから生じた二人の間の溝が、再び埋まるまでを著した作品です。

作中で印象的なのは、Pにファンと名乗り出られたゆえに、
Pのことを意識してステージに臨もうとしている静香を見たときの春香の言葉です。

「ねえ千早ちゃん、私気付いちゃった。」
「どうしたの? 春香。」
私たち普段はただの女のコだけど、
 応援してくれるファンが一人でもいてくれたら…
 その瞬間からアイドルになれるのかもって。」(二巻、165ページ)


これは、なかなかに示唆的な言葉であったと思います。
私には、アイドルマスターという作品のアイドルの考え方が、
直接に示されているように思われました。

つまり、アイドルマスターにおいて、どこからアイドルがアイドルなのかと言えば、
それはアイドルがアイドルを志したときでも、アイドルが初めてステージに立ったときでもない。
アイドルに一人でもファンができたときであるという考え方です。
そのときから、そのアイドルの物語が始まると考えられます。
特に、アイドルがアイドルを志したときからではないことが特徴的です。

だからこそ、アイドルマスターの物語は主に、
Pとアイドルが出会ったときから始まるのではないでしょうか。
それは、アイドルに一人目のファンができた瞬間に他ならないから。
前述の考え方があるからこそ、アイドルマスターの物語は、そこから始まると捉えられるのです。

この記事では、その上で、静香にとってのPと未来の立ち位置を考えます。
春香によれば、静香はPという一人目のファンを得て、アイドルとなりました(二巻、165ページ)。
しかし他方で、静香は未来の言葉を受けて初めて、
自分が「アイドル最上静香」であると言えたのです。

「皆アンコールありがとう!
 杏奈がステージを盛り上げて星梨花が背中を押してくれて、
 皆が声援をくれたから全力で歌えました。
 最後にこのアンコールマイク、どうしても受け取って欲しいの…
 私のいちばんのアイドル…静香ちゃんに。」 (中略)

「未来、私…」
「遅刻だよ、静香ちゃん。」

――私…アイドルになりたいの。アイドルになりたい。

――…違う、私は… 私は!
「アイドル! 最上静香歌います!」 (二巻156-180ページ)


ここで静香は、「アイドルになりたい」という希望を、
「アイドルである」という自認に転換させることに成功しています。
未来のところに駆けていった静香の手首から、時計が落ちてしまうことは象徴的です。
期限内にアイドルとして認められなければならないという、時間を意識した急いた気持ちが、
ここでは、今自分はアイドルであるのだという気持ちの中に溶けています。
未来によって、静香は自分が今アイドルであることを自認して、
期限を意識して焦る気持ちから解放されたと言えるでしょう。

しかし、未来が静香にアイドルであることを自認させたということは、
同時にPはそうはできなかったということです。
この静香の物語においては、この意味でPの存在の重要性が相対化されています。
ゆえに、静香に対してPはどのような立ち位置であったのかという疑問が生じます。
アイドルマスターの物語においては、原則として、
アイドルにとってPが極めて大きな意味を持つ人物として描かれてきました。
そうしたアイドルマスターの物語の一つであるのに、Pの存在を相対化したこの作品は、
静香にとってのPを、そして同時に未来を、どのように描いていたのでしょうか。

以下、このことについて思索を巡らせてみたいと思います。
ここが、この作品において最も特徴的であるからこそ、
この問いを考えることによって、アイドルマスターという作品群の中にあって、
この作品がどのような位置にあり、どのようなテーマを持つかを理解することができるでしょう。
もしよろしければ、この作品を手に、少しの間お付き合いいただければ幸いです。

それでは、静香にとってのPと未来の立ち位置について考えてみましょう。
未来が静香に今アイドルであることを意識させた展開を鑑みると、
まず最初に次のような考えが浮かぶのではないでしょうか。
すなわち、静香をアイドルにする一人目のファンは、Pでなくて未来であったという読み方です。

