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あかりとちなつの間の「距離」の演出について (ゆるゆり♪♪:十話感想)

2012.09.04 20:57|ゆるゆり
二度目の修学旅行回です。

今回は、京子たち上級生が再び修学旅行に行っている間の出来事が描かれました。

原作で言えば、櫻子と向日葵が道に迷う、42話「旅は道連れ…?」、
ちなつがあかりにマッサージをする、43話「私ってテクニシャン?」、
櫻子と向日葵の衝撃の過去が明かされる、54話「もう、してた。」の三本でした。
その合間に修学旅行の様子が挟まれ、最後はメタなオチで終わっています。

この、修学旅行中の下級生組の様子を描いた42話、43話は、
私が個人的に好きな話だったこともあり、
一期の修学旅行回で描かれなかった時点でかなり残念でした。

以上の二つの話は、「上級生が修学旅行に行ってしまった」ところからスタートするので、
修学旅行を一期で使ってしまった以上、アニメ化は難しいかも知れないと、
思っていたからです。

しかし、「二度目の修学旅行」を導入することで、
アニメはきっちり二つの話を描いてくれました。
私はとても嬉しい想いで、昨夜視聴した次第です。

中には劇中での「二度目」の強調に、嫌悪感を示した方がいらっしゃるかも知れません。
アニメは「二度目」を使うことで『ゆるゆり』の雰囲気を壊しているというわけです。
百合や日常を描く作品ではなく、どこかギャグ漫画的になっているという指摘です。
しかし、この批判は全く正しくありません。
今回のアニメのある種のメタは、『ゆるゆり』のある部分を最も反映した、
原作理解の上でのアレンジであったと言えるように思います。

この話は後にまた触れることにしましょう。

さて、今回は三つのことに関して感想も踏まえつつ語ろうと思います。

第一に、櫻子と向日葵の関係に関する作中の強調点について、
第二に、アニメにおけるあかりとちなつの関係の描き方について、
そして第三に、「二回目の修学旅行」というメタについてです。


もしよろしければ、お付き合いいただければ嬉しいです。



○櫻子と向日葵の関係性:強調される「変わっていないこと」

まず、アニメ十話は修学旅行の回であるのと同時に、
非常に櫻子と向日葵の関係性に焦点が定められた回でもありました。

そもそも上級生が修学旅行に行っていた間に起こる話として、
原作時点で設定されているのは、最初の二つの話しかありません。
最後の、櫻子と向日葵の婚姻届を書いた過去が明かされる話は、
本来修学旅行とは何の関係もない話です。

しかし、二つの修学旅行に関係する話に接続するもう一つの話として、
あの婚姻届の話を選んだことは、アニメの見事な配置であったと思います。

あの話は、櫻子と向日葵の幼少期が問題となるという点で、
一つ目の、櫻子と向日葵が一緒に道に迷う話と無関係ではないからです。

二つとも、二人の過去が問題とされています。

アニメはここに関連性を見出し、三つ目の話として、
敢えてまだ一つもアニメ化していない八巻から話を引っ張ってきたのだと思います。
まだ、七巻まででアニメ化していない話があるのにもかかわらずです。
ここに以上に述べたような意図を読み取ることはできるように思います。

さて、今回は十話の二つ目のテーマとも言えるであろう、
この「櫻子と向日葵の関係性」について考えて見たいと思います。
幼少期の頃を踏まえた、二人の関係についてです。

けだし、二人の長い関係を語る際に、強調される点というものがあります。
それが、二人が「変わっていないこと」です。

これは不可思議な主張のように思えるかも知れません。
櫻子と向日葵の関係は、一見大きく変わっているように思えるからです。

既にご存知のように、櫻子と向日葵は幼少期は仲のいい友達でした
しかし、現在はライバルとして火花を散らす仲です。
無論、現在でも何だかんだで仲はいいのでしょうが、
その関係は幼少期と比べれば明らかに変わっています。

しかし、作中で強調されるのは、「変わったこと」ではありません。
むしろ二人の関係が変わったことを前提として、
芯の部分では「変わっていないこと」が非常に強調されるのです。

今回アニメ化された話を軸として考えて見ましょう。
両方とも二人の幼少期について触れる、道に迷う話と婚姻届の話のことです。

まずは、修学旅行中に二人して散策に出て迷ってしまう話です。
向日葵は眠る櫻子の姿を眺めつつ、幼少期のことを思い出しつつ考えます。

…まったく
好き放題遊んで 疲れたら寝て…
子どもの頃からなにも成長してませんわ
今日だってろくなことにならないと分かっていたのに…
分かっててついてきちゃう私も成長してませんわね


ここで問題にされているのは、幼少期からの差異ではありません。
向日葵が櫻子に赤ずきんを読み聞かせてあげていた過去があるとは、
現在の二人からは想像もできないことですが、そこは強調されない。
向日葵によって、「成長していないこと」が強調されています。

