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救われながら捕らわれて (タカハシマコ『スズラン手帖』)

2013.09.21 17:19|百合作品
スズラン手帖 (IDコミックス 百合姫コミックス)スズラン手帖 (IDコミックス 百合姫コミックス)
(2013/09/18)
タカハシ マコ

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『乙女ケーキ』から六年、タカハシマコさんの百合姫作品が発売されました。
登場人物の「特別な感情」を描いた、十二篇の作品をまとめた短編集です。
「生理痛」、「思春期」、「女の子」。
前作と同じく、そうした言葉が特徴的な、「少女」を描く作品が多いと思います。
彼女たちの痛々しいまでの心理の描写は、この作品の見所の一つですね。

また今回はあとがきにもあるように、他方で「老女」(おばあさん)の登場も多いです。
多くの経験を積んだ彼女たちが大切にしてきた、誰かとの思い出や自身の想い。
そうしたものも、この作品の抱える重要なテーマの一つであると言えるでしょう。
実際に作品後半では、「思い出」を描く短編が多いように思います。

以上に挙げた二点がかなり目を引く『スズラン手帖』ですが、
今回はその中でも『蜘蛛の糸』という二番目の短編に着目してみます。
登場人物の微妙な心理の描き方が白眉で、個人的には最も強く印象に残りました。
作中の表現などを見ながら、この作品を鑑賞してみましょう。



○自分から切れない「蜘蛛の糸」:救われながら捕らわれて


それでは、まずは『蜘蛛の糸』のあらすじを確認しておきます。
この作品は、桐子が想い人である蓮を犯そうとするところから始まります。
告白したところ、「ずっと一緒にいようね」と言われたことを受けての行動でした。
しかし、蓮は桐子が「女の子だから」、告白を本気には取っていなかったのです。
そのため桐子が覆いかぶさったところで、気まずい雰囲気になってしまいます。
縁が切られることを危惧する桐子でしたが、蓮は以下のように述べ許します。

「桐子ちゃん」
「蓮ちゃん 待っててくれたの?」
「うん さっきはごめんね」
「私… 連ちゃんにひどいこと…」
「私バカだよね びっくりしちゃって 桐子ちゃん女の子なのにね」 (22ページ)


蓮は桐子が「女の子だから」、決して本気ではなかったと捉えて許すのです。
この場面は、桐子から蓮には想いが届かないことを痛烈に示しています。
告白だろうと何だろうと、「女の子だから」蓮には伝わらないのです。
ここで桐子は、蓮に改めて自分の気持ちを伝えるかどうか迷います。

――…私が女の子じゃなかったら

「駅前のボアが月末に閉店しちゃうんだって
 だからその前にケーキ食べに行こーよ 桐子ちゃんはなに食べたい?」
「私は…」

――この糸は切れてしまったのだろう でも――…

「私はいちごかなー」
「蓮ちゃん待って! 私は… 私の心はね…」

「どうして泣いてるの? 誰かにひどいことされた?」

――まるで蜘蛛の巣に捕らえられた虫のように 私は切ることができなかった

「ううん なんでもない」 (23-24ページ)


結局のところ、桐子が蓮に想いを改めて伝えることなく、物語は終わります。
桐子は折角切れなった縁を、自分から切るような真似はできなかったのです。
たった数ページの短編ですが、「女の子だから」という言葉の残酷さと、
桐子の計り知ることのできない苦しみが、胸に残る物語になっています。

桐子が「女の子だから」縁は切れなかった、「女の子だから」告白は伝わらなかった。

さて、今回はこの作品の「蜘蛛の糸」という比喩に注目してみようと思います。
上述した場面で、二人の縁が蜘蛛の糸に喩えられていることが分かります。
この「蜘蛛の糸」という言葉は、二重の意味で使われていると読むことができます。

第一に、桐子を「救うもの」という意味で、蜘蛛の糸は使われています。
言うまでもなく、蜘蛛の糸の「救うもの」というイメージは、
芥川龍之介の小説である『蜘蛛の糸』から導かれるものです。
蓮池の縁から釈迦が罪人に蜘蛛の糸を垂らす、冒頭の部分を引用します。

