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五話から見る、あかりと京子の差異 (ゆるゆり♪♪:五話感想)

2012.08.01 20:22|ゆるゆり
撫子さんは胸はなくとも柔らかい素敵な人です。

いきなり何かと言うと、今回楓が櫻子に、
「櫻子お姉ちゃんのお姉ちゃんもおっぱいないから」云々という話をしていたときに、
原作54話で一緒に寝た恋人に電話で「柔らかかった」と言われたらしい撫子を思い出し、
ツイッターで衝動的に呟いていた言葉です。

さて、第五話「日本の夏、ゆるめの夏」は、四つの話を基に構成されていました。

京子がごらく部面々の各家を回る、intermission.2「冷風求めて三千里」、
あかり一人が電車に乗り遅れる、intermission.6「私、乗り遅れてる!?」、
結衣が夏風邪を引いてしまう、intermission.7「夏風邪ひいちゃったし」、
そして櫻子が向日葵の家に来る、50話「おっぱいが、ちっぱい」です。

今回は、あかりが一人のときに流れたBGMがよかったです。
荘厳なのだけれど、変に合っているというか、あかりの天使性をうまく表しているというか。
あかりが一人でいろいろとしゃべっているのは、
アニメ化されるとそれなりにシュールなのですが、
そのシュールな状況にも合っている演出だったと思います。
あかりファンには楽しいあかり回だったのではないでしょうか。

それでは、今回も気になった点を論じていこうと思います。




○「物語の中心」にある京子と、「物語の外部」にあるあかり

今回は総合して、京子がメインの一角を張るお話と、
あかりがメインの一角を張るお話が交互に配置されていました。

そのため、あかりと京子の差異が浮き彫りになっていた回であったと思います。

『ゆるゆり』において、主人公であるあかりと、
実質的な主人公であるとよく言われる京子。
二人は様々な側面から考えて、対照的なキャラクターと言えます。
いい機会なので、今日はその差異について考えていきたいと思います。

私のアニメ一話の感想では、あかりが「物語の外部」において、
主人公であるということを論じましたが、その延長と言えるでしょう。

必ずしも毎回とは言いませんが、京子とあかりを比較したときに、
京子は「物語の中心」にいることが多く、それに対して、
あかりは「物語の外部」にいることが多いということが挙げられます。

そのことはアニメ五話における、二人の目立ち方を取り上げるとよく分かると思います。

一方で京子は、クーラーの電池が切れていたため、
他のごらく部員の家に押しかけることで、かなり目立っていました。
結衣が夏風邪を引く回でも、自ら家に押しかけていくことで出番を獲得しています。
京子は、積極的に他の登場人物と関わりに行くことによって注目を浴びることになります。
「人と積極的に関わる」ということが、京子の目立ち方を特徴づけています。

他方であかりは、他の登場人物と関わることに消極的ではありませんが、
京子ほどの積極性を見出すことはできません。
これはあかりだけではなく、結衣やちなつにも言えることで、
京子の「積極性」が群を抜いているのです。

しかし、あかりは京子とは異なる目立ち方を今回していました。
それは、一人きりでいるときの行動により目立つという方法です。
原作きってのあかり回であった電車に一人だけ置いて行かれる回だけではなく、
櫻子と向日葵がベンチに座るあかりを見つける回でも、
あかりが一人であることによって出番を獲得していました。
「一人である」ということが、あかりの目立ち方を特徴づけています。

この目立ち方の差異は、どこから来るのでしょうか。

けだし、これは『ゆるゆり』という物語と二人の間の関係の違いに起因しています。
京子とあかりが『ゆるゆり』の中で主に演じている役割が異なるために、
物語の中における目立ち方や出番に大きな差異が生まれているのです。


それでは、二人は『ゆるゆり』の中でどのような役割を演じているのでしょうか。

前述の通り、私は京子が物語を作り、結果として「物語の中心」にいるのに対し、
あかりは「物語の外部」で主人公を演じる役割を背負っているのではないかと思います。

この役割の差異が、二人の様々な差異に繋がっているのではないでしょうか。

具体的に説明して参ります。
ごらく部において、会話のきっかけを持ってくることが多いのは、
ほとんど京子であると言えると思います。

例えば原作45話では、京子の原稿をみんなで手伝いますし、
二期四話であった、梅雨の話であるSpecial.2では、すごろくを作ってきました。
intermission.1では、話の要となった蛇のおもちゃを持ってきます。
既にアニメ化もされている39話では、ねんどを持ってきます。

このように、例を挙げようとすれば枚挙に暇がありません。
京子が何かを持ってきて、あるいは「みんなでやろうよ」と言うことで、
物語が始まるというのは『ゆるゆり』の持つ代表的な一つの型と言えます。
換言すれば、それによって京子が物語を創出しているのであり、
それゆえに「物語の中心」にいます。

