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ウェンディの真実がもたらした転換 (宇河弘樹『二輪乃花』)

2013.02.16 14:51|百合作品
二輪乃花 (まんがタイムKRコミックス つぼみシリーズ)二輪乃花 (まんがタイムKRコミックス つぼみシリーズ)
(2012/09/12)
宇河 弘樹

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というわけで、再び百合漫画を本気出して考察してみました。
例によって長いですが、よろしければお付き合い下さい。

今回は「Walk wit me」で、マルリイがウェンディの告白を受けてもなお、
彼女との関係をこれまで通りに維持した理由と、
マルリイが町から出て行く段階で、里親への態度を軟化させた理由を考えます。

個人的に、とても深く凄い作品なので、読んだことがないという方には一読をお勧めいたします。
それでは以下、考察を行っていきます。



(1)問題提起

 「Walk wit me」は、マルリイとウェンディという二人の少女が、炭鉱の町を出ていくまでを描いた物語である。ある共同体からの脱出を描いたという面からみれば、それは「コブリアワセ」と好対照と言える。入って行くのではなく、出て行く物語というわけである。そして両作品とも告白が転換点として大きな意味を持っている。
 広く視野を持てば、そのように両作品の共通点を見つけることができる。しかし、今回は「コブリアワセ」の場合と同様に、「Walk wit me」の内容に絞って考察してみよう。この物語において一見不可解なのは、マルリイのウェンディへの告白に対する言葉と、里親への態度の軟化である。順番に確認してみよう。
 第一に、終盤でマルリイはウェンディの告白を受けて、すぐにそれを許容している。該当する箇所を引用する。

――わたしの心は 結局 初めからきれいでもまっすぐでもなかった
「――ごめんなさい マルリイ」
「なぜ あやまるの? わたしは怒ったりなんかしないよ 失望もしてない わたしは嬉しいんだ」
――こんなにもぼろぼろになっても まっすぐ立とうと一生懸命になってる それが醜いわけ ない やっぱりウェンディはわたしの見立てどおり 金の月みたいにきれいでまじりけのない女の子だよ(一四三~一四四)


 ウェンディの過去の行動は、それまでマルリイが抱いてきた、囚われのヒロインという彼女のイメージを覆すものである。マルリイ自身も、ウェンディの母親に寄宿制の学校への入学を直訴する場面で、彼女の豹変を前にして驚愕し動揺している(一三九~一四二)。彼女はこの時点で、ずっとウェンディのものだと考えていた泣き声が、母親のものであったと悟ったのである。それにもかかわらず、炭鉱の町を出て行く段階では、マルリイは驚くほどすんなりと真実を受け入れ、彼女をこれまでと同様に讃えている。そして、いつかのようにウェンディの口唇にキスを落として、二人で手を繋ぎ歩いていくのである。このマルリイの態度は疑問を覚えさせるものであると思う。彼女がそう言えるに至るまでの、心情の変化は描かれていない。
 第二に、町を出て行く段階で、マルリイの里親への態度が軟化している。物語の最後で、彼女は手紙を書くことを決意している。

おろしたてのシャツはもう汗ばんでいたけれど 私たちは向かい風に胸をぴんと張り
ばねのように力をためた足を解きはなって 停留所までの2マイルを行進する
バスが66号線をたどればその先はもう街の外だ
向こうについたら長い手紙を――ウェンディと一緒に書こうと思う(一五六~一五八)


 マルリイはここまで、一貫して里親に対して反抗的な感情を抱いてきた。それが、街を出て行くことを契機として軟化していることが読み取れる。里母の求め(一四四)に従って、手紙を書くことを決意しているのである。そして、「after Walk wit me」によれば、この決意は実行に移され、既に六回を数えている。しかも、その内容は、かつて嫌悪していた相手に対してのものとは思えないほどに柔らかい。このマルリイの態度の転換の底には何があったのか。テクストから明らかにしていきたい。
 以上二点が、今回私が考えていく問題である。「Walk wit me」は基本的にマルリイの視点で語られていく物語であるため、特にマルリイに関わる二つの問題を考えていく。その具体的な方法としては、物語の核であるマルリイとウェンディの関係がどのようなものかを探っていく。最初の問題は、二人の関係がどのように変化しているのかを考えることにより、答えることができると私は考える。不可解に見える行動や態度を説明する関係があれば、それは不可解ではなくなるのである。次の問題も、そこから答えが見えてくる。以下、順番に論を始め、問題に答えていきたいと思う。


