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「ミラクル☆バトンタッチ」というサブタイトルの意味 ――ゆめとローラのできることの向こうに (アイカツスターズ!第十六話考察)

2016.09.11 14:53|アイカツ!
今回は、『アイカツスターズ!』第十六話「ミラクル☆バトンタッチ」を考えます。
劇場版でゆめとローラの関係性が掘り下げられ、
第二十一話でその先を描き始めようとしている今だからこそ、
この話を考えていくことは意味があることであると思います。

第十六話において気になるのは、サブタイトルで、
何故二人の「バトンタッチ」「ミラクル」なものとして表現されたのかということです。
バトンタッチが生じた要因自体は、
「ミラクル」という言葉で飾るにふさわしいということはない、
偶然の事故の積み重ねでした。
もちろん、「ミラクル」という語がローラのCMとかけて使われていることは疑いがないことですが、
それを「バトンタッチ」の修飾語として使った意味は何なのかということです。
少なくともローラを襲った不幸な偶然は、バトンタッチをミラクルなものとして呼ぶ理由足り得ません。

それならば、バトンタッチの後、ゆめがステージを成功させたことを踏まえて、
「ミラクル」バトンタッチと呼んだのでしょうか。
おそらく半分はそのとおりでしょう。
しかし、ゆめのステージのみを指すなら、
「ミラクル」は、バトンタッチよりステージにかけられるべきです。

まさしくこの点、ミラクルであったのはゆめのステージというより、
ゆめとローラのバトンタッチであったとされている点こそ、
この話のテーマに繋がる重要な部分であると思います。
ステージを成功させたゆめだけでなく、
託したローラもその「ミラクル」という言葉の範疇に収めているのです。

けだし、あのバトンタッチとステージは、
これまでそれぞれの固有の活動を行ってきた、
他ならぬゆめとローラだからこそできたということが肝要なのだと思います。

まずゆめは、一位であるローラの代理というプレッシャーの大きい役割でありながら、
心理的にそこはほとんど問題になりませんでした。
それは何故でしょうか。

それはもちろん、一つにはローラの気持ちに答えたいという気持ちがあったからで、
二人の繋がりあってこそでもあったでしょうが、それだけではないでしょう。
ゆめは、第十話で既にひめの代理をやりきっていて、
その問題を乗り越えているからこそ、そこがほぼ問題にならなったのです。

次にローラは、何故ゆめへとバトンタッチができたのかと言えば、
それはローラが頑張ってきたゆめを誰より知っていて、
ゆめとの繋がりがあったからなのですが、
それ以前にローラだからできたことがもう一つあります。
それは、CMの撮影を最後までやりきることです。

ローラはライブの時間が迫り、CM撮影は後日にすることを勧められながらも、
それも自分のアイカツに他ならないからとして、撮影の続行を選択しました。
これは、他の一年生に先んじて、企業のオーディションに受かり、
学校以外の活動場所を獲得していたローラだからこそであったと思います。

つまり、普通だったら、極めて重大なライブの機会を前に、
諦めずに両方やりとげようという選択をすることは難しかったのではないかと思います。
現にゆめは、このときローラが乗り越えていた問題に、後になって直面しました。

それが第十八話の幹部である有莉の仕事を手伝う話でした。
そこでゆめは、有莉の仕事を手伝っていて、
投票のための活動ができず、順位が芳しくなかったことについて悩みます。
そして、そこで有莉から助言を受けて初めて、両方のアイカツを頑張るという答えに至ったのです。

このときゆめが直面した問題は、第十六話でローラが直面した問題に他なりませんでした。
しかし、ローラは、この問題を自力ですんなり乗り越えてしまいます。
これができたのは、ローラが企業のオーディションに受かって、
既に「たくさんのアイカツ」を持つことを経験していたからだと思います。

これらを鑑みると、二人のバトンタッチは、
あの時点でいずれの仕事もやり遂げようとすることができたローラと、
誰かの代打に立つということの重さを乗り越えていたゆめだからこそできた、
バトンタッチであったと言えると思います。
この側面を表しての「ミラクル」なのではないでしょうか。