京子は持ってくるものや、その言葉でみんなを巻き込んでいくために、
彼女は物語の中心にいるということです。
京子の「盛り上げ役」というイメージは、ここから生まれてきます。

それに対して、あかりは「物語を作る」、あるいは「巻き込む」役割を担っていません。
これがあかりを「影が薄い」キャラクターとして成り立たせている一因と言えます。
あかりは物語を作るのではなく、巻き込まれていく、振り回されていく側であって、
結果として、作られていく「物語の中心」にはいません。

かつ、その「物語」の中で相対的に目立たない、あるいは、
主に京子によって「影が薄い」ことをいじられることによって、
「影が薄い」キャラクターとして成立し、認識されています。

しかし、あかりがそれゆえに「主人公らしくない」、
「影が薄い」だけのキャラクターなのかというと、
私は全くそのようには考えていません。
あかりはある条件下において、すさまじい目立ち方をしています。

その条件こそ、「物語の外部」にいる、ということです。

それが最も顕著なのが、今回アニメ化されたintermission.6です。
あかりが唯一、電車に乗り遅れてしまい取り残されてしまいます。
ご存知のように、このお話はほとんどあかりの行動で構成されています。
「影が薄い」はずのあかりが、何故これほどまでに目立てたのでしょうか。

仮にこのお話だけのことであれば、特例とみなしてもいいかも知れません。
しかし、他にも事例は存在します。
そのうちの一つが、今回の四番目のお話です。
櫻子と向日葵は、外で一人のあかりの姿を見つけて、しばし観察に耽ります。
ここでもあかりがしばらくの間、中心的に語られることとなります。

この二つのお話に共通するのは、あかりが「物語の外部」にあるということです。
すなわち、どこかに京子が主に作り出していくような物語、本筋が存在しているとき、
その外において主人公を演じるのが、あかりなのです。


前者については、みんながプールで遊んでいる裏で、
あかりが主人公を演じて目立っていました。
後者も櫻子と向日葵の物語がある裏で、あかりが別の物語を紡いでいたと言えます。
これがあかりの持つ「外部性」であって、そこであかりは主人公たりえるのです。
これは、京子の「積極性」、そこから派生する「内部性」と対照的なものです。
そしてこの性質ゆえに、本来描かれるべき物語の内部においては、
非常に「影が薄い」と見なされることになります。

ある意味、この「物語の外部」において主人公を演じるということの極致が、
アニメ二期一話における「あかりの夢」のパートでした。
あの中では、あかり一人だけが眠ってしまって、
他のごらく部メンバーが楽しんだであろう、電車内の会話から疎外された上で、
すなわち本流と言える「物語」から抜け出た上で、主人公をやっているのです。


さて、京子が「人と積極的に関わる」ことで目立っているのに対し、
あかりが「一人でいる」ことで目立っているという好対照は、
以上に述べた物語における立ち位置の違いから発生してきています。

京子は物語を作り、「物語の中心」にあるという役割の延長で、
人に積極的に絡んでいくのであり、
あかりは、「物語の外部」にあるという役割の延長で、
一人でいることにより目立っているのです。


今回は、京子が積極的に絡んでいく話と、
あかりが一人で目立つ話が交互に現れたため、このことが明瞭であったと思います。

五話「日本の夏、ゆるゆりの夏」は、敢えてそのような構成にして、
物語を作り、「物語の中心」である京子と、
「物語の外部」において主人公であるあかりという、
『ゆるゆり』の両側面を見事に対比しながら描いたと言えるのではないでしょうか。




以上です。

向日葵の家が明確に団地であるとされていたので(前からでしたっけ?)、
ちょっと原作と差異があり、この辺りも気になる点ではありましたね。
私はアニメと原作の差異から何かを考えていくのは少し苦手なので、
そうしたことをしっかり考えてらっしゃる方がいたらお話を伺ってみたいものです。

さて、来週は再びのコミケ(コムケ)回ということで、完全にオリジナルだと思います。
脚本は、あおしまたかしさん。
二期第一話において、「あかりの夢」パートというはっちゃけたことをやって下さった方なので、
今度はどのようなお話になるのか、今から楽しみですね。

また、「再びのコミケ(コムケ)」ということで、
アニメのメタ排除の方針はどうなるのかも見ていきたいと思います。
学年は変わっていないのに、再びコムケに行くという不思議な状況は、
無視していくのか、それともいじってネタにしていくのか。

それではまた来週感想を書こうと思います。

テーマ:ゆるゆり
ジャンル:アニメ・コミック

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