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それでも彼女が「刹那的でいい」と述べる理由 (紺野キタ『女の子の設計図』)

2013.04.04 18:32|百合作品
女の子の設計図 (ひらり、コミックス)女の子の設計図 (ひらり、コミックス)
(2013/03/30)
紺野 キタ

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今回は、紺野キタさんの『女の子の設計図』(ひらり)について考察しようと思います。
表題作の中になかなか難しい表現がありましたので、そこについて考えてみます。
それは次の部分です。

「青音ちゃん おばあちゃんになっても一緒にいよ?」
「うん」

刹那的でいい 約束もいらない ただ ここに 想いがあるだけの(85-86)


この部分が問題なのは、最初の花南の台詞とその後の地の文の記述が、
一見相反する内容であるように見えるためです。
「おばあちゃんになっても一緒にいよ?」と「刹那的でいい」という言葉ですね。

これがほとんど並列されて出て来るのはかなり不可解です。
今回はこの表現を考えることで、作品を掘り下げてみたいと思います。



○変わらないと分かっている想いと、いつ訪れるか分からない天罰


さて、上述の表現ですが、これは花南の抱く問題が二つに分かれていることから生じています。
まずはそれを確認していきましょう。
少し前の場面で花南は、きょうだい間の恋愛だからいつか罰せられるという不安と、
いつか青音の気持ちは他者に移ってしまうという不安の二つを抱えています。

当初、この二つの事情より、花南は自分たちの恋愛を「刹那的」な恋愛とみなしていました。

しかし、青音が気持ちはこれまで変わっていないということを示すことで、
このうちの「青音の気持ちはいつか他に移る」という花南の不安は払拭されたと言えます。
「おばあちゃんになっても一緒にいよ?」という台詞は、これを受けてのものです。
これに対して、「きょうだいの恋愛ゆえにいつか神様に罰せられる」という花南の認識は、
最後の「追伸」から分かるように変化していません。
青音がそれに関して、「今」の重要性を強調するだけであって天罰の存在自体を否定しないためです。

けれども、青音が「今」を強調したことで、花南は天罰への不安は振り払っています。
ここで花南は、天罰はありえないというのではなく、今が大切なのだから、
将来天罰があっても今の気持ちを諦めないと決意することで不安を克服しています。


ゆえに、最後の「追伸」に繋がるわけです。

追伸 神様 天罰は甘んじて受けます(88)


この時点で花南は天罰を受ける覚悟を持っています。
こちらをうけての「刹那的でもいい」です。
いつ天罰がくるか分からなくても、今の気持ちが大切というスタンスを地の文が表しています。

つまり、「おばあちゃんになっても一緒にいよ?」は、
二人の想いが変わらないという確信から出た台詞であり、
「刹那的でもいい」は天罰に対する覚悟を言い表したものなので、それぞれ対象が異なります。
それゆえに、一見相反する記述に見えますが、それでいて実は矛盾していません。

自分たちの関係はいつ罰せられるか分からないという意味で「刹那的」かも知れないけれど、
二人の想いが「おばあちゃん」になるまで変わらないものなのだとしたら、
それでも構わないということを、花南は答えとして提示しているというわけです。

テーマ:百合
ジャンル:アニメ・コミック

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