すなわち、バトンタッチの前提としてのローラの決断と、
バトンタッチの結果としてのゆめの奮闘、そして二人の友情の全てを合わせての、
「ミラクル☆バトンタッチ」なのではないでしょうか。
それは確かに、ゆめとローラだからこそできることの向こうに側にあった、
一つの奇跡としてのバトンタッチであったのです。


テーマ:アイカツ!
ジャンル:アニメ・コミック

演技ができるからこそのあこの問題 ――すばるのファンからアイドルに転換する過程において

2016.08.21 16:32|アイカツ!
今回は、第十六話、第十七話にかけてのあこに注目してみたいと思います。
第十七話では、あこに焦点が当てられて、彼女のすばるへの想いと、
アイドルとして一歩前進する様が描かれていました。
この記事では、そこで描かれたあこの直面した問題が、
どのようなものであったのかを改めて考えていきたいと思います。
あこは、すばるへの想いが先行するあまり、アイドルとして振る舞うことができませんでした。
この問題の奥にあったものは何であるのか、第十六話との連続性の間に考えていきます。
もしよろしければお付き合いください。

ここ二話のあこに注目してみると、彼女の課題の一つとして、
「演技が上手いこと」が逆にあったのかも知れないと思います。
演技が上手いということは、自分が在ろうとするもののように在れるというわけで、
その選択可能性が強みにもなれば弱みにもなります。
つまり、自分が在ろうとするもののように在れる中で、
その場にあった、適切なものを選択できれば強みになるのですが、
その場にあった、適切なものを選択できなければ弱みになってしまうと考えられるのです。
ここ二話のあこは、そういう「何を選ぶか」という問題に直面していました。

ドラマ等の役が与えられる仕事においては、その場にあった、
適切なものが既に規定されており、
そこから外れることが原則としてあり得ないために、
この選択の問題は顕在化しません。
演技が上手ければいい。
しかし、自分のある程度の自由が利く場合においては、問題となるのです。

ここ二話のあこの仕事は、
まさしくその演者側のある程度の自由が利く場合に該当していました。
第十六話では、ステージ前の劇組パフォーマンスについて、
ツバサと打ち合せをして決められたでしょうし、
第十七話では、台本ががちがちで決まっておらず、
出演者の側の裁量がある程度認められていました。

そして、あこは、そういう連続した自由な状況下において、
いずれも適切な選択をできなかったのではないかと思うのです。
第十七話は、言うまでもなく、M4と同じ舞台に立つ「アイドル」であるべきところ、
「すばるのファン」であってしまいました。

しかし、特筆すべきは、あこがかなたの指摘とゆめの努力を受けて、
最終的に気持ちを入れ替えたときに、彼女が極めて円滑に、
ファンからアイドルへとスイッチを成し遂げたということです。
演技の範疇からやや外れているとは言え、
この部分は、演技が上手いあこだからこそであったとも考えられます。

つまり、あこは、アイドルであろうとすればそうあれるのに、
それを選択できないことが問題であったのであって、元々の技術は高いにも関わらず、
その技術を生かせないというところが取り上げられているのです。
そして、それが直接的な演技の領域でも顕在化したのが第十六話です。

というのも、第十六話であこが演じたとされる、おどおどしている一年生の役は、
彼女の演技が秀逸であればあるほど、
そういった一年生であると本気で受け取られることとなるので、
決して良い評価を勝ち取りえないものではないかと思うのです。
そこが劇組が四位であった一因であったような気もします。

「アイドルとしての意識」と一口に言っても、それには色々な側面があると思いますが、
あこにやや欠けていたのは、そういう「ファンに対する想い」なのかもしれません。
第十五話で、あこは生徒たちに「応援は不要」と突っぱねました。
そこには、この想いが欠けていたことを見出せるかも知れません。
もしファンを想うことができれば、ファンがアイドルに求める、
その場にあったものを演じられたとも考えられます。
すばるを見る者からファンに見られる者への転換において、
こういった問題が明らかになっていたのではあいでしょうか。


