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そのままであることと変わっていくことの両立 ――第二話と第三話の対照性から (アイドルマスター:第三話考察)

2015.06.07 15:39|アイドルマスター
今回は、現在再放送中でもあるアニメ『アイドルマスター』の、
第二話と第三話について考えてみたいと思います。
伊織たちが宣材写真を撮る際に大切なことを学ぶ第二話と、
雪歩が小さな村での舞台に上がるに当たって勇気を持って決意する第三話。
この連続する二つの話における、一見相反するテーマに注目します。

つまり、第二話は伊織たちが華美な服で着飾っていたところから、
個性を大事に、彼女たちの素のままで写真を撮るところに至る流れなのですが、
第三話は逆に、みんなが私服でステージに出ているところから、
雪歩の全力の着飾りに至る流れとなっています。
それゆえに、次のような疑問が浮かびます。
すなわち、第二話では伊織たちが華美な格好をやめる流れの中で、
アイドルがそのアイドルらしく在ることが提示されたのにも係らず、
第三話では雪歩が全力で着飾ってステージに臨むことが提示されたことは、
如何なる意味を持っていたのかということです。

第三話で着飾ってステージに出た雪歩は、
その格好からして、必ずしも雪歩らしくはなかったと考えられます。
むしろ「今までの雪歩らしさ」から脱け出ていくことが、あの姿には表れていました。
伊織たちらしいままであることを描いた第二話の直後に、
そのテーマと対立するように見える第三話があったことに、
如何なる意味を見出せるのでしょうか。

けだし、第二話と第三話の対照性は、アニメが全編を通してテーマとしていた、
一見して背反する大きな二つのテーマを早くも象徴するものであったと思います。
つまり、アニメは、「そのままであること」「変わっていくこと」をいずれも肯定する作品でした。

終盤から劇場版にかけての展開が分かりやすいですが、そこでは765プロの面々は、
これまでのようにいっしょにいられるよう努力するとともに、
これから変わっていくことを否定せず進んでいこうとしていました。

一方でいっしょにいるままで他方で変わっていくことが、
アニメの提示していたテーマであったのです。

このように、765プロという単位においては、
765プロが「そのままであること」と「変わっていくこと」のいずれもが否定されずに、
両立されていく流れを取るのですが、これがアイドル個人という単位においても、
全く同じように提示されているのが第二話と第三話なのではないでしょうか。

つまり、一方で第二話で「個性」が強調され、
アイドルがそのアイドルらしく在り続けることが肯定されるのですが、
他方で第三話で「成長」が強調され、
アイドルが変わっていくことが肯定されるのであり、
ここで「そのままであること」と「変わっていくこと」が両立されて描かれています。

そう考えると、着飾った服を脱ぎ捨てる第二話と、
服を取って着飾る第三話の展開の対照性も、
意味があるものとして理解できるのではないかと思います。
この二つの話は、一見背中合わせで、
それでいてアニメが両立させていかんとするテーマを、
早くも打ち出しているワンセットであったのです。


テーマ:アイドルマスター
ジャンル:アニメ・コミック

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