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ポジティブでない風浦可符香は存在したのか

2012.06.30 23:19|さよなら絶望先生
『さよなら絶望先生』が終了して早くも二週間が経過しました。

八月発売の単行本では、何か付け足しが入るのだろうかと、
今から楽しみにしているのですが、
その前に私の中でどうしても決着を付けておきたい問題があります。

それが、「ポジティブでない風浦可符香は原作中に存在するのか」という問題です。

「ポジティブでない風浦可符香」?
「赤毛のアン」的な性格が託され、最後には「天使」と譬えられた彼女が、
本来は「ポジティブ」でなかったとでも言うのだろうか。
何を馬鹿げたことを言っているのか。

そのような考えはもっともであると思います。

しかし、連載終了前から風浦可符香に関するそのような言説は多くありました。
私がその方面で最も影響を受けたサイト様は、閉鎖されて久しくなってしまいましたが、
そこだけに留まらず、多くの場所で風浦可符香に付きまとう「影」のようなものに関して、
あるいはポジティブに映る彼女の「裏側」に関しては語られてきたように思います。
斯く言う私も、周囲とそのことについて幾度か議論した覚えがあります。

それらの考察は、私が風浦可符香という少女に惹かれ、
また『さよなら絶望先生』という作品により没入していった一因とも捉えられるものでした。
だからこそ終了した今、この問題について是非とも考えてみたいと思った次第です。

具体的には、「ポジティブでない可符香」が作品内で表現されていると言えるかを探っていきます。

もしよろしければ、お付き合いください。
追記からお願いいたします。




○「ポジティブでない風浦可符香」とは何か


まずは、「ポジティブではない風浦可符香」に関する私の考えについてまとめようと思います。

可符香は、登場時から「ポジティブ」であり、望とは対照的な人物として表れていました。
しかし、その「ポジティブ」であるという性格が、どこか不自然なものであることは明らかで、
彼女は「どう考えてもネガティブにしか捉えられない事柄」をもポジティブに捉えます。

ここは望と完全には対照的にはなっていません。

望は「他人はネガティブに捉えない事柄」をネガティブに解釈しますが、
「どう考えてもポジティブにしか捉えられない事柄」をネガティブに捉えることはしません。
可符香はその逆を、電波的な、あるいは超現実な考え方を用いてたやすく行います。

最も顕著に表れているのが、彼女自身の家族の自殺に関する描写です。

私のお父さんもよく 身長を伸ばそうとしていました
辛いことがあると お父さんはいつも身長を伸ばそうとしていました
お母さんもあのときばかりは 身長を伸ばそうとしていました(1話)


この辺りに、「過剰なポジティブ思考」を見出すことができます。
それは望の「ネガティブ思考」と比べて、度合としてはそれよりも圧倒的に大きいものです。

特に上述した場面などに表れている、不幸な家庭環境を鑑みると、
彼女のポジティブな性格との間に明らかな乖離を見出すことができます。
幸せな環境で育てば、そういった性格になるかも知れません。
しかし、逆に不幸な環境とそうした性格は、一般的に考えて結びつきません。

不幸な家庭環境と、過剰なポジティブ思考。

この不釣り合いな二つの要素が両立しているという不可思議な事実から、
「実はポジティブではない風浦可符香」という考え方が生まれたように思います。

すなわち、可符香は生来ポジティブではなく、
自分の直面することとなった、あまりにも不幸な状況から精神を守るために、
ポジティブ思考を後天的に身に着けたのではないかという考え方です。


この考え方は、作中で表れている可符香の「信仰」や「電波」、
「人の心のスキマに付け込む」などの特徴と親和的であり、
ゆえに彼女が出て来るよく二次創作などでは使われたイメージが私にはあります。
ちなみにこの考え方の下では、7話の腕の包帯はリストカットを表しているという説もありました。

以上の考えの提示は「理解の出来ない存在」である風浦可符香という少女を、
理解することができる「人間」として捉え直す試みであったということができます。

不幸な家庭環境から精神を守るために、無意識のうちにポジティブ思考を、
超現実的なものへの信仰を、世間を渡るための人心掌握の術を、
手に入れていったというのは、極めて人間的で分かりやすい説明です。

「ポジティブでない風浦可符香」という考え方を言い換えるのなら、
理解可能な「人間としての風浦可符香」という言い方ができると思います。



○作中の「天使としての可符香」


正直に申し上げれば、私は最終話以前、上述したような「ポジティブでない風浦可符香」が、
次第に露わにされていくことになるのではないかと予想していました。
しかし、ご存じの通り、その予想は見事に裏切られることとなります。