(2)マルリイとウェンディの当初の関係

 まず、マルリイとウェンディを軸に置いて考えていく。第一に、マルリイはウェンディを「囚われの白鳥」と表し、自分が助けるべき少女であると見なしている。

教会通りのあの青いバルコニーの家 ウェンディの家から毎夜のようにすすり泣く声が小さく聞こえていて わたしはその軒下に通い続けた
そしてある安息日の朝
まるで 山から吐き出す白い霧に難破した船の窓
そこに囚われの白鳥がいた
やはりあの子はわたしが救うべき女の子だ
バルコニーに立つウェンディを見て 稲妻にうたれたようにそう思った(八八~八九)


 ここでマルリイが「やはり」と言っているのは、彼女が以前ウェンディに出会ったときにも、同様のことを考えたからであると読める。マルリイは「ある安息日の朝」以前にウェンディと初めて出会っている。その場面では、マルリイがウェンディを助けるべき存在として見なしたということが、直接的には示されていない。しかし、前述の場面の「やはり」から、彼女がウェンディを救うべきヒロインであると考えていたことが分かる。おそらく、以下の箇所で彼女はそう思うに至ったのだろう。

「――ママ」
「ごめんよ 怖がらせ――」
「マルリイ わたしをたすけて…!」
――おいで 顔を上げて 一緒に歩こう さあ キスをしてあげるから(九四~九五)


 「たすけて」と言われたとき、マルリイはウェンディを助けるべき存在だと見なしたと考えられる。それでは、誰から助けるのだろうか。彼女を囚われの身に貶めているもの――ウェンディの母親からである。次の箇所から、マルリイはウェンディの母親へと敵意に近い感情を抱き始める。

なのに この子の母親は あんなに醜い母親で ちいさなウェンの腕を引っ張ってさらっていってしまった この町は――神様のこしらえた世界なんてものは およそ煤まみれのできそこないなのだ(九七)


 ウェンディの母親は、マルリイにとって敵であって、彼女は当初その手からウェンディを救い出そうとする。引用にも表れている通り、マルリイは大人たちを「町」と結び付け、町を嫌悪する延長で大人たちも嫌悪しているようである。実際に彼女は、ウェンディの母親だけでなく、自身の里親も町と結び付けて嫌っている(一一四、一一六)。彼女は町の人間としての運命を嫌っているからこそ(八七)、その運命を受容し、自分をそこに留める要因となっている親に反発することとなる。町から出たいという心情が、親への反発や、親からの自由の希求へと繋がっている。ウェンディの母親は、マルリイのそうした町への嫌悪と接続され敵と見なされ、ウェンディは、親のために留まりたくもない町に留められている自分と接続され「救うべき女の子」と見なされるのである。ウェンディを救うことは、疑似的に自分を救うことでもあるために、マルリイは強く決意したと考えられる。マルリイとウェンディは以上のように、救い救われる関係にある。マルリイは親の傍にいて苦しむウェンディの気持ちに似たものを知っている。ゆえに、その手を引いて助け出そうとするのである。
 次に、二人は再会した後で、相互に信仰し合う誓いを立てる。

この世界をつくったのはきっとただのろくでなし
炭と鉄と骨 ちっともすてきじゃない ほんとうの神様はわたしたちの中にある
『金の月みたいにきれいでまじりけのないウェンディ』
『風にのる種のように自由と勇気にあふれてるマルリイ』
『わたしの心臓はあなたの血で鼓動し――』
『内なるあなたへの忠誠と信仰を誓います』(一〇三~一〇五)


 ここで二人は相互に信仰する関係を取り結んでいる。ここから、二人が「一緒」にいるべきことが引き出されている(一〇七、一〇九~一一〇、一三九など)。強調されるのは相互性と同質性である。救い救われる関係においては、マルリイが救い、ウェンディが救われるという立場の差異があったが、誓いにおいては、二人ともが信仰し信仰される。二人はこのような、相互に信仰し合う関係でもある。以上二つの関係をマルリイとウェンディの間には見出せる。


