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あかりは「想われている」ということ (ゆるゆり♪♪:十一話感想)

2012.09.11 20:44|ゆるゆり
「あかりは想われている」ということが全力で提示された一話。

十一話「時をかけるあかり」は、一言でそう表せると思います。

今回あかりが「主役」になれたかと問われれば、それは微妙なところです。
あかりは過去を能動的に主役として動いていたように見えて、
それは結局のところ、京子の紙芝居でしかありませんでした。
実際は、京子が「主役」で紙芝居をひたすらめくっていたとも言えます。
その意味では「あかりが主役になった回」と単純に言ってしまうことはできません。

この辺りは、私が一話の感想で述べたことに関連します。
ここで私は、あかりが「外部においては主人公になる」と言いました。
すなわち、あかりはどこか別のところに本筋があるときに、
「物語(本筋)の外部」において主人公になるということです。

その代表が、一話の「あかりの夢」の話であり、
また五話の、あかりが一人電車に乗り遅れて取り残される話でした。
両方とも、提示されるあかりの物語とは別に、本筋とでも呼べるような物語があります。
一話の場合、あかり以外のメンバーは起きていて電車に乗っていました。
あかりが参加していないそこで、何らかの物語があったはずです。
五話の場合は、もっと明確で、他のメンバーはプールで楽しんでいました。
あかりが参画していた物語とは別に、他のみんなが登場する物語があったのです。
この限りにおいて、あかりは「主人公」ないし「主役」となる。


11話もその範疇で語ることができます。
過去で奮闘するあかりの裏には、他のみんなが参画する現在の物語があった。
あかり捜索のためのビラを作成する、別の物語があったわけです。
また、京子が紙芝居を聞かせるという、現実における第二の別の物語もありました。
以上のように、「他のところに物語がある限りにおいて」
あかりは主人公として非常に目立つことになります。
11話も、あかりは「外部において」主役でした。

さて、11話であかりが「主役」だったかと問われたとき、
以上の考えから、私は単純には首肯できないように思います。
その意味では、11話を「あかり回」と呼ぶのにも一定の留保が必要です。

しかし、そのように考えたとしても、確固たる事実が一つだけあります。

十一話が、「あかりが想われている」ということを主題にしていたということです。
その意味では今回の話は、間違いなく「あかり回」でした。
このことは、非常にぼかされてはいる。
しかし、間違いなく読み取ることができます。
今回の記事ではそのことについて考えを述べていきたいと思います。

ある意味、真の最終回である今回の話。
もしよろしければ、お付き合い下さい。



○あかりは「想われている」ということ:みんなに、京子に、そして――

今回の話であかりは、二人に、というより物語の中で二重に、
「想われているということ」が示されていたと読むことができると思います。
それを順番に論じていきたいと思います。

第一に、京子が書いた物語の中にだけ注目してみましょう。
ここでは、あかりが「みんなに」想われているということが提示されました。
それを、内容を振り返りつつ確認したいと思います。

過去において、あかりは二つのことを天秤にかけることになります。
過去の改変か、過去の保存という、二つの行為の間での逡巡です。
それぞれ、「存在感が薄いという現在の自分を変えること」と、
「今までのみんなとの思い出を保持すること」という利益に繋がっています。
最後の最後まで、あかりはこの間で悩むことになります。
そして、ぎりぎりのところで以下のように決断します。

やっぱり、みんなとの思い出を変えることはできない。
できないよ。

結局、過去を変えなかったけど、いいの?

うん、存在感は、未来で勝ち取ってみせるよ!


それでは、何故あかりはあれ程気にしていた「存在感の薄さ」の払拭よりも、
「みんなとの思い出」を選び取ることができたのでしょうか。
その答えが、挿入歌「みんなだいすきのうた」にこれ以上なく表れています。

みんなの 笑ってる顔を 思い出し目を閉じて
ふかふか お布団かぶった なんでかな涙が出た

楽しいおしゃべり 何でもない時間 今日も過ぎてくけど
大切な想い 伝えたい 伝えたいんだよぉ

大好きだよ みんなのこと いつまでもいっしょで笑ってたい
だから明日 また会おうね それまでちょっとだけ おやすみ

大好きだよ 明日また会えるね それまでちょっとだけ おやすみ


みんなのことが「大好き」だからです。
みんなのことが大好きだから、そのみんなとのかけがえのない思い出が、
存在感の獲得よりも遥かに意味のあるものになり得るのです。

未来に帰るあかりの表情に、後悔は全くありませんでした。
彼女は自分で満足できる、正しい決断ができたと考えているのだと思います。

みんなが「大好き」だから、過去の改変は行わない。
このあかりの答えに応える形で、みんなはあかりを迎えることになります。

あかりの予想に反して、みんなが心配してビラまで作ってくれたことが分かるのです。

過去であかりが大好きなみんなを想っていたように、
みんなもあかりのことを想っていた。


過去であかりが流した涙は、みんなを想っての、みんなのための涙でしたが、
再会したときのみんなの涙も、あかりのための涙でした。
以上のように、あかりの想いに対して「みんなの想い」が返されます。
これが第一に示された、あかりはみんなに想われているということです。