実際に静香のファンとなったのは、未来よりもPの方が遥かに早く、
Pが一人目のファンであったに違いないのですが、
静香の意識の上で、一人目のファンになることができたのは、
未来に他ならなかったのではなかったでしょうか。
自分をアイドルとして見てくれると、信じられた一人目。

つまり、静香は彼女を取り巻く環境もあって冷静過ぎたために、
Pを一人目のファンとして完全には受容することはできず(二巻、164ページ)、
あの文化祭のステージで「いちばんのアイドル」として呼びかけてくれた、
未来をこそ一人目のファンとして受容できたのではないでしょうか。

だからこそ静香は、初ステージに立ったときでなく、文化祭のステージに立ったときにこそ、
「アイドル最上静香」として、初めてマイクを手に取れた(二巻、180ページ)と捉えられます。
漫画版ミリオンライブ二巻は、未来という本当の一人目のファンを得て、
静香が真にアイマスのアイドルになるまでの物語と言えないでしょうか。

正直に言えば、これが私自身の当初の読み方でした。
Pでなく未来が、静香の一人目のファンとなって、
静香をアイドルにする物語という読み方です。
しかし、今ではこの読み方には不備があると思います。
というのも、春香は、Pにファンと名乗られた後の静香の様子を見て、
応援してくれるファンが一人でもいてくれたら、
その瞬間からアイドルになれるということに気付いています。
春香は、あのときにこそ静香が、アイドルになったことを感じて、
それゆえにそのことに気付けたのだと思います。
仮に静香がPにファンと名乗り出られて、
それを意識してアイドルになっていなかったとすれば、
春香が先の事実に気付く理由はないのです。

とすれば、静香の一人目のファンがPでなく未来であったという私の考えは、
少なくとも正確とは言えないでしょう。
静香はPというファンによって、確かにアイドルになっているのです。
漫画版ミリオンライブが描いたのは、Pが一人目のファンとなって静香をアイドルにし、
未来が別の意味で特別なファンとなり、静香に今アイドルであることを意識させる、
そんな静香の物語であったのではないでしょうか。

それでは、この読み方について説明していきます。

Pがファンとして名乗り出たとき、静香は冷静に「ファンとは違う」と否定してはいても、
Pが応援してくれる存在であることまでは否定できておらず、
彼のことを想ってステージに立った限りにおいて、
春香の言うとおり、Pという一人目のファンを得て「アイドルになれた」と言えます。

しかし、静香にとって「アイドルになる」ことは、
最終的には「皆に愛されるようなアイドル」になることを意味します。
そのため、単にPの立場から応援されるだけでは、
アイドルになれたと考え、自分はアイドルであるとは言えなかったのではないでしょうか。
つまり、アイドルに理解のない人も含めて、
誰からも認められるようなアイドルを大目標にしている静香にとっては、
そういった立場の一人目のファンを得て初めて、
アイドルになれたと意識することができると考えられます。
アイドルを分かっていないような人が静香をアイドルとして認めてくれることが、
静香が自分で自分はアイドルであると言えるためには必要でした。

PはPであるゆえに、アイドルについて知ってしまっているので、
絶対にこの立ち位置には立てません。
Pは、静香の一人目のファンになれたとしても、
静香がアイドルになれたと言えるためのファンにはなれなかったのです。

そして、未来は、まさしくそういう意味での一人目のファンに他なりませんでした。
当初アイドルのことについて全然分かっていませんでしたが、
静香のステージを見て、静香をアイドルとして認めてくれた最初のファン。
だからこそ未来が、文化祭のステージで静香に、
静香が「私のいちばんのアイドル」であることを伝えたことは意味を持ちました。

また、加えて未来は、幼き日の静香がテレビの中のアイドルの姿に憧れて(二巻、79ページ)、
アイドルになったのと同じように、静香の姿に憧れてアイドルになったファンです。
アイドルを知らない未来が、自分をアイドルと認めて、
更に憧れてアイドルになってくれた。
静香は文化祭のステージでの未来の言葉を聞き、このことを改めて意識して、
それゆえに自分のことを「アイドル最上静香」と言えたと考えられます。