(3)マルリイとウェンディの関係が維持された理由

 以上で確認した二つの関係は、ウェンディが真実を告白したとしても、決定的に壊れるものではない。ゆえにマルリイはウェンディをこれまでと同様に受け入れることができたのだと私は思う。関係が壊れないとは言っても、マルリイのウェンディへの認識が覆るために(一四二)、関係は明らかに読み替えられる。けれども、それだけで済むのである。ウェンディの告白は、前の関係の部分的な読み替えを求めはするものの、前の関係の抜本的な考え直しを求めはしないのである。そのことを詳しく確認していく。
 まず、救い救われる関係についてである。マルリイは、親によって囚われているという意味で、自分と同様に親に抑制されているウェンディを救いたいと思っていた。家の中から聞こえてくる少女のような泣き声(八八)。それを度々聞いてきたマルリイは、ウェンディと再会したとき、彼女を助け出すことを決意する。ウェンディは、そのことをマルリイから聞いていたため(一五二)、告白によって真実が知られることを恐れていたのである。泣き声の主が母親であり、「ほんとうに救われなければいけなかった」のは母親であった(一五三)と露見すれば、救い救われるという関係が成り立たなくなる。ウェンディにはその危惧があった。
 しかし、マルリイは彼女の罪を驚くほどすんなりと受け入れる。それは何故だろうか。それは、ウェンディの告白によってもなお、マルリイが彼女に共感することができたからである。ウェンディは、マルリイの予測したような抑圧を受けていたのではなかったが、親の傍にいることで苦しんでいた。そのことは、ウェンディの告白の中の一節から分かる。「それを知って わたしの心はますます醜いものになって 何もかも拒むことしかできなくなっていた わたしたちは影を飲み込んで暗い穴の中で沈んでいくだけだって思ってた」(一五一)という部分である。ここで、「暗い穴の中で沈んでいく」という表現に注目して欲しい。これは、マルリイが町、そしてそれと関連する里親に対して抱いていた感情と極めて似通っている。特に冒頭の語りを引用しよう。

煤にまみれた古い炭鉱の町 この黒い穴蔵から生まれたわたしは 死んだらまたこの穴に埋め戻されるのだ この町の人間は穴からあふれた影なのだと みんなそういう運命なのだと思っていた わたしはそれが耐えられず つまらない仲間からもはぐれて カップの底のような町を ぐるぐるとぶらついていた(八七)


 まさしくどこにも逃げることができず、息絶えてしまう鳥のイメージである(九九~一〇〇)。こことは別にマルリイは「やがて浮かんでこれなくなる」(九八)という表現も使っている。飛び立つこともできずに、次第に浮かんで来られなくなるという感覚は、ウェンディの感じる次第に沈んでいく感覚と同じ種類のものではないだろうか。町の中において沈んでいくか、家の中において沈んでいくかという違いはあるかも知れない。けれども、そこに留まっていては沈んでいってしまうという感覚は、それが親と結び付けられている点も含めて同質である。ウェンディがどうしようもない傷を抱えて、母親を傷付けてしまうように、マルリイもどうしようもない苦痛を抱えて、里親に当たり散らしてきた。ウェンディが真実を告白してもなお、この類似は残る。だからこそ、救い救われるという関係は、読み替えられることはあっても消滅することはないのである。母親に抑圧されているとマルリイが考えていた少女は、傷付いていたために母親を誰よりも傷付けた、自分に似た少女だった。そのため、マルリイは罪に隠され得る傷を見出して(一五四)彼女に共感し、予定通りに一緒に町を出て、彼女を救うことができたのである。
 次に、相互に信仰する関係について論じていく。ウェンディの告白によって、彼女が「初めからきれいでもまっすぐでもなかった」(一五三)ことが明らかになるため、誓いに基づく関係も危うくなる。しかし、マルリイはここでもウェンディの危惧とは裏腹に、彼女が依然「金の月みたいにきれいでまじりけのない女の子」であると伝える(一五四)。マルリイは何故彼女の言葉を聞いてなお、ウェンディにそう言うことができたのだろうか。
 端的に言えば、マルリイはウェンディが「金の月みたいにきれいでまじりけのない女の子」になろうとしていることを評価したのである。実際に、マルリイはウェンディが「マルリイが言うのならほんとうにそうなれるかもしれない そうなりたいって思ったの」(一五二)という言葉を受けて、「こんなぼろぼろになってもまっすぐ立とうと一生懸命になってる それが醜いわけ ない」(一五四)と声をかけている。ここで見出せるのは、マルリイが「立とうと一生懸命になってる」姿に眼差しを向けていることである。「きれいでまじりけのない女の子」になろうともがいているウェンディを、マルリイは「きれいでまじりけのない女の子」であると述べている。ウェンディがマルリイと一緒にいることでそう「なろうとしている」状態であるのに、マルリイがそれを「である」状態と読み替えることができるのは、自身もウェンディと同じような状態にある少女であったからに他ならない。つまり、マルリイも「なろうとしている」少女に過ぎなかったのである。
 マルリイは誓いにおいて、「風にのる種のように自由と勇気にあふれてる」と表された(一〇四)。これは基本的に、町や親に囚われず、その外へと向かおうとするという意味で考えられる。しかし、彼女は町や親からの自由を志向し、町の外への道を知っている(一〇一)のにもかかわらず、ウェンディと出会うまで外に出ることを作中では目指していない。彼女はただ「ぶらついていた」のである(八五)。マルリイはウェンディと出会って初めて、彼女を伴い町の外へ向かいたいと実際に望むことになる(八九、一一〇~一一一)。マルリイはウェンディと出会い、「自由と勇気にあふれてる」と見なされてから、実際にそうであるかのように振舞うのである。以下の場面を確認して欲しい。