しかし、これだけでは物語は終わりません。
最後になって、この物語が「京子の書いたもの」と暴露されることになりました。
ちなつの画力が初披露された話を思い出させる展開です。
当然のことながら、前述の展開に感動した視聴者は肩透かしを喰らうことになります。
少し探したところ、やはりこのオチには賛否があるようでした。
先述した「あかりがみんなに想われている」ということを、
事実ではなく、単なる創作上の出来事に押し込んでしまったというわけです。

けれども、私はあのオチが「あかりがみんなに想われている」ということを、
「所詮創作上のこと」にしてしまうために入れられたという考え方とは、
別の考え方ができると思います。


むしろ、あかりが想われているということを、
二重に提示するために入れられたと考えることができるのではないでしょうか。
つまり、あかりはみんなに想われているだけではなく、「京子にも想われていた」
このことを示すためのオチだったと解釈できるように思います。

というわけで、第二に、京子が書いていたというところまで含めて、
今回の11話全体を考えて見ることにしましょう。
ここで提示されるのは、あかりが「京子に」想われていたということです。

京子の紙芝居の中で、あかりを迎えるシーンは感動的なものになっていましたが、
このようなラストにしたのは、他でもない、物語の書き手である京子です。
しかも、敢えて別のラストを提示しながら、京子は感動のラストを選択しています。
あかりが現在に帰るシーンでの、あかりの予想を引用してみましょう。

ただいま、みんな!

あ、あかり。
帰って来たね。
あかりちゃん、お土産は?

って、みんな少しは心配した?

存在感が薄いから、ちょっと忘れてたよ。


これは非常にありそうなことです。
少しあかりが不憫な形になって、終わる。
特に最後の京子の言葉が、京子らしい一言と言えます。
京子はあかりを、影が薄いことでいじることが特に多いキャラクターだからです。
しかし、実際はこのラストは選択されませんでした。

あ、あかり。
あかり!
どこ行ってたんだー!


存在感が薄いことをネタにするのではなく、
京子は最初に涙し、最初にあかりの方へと飛びつきます。
これを京子が書いているということは重要なことだと思います。

作中では、何を考えて京子が書いたかは語られません。
語られたとしても、映画を見て触発されたということくらいのことです。

しかし、物語の最も大きな強調点として、
京子は、自分を含めたみんながあかりを「死ぬほど心配した」こと、
つまりみんながあかりのことを想っているということを選んでいます。


普段、存在感が薄いことで最もあかりをいじる京子がです。
ここにあまり表に出ることはない、京子の想いを読むことができると思います。
京子はあかりをよくいじるけれども、彼女のことを想っている。
紙芝居のこととされることにより、この読みが成立すると言えます。

紙芝居オチは、あかりが想われていたということを非現実にするとも読めますが、
作中に別の想いを導入する契機になっているとも読めるのではないでしょうか。
私はこのことを強調しておきたいと思います。

結論として11話は、二つの意味であかりが「想われている」ことを描いた話でした。
まず、あかりがみんなを想うように、「みんなもあかりを想っている」ということが、
あかりの過去への遡行を通じて語られることになります。
次に、それを描いたとされる京子、普段誰よりも影が薄いことであかりをいじる京子が、
そのような話を書いたことで、「京子があかりを想っている」ということが提示されます。
以上二つの想いを描いたのが、11話であったと言えます。

そしてここから、さらに外部を見ることも可能だと思うのです。
アニメ一期の内容は、原作でも最初の方、およそ四巻までを描いたこともあって、
あかりの存在感が薄いということなどが強調された面がありました。
アニメのこのような部分に批判的な意見も一期の頃には特に多かったように思います。
しかし、二期の「真の最終回」とされる重要な回に、
「あかりが想われていること」を示す話を持ってきたということ。

私は作り手のことを色々と推測するのは好きではないのですが、敢えて言えば、
そこにアニメの作り手が「あかりを想っている」ということも見いだせるのかも知れません。




以上です。
少し風邪気味で文章が崩れているかも知れませんが、ご容赦下さい。

これまでも一期の内容を思い出させるような話は多くありましたが、
今回は一期の一話二話をそのまま踏まえた話だったので、
一年前のことを思い出しながら見た人も多かったのではないでしょうか。

先週の話が、一期の修学旅行の話を思い出させるような話であったことは、
今回の話の準備を視聴者に促すためであったとも取れるように思います。

また、あかりが過去で助力を求めて未来から来たことを暴露した三人は、
一期の二話までに登場しておらず、かつあかりとの関係が、
ある程度深い人物という条件に基づくと、あの三人で最大でした。

千鶴が出てもいいかなとも思ったのですが、原作を確認すると、
彼女とあかりは意外なことにほぼ出会っていないんですね。
アニメでも同じだったか、かなりうろ覚えですが、仮に二人が出会ったとしたら、
千鶴はあかりに姉のような雰囲気を感じ取りそうであると思います。

さて、次回は本当に最終回ということで、どのようなものになるのか楽しみです。
予告を見る限り、いつも通りな内容に戻る気がしますが、何かあるのでしょうか。

テーマ:ゆるゆり
ジャンル:アニメ・コミック

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