『さよなら絶望先生』は、「天使としての風浦可符香」を描きました。

各所で彼女の周りに浮かぶ白い羽や、300話の表題は象徴的です。
可符香には「天使」のイメージが付与されていくことになります。

以前の記事でも述べましたが、この「天使」のイメージは、
「人間からの逸脱」を示すものであるように思います。

智恵先生の300話での言葉を見れば、それはまず命を絶望少女たちに託した、
母のような存在である可符香に向けられた言葉なのですが、
同時に「人間」でない、「天使」のイメージを背負わせることで、
一般的には考えられない彼女の性格、特徴を説明しているとも取り得ます。


過剰なポジティブ思考も、この文脈で説明されていると考えることができます。

301話での命の言葉を引用してみましょう。

余談ですがカフカさんは
セロトニントランスポーター遺伝子LL型の持ち主だったんです
通称ポジティブ遺伝子
死を決意した彼女達が術後一転して生きようとしたのは
そのせいもあったのかもしれませんね(301話)


ここで、可符香のポジティブ思考に関する理由付けが唯一行われています。
それは、先述したように「ポジティブでない可符香」を想定し、
彼女の性格が後天的に「作られた」と言うのではなく、
彼女が遺伝子によって先天的にポジティブであったと認めています。

つまり、彼女の不思議な、どこか不気味ですらあるポジティブ思考は、
敢えて作られたものではなく、もともとそうであったと言っているわけです。


可符香の特殊性がそのまま受け入れられています。

可符香のポジティブ思考を、後天的に「作られた」ものと考えることが、
特殊な事実を一般的な事実に落とし込み、「人間」として捉え直すことと言える一方、
先天的にそうである理由があったとする命の考え方は、
特殊な事実をそのまま受け入れ、特殊な存在、
すなわち「天使」として考えることと言えるのではないでしょうか。


命は医師の立場から極めて科学的な見解を示しているに過ぎないのですが、
彼女の特殊なポジティブを「作られたものではない」と認めていることで、
風浦可符香という「天使」の存在を擁護していると考えられます。

結論として、以上の点を鑑みれば、作品は風浦可符香を「人間」としてではなく、
「天使」として描き抜いたのであり、「ポジティブでない風浦可符香」は、
作中には存在しなかったと言えると思います。




○作中に辛うじて表れる可符香の「影」


「実はポジティブでない風浦可符香」という考え方は、作中には採用されず、
むしろ「天使」として、その特殊性を是認したと、以上では語って参りました。

しかし、以下の一箇所に関して言えば、その考え方が求めていた、
「人間としての可符香」が垣間見えたのではないかと言うことができると考えています。
その場面は、278話にありました。

その箱の中には希望ではなく 絶望がいました
それが私達にとっては 希望だったんです。(278話)


このインパクトのある語りは、追加ページを見ても分かるように、
絶望少女全員の総意として語られたものですが、最初にこれを語るのは可符香でした。

作中の可符香は、誰かが演じているものではありますが、
以上の言葉は可符香その人、すなわち杏の言葉でもあったことでしょう。


300話の末尾の語りは、演じられた可符香が、
本人でもあることを象徴的に表していると取ることができます。

演じているのは絶望少女たちの側であり、可符香は演じられる側である一方で、
同時に彼女は絶望少女たちに、主体として「変身している」

隣の女子大生たちのように、可符香が変身しているという表現は、
誰かに演じられた可符香が出現するとき、
それは同時に彼女本人が動いていることでもあることを、
示しているとは取れないでしょうか。


だとすれば、既述の語りも絶望少女たちのものでありながら、
可符香本人(杏)の語りとも考えられるはずです。

そして、絶望こそが希望であったと、絶望少女たちと同列に述べる可符香にこそ、
「実はポジティブでない可符香」を辛うじて見出すことができます。

他の絶望少女たちが抱えていたような「影」を、可符香自身も抱えていないと、
この言葉は成立しないためです。

結論として、『さよなら絶望先生』は、主として「天使としての可符香」を描き、
「実はポジティブでない可符香」など存在しないような結論なのだけれど、
278話の語りにおいては、辛うじて「人間としての可符香」の影のようなものが、
全く語られずして表されていると取ることも可能だと考えます。




今回は「実はポジティブではない可符香」という考えから掘り下げてみました。
以上で取りあえずの終了です。

まだ単行本での追加がありそうなので、そのとき改めて考えるかもしれません。

72話でのあびるの語りによれば、角膜の前の持ち主を轢き逃げした車のナンバーが、
よくフラッシュバックしていたらしいので、「変身」することがなければ、
絶望少女たちに憑依していた霊たちと同様に、
生への執着から杏も現世に留まったのかなとも思います。
轢き逃げ犯を少なからず恨んでいたのかも知れません。

しかし、そうしたことは可符香の口からは語られず、
だからこそ彼女に「天使」としてのイメージが託し得たのだと考えています。


ラストシーンでも、彼女は何も語らない。
ゆえに、「天使」呼べるのではないでしょうか。

テーマ:さよなら絶望先生
ジャンル:アニメ・コミック

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