炭鉱での生活で肺を黒く詰まらせ 塵肺と肺結核でスプーンも持てない手を振り回して これがこの町に生まれた男の誇りだと強がる里父
そんな愚かな男にいつもお追従だけの里母
あの家からはコールタールで染め上げた死と嘘のにおいしかしない
でもわたしにはウェンディがいる 嘘のないきれいなウェンディ この子と一緒に外の世界を見るのだ(一一六~一一七)


 ここでは、「外の世界を見る」ための重要な鍵としてウェンディの存在が挙げられている。マルリイは町や里親に囚われずに、自由で勇気のある存在として振舞ってはいるものの、その源にはウェンディがいたのである。彼女の「自由と勇気」はウェンディと関係して生じている。
 このことは、誓いを行うこと自体に現れていると言えるかも知れない。信仰し合うことを誓う場面のすぐ後で、二人は共産主義の無信仰を「賢い」と讃えている(一〇八)。その根底には神への不信がある(一〇三)けれども、二人は神を突き放した結果として「賢い」無信仰へは至れない。別の信仰に移ることにしている。ここに、二人の弱さが現れている。信仰する相手がいるから、二人は動くことができるのであって、独りで何かできるほど強くはないのである。町の外を見ようとする場面で、二人はお互いを「救い」と考えていることが分かる(一一六~一一七、一二一)。
 ここまででマルリイの「自由と勇気」がウェンディと関係して生じているということが確認できた。だがこの時点では、マルリイがウェンディと同じように、誓いにおいて見なされているものとは異なり、ただそう「なろうとしている」少女に過ぎないかどうかということは分からない。この答えを与えてくれるのが次の引用箇所である。里親の死を受けてマルリイは揺れる。

「マルリイ これからは あのお金はあなたのためにつかって あなたが行きたいところへ行くといい お父さんが言っていたわ」
「…… お金なんかなくたってそうするつもりだったし 今までだってそうしてきたわ」
「…そうだわね いままでごめんなさいね あなたはこれでもう自由よ」
――自由ってなによ こういう風になるのをわたしが望んでたって言いたいの あの男は高い煙突のこの街にしがみつくように生きてたのに はじめからそんな人間はいなかったみたいに土の中に隠されて―― こんなの見せられたら腹がたつだけよ 自由になったのは わたしを放り出したあの女の方だわ こんな町大嫌い ウェンディだけでいい(一三三~一三六)