成長していないことの強調、それは「変わっていない」ことの強調と読めます。
事実、二人とも成長していない結果、櫻子が奔放に動き、
向日葵はそれに振り回されるという関係性は変わっていません。

ここが、二人の関係において強調される点なのです。
ライバル関係になっても、根っこの部分では何も変わらないということ。

ここにだけある強調であるのならば、敢えて私も言いません。
しかし、この強調は婚姻届の話においても再び取り上げられます。

撫子は喧嘩する二人を見て、婚姻届を交わしていた幼少期からは、
かなりかけ離れたところに来たと考えています。
「……あんたたち 昔は仲良かったのにね」と言う場面にそれは表れています。
けれども、この話の結論は、やはり「変わったこと」ではないのです。

撫子は、向日葵がお菓子を作ってきて櫻子が食べるという点を見て、
以下のように考えることになります。

……なんだ 全然変わってないじゃん

さすが婚姻届を交わした仲なだけあるね


そして、この話は終わります。
出番が端折られた花子様は不憫。
ではなくて、やはり話の結論として二人が「変わっていないこと」が持ち出されます。
変わっているけれど、根っこは変わっていない。
この逆説の後に来る「変わっていない」こそ、二人の関係において強調されるのです。


櫻子と向日葵の関係において強調される、「変わっていないこと」
これと非常に対照的な関係があります。
すなわち、「変わっていること」が強調されている関係です。

それがもう一組の幼馴染であり、同級生でもある、京子と結衣です。

二人の関係においては、「変わったこと」こそ強調点となります。
一期でアニメ化済の、原作30話「こどもの時間にあいこでしょ!!」を見ましょう。
ここで、あかりを含めた三人と、ちなつの初の邂逅が語られます。
結衣がやんちゃで、京子が大人しく、あかりが妙にはしゃいでいる頃の話です。
その話を一通り聞いた後で、ちなつはこう言います。

京子先輩が泣き虫とかありえないんですけど…
キャラ作ってんじゃないですか


あるいは、結衣もこう言っています。

おまえ昔の方がいい子だったな


京子においては「変わったこと」こそ強調されているために、
結果として、京子と結衣の関係も変わったのだということが示唆されています。

「それでも二人は変わっていない」というような強調が、
作中において明言されることはありません。
ちなつは昔から「変わっていない」とあかりに言われることになりますが。

つまり、京子と結衣の関係においては、「変わったこと」こそ強調される。
これは、櫻子と向日葵の関係と好対照に映ります。
「変わっている」京子と結衣。
「変わっていない」櫻子と向日葵。

実際は櫻子と向日葵の関係も変わっているし、
京子と結衣も根っこの部分では変わっていないと考えることもできるのですが、
作中において強調される点は、これだけ対照的なのです。

この対照は、けだし京子と櫻子の差異に関連しています。
詳しくは先週の記事を参照して頂きたく思いますが、
二人のよく似た奔放さは、「成長」によって差異化されています。
「成長している」京子と、「成長していない」櫻子ということです。
京子は変わっており、成長しているので、奔放の中にある種の思慮がある。
対して櫻子の場合、変わっておらず、成長していないことを表象するので、
そうした思慮深さは見出せず、代わりにおバカキャラのように現れてくる。

結論として、櫻子と向日葵の関係では「変わっていないこと」が問題となるのに対し、
京子と結衣の関係においては「変わったこと」こそ問題となります。

それは同時に、櫻子と京子というよく似たキャラクターを差異化するのに、
一役買っている点であると言えるように思います。



○あかりとちなつの関係性:「第一の友達」

今回のあかりとちなつの話においては、京子が買ってくるお土産以外に、
内容上の改変はあまりないのですが、その分演出が光っていたと思います。

例えば、以下の場面です。

ありがと あかりちゃん
少しだけ元気出たかも

ううん ほんとのこと言っただけだもん

あかりちゃん優しいな


この最後のちなつの言葉で、ちなつの背景がきらきらしています。
これは見ていてかなり目立ちました。
これがどのような意図で行われたと読むかということに関しては何とでも言えるでしょう。
しかし、そのちなつの言葉が重要なものと考えられたということは間違いないと思います。

また些細なことですが、湯呑みが横に倒される場面が、
あかりが膝枕をされる直前になっていたため、
そのときの不安定なあかりの心情を、
倒された湯呑みという不安定な状況が上手く表すことになっていました。


さらに、もはや半ばあかりのテーマと化している、
末尾の天使が昇天していくかのようなBGMも、妙に合っていました。

以上、BGMなども含めて、演出全般が非常に面白い話でした。
しかしその中でも特に注目すべきは、「距離」に関する演出だったと思います。
ここが強調される演出が私の目を引きました。

まず、ちなつが結衣がいないことを寂しがり、あかりが慰める場面です。
ちなつがあかりに直筆の手紙を見てもらう直前、
二人の間に、ちょうど和室一間分の距離があることが分かります。

これは原作と比べて、かなりの距離を取っています。
そしてここから、ちなつは手紙を見てもらうために一気に距離を詰める。
そのときの跳躍力は異常なものです。

そして以下の場面に至ります。

あかりはちなつちゃん可愛いと思うよ~
好きな人にすっごく真っ直ぐですてきだよっ

ほんと? 他には?


