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空想文学小説みたいな「私」と「君」のラブストーリー ――『空想文学少女』の二番の視点についての一考 (七尾百合子『空想文学少女』考察)

2016.03.06 17:16|アイドルマスター
今回は、『アイドルマスター ミリオンライブ!』に登場するアイドル、
七尾百合子が歌う『空想文学少女』の歌詞について考えます。
百合子本人を想起させる、歌詞中に登場する「空想文学少女」が、
図書館での「恋のはじまり」の物語を空想する本曲。
今まで語られていたことは空想であったということが、
最後の最後に明かされる点がこの曲の一つの特徴と言えます。
単なるラブストーリーを歌うのではなく、
あるラブストーリーを空想する様を歌うところが、
これ以上なく七尾百合子というアイドルらしいのです。
この記事では、この曲の特に次に掲げる部分について考えたいと思います。

 深呼吸で開いた裏表紙
 ほんの少し君に近づく瞬間
 薄汚れたカードに記された
 右上がりの5つの文字 (『空想文学少女』)


この部分の歌詞について、考えるべき一つの問題としては、
「右上がりの5つの文字」が何なのかということが挙げられます。
本の裏表紙を開いて、そっと目にする「薄汚れたカード」に記された五文字。
これは、今では最早珍しくなりつつある、
図書館の貸出票に書かれた名前のことだと考えられます。
それでは、この名前は、誰の名前と考えられるでしょう。
私は、空想している文学少女が自身を重ねているであろう、
かつて「君」に本を取ってもらった側の名前であると思います。

というのも、「5つの文字」が「君」の方の名前だとすると、
それが三文字でもなく四文字でもなく、
五文字であるという理由が付かないと思うんですよね。
仮に「君」を想う側の名前だとすると、5文字にした理由は歌い手から導けます。
すなわち、七尾百合子は、漢字で五文字に違いないのです。
歌い手である百合子が重ねられているであろう、
歌詞の中の空想文学少女が、自分のことを重ねているであろう、
「君」を想う側の名前が五文字なのは、
その人に百合子が投影されているからと説明が付きます。

仮に貸出票に書かれた名前を、一番で本を「君」に取ってもらった側だと考えると、
この曲を二通りの意味で読み解くことができます。
すなわち、一番から二番までを通して「本を取ってもらった側」からの視点と読む方法と、
一番は「本を取ってもらった側」からの視点で、
二番は「本を取った側」からの視点と読む方法の二通りが存在します。

前者と後者で、先の「5つの文字」の周辺の部分の解釈が変わってきます。
以下では、分かりやすさを重視して、
一番で本を取ってもらった側を「私」と、本を取った側を「君」と呼ぶこととします。

第一の読み方では、裏表紙を開いて「ほんの少し君に近づく」ということは、
「私」が、本の貸出票に書かれた「君」の名前の下に、自分の名前を書くことを意味します。
こう読むと、「5つの文字」が「右上がり」になっている理由を、
「君」への想いが募って無意識に名前を段々近づけてしまったためと読めます。
「私」は、自分の書いたそんな自分の名前を見て、
自分の想いを改めて確知していたのかも知れません。

対して第二の読み方では、裏表紙を開いて君に少し近付くということは、
「君」が、本の貸出票に書かれた「私」の名前を知ることを意味します。
一番の恋のはじまりのエピソードは、本を取ってもらった側ばかりでなく、
本を取った側にも恋をもたらすもので、「君」の方が「私」の名前を調べたという解釈です。

一番と二番で視点が転換しているという第二の読み方の方が、
ぶっとんだ読み方である気がしますが、このように読むと、
一番と二番の末尾の歌詞が異なる理由を滑らかに説明できます。
すなわち、二番の末尾で、「恋愛小説」の歌詞の前に、
「空想文学小説(ゆめ)みたいな」という歌詞が加えられている理由です。
一番と二番の末尾を順に引用します。

 向かい合わせ いつの日かきっと…
 なんて恋愛小説(ラブストーリー)は
 今日もフィクションのままで (中略)

 向かい合わせ いつの日かきっと…
 なんて空想文学小説(ゆめ)みたいな
 君との恋愛小説(ラブストーリー)は
 今日もフィクションのままで (『空想文学少女』)


第二の読み方だと、一番が終了する時点と二番が終了する時点で、
物語の意味合いが変わっています。
すなわち、一番の時点では、本を取ってもらった側の「片想いの物語」ですが、
二番の時点では、相手も同じ気持ちであったことが語られて「両想いの物語」になっているのです。

だからこそ、二番の末尾では「空想文学小説(ゆめ)みたいな」という、
形容詞が加えられているのではないでしょうか。
一番の時点での「片想いの物語」が、二番の時点では、
「両想いの物語」になったことを受けて初めて、
「空想文学小説(ゆめ)みたいな」という一節が加わったのです。

第一の読み方と異なり、第二の読み方だと、
二人とも抱いている恋の気持ちは同じですが、
お互いにそのことを知らないという「両想いの物語」になります。
空想している文学少女にとって、その両想いの状態こそ「空想文学小説(ゆめ)みたいな」ものであるため、
二番だけにそれを加えていると読めるのではないでしょうか。


私は、第二の読み方の方がアクロバットな読み方であると確信していますが、
それでも、どちらかというとこちらの方で読みたい気持ちもあるんですよね。
というのも、曲中の片想いの物語「的な」ものは、
空想文学少女に重ねられているであろう歌い手の百合子は既に経験しているかも知れないためです。
百合子のプロデューサーへの想いを、片想いと断定することはできないにせよ、
それと同等に大切な想いであると考えることはできるように思います。

今まさに近いものを経験しているかも知れないところの片想いの物語を、
百合子が「空想文学小説(ゆめ)みたいな」と評するだろうか。
そう考えると、『空想文学少女』で空想文学少女が綴るのは「両想いの物語」で、
それをこそ「空想文学小説(ゆめ)みたいな」と述べたと考える方が合っているような気がするのです。

とは言え、歌が歌い手のことを表わしたものであると必ず読む必要はないでしょうし、
現に『アイドルマスター』の曲においては、明らかに、
「アイドルの持ち歌≠アイドル本人を歌った歌」であることもままあるため、
「空想文学少女」を百合子と重ねる絶対的な正当性は主張できないでしょう。
しかし、この曲の歌い手が百合子であることに意味を見出すのだとすれば、
『空想文学少女』という曲の一つの考え方として、上記のものを提出することができます。

いずれにせよ、『空想文学少女』は、まるで一篇の小説のように、
様々な解釈の可能性を含んだ作品であると、私は思います。
今一度曲を聴きつつ、その歌詞について考えてみるのも面白いのではないでしょうか。


テーマ:アイドルマスター
ジャンル:アニメ・コミック

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