結論として、「静香がアイドルになるということ」と、
「静香がアイドルであると言えるということ」の間には差があって、
前者を成さしめたのはPであったのですが、後者を成さしめたのは未来であり、
また未来でなければならなかったと言えます。
静香の物語については、アイドルになるに当たって、この二重の過程があったのです。
そこにおいてPは、アイドルにさせてくれた人という立ち位置にあり、
未来は、アイドルであると言わせてくれた人という立ち位置にあります。

二人がいてこそ、静香はアイドルになり、また、アイドルになったと意識して、
自分は「アイドル最上静香」であると述べることができたのです。



○関連記事


  手を引く静香の歌としての『Precious Grain』 (第一巻の記事)



テーマ:アイドルマスター
ジャンル:アニメ・コミック

そのままであることと変わっていくことの両立 ――第二話と第三話の対照性から (アイドルマスター:第三話考察)

2015.06.07 15:39|アイドルマスター
今回は、現在再放送中でもあるアニメ『アイドルマスター』の、
第二話と第三話について考えてみたいと思います。
伊織たちが宣材写真を撮る際に大切なことを学ぶ第二話と、
雪歩が小さな村での舞台に上がるに当たって勇気を持って決意する第三話。
この連続する二つの話における、一見相反するテーマに注目します。

つまり、第二話は伊織たちが華美な服で着飾っていたところから、
個性を大事に、彼女たちの素のままで写真を撮るところに至る流れなのですが、
第三話は逆に、みんなが私服でステージに出ているところから、
雪歩の全力の着飾りに至る流れとなっています。
それゆえに、次のような疑問が浮かびます。
すなわち、第二話では伊織たちが華美な格好をやめる流れの中で、
アイドルがそのアイドルらしく在ることが提示されたのにも係らず、
第三話では雪歩が全力で着飾ってステージに臨むことが提示されたことは、
如何なる意味を持っていたのかということです。

第三話で着飾ってステージに出た雪歩は、
その格好からして、必ずしも雪歩らしくはなかったと考えられます。
むしろ「今までの雪歩らしさ」から脱け出ていくことが、あの姿には表れていました。
伊織たちらしいままであることを描いた第二話の直後に、
そのテーマと対立するように見える第三話があったことに、
如何なる意味を見出せるのでしょうか。

けだし、第二話と第三話の対照性は、アニメが全編を通してテーマとしていた、
一見して背反する大きな二つのテーマを早くも象徴するものであったと思います。
つまり、アニメは、「そのままであること」「変わっていくこと」をいずれも肯定する作品でした。

終盤から劇場版にかけての展開が分かりやすいですが、そこでは765プロの面々は、
これまでのようにいっしょにいられるよう努力するとともに、
これから変わっていくことを否定せず進んでいこうとしていました。

一方でいっしょにいるままで他方で変わっていくことが、
アニメの提示していたテーマであったのです。

このように、765プロという単位においては、
765プロが「そのままであること」と「変わっていくこと」のいずれもが否定されずに、
両立されていく流れを取るのですが、これがアイドル個人という単位においても、
全く同じように提示されているのが第二話と第三話なのではないでしょうか。

つまり、一方で第二話で「個性」が強調され、
アイドルがそのアイドルらしく在り続けることが肯定されるのですが、
他方で第三話で「成長」が強調され、
アイドルが変わっていくことが肯定されるのであり、
ここで「そのままであること」と「変わっていくこと」が両立されて描かれています。

そう考えると、着飾った服を脱ぎ捨てる第二話と、
服を取って着飾る第三話の展開の対照性も、
意味があるものとして理解できるのではないかと思います。
この二つの話は、一見背中合わせで、
それでいてアニメが両立させていかんとするテーマを、
早くも打ち出しているワンセットであったのです。