テーマ:アイカツ!
ジャンル:アニメ・コミック

自ら立ち込める雲を晴らした真昼と夜空――七夕の物語を超えて (アイカツスターズ!第十五話考察)

2016.08.07 16:23|アイカツ!
今回は、『アイカツスターズ!』第十五話の物語について考えてみたいと思います。
真昼と夜空が和解に至り、ステージで成功するまでを描いた本話。
真昼の本心は、夜空と夜中に出会う場面においてようやく直接的に示されましたが、
その実前半の二人の打合せの場面において、既に仄めかされていたと思います。

というのも、第十五話前半で、夜空が打合せのために真昼のところに来ていた場面で、
夜空の話に真昼がにべもなく返答していたところ、夜空が仕事で立ち去ろうとした途端、
真昼から「ちょっと待って!」と呼びかけた点には、
真昼の本心がよく仄めかされていたのではないでしょうか。

つまり、真昼は夜空ににべもなく答えていたのですが、
夜空が仕事で立ち去ろうとしたときには、かつて置いてかれたときのことを念頭に、
半ば無意識的に「ちょっと待って!」と呼びかけたと推量できます。
そこには、既に「見返したい」という心情以上のものが表れていました。

本当に真昼が夜空の仕事を見学したいと予め思っていたなら、
対抗心という建前の下にもっと前に示せたはずなのです。
立ち去る直前である必要性がない。
だとすれば、あの「ちょっと待って!」は、実力を確認するという建前の裏に、
咄嗟の真昼の本心を持つものであったと読めます。

また、第十四話のステージ前で、真昼がステージに駆けていく直前、
扉の前に立っている場面で、真昼が扉の正面に立たずに、
左側を開けて右側に立っている部分があります。
そこにも、もう片側に夜空に立って欲しいという本心が見出だせるかも知れません。
第十五話においては、これと対照的に、
真昼が扉の前で夜空と一緒にポーズを決めています。

第十五話は、このように一つ一つの場面に着目しても面白いのですが、
この記事では特に、第十四話から第十五話への連続した流れの中で、
二人の和解までの物語が「七夕の物語」に重ねられていたことを指摘したいと思います。
第十四話から二話にわたって続いた夜空と真昼の物語は、季節と合わせて、
七夕の彦星と織姫の物語と重ねて描かれたものであったと思います。
離れていた二人が、一緒にステージに立つまでの物語。
その中で、二人の行動によって「雲が晴れていく」表現は決定的な意味を持ちます。

つまり、第十四話では冒頭の真昼の登場とともに、
曇り空に日が差し込んでいく表現があって、
第十五話では中盤のひめが夜空の背中を押す場面で、
月にかかっていた雲が次第に晴れていく表現があり、両話間で対照的になっていました。
「雲が晴れていく」という表現は、事態が好転することを示すものとして、
一般的によく使われるものですが、第十四話と第十五話においては、
そればかりの意味を持つものでなく、七夕の物語であることを踏まえて使われていたと思います。

すなわち、七夕の物語の中で彦星と織姫は、
主に、雨が降ると七夕の日にすら会えなくなるとされているのであり、
真昼と夜空がそれぞれ「雲を晴らす」のは、お互いがお互いに会うために、
つまり第十五話での月下における邂逅のために、
道を自ら切り開いていることを象徴していると考えられるのです。

彦星と織姫は、客体的に天気という運命を享受するほかないのですが、
夜空と真昼は、自分の行動によって道を切り開いて、
本当の意味での再会を果たすという点で、
七夕の物語に重ねられながら、それを超えています。
二話にわたる雲が晴れていく表現は、このことを示していたのではないでしょうか。
それぞれ具体的に考えてみましょう。

第一に、第十四話冒頭の「雲が晴れる」描写により象徴される、真昼からのアプローチです。
真昼は、夜空と離れてしまった後、また会えるよう笹に願い事を吊るすだけでなく、
自ら打倒夜空を掲げて学園入学を果たし、実際に夜空とのステージにまでやって来ました。
オープニングで歌われているように、
夢は見るものでなく叶えるものとして、自ら道を切り開いてやって来たのです。。