ちなつが褒めてくれたあかりに半ば抱きつくようにして接近する場面です。
ここで、ワンポイントの強調が入っています。

二人がかなり肉薄したことと、髪がふんわりと舞って、
ちなつの香りがあかりの方へ、届いたことを暗に示す演出です。
この辺りは見ていてどきどきしました。
二人の距離が詰まった、そのときの雰囲気がこちらまで伝わるようでした。

以上に挙げた、「二人の間の距離」を強調する演出を、
私が重要視するのには訳があります。
それは、そもそもこの話自体が、あかりとちなつの距離が近づいていく話だからです。
ここで言う「距離」とは、二人の関係性における距離のことで、
月並みな言い方をすれば「心の距離」のことです。
マッサージの話はこれが次第に近づいていく話と取れます。

二人の間の「距離」に関わる演出は、この「心の距離」を上手く表しています。

まず、修学旅行で結衣が不在なことを寂しく思うちなつがいます。
このとき、あかりは彼女にとってほとんど意味をなすものではありません。
ちなつにとっては結衣の不在は「死活問題」なのです。
当初はあかりに背を向けて一人で泣いてしまいます。

そしてこのときの二人の間の実際の距離こそ、和室一間分の距離なのです。
二人の間にはかなりの距離があります。

次に、あかりがそのようなちなつの話を聞き、相談に乗る中で、
ちなつはあかりの方を向いて驚くべき跳躍で、あかりに一気に接近します。

そして、あかりがちなつを「可愛い」と言ったとき、
二人の距離はさらに近づき、ちなつはあかりに抱きつくような形で迫ります。

シャンプーの匂いをあかりが感じることができるくらいに、
二人の距離は近づくのです。
ここが、演出によっても強調されています。
ちなつはこの後すぐさま、印象的なあの言葉を述べます。
「あかりちゃん優しいな」

二人の「心の距離」は、「実際の距離」に比例する形で、
近づいていることが分かると思います。

初めにちなつの頭にはほとんど結衣のことしかありませんでした。
それが次第にあかりの方へシフトしています。

彼女にとって結衣の存在が第一でなくなることなどありませんが、
「あかりちゃん優しいな」と素直に言い、彼女にお返しをしようとちなつが思ったとき、
あかりは「隣にいる存在」として明らかに第一の位置にいます。


結衣とは違うけれども、それでもあかりは第一になっている。
その結果として、やがて距離は零になります。
ついに密着を含む、膝枕やマッサージに至るのです。

これにより、あかりは不幸な目に遭うわけですが、
二人の心の距離は、明らかに当初の状況から近づいています。

「距離」を強調する諸々の演出は、この物語の理解した上で、
それをより効果的に見せるために行われたものであるように私には見えます。

「遠さ」の強調、「肉薄したこと」の強調。
そこに、二人の精神的な距離も詰まっているのだということを見出せるのです。

ちなつにとって、あかりは単なる恋愛の相談相手ではありません。
単に利用できる都合のいい相手ではない。
あかりは第一の友達に違いないのです。
だから、最も自分にとって大きな問題である結衣のことを相談もするし、
あかりの家に自然に泊まりにも赴くし、
裏目に出ることが多いですが、相談のお礼をどうにかしてしようと思う。

相談に乗ってもらうという、ある種の「利用」に対して、
ちなつは自分をあかりに「利用」してもらうことで、
どうにかお返しをしようと試みるのです。

ちなつはある程度、相談に乗ってもらうことを悪いと思っています。
原作7巻のおまけ漫画③より引用します。

ごめんね あかりちゃん
いつも結衣先輩のことで相談にのってもらっちゃって


しかし、あかりは対価など求めません。
彼女はちなつに対してこう答えるのです。

ほんとはね~
あかり 嬉しいんだよ~

ちなつちゃん いつも あかりに相談してくれるから
それがちょっぴり自慢なんだぁ


こうしたあかりの言葉を、彼女が「いい子」であること、大袈裟に言えば、
彼女の「天使性」でだけ説明しようとするのは、誤りだと思うのです。

あかりは時々被害を受けながらも、何故このように言えるのか。
それはあかりにとっても、ちなつが第一の友達だからに他ならないのではないでしょうか。

二人は相互に、「第一の友達」であると考えているのだと思います。



○アニメの意識的なメタ発言の排除:原作との差異、あるいは共通点

最後に、十話におけるメタネタに関して触れておこうと思います。
京子たちは本人たちは気付いていないものの、二度目の修学旅行に行きました。

このことが、京子の「ここ前にも修学旅行で来なかった?」という台詞や、
十話の末尾において、不思議なことにお土産の木刀が既にあったところで、
かなり直接的に示されています。

