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誰かに「残される」のではなく、私が「残る」ということ

2014.10.19 17:47|零シリーズ
零 ~濡鴉ノ巫女~零 ~濡鴉ノ巫女~
(2014/09/27)
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今回は、先日発売しました『零』の最新作について考えていきます。
以下、物語についての言及が含まれますので、これからプレイされる方はご注意ください。
もしよろしければ、少々お付き合いいただければ幸いです。

それでは、『零~濡鴉の巫女~』について考えていきましょう。
今回は、夕莉に関する次の問題に焦点を当てていこうと思います。
すなわち、夕莉は交通事故でただ一人「残された」人物でありながら、
何故そのことについて、作中でほとんど言及がないのかという問題です。
ここは、これまでの『零』、特に刺青の聲との対比の中で、
極めて特異に映る部分であると思います。
家族を事故で亡くしたということは、夕莉の物語にほとんど絡んできていません。
このことが意味するものとは何であったのでしょうか。
今回は、このようなことについて掘り下げて考えてみたいと思います。

まずは、彼女の物語を簡単に確認いたします。
濡鴉の巫女は、交通事故で家族を亡くしてから、
「ありえないもの」を見てしまうようになった夕莉が主人公の一人として、
自分を救ってくれた恩人である密花を探すというのが物語の軸になっています。
夕莉は最終的に密花を発見して連れ戻すことに成功しますが、
日上山と深く関わり過ぎた彼女は山に惹き寄せられ、
自分と似た境遇の濡鴉の巫女・逢瀬の前で一つの決断をします。

行くのか残るのか。

逢瀬の二重の想いのいずれかを読み取った夕莉は、
彼女とともに堕ちていき、又は密花とともに現世に居残ることになるのです。
これが夕莉の物語の、非常に簡潔な流れと言えましょう。
彼女については、人物についてのメモに次の記述があります。

交通事故で家族を亡くし、自分一人だけが生き残った時から、
死者の姿や、他人の記憶・想いなど「ありえないもの」が見えるようになった。
その後、普通の生活に戻ろうと努めたが、
周囲や医師にはその症状がショックによる一時的なものとしか理解されず、
次第に孤立していった。 (「人物:不来方夕莉 二」)


重要なのは、夕莉は家族の中で唯一現世に「残された」人物であるということです。
「交通事故で家族を亡くし、自分一人だけが生き残った」という部分は、
刺青の聲における怜を思い出させます。
怜の物語もまた、交通事故で優雨を亡くしたところから始まったのでした。

しかし、夕莉が特徴的なのは、彼女は「残された」人物でありながら、
このことが全然強調されていないということです。
すなわち、亡くした優雨への気持ちが強調されていた怜とは異なり、
夕莉の場合は、亡くした家族への気持ちが全く強調されていないのです。

夕莉は家族を事故で失ったということは上述のとおり明らかになっていますが、
家族との関係については物語中でほとんどノータッチであり、よく分かりません。
これについては物語中でほぼ省略されていると言えましょう。

このような一見奇妙な省略は、月蝕の仮面でも行われていたところです。
すなわち、月蝕の仮面においては、流歌と、
円香たちの間に関わりがあったのは明らかになっているわけですが、
ここについて物語中ではほとんどノータッチでした。
この理由については、それ以上に強調すべき事柄があったためと整理できます。
流歌の場合、それは「両親との関係」でした。

つまり、流歌が円歌たちと面識を持っているにもかかわらず、
海咲と円香とは対照的に、物語中でほとんど関わりを持たないのは、
彼女の物語の主軸が両親との関係、
特に父親の記憶という部分にあったためであったと考えられます。
流歌の物語はあくまで親子の物語であったために、
円香たちとの関係まで言及がされなかったのです。

同じように夕莉が家族のことが語られず省略されている点に、
夕莉の物語が「残された」こととは別にテーマを持つものであることを見出せます。
現に自殺に際しても、「残された」ことはほぼ言及されていないのです。

夕莉の自殺未遂の直接の原因は、死の側が見えることにより抱かれた、
自分がいるべきなのはこちらではないという意識であって(「夕莉のノート 二」)、
例えば、家族を失った罪悪感が原因という形では語られていません。
先に引用した「人物:不来方夕莉 二」から分かるように、
夕莉は事故にあって残された時点では、
「普通の生活に戻ろう」とすることができていました。
夕莉の自殺の直接の契機は、家族に残されたことではなく、
「死の風景」に触れ続けたことであったことが分かります。

つまり、夕莉の自殺には家族に「残された」ということがほとんど絡んでいません。
夕莉の物語においては、交通事故で家族に残されたことよりも、
交通事故を契機にありえないものが見えるようになったことが重要で、
そのことが一貫して強調されているのです(「不来方夕莉:死の風景」)。


とは言え、「残される」ことが全く強調されていないわけではありません。
九ノ雫で深羽に連れ戻された後、夕莉は彼女との会話の中で次のように語っています。

「どうしてここに?」
「私も…見えるから…多分、あなたより
 人と違うものがみえるのが怖い?
 私には何もない だから、何も怖くない」
…いえ、あなたも怖いはずよ 一人で残されるのが」 (九ノ雫)


ここで夕莉は「あなた”も”」と言っており、
自分も一人で残されるのが怖いことを暗に認めています。
ここと、密花を取り返そうとする夕莉の姿を合わせて鑑みると、
夕莉は密花との関係においては、「残される」ことを考えているのです。

しかし、夕莉は物語中で確実に密花を助けて早々に連れ戻すことができます。
「残される」可能性を恐れながらも、実際に「残される」ことはなかったのです。
終ノ雫で問題となるのは、あくまで夕莉自身がどう決断するかということで、
既に誰かに「残される」ということではなくなっていました。
以上を踏まえると、夕莉の物語で「残される」ということは、
全く物語中で取り上げられないわけではありませんが、
やはり中心的なテーマではなかったと言えるでしょう。
これは『零』作品の中においては、極めて特徴的な点であると思います。

というのも、『零』はどの作品においても、「残される」ということを強く描いてきました。
真冬に遺された深紅、繭に遺された澪、優雨に遺された怜。
月蝕の仮面においては、海咲が朔夜や円香に遺されました。
あるいは、流歌も、その顔をやっと思い出したまさにその瞬間に、
父親に置いていかれてしまうのです。
このように『零』はシリーズを通して、「残される」ということを描いてきました。

この流れに従うのであれば、主人公はむしろ密花の方であったのではないでしょうか。
現に最後に残されるか否かというぎりぎりのところに立たされるのは彼女であるためです。
それが濡鴉の巫女では、夕莉の方が主人公で、自分が行くのか残るのかを決めるのです。
ここが、濡鴉の巫女という作品が、これまでの作品と一線を画するところだと思います。
誰かに「残される」のでなく、私が「残る」ということを描く。

結論として、これまでの作品とは対照的に、
夕莉の物語は「残された」を主なテーマとしていません。
夕莉の物語は、むしろ「残る」ということをテーマとしています。
他律的な「残される」でない、自律的な「残る」。
自分で行くのか残るのかを決めることが、テーマであること。
このことが、夕莉は交通事故で「残された」にもかかわらず、
それについて作中でほとんど言及がないことから分かるのではないでしょうか。



○関連記事

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テーマ:零シリーズ
ジャンル:ゲーム

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