第二に、第十五話の「雲が晴れる」描写により象徴される、夜空からのアプローチです。
夜空は、そうして自分に会いに来てくれた真昼に対して、今度は自分から会いに行って、
自分がS4以前に真昼の姉であることを伝えるのです。
こうして相互に道を切り開いて会いに行く構図が表されています。

第十五話で会う場所が真昼の部屋でなく中庭なのは、
第十五話単体で見れば、夜空から真昼に会いに行っているのですが、
更に大きく見れば、お互いにお互いへと会いに行っているに他ならないので、
夜空が会いに行った印象が強くなるだろう真昼の部屋を避けたのだろうと思います。

結論として、第十四話から第十五話にかけて描かれた、
真昼と夜空の和解までの物語は、七夕の物語と重ねられたものと考えられます。
しかし、七夕の物語と重ねられながら、二人は彦星と織姫を超えて、
それぞれ自ら道を切り開いて、あの月下の和解の場面に行き着いたのです。
二つの雲が晴れていく描写は、このことをこそ示していたと思います。

最後に、この二人の和解の物語の結論として、
第十五話の末尾に掲げられたお絵かきコーデの二人の絵に触れておきましょう。
第十五話のステージ上では、二人は対照的な「白」と「赤」のドレスで、
そこには、真昼の「打倒おねえちゃん」のスタンスを維持したことを見出せるのですが、
他方で真昼は、未完成の絵を「ピンク」を基調にしたドレスに塗っていたんですよね。

この「ピンク」のドレスの意味には、幅広い解釈の可能性を感じますが、
個人的には、対照的な「白」と「赤」のドレスの二人が、一つステージに立つことを踏まえて、
その中間である「ピンク」で塗ったのではないかと思料します。
夜空だけでなく真昼だけでもない、二人の作品である象徴としての、ピンク色であったのです。


テーマ:アイカツ!
ジャンル:アニメ・コミック

リトルフェアリー物語においてゆめが散在する物語と邂逅する意味 (アイカツスターズ!第十三話考察)

2016.07.10 17:47|アイカツ!
今回は、『アイカツスターズ!』第十三話「リトルフェアリー物語」を考えてみたいと思います。
リトルフェアリー物語は、高度にカオスな物語に違いありませんでしたが、
その実その内には『アイカツスターズ!』のテーマが、あったような気がしないでもありません。
この物語の笑えるくらいに特徴的で、個性的な点というのは、裏にそのテーマを感じさせます。
この記事では、リトルフェアリー物語を真面目に考察していきます。
この劇中劇は、どのような特徴、個性を有していて、それが何を示唆しているのでしょうか。
もしよろしければ、内容を思い出しつつ、少しの間お付き合いください。


第一に、リトルフェアリー物語の最たる特徴というのは、
物語が多数ごちゃまぜに詰め込まれていて、
それぞれがまとまらず独立して平気で物語を進行していることです。
つまり、妖精のゆめの物語を進行させながら、
シンデレラやったり白雪姫やったり赤ずきんやったりする。
一つの物語の中に包含される個々の物語が多過ぎてカオスなのです。

そして、物語を多く詰め込んでいるがゆえに、それぞれの物語が語り切れておらず、
例えば巨人の石が如何に奪われ、それを取り返すことが如何に大切かとか、
そういうあるべき説明がほとんどの物語において大体すっ飛ばされていて、
物語としての体を成していないと言えます。
元々のシンデレラや白雪姫や赤ずきんをぶっ壊すことだけを描いていて、
そのアレンジされた物語たちの顛末を事細かに語ってはいなかったのです。

リトルフェアリー物語は、数多の物語を取り込んでなおゆめの物語として進行するので、
彼女の物語の範疇に入ってくればその分だけ取り上げられますが、
その範疇から出ていけば当然最早語られなくなるというような潔さが特徴としてありました。

この物語上で語られるのは、ゆめの物語の範疇になかった、
巨人の石が魔王に取られる件ではなく、
ゆめの物語の範疇に入ってきた、
巨人の石を魔王から取り戻す件なのです。
巨人の石を奪い返す望の物語は、ゆめの物語の範疇に入ったときのみ問題となっていました。
中心に絶対的な主人公としてのゆめがいて、
その周縁に展開する各々の物語が時折ゆめの物語と交わってくることになる。