しかし、真に注意すべきなのは、そこではありません。

むしろ劇中では、意識的なメタ発言が徹底的に排除されたことにこそ注目すべきです。
意識的なメタ発言とは、登場人物たちが自身が物語の住人であるという、
本来知りえないような情報を知る存在として述べる、その発言のことです。
今回は京子がかなりここに近くはありましたが、
結果的に彼女たちは誰しも「二度目」であることを知覚していませんでした。

その意味で、意識的なメタ発言は排除されていました。

ただし、これには一つだけ例外があります。
それが冒頭の「アッカリーン」パートです。
ここでは全員、「また」修学旅行であることを分かっていて話しています。
しかし、これは今回だけの話ではありません。
普段からあかりは、自身が劇中の人物であると分かっているかのように、
「カメラさん」に平気で話しかけるなどしています。
ここでだけ、意識的なメタ発言は許容されているのです。

その例外を除いて、劇中では意識的なメタ発言が見受けられないということ。
これは大きな原作との違いです。
原作では、意識的なメタ発言が認められている部分があります。


私は以前の記事でこの話は既にしていますが、
二期二話でアニメ化された、23話「方式が決定しました」です。
ここでは、登場人物自身が『ゆるゆり』が「サザエさん方式」であることを語ります。
アニメ化されたとき、アニメは劇中でその意識的なメタを排除していました。

原作においては、23話を代表として、このようなメタは往々にして認められます。
『ゆるゆり』が雑誌を移ったことや、アニメ化したことを、
非常に例外的にではありますが、登場人物自身が語ることができているのです。
ここが原作とアニメを大きく差異化してます。

いや、差異化というのは正確ではないのかも知れません。

原作においても意識的なメタ発言は極めて限定的な、例外的なものです。
アニメにおいても、それが「アッカリーン」パートでだけ用いられていることを考えれば、
アニメにおいても例外的に使っているという点で、
むしろ原作に近いと言えるのかも知れません。

だとすれば、原作との共通点として語るべきということになる。

結論として、アニメと原作は意識的なメタ発言を巡って、差異があるように思います。
それは差異であり、同時に共通点とも言えるような差異です。

アニメは劇中から意識的なメタ発言をほとんど排除している。

ここに、アニメが目指しているものが見えてくるような気がするのです。
何故、劇中で意識的なメタ発言を排除するのでしょう。
それは、劇中の出来事を「物語の中のこと」にするのではなく、
「日常」として、見る側に提示するためではないでしょうか。

彼女たちはあくまで彼女たちの日常として、毎日を生きている。
そこを侵してしまわないように、「二度目」でありながら、
登場人物にはそれをぎりぎりで気付かせなかったように私には思えます。



以上です。

今回は話の配置からして巧みだったと述べましたが、
それは『大室家』までに引き継がれています。

あの婚姻届の話がなければ、撫子の携帯の着メロを変更した話は、
意味不明なものになったかも知れません。
アニメであの話をやった後だからこそ、「変えて」と言われた意味が分かる。
その辺りも巧みであったように思います。

それにしても、友人には内緒で、姉妹たちの眼前でも電話をするのを避ける撫子が、
向日葵の前で電話をしてしまっているのは何でなのでしょうかね。
実際に向日葵には「彼女さん」かと勘繰られてしまっているわけですし。
あのときは機嫌がよくて気付かずにやってしまったのだろうか。

巷では藍さん彼女説が強いようですが、
藍は「隣にいる」立ち位置で、めぐみは「いじられる」立ち位置で、
美穂は「いじる」立ち位置で、三人が三人違う立ち位置なので、
そのうちの誰がいいかを考えるよりも、
この子だったらどうなるだろうというのを考えると得な気がします。

そもそも『ゆるゆり』が付き合った後の一対一の関係を規定せず、
それぞれの関係性の良さを描いていく作品だと思うので、
撫子の彼女が誰か明かされず、可能性だけ提示されるという点は、
非常に『ゆるゆり』らしいやり方であると言えると思います。


来週はある意味最終回らしいので、何だか緊張しています。
どのような話になるのか、楽しみです。

テーマ:ゆるゆり
ジャンル:アニメ・コミック

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また修学旅行?w その間の留守番組のお話です♪ アバンの挨拶も1年組担当。  みんなアッカリ~ンw  あかりだけ元に戻れないのは、デフォだからしょうがない(ぇ)
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