 ここでマルリイは少なからず里父の死にショックを受けている。彼女はそれを表情で明確に示しはしないし、ましてや涙を流すことなどないが、報せを受けて家に戻り、豪雨の中呆然と立ち尽くしている彼女の姿(一三一)や、ウェンディの胸を借りる姿(一三五~一三六)に、受けた大きな衝撃を感じることができる。また、重要なのは里親の死がマルリイを連れ戻すだけの効力を持っていたことである。ウェンディを連れ戻しに来た彼女の母親。あのときマルリイは、自由の抑圧者である彼女から、ウェンディを守らねばならなかったはずである。それにもかかわらず、マルリイは大人しく車に乗ってしまう(一三〇)。しかも、その理由が里父の死である。町に囚われず、里親にも囚われず、「自由と勇気」を持っているかのように振る舞ってきたマルリイが、このときは里親に捕捉されている。自由か従属かという二択において、マルリイは自由を選び取ることができない。ここで、彼女が親から自由でなかったことが、象徴的に示されているのである。本人は「今までだってそうしてきた」とは言っている。けれども、彼女は帰ってきてしまった。最も帰ってはならなかった局面で、帰ってしまったのである。その意味で、この場面はマルリイが「自由と勇気にあふれてる」少女になり切れていないことを示しており、ウェンディの胸を借りる箇所(一三五~一三六)は、ウェンディがマルリイに泣いて告白する箇所に対応している。以上を踏まえると、町の外を見に行く場面で(一二四~一二六)、マルリイはウェンディという足枷によって町に留められたわけではない。そもそも一緒でなければ二人は出て行けないのである。
 里父の死に関連する一連の場面は、マルリイが親を自由のために突き放しながらも、突き放し切れていないことを示している。だからこそ、マルリイは自由への決意を改めて固めることになる。自由であることの宣言。それは里母を突き放す。「こんな町大嫌い」という言葉。それは町を突き放す。そして、ウェンディとの脱出へと本格的に動き出すことになる。
 以上のように、マルリイは「自由と勇気」を既に持っている少女であるわけではなく、ウェンディと一緒にいる中で、そう「なろうとしている」少女である。彼女は「ウェンディだけ」(一三六)いれば、「自由と勇気」を持って町から出て行けると思っている。これは、ウェンディの状態と同じである。ウェンディも「きれいでまじりけのない」と見なされながら、実際は「きれいでもまっすぐでもなかった」(一五三)。けれども、マルリイがそう言うのであれば、「そうなれるかもしれない」、「そうなりたい」と思うことができるのである(一五二)。この「なろうとしている」状態はマルリイと似ている。彼女も本来そうとは言い切れないが、隣にいるウェンディがあって初めて、「自由と勇気」を求めて外へ向かおうとすることができるようになっている。ゆえに、マルリイは「ぼろぼろになってもまっすぐ立とうと一生懸命になってる」ウェンディを評価できる。彼女もウェンディと同じであったから、関係を読み替えることで誓いを維持することができるのである。
 ここまでをまとめれば、マルリイはウェンディと同じであったからこそ、罪を犯した彼女の傷を見ることができ、一生懸命に「なろうとしている」ことを評価することができた。それにより、救い救われる関係も、相互に信仰する関係も崩壊しなかったため、二人は一緒にマザーロードを歩いていくことができたと言える。


(4)マルリイの親への態度が軟化した理由

 次に、マルリイが里親への態度を軟化させたことについて考えていく。先述の通り、マルリイは町から出る時点で里母に手紙を書こうと思い立ち、寄宿学校での生活が始まってから実際に何度も手紙を送っている。ずっと対抗していた親への態度が軟化したのは、何故だろうか。
 第一に、マルリイにとって、自分を抑圧的に町に留める存在であった親の態度が変化したことが一因であると考えられる。マルリイの里親が、マルリイにとってどこか抑圧的な存在であったことが分かる場面として、以下の箇所が挙げられる。

「出かけるのか マルリイ どこへ行く?」
「お父さんが訊いてるのよ メイ!」
「どこでもいいじゃない」
「今は物騒な世の中だ 母さんも心配してる」
「心配?何の心配 金づるが気になるだけでしょ」
「マルリイ!」
――なにが父さん なにが母さんよ わたしの実父から届く金は あらかたベッドで衰えているあの男の治療に消えていて 2人が後ろめたいのだということは知っている ――でもそんなのはどうだっていい わたしは漠然と何かに背中から追い立てられていて この家この道この町に覆いかぶさっているものに もうただうんざりして駆け出したいだけなのだ(一一三~一一四)