テーマ:アイドルマスター
ジャンル:アニメ・コミック

手を引く静香の歌としての『Precious Grain』 (門司雪『アイドルマスター ミリオンライブ!1』)

2015.05.04 08:35|アイドルマスター

今回は、門司雪さん『アイドルマスター ミリオンライブ!1』を、
紹介も踏まえつつ考えていきたいと思います。
個人的には待望の、ミリオンライブのコミカライズです。
第一巻においては、未来がアイドルになることを決意し、
静香や翼とともに活動を始めていくところまでが描かれています。
作中で印象的なのは、ミリオンライブの曲の歌詞を、
上手く物語の中に組み込んでいるということだと思います。

可憐たちが歌う『ココロがかえる場所』でもって、
未来が静香との思い出を一つ一つ辿っていく場面は胸に残ります。

この記事では、作中で印象的な場面を飾るもう一つのミリオンライブの曲、
静香の『Precious Grain』に注目していきたいと思います。
この曲については、『ココロがかえる場所』のように、
作中で歌詞が引かれているわけではありません。
そのため、静香が歌ったのが『Precious Grain』であると分かるのは、
会場前に掲げられた彼女のポスター(23ページ)と、
とっさのフォローに入った春香の次の台詞によるのです。

「みなさーん!
 1曲目、最上静香ちゃんで”Precious Grain”を聴いていただきました!
 いかがでしたか!?
 とっても盛り上がる曲ですよね!」 (38-39ページ)


静香の初ステージにおいて強調されたのは、『Precious Grain』の歌詞ではなく、
むしろこの歌を歌う静香の真剣な表情の方でした(33ページ)。
これは、限られた「私の時間」(124ページ)の中で夢を追う静香だからこその、
本気の表情であり、未来もまずここに引き込まれたと考えられます。

しかし、この作品は、未来がアイドルを目指すきっかけとして、
静香の『Precious Grain』を用いたことにより、歌詞は全く出していないのですが、
この歌を「静香が誰かの手を引く歌」として提示してもいたと思います。
「静香が誰かに手を引かれる歌」ではなく。
ここが、私個人としては極めて印象的なところでした。

詳しく歌詞と物語を確認してみましょう。
『Precious Grain』は、一番のクライマックスで次のように言葉を綴ります。

たった一粒でもかけがえのないもの
輝きに変えながら叶えていきたいの
たった一つだけのかけがえのない夢
あなたにも見えたのなら…手を差し伸べて、ガラスの外へ


この部分で歌詞の中の語り手は、ともに歩む「あなた」へと語りかけ、
ともに「ガラスの外」――ここで言うガラスの外とは、
冒頭の歌詞からして、砂時計のガラスの外と思料されるため、
「限られた時間の向こう側」と捉えられます――へと出て行こうとします。
この歌詞の中の語り手の姿は、言うまでもなく、
この歌の歌い手である静香の姿に重ねられると言えます。
静香もまた、限られた「私の時間」の中において自分の夢を叶えて、
時間の限定の鎖を取り外そうと努めるアイドルであるためです。
このことは、作中では頑張り過ぎる静香の切実さにより既に表されていました。

歌詞の中の語り手と、歌の歌い手である静香は重ね得る。
そのために、語り手が「あなた」に向けて「手を差し伸べて」と語りかけるとき、
それは第一に、静香の方が(Pのような)誰かに手を引いてもらって、
硝子の外に連れ出してもらうイメージで捉えられます。

後の歌詞で「たった独りきりじゃ叶えられないから」とあるために、
物語のヒロインのようなイメージでもって、語り手を認知しやすいのです。

しかし、この作品は、これとは正反対のイメージを物語中に描き出していました。
つまり、夢へ向かうことを既に決意している静香の方が、
誰かの手を取り、一緒に夢へと向かって行くイメージが、
『Precious Grain』の歌詞に乗せられていると考えられるのです。