他の人物たちの物語が、ゆめの物語の範疇に入ってこない限りにおいて、
容赦なく切られているということは、
逆に言えば、ゆめが物語がそれとして展開している中で、
他の物語も同時に進行しているのだということを示唆します。
この点こそ、リトルフェアリー物語の要諦ではなかったでしょうか。

つまり、リトルフェアリー物語は、わけがわからないくらい物語を同時に展開させて、
それでいてゆめの物語の範疇に入らない部分は容赦なく切り捨てることで、
眼前に見えていない部分においても、
別の物語が同時に展開しているということをこそ、提示していたのではないかと思うのです。

これは、『アイカツ!』で言うところの、いちごがあかりに語った、
「スポットライトの話」を少なからず想起させるもので、
つまり、今はたまたまその人にスポットライトが当たっているけれど、
それはいつでも他の人に切り替わり得るといった考え方に通じるところがあります。

今回は、ゆめがくじで主人公を引いたから(偶然ゆめにスポットが当たっていた。)、
ゆめの物語が観客には見えるようになっていたのですが、
その中ですら、別の誰かの物語が同時に進行していることは明らかだったんですよね。
いつそちらに切り替わってもおかしくなかったと言えます。

よって、リトルフェアリー物語中の、過剰に盛り込まれた個々の物語と、
治癒されないそれぞれの物語の空白は、一の物語が映し出される中において、
別の多くの物語も同時に進行しているのだという、
『アイカツスターズ!』にも適用できそうなテーマを示していたと思います。


第二に、リトルフェアリー物語の他の特徴としては、
それぞれ個別に進行していたはずの物語が、
ゆめがひめのもとに向かい始めたことにより交わり始めたということがあります。
ゆめは、冒頭で示されるように、外に出ることを危険なことと認識していました。
そして、内に閉じこもっている限り、他の物語とは出会わなかったと考えられます。
ゆめがひめを追いかけ始めたことを契機に、
それぞれの物語の主役たちと袖振り合うこととなったのです。

リトルフェアリー物語中で、ゆめがひめの元へと向かい始めたことを契機に、
その物語が他の様々な物語と交じり、その物語の主と出会うこととなっていたことは、
そのまま『アイカツスターズ!』という物語の展開に重ねられると思います。
ゆめがひめを追い始めて、アイカツを始め、そこから種々の繋がりが生じる。

その意味で、リトルフェアリー物語中でゆめがひめの元へと向かう中で、
様々な物語とすれ違うことになることは、
彼女たちの現実のアイカツのメタファーに他ならず、
だからこそゆめたちの道中は「アイカツ」として表現され、明言されていたのだと思うんですよね。

つまり、リトルフェアリー物語中においては、ゆめを初めとして、
誰一人役の中でアイドルではないと思われる中で、
何故か「アイカツ」という掛け声を使い、
「ナイスアイカーツ!」という掛け声で望とハイタッチしていて、
はっきり言って一見意味不明なのですが、そこにも意味を見出せるのです。

すなわち、リトルフェアリー物語中で、アイドルでない役になり切っているはずの演者が、
それにもかかわらず「アイカツ」の語を使うのは、
その物語が彼女たちの現実のアイカツを表現した、
いわばメタファーに他ならないことを仄めかすためではなかったかと思うのです。

物語の末尾において、それぞれに展開していた個々の物語は、
急にゆめの物語の元へと集結していきます。
皆でゆずの家に集まって、めでたしめでたしと締めくくられるのです。
それは、ゆめが勇気を持って一歩外に踏み出して、
アイカツを始めることによって他のアイドルと繋がっていくということを、
暗示するための結末ではなかったでしょうか。