 ここで親は町の外を志向するマルリイを押し留めようとするものとして現れている。「心配」という言葉の下に、彼女の行動は統制されようとしているのである。町の外へと向かうために、「自由と勇気」を持つものであるマルリイが振り払うべきものとして、里親は登場している。ゆえに、彼らはすぐ後でも町と結び付けられている(一一六)。「この町に生まれた男の誇り」を抱いている里父と、町が嫌いで仕方ないマルリイの対比は鮮烈である。
 けれども、里父の死によって、彼らはマルリイの出奔を認める立場に回る(一三四)。これによりマルリイが彼らに対抗し続ける理由がなくなる。抑圧者だった里親は、抑圧することを止めるのである。里母はマルリイの自由を全面的に容認する。このことは、マルリイの態度が変わったことを説明する一つの要因であると考えられる。しかし、重要なのはマルリイがそれだけでは里親に対する対抗を止められないということである。彼女はそれまでの抑圧者である里親に自由を承認されるという形式を嫌い、里母に抵抗を続けるのである(一三四)。そのため、里親の態度の変更はマルリイの態度の軟化を説明する一つの要因ではあるものの、それだけでは軟化に結び付かないということが分かる。ゆえに、これから話す第二の理由が重要なのである。
 第二に、ウェンディの抱えていた秘密の露見が、マルリイの親への態度の軟化に大きな影響を与えたと考えられる。母親に対するウェンディの豹変とすすり泣く母親を眼前で見て、マルリイは自身の勘違いを悟る。

わたしははじめて彼女に触れるのをためらった なぜだろう 胸が早鐘を打つ 階下から聞こえるウェンディの母親の泣き声はこの子にそっくりなのだ(一四二)


 それまでウェンディのものとして聞いていた泣き声は、実は彼女の母親のものであった。これは二人の関係を根本的に変え得る事実だったが、マルリイはウェンディの傷と「まっすぐ立とうと一生懸命になってる」(一五四)様に着目し、関係を維持した。ウェンディとの関係は、読み替えこそ行われたものの、抜本的に変更されることはなかったと言える。それに対して、この事実はマルリイと里親の関係を大きく改めるものであったと考えられる。一方的な抑圧者としてだけ捉えられていたウェンディの母親が、その実自分が救いたいと欲した泣き声の主であり、傷つけられたものであったということは、マルリイの認識を改め得るのである。ウェンディを抑圧する敵は、ウェンディに傷つけられたヒロインでもあった。この転換を、彼女は自身の里親にも当てはめたのではないか。マルリイが家を出て行く場面で、既に里親に対する敵意がないことは彼女の対応と表情から分かる。

――わたしを送り出すとき めったに口をきかなかった里母がほとんどつぶやくように言った
「あなたはもう帰ってこないわね でもきっと手紙をちょうだいね わたしはずっとこの街に居るから いってらっしゃい」(一四四~一四五)


 マルリイがそこで見ているものは、里母の悲哀であって、傷付いた彼女の姿ではなかっただろうか。ウェンディの告白までの一連の事件は、マルリイに弱く傷付いた親を意識させた。実際に家や町から出ることが叶い、親が抑圧者ではなくなったとき、彼女たちは新たにそうした存在としてマルリイに捉えられることになったのである。ゆえに、彼女は里母の求めに従って手紙を書くことを決意する。そして、彼女へのかつての対抗を感じさせないほどに、フランクで軽妙な内容の手紙を、マルリイは里母に送ることになる。


(5)まとめ ――二つの関係の転換の物語として――

 最初に述べたように、「Walk wit me」はマルリイとウェンディが炭鉱の町を出て行くまでを描いた物語である。この物語は、そう考えれば、「アイディアノート」の「炭坑の町を巣立つ2人」のプロットにほとんど合致する(一七三)。けれども、「Walk wit me」は関係の転換の物語でもある。今回、マルリイがウェンディの告白を受けてもなお関係を維持できたのは何故かという問いと、マルリイの里親への態度が軟化したのは何故かという問いを考えることにより明らかになったのは、その側面ではないかと思う。ウェンディとの関係においては、読み替えることによる維持という転換が起こり、対して里親との関係においては、根本的な転換が起こっている。以上の二つの転換の契機は、言うまでもなく、ウェンディの告白までの一連の事件である。ここでの真実の露見が、関係の転換に繋がっている。「Walk wit me」は、先述のプロット段階では現れていないが、そう考えれば二つの関係が転換する物語としても読めるのである。



以上です。
本当に長くなってしまいました。
しかし、どこかで妥協せず、自分なりに最後まで考察できたと思います。

二次創作や評価記事など、人によって作品への愛情表現の仕方は異なるでしょうが、
私にとってはこうした考察をすることがその方法なんですよね。

万一ここまで読んで下さった方がいらっしゃいましたら、お疲れ様でした。
そして、ありがとうございました。
もしご意見などあれば、残して下さると喜びます。

テーマ:百合
ジャンル:アニメ・コミック

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