これは、静香の『Precious Grain』を見て未来がアイドルになろうとする流れでもって、
その歌詞が、静香がPのような誰かに呼びかけるものでなく、
未来のような誰かに呼びかけるものとして提示されていたことによります。
まだアイドルではない未来に呼びかける歌としての『Precious Grain』のイメージは、
まさに46ページの、静香の方が未来の手を引くイメージに他なりません。

ここにおいて、歌詞の「あなたにも見えたのなら…手を差し伸べて ガラスの外へ」は、
静香がPのような誰かに、手を差し伸べて私の手を引いて、
私をガラスの外へ連れて行ってと呼びかける意味ではなく、
静香が未来のような誰かに、手を差し伸べて私の手に引かれて、
私と一緒にガラスの外に行きましょうと呼びかける意味となっているのです。
この作品では、『Precious Grain』の語り手は、静香は、
誰かに手を引かれるだけの「ヒロイン」ではなく、
同時に誰かの手を引きもする「アイドル」であるということが示されています。

結論として、『Precious Grain』を歌う静香の姿を見て、
未来がアイドルになることを決意するという流れの中に置かれたことにより、
『Precious Grain』は、Pのような誰かだけではなく、
未来のような誰かに向けられた歌でもあることが示されていたと思います。
その結果として明らかになっていることは、この歌は、
静香がPのような誰かに手を引かれるだけの歌でなく、
未来のような誰かの手を引く歌でもあるということです。


テーマ:アイドルマスター
ジャンル:アニメ・コミック

みくと李衣菜のどちらかを選ばず進むという在り方 ――ニュージェネレーションズとの比較から (『シンデレラガールズ』:第十一話考察)

2015.04.12 15:02|アイドルマスター
THE IDOLM@STER CINDERELLA GIRLS ANIMATION PROJECT 06 ØωØver!!THE IDOLM@STER CINDERELLA GIRLS ANIMATION PROJECT 06 ØωØver!!
(2015/04/15)
*(Asterisk) [前川みく×多田李衣菜]

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今回は、アニメ『アイドルマスター シンデレラガールズ』第十一話について考えます。
ついにみくと李衣菜がユニットとしてデビューを果たす本話においては、
同じくキュート、クール、パッションのいずれか一色のみのユニットではない、
ニュージェネレーションズ(以下「NG」という。)との対比の下で、
*(Asterisk) というユニットが表わされていたと思います。
まず目に留まるのが、アイドルとしてのファンへの意識の差です。
みくと李衣菜は、初ステージでファンを「盛り上げる」ことに成功していました。

ここで思い出されるのは、第六話における未央の「お客さんだって盛り上げてくれるし」と、
第九話におけるみくたちの「みくなら絶対楽しむにゃ、お客さんも楽しませるにゃ」の対比です。

「大丈夫ですよね。
 いっぱい練習したし、きっと上手く行きますよね」
「しまむー。大丈夫、楽しいことが待ってるって、私たち知ってるじゃん!
 お客さんだって盛り上げてくれるし、ぜーったい、上手くいく。ね、しぶりん」
「うん、そうだね」 (第六話)


「やっぱり緊張するよね。私もまだ緊張しちゃうからなあ」
みくなら、絶対楽しむにゃ。お客さんも楽しませるにゃ
「だね」 (第九話)


片や相手が盛り上げてくれると考えていて、
片や相手をこちらが盛り上げると考えているのです。
ここの部分に*の、アイドルとしての高い意識が見出せます。
この点においては、*は第六話時点でのNGに明らかに先んじていました。

このように、NGと*は、それぞれ最初と最後にデビューした複数属性ユニットであったため、
後者が前者を越えているという優劣の形で対照的に現れているのですが、
必ずしもその形ばかりで対照的に現れているというわけではありませんでした。
つまり、優劣の身ならず、複数属性ユニットとしての在り方の違いも示されていたのです。