 御釈迦様は地獄の容子を御覧になりながら、この犍陀多には蜘蛛を助けた事があるのを御思い出しになりました。そうしてそれだけの善い事をした報には、出来るなら、この男を地獄から救い出してやろうと御考えになりました。幸、側を見ますと、翡翠のような色をした蓮の葉の上に、極楽の蜘蛛が一匹、美しい銀色の糸をかけております。御釈迦様はその蜘蛛の糸をそっと御手に御取りになって、玉のような白蓮の間から、遥か下にある地獄の底へ、まっすぐにそれを御下しなさいました。

 (芥川龍之介、『蜘蛛の糸・杜子春・トロッコ』、岩波書店、1990年8月、60ページ)


実際に、桐子と蓮の間の縁の糸は桐子を救うものでした。
蓮が出て行ってしまった後、桐子は縁が切られることを確かに危惧していたのです。
その理由はともあれ、再び蓮の側から差し伸ばされた手は救いであったに違いありません。
桐子に犯されそうになった少女の「蓮」という名前と、
物語の末尾に描かれた蓮の花(25ページ)は示唆的です。

蓮が垂らした縁の糸は、蓮池のほとりから降ろされた蜘蛛の糸であったのです。

第二に、桐子を「捕らえるもの」という意味で、蜘蛛の糸は使われています。
現に作中にも、「まるで蜘蛛の巣に捕らえられた虫のように」(24ページ)という表現があります。
蓮がもう一度垂らした縁の糸は、桐子にとって縋りたくもなる救いの糸であると同時に、
桐子がそれとは異なる関係に至ろうとすることを抑制する、粘着性を持つ糸でもあったと言えます。
実際に桐子はそれを切ってまで、もう一度別の関係を求めることはできないのです。
蓮がそれでも切らなかった二人の縁は、桐子の身動きを封じるものでもありました。

このように、蜘蛛の糸は二重の意味で、二人の縁を喩えていると捉えることができます。
桐子はこの縁の糸によって、いわば救われながらも捕らわれているのです。
救済と束縛の両方を想起させる蜘蛛の糸という言葉は、迷いながらも結局、
糸を「切ることができなかった」桐子の複雑な心境を表わすのにふさわしいものだったと思います。



作中の蜘蛛の糸という比喩に関しては以上になります。
『蜘蛛の糸』に限らず、タカハシマコさんの作品は小物による示唆がとても綺麗で、
短い作品であってもずっと心に残るんですよね。
『乙女ケーキ』で言えば、『氷砂糖の欠片』や『サンダル』がこれに該当します。

乙女ケーキ (IDコミックス 百合姫コミックス)乙女ケーキ (IDコミックス 百合姫コミックス)
(2007/06/18)
タカハシ マコ

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まず、特に深い意味を持っていないかのような顔をして、
「氷砂糖」や「サンダル」が物語にさらっと登場してきます。
そして終盤になって、それらの小物が主役に化けるのです。
作品がテーマとする少女たちの微妙な心情を、よりよく表すキーワードとなります。

小物とは少し異なるかも知れませんが、『蜘蛛の糸』で言えば、
桐子が「蓮の髪を切れない」ということが、作品のもう一つの鍵となっています。
かつて蓮が苛められていたときに、髪を切ってしまえと囃し立てられながらも、
桐子には切れなかったということが、物語の冒頭でいきなり語られます。
それだけかと思いきや、最後の最後でその表現が再登場するわけです。

「まるで蜘蛛の巣に捕らえられた虫のように 私は切ることができなかった」

そこまで至ったときの、膝を叩きたくなるような感動!
こういう表現や構成の妙は、『乙女ケーキ』と『スズラン手帖』に共通する、
タカハシマコさんの作品ならではの美点であるように思います。
ご覧になったことのない方は、是非一度、読んで触れてみてください。


テーマ:百合
ジャンル:アニメ・コミック

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