結論として、リトルフェアリー物語は、その特徴的で個性的な点において、
『アイカツスターズ!』のテーマを仄めかしていたと考えます。
第一に、一つの軸となる物語の周縁で多くの他の物語が展開する点は、
『アイカツスターズ!』がスポットライトを当てて描くアイドルの物語の裏において、
他のアイドルの物語も進行しているに違いないということを、
第二に、妖精のゆめがひめを探しに出たのを契機に他の物語と関わり始める点は、
『アイカツスターズ!』においてゆめがひめを追いかけ始め、それにより取り組み始めた「アイカツ」が、
他のアイドルの物語との関わりの契機に違いないということを示していたのではないでしょうか。


テーマ:アイカツ!
ジャンル:アニメ・コミック

みんなを気遣うひめとひめを気遣うツバサたち (アイカツスターズ!第十一話考察)

2016.06.26 17:37|アイカツ!
今回は、『アイカツスターズ!』第十一話について考えます。
特に注目するのは、S4の四人による「しーっ」の動作です。
第十一話では、S4が人差し指を立てて静かにすることを促す動作が印象的なのですが、
興味深いのは、前半でひめがこの動作をやっていて、
最後にツバサとゆずと夜空がやっていたという対比的な構図であったと思います。
最後だけならともかく、この「しーっ」は、S4の共通の動作として表れていました。
それゆえに一層印象的となっているこの動作に、如何なる意味を見つけられるでしょうか。

aikatsustars01.png
 集まったファンに対して「しーっ」の動作をするひめ。

aikatsustars02.png
 ゆめに対して「しーっ」の動作をするツバサ、ゆず、夜空の三人。

思うに、この話における人差し指を立てての「静かに」は、
「誰かへの気遣い」を象徴する動作であって、
それは第一義的には自分のためになされたわけではありませんでした。
ひめの「しーっ」は周囲への気遣いを、
ツバサたちの「しーっ」はひめへの気遣いを求めるものであったのです。

この、ひめの「しーっ」からツバサたちへの「しーっ」への流れが強調するものは、
「誰に対しても優しくて」、周囲への細かな気遣いを常に忘れていなかったひめが、
S4の仲間たちのうちにあっては、気遣われる側でもあれるということに他ならなかったと思います。
第十一話は、そういったS4の関係性をこそ、強調していたのではないでしょうか。

考えてみると、ひめは一日密着の中で、
ゆめ、ファン、周囲、他のS4の面々、番組スタッフと、
あらゆる人たちを気遣い続けるさまが描かれてきました。
第十一話をその観点から見直してみると、ひめの一日というのは、
周囲のあらゆる人たちへの気遣いによって成り立っていたということが分かります。
試しに列記してみましょう。

・ ゆめの初ライブについての激励等
・ 特注のドレスを生かしつつの、ゆめの失敗のフォロー
・ 出待ちのファンへとの撮影
・ 出待ちのファンに対する周囲を気遣っての「しーっ」
・ 昼食時のファンとの撮影
・ 「待ってくれてる人」のための体調不良をおしての出演
・ ツバサたちに対するお土産
・ 山口ディレクターたち番組スタッフに対するお土産

こういった「気遣う」ひめを描き切った後に、最後に持ってきたのが「気遣われる」ひめだったのです。

その最後の場面にしても、他のS4のメンバーにクッキーをわざわざ買っていったり、
番組スタッフにお土産を渡したりしているという徹底ぶりでした。
後輩たち、番組スタッフに差し入れを持参した第四話を引き継ぎ、
「気遣い」を重要なテーマとして描いたのが第十一話で、
その象徴が印象的な「しーっ」の動作であったと言えると思います。

結論として、第十一話において前半でひめが「しーっ」の動作をし、
最後にツバサたちが「しーっ」の動作をしたことの意味は、
一方でみんなを気遣い、他方でツバサたちに気遣われる、
ひめの二面性を強調することにこそあったのではないでしょうか。
ひめは、自分の周囲の誰をも気遣うアイドル過ぎるアイドルなのですが、
そのような彼女の活動は、気遣ってくれる友達があってこそであるとも考えられるのです。


テーマ:アイカツ!
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天秤と申します。
アニメや漫画など、好きなものについて考えたことを書き込みます。
よろしくお願いいたします。

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