すなわち、NGは各々のタイプが異なるゆえに意見が割れたとき、
三人の意見のうちのいずれで行くかを選択したのですが、
*はお互いのタイプが異なるゆえに意見が割れたとき、
どちらかを選択せずお互いの意見を尊重していくという方針を採っています。
この違いが最も顕著に表れているのが、「リーダーの有無」です。
NGはユニットがまとまるためのリーダーを選択していました。
それに対して、*は少なくとも第十一話中ではリーダーを選択せず、
おそらく今後もリーダーを決めないだろうと考えられます。

みくと李衣菜の出番の前に、会場の方ではじゃんけん大会が行われていたのは、
この、NGと*の複数属性ユニットとしての在り方の差異を示す表現であったと思います。
NGは第三話で、同じく急に出演が決まったステージの直前、
じゃんけんで割れた意見を統一して舞台に挑んでいました。

フライドチキン、生ハムメロン、チョコレートで割れていた中で、
じゃんけんをすることによってフライドチキンを選択したのです。
みくと李衣菜は、NGと同じ道を歩んではいきません。

「ほんと、気が合わないね」
そこがこのユニットの持ち味にゃ
「じゃ、いきますか」 (第十一話)


第十一話で急に決まったステージに出て行くまでの流れにおいては、
同じく急に決まった第三話のステージに出て行くまでの流れにおいて、
極めて重要な意味を持っていたと考えられる、
割れた意見をじゃんけんで統一するという過程がすっ飛ばされています。
このことを強調するのが、みくたちの裏で行われていたじゃんけん大会でした。

第三話でじゃんけんがあり第十一話でなかったことは、
そのままNGと*の複数属性ユニットとしての違いを象徴的に表すものに他なりません。
NGは意見が分かれたときに統一して進みますが、
*は意見が分かれたときにそのままで進んでいきます。

NGにはリーダーがいて、*にはリーダーがいないという違いに繋がる部分です。

NGの場合、誰の意見に決まってもそれなりに納得して進んでいけるのですが、
*の場合、どちらかに決めると進むことがままならなりません。
どちらかに決めてしまっては、ユニットとして在り続けることができないのです。
*においては、いずれも選ばず、二人は二人で在り続けたままで、
「お互いのこだわりを尊重しながら」やっていくのが、合っていると言えます。

NGは、属性が異なると言えども、三人の方向性が全然異なるというわけではなくて、
凛がチョコレート(甘味)で未央がフライドチキン(肉類)という全然異なる方向に進むときに、
卯月が生ハムメロン(甘味かつ肉類)という間を取るような答えを挙げて、
両者の間を取り持ってくれるようなユニットと考えることができます。

第二話のバレーボールの例えで言えば、卯月がトスを上げる役割に回って、
レシーブをする未央とスパイクをする凛を繋ぐ位置にいてくれるのがNGというユニットなのです。
卯月のこの立ち位置は第三話までで特に強調され、未央がはしゃぎ、
卯月がこれに乗っかるときに、欠かさず卯月が凛にも話を振る場面に顕著です。

「私たちがステージに立てるなんて」
「入って早々の大抜擢。何が起こるか分からない。
 いやあ、アイドルってすっごく楽しいよね!」
「はい! 凛ちゃんはどうですか?」 (第三話)


「やりました! 私たちの初ステージ、無事成功しました!」
「何かもう、全部がきらきらしてた。アイドルってやっぱり最高!」
「ですよね。ですよね、凛ちゃん!
「うん!」 (第三話)


このようにNGは、三様とは言えそこまでそれぞれが分離していたわけではなくて、
特に卯月の存在を要として一つにまとまっていけるだけの素地を備えていたのです。
だからこそ、NGは、一つにまとまって進んでいくユニットなのだと思います。
NGは、*とは異なるやり方で進んでいく、三色の個性を持つユニットなのです。

結論として、NGと*のユニットとしての最たる違いは、
NGは意見が分かれたときに意見を統一して、三人でまとまって進むのに対し、
*は意見が分かれたままで進むということです。

第十一話では、本番前、じゃんけん大会の声を背後に聞きながら、
みくと李衣菜がじゃんけんをしないことでこのことが強調されています。
*は、一つにまとまって輝く三色の個性としてのニュージュネレーションズに対して、
それぞれに分かれながら一緒に輝く二色の個性として提示されていたのです。



○関連記事

   二つの魔法から始まるシンデレラストーリー (第一話)
   憧れの初ステージに係る「意志」と「緊張」 ――手をとり合うシンデレラ (第三話)
   魔法を持続させる鍵としての「信じること」 ――第六話の未央とPの問題から (第六話)
   三つの目標を一つに束ねて ――勝利と笑いと三人の笑顔 (第九話)
   Pの示した「自由」という方針の本意 ――ともに考え、行動していく意志としての (第十話)


テーマ:アイドルマスター
ジャンル:アニメ・コミック

Pの示した「自由」という方針の本意 ――ともに考え、行動していく意志としての (『シンデレラガールズ』:第十話考察)

2015.04.05 17:43|アイドルマスター
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今回は、アニメ『アイドルマスター シンデレラガールズ』第十話を考えます。
Pは、きらり、莉嘉、みりあから成る凸レーションをプロモーションしていく中で、
自身のプロデュース方針とでも言うべきものを美嘉に話していました。

「次の回、どうするの?」
引き続き、三人の思うように進めていただこうかと
「何それ! 丸投げ!?」
「いえ。凸レーションは、自由に行動させたら、面白いユニットだと思います。
 三人に、賭けてみたいんです」
「ふーん。いいけど、責任取るのはプロデューサーの仕事だし」
「はい」 (第十話)


今回は、ここで示されている、三人に「自由」に行動させるという方針の本意を考えます。
三人に自由に行動させると言えば、三人が自分で考え、行動し、
そこにPは関与しないという、「自由放任」という意味を思い浮かべます。
しかし、第十話において、Pはそのような方針で動いてはいませんでした。
三人に思いのままに行動させて、後の責任はPが負うというような、
任せっぱなしのプロデュースを行ってはいなかったのです。
となれば、Pの「自由」という方針は、単なる「自由放任」ではなかったと考えられます。
今回は、この部分に着目し、Pの「自由」という方針の本意を考えてみたいと思います。



第十話のPの三人に自由に行動させるという方針は、
Pが何もせずアイドルにまかせるといった「自由放任」のことを意味してはいなかったと思います。
美嘉はそう受け取り、万一の事態を想定してPに釘を刺したのですが、
Pはおそらく、その意味で「自由に」と言ったわけではありません。

その証左に、Pは美嘉に三人に自由に行動させると言いながら、直後の車内のシーンで、
莉嘉が挙げたセクシーにアピールするという案を斥けています。

「セクシーに言ったらいいかも。お話聞いてくれたら、ご褒美あ・げ・る」
「お話聞いてくれたらご褒美……?」
それ以外で
「うーん」
「お客さんを巻き込むってどうしたらいいんだろう」
「もう、全然浮かばないよ。Pくん、ヒント!」 (第十話)


ここから、Pが「自由に」と言ったのは、美嘉が想像したように、
単に三人の好き勝手にさせるということではないということが分かると思います。
また、莉嘉にヒントを求められて、Pも一緒に考えていることも重要です。
Pは自由放任の姿勢で明らかに三人に丸投げしているわけではありません。

ゆえに、Pの言う「自由」がどのような意味であったのかということが問題となります。
けだし、Pが「自由」と言ったのは、Pが一人で決定し、
アイドルたちがその方針に従うという形を前提にした上での、
相対的な自由であって、三人が考え、Pがその案を検討するという形でした。

第十話において、PikaPikaPoPとのコラボを含んだCDの宣伝企画については、
Pが一人で決めてアイドルに投げているところ、
舞台上でどのようにアピールするかということは、
三人に自由に考えさせて、行動させようとしています。
ここにこそ、Pの述べた「自由」が表れていたのではないでしょうか。

だからこそ、Pは冒頭で莉嘉のセクシー路線をやんわりと斥けて、
舞台で言う内容を自分も含めた「事前打ち合わせ」で決めておきながら、
美嘉に「引き続き、三人が思うように」と述べているのです。
Pは冒頭の時点で、自由放任の姿勢で三人に任せてはいません。
三人に考えさせて、自分も検討しているのです。
Pの言う「三人が思うように」、「自由に」というのは、
そこから「引き続く」ものに他ならないのです。

結論として、Pは美嘉に「三人が思うように」、「自由に」と述べているのですが、
これらは、Pの関与を受け付けない自由放任的な意味での「自由」とは異なります。
Pは自分もアイドルの案を検討することを前提に、三人に「自由」にさせると述べているのです。

そう言うとPは、自身の管理下でのみ、アイドルの自由を認めているかのように聞こえますが、
そうではなくて、できる限り「自由」に進めてもらうというのがPの立場なのです。
原則「自由」であって、何か理由がある場合にあっては、Pが関与するという在り方です。

この辺りは、第八話の蘭子の話のときも同様で、Pは自身が一人で企画して、
蘭子の却下を喰らったところから、蘭子の企画を伝えてもらうところに移っているのですが、
そのときにあっても完全に蘭子の自由にさせたわけではありませんでした。
蘭子は、「魔王」と言っていましたが、魔王というコンセプトにはしなかったのです。

SRでは蘭子が「魔王」として提示されるものもあることを考えれば、
蘭子の案を改めて、敢えて「堕天使」へと舵を切る必要はないように見えます。
それにもかかわらず、Pが蘭子の「魔王」を「堕天使」と言い換えたのは、
最初から魔王として押し出すと、蘭子のイメージが誤解されてしまい得るからです。
P自身がそうであったように、蘭子をホラーと結び付けて理解してしまい得ます。

これとある程度は同様に、Pが莉嘉のセクシー路線をやんわりと断るのは、
三人の凸レーションというユニットが、あの曲を宣伝していくに当たって、
PRしていくべき性質は「セクシー」だけではないためです。
すなわち、『LET'S GO HAPPY!!』は、歌詞に表れているように、
「セクシー」な莉嘉と「ラブリー」なみりあ、そして「ハピハピ」なきらりの三人の曲なのです。
そのためPは、莉嘉の「セクシー」全開な案を斥けたのですが、
その上で本人も納得いくところを、事前打ち合わせで見つけているのだと思います。

また、三人とはぐれた後、ちひろに注意されて冷静さを取り戻した際に、
それでもPがアイドルを探し続けたのも、ある意味でこのことに関連します。
Pが「自由放任」路線であったならば、ちひろの言うように彼女たちに任せたでしょう。
しかしPは、三人を自分の目の届かないところで自由にしておきませんでした。

自由に行動させるという方針を打ち出していたPが、
あの局面で三人の自由にさせておかなかったのは、
そうしておくことによって万一の事態があり得るからに他なりません。
Pは理由があったために、彼女たちの「自由」に関与していたのです。
だからこそ、三人がいるところに何としてでも戻ろうとしていたと考えられます。

結論として、第十話で明示されたPの「自由」路線は、
美嘉が考えたように「丸投げ」でもなければ、純粋な「自由放任」でもなく、
きちんとした理由がない限りアイドルの「自由」とするという類のものなのではなかったでしょうか。
そのため、Pは三人の考えを自分の側でも検討し、三人とともに行動しようとしていたのです。
Pの「自由」という方針は、アイドルだけでも自分だけでもなく、アイドルとPが、
ともに考え、ともに行動していく意志を表すものに他ならなかったと思います。



○関連記事

   二つの魔法から始まるシンデレラストーリー (第一話)
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テーマ:アイドルマスター
ジャンル:アニメ・コミック

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