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「意志」と「いま」の物語へ (ラブライブ!二期一話考察)

2014.04.20 09:04|ラブライブ!
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今回は、二期が始まりました『ラブライブ!』について考えてみたいと思います。
ラブライブ出場に消極的だった穂乃果に火をつけ、再び走り出したμ'sの九人。
一話では、一期のテーマを踏襲しつつも、新たなテーマを提示し始めた気がします。
このことは、『ラブライブ!』を「スクールアイドル」のアニメとして見ることで分かります。
この記事では、『ラブライブ!』が単なるアイドルではない、
スクールアイドルを描いていく物語である意味を考えつつ、
二期に至って新たに提示され始めたテーマについて指摘していきます。
私は、一期は「意志」の物語であったのに対し、
二期は「意志」「いま」の物語になっていくのだと思うのです。

それではよろしければ、一期の内容も思い出しつつ、少しの間お付き合いください。



○『ラブライブ!』二期一話:「意志」と「いま」の物語へ


スクールアイドルを描くという点は、『ラブライブ!』の大きな特徴の一つであると思います。
アイドルを描く作品であれば世に数多ありますが、
スクールアイドルなるものを描く作品は、他にはなかなか見つけられないでしょう。
それではスクールアイドルは、(プロの)アイドルとどこが異なっているのでしょうか。
スクールアイドルを描く物語は、どこでアイドルを描く物語と区別されるのでしょうか。

一期では明らかに、「意志」が両者を分ける鍵として提示されています。
スクールアイドルの物語ではアイドルの物語よりも、相対的に「意志」が重要なのです。
スクールアイドルをやりたい、やってみようという「意志」。
もちろん、アイドルを描く物語においても、こうした「意志」は重要でしょう。
しかし『ラブライブ!』という物語においては、他の何よりも「意志」が突出しているのです。
これはスクールアイドルと(プロの)アイドルの性質上の違いより生じています。

スクールアイドルと(プロの)アイドルの違いは、以下の二つの場面によって説明されています。
順番に確認してみましょう。
第一に、一期四話でことりが花陽に次のように述べる場面です。

「小泉さん」
「スクールアイドル本気でやってみない?」
「ええ!? でも、私、向いてないですから」
「私だって、人前に出るのは苦手です。向いているとは思いません」
「私も歌忘れちゃったりするし、運動も苦手なんだ」
「私はすごくおっちょこちょいだよ!」
「でも……」

プロのアイドルなら、私たちはすぐに失格。
 でも、スクールアイドルなら、やりたいって気持ちを持って、
 自分たちの目標を持って、やってみることができる!

「それがスクールアイドルだと思います」
「だから、やりたいって思ったら、やってみようよ」 (一期四話)


スクールアイドルはアイドルとは異なり、それになるに当たって、
厳しいオーディション等を突破する必要がありません。
ただ「やりたいって気持ち」があればスクールアイドルになることができます。

つまり、入口に関門がないのです。

このことは、スクールアイドルとアイドルを決定的に区別します。
(プロの)アイドルであれば、パフォーマンスは仕事であり、
才能や努力、それらの結果としての歌やダンスの技術は絶対に要求されます。
だからこそ、入口には厳重な関所があり、ほとんどの入場を拒否するのです。
「意志」だけで直ちになることができるスクールアイドルと、なれないアイドル。
比較してみると、スクールアイドルの場合は「意志」だけに重点が置かれます。
入口の関門の有無が、スクールアイドルとアイドルを分離していると言えます。

第二に、一期十二話で穂乃果が辞めてしまう場面です。
スクールアイドルは仕事ではないため、辞めようと思ったら、
穂乃果のように簡単に辞めることができてしまいます。
アイドルであれば、仕事であるという義務感や責任感から続けるかも知れません。
しかしスクールアイドルの場合、「意志」がないなら比較的楽に辞められるでしょう。

つまり、出口にも関門がないのです。

相対的に簡単に辞めることができてしまうのがスクールアイドルです。
「意志」がなくても、続けなければいけないというような精神的な圧力が小さい。
このことも、スクールアイドルとアイドルを明白に分離しています。

以上の二点よりスクールアイドルは、より「意志」の上に成り立っていると言えます。
そしてこのことが、それを(プロの)アイドルとは区別するのです。

「意志」があっても「才能」がなければなることはできず、
「意志」がなくても「義務感」ゆえに相対的に辞めることが難しい。

このように「意志」以外のものも重要性を持ち得るアイドルと比べれば、
スクールアイドルは「意志」のみが特に重要性を持つと言えます。
だからこそスクールアイドルを描く物語である『ラブライブ!』一期は、
一人ひとりの「意志」を八話までかけて描いた上に、十二話から更にもう一回描いたのです。

穂乃果の脱退と再加入が再度描いたものは、彼女の「意志」に他なりませんでした。
また、だからこそ理事長は、絵里の生徒会としての活動をしつこいくらいに拒否し続けたのです。
絵里の「義務感」に対して、一人ひとりの「意志」が持ち上げられていました。
一期は徹底的に、スクールアイドルになろうという「意志」を強調する物語であったと言えます。

こうした「意志」の物語という路線は二期一話にも引き継がれていました。
すなわち、そこでは「何をやるべきか」を考えて動けなくなった穂乃果が、
仲間の言葉を受け、「何をしたいか」で動き出すという流れで話が進んでいきます。

「また自分のせいで、みんなに迷惑をかけてしまうのではと心配しているんでしょう。
 ラブライブに夢中になって、周りが見えなくなって、
 生徒会長として、学校のみんなに迷惑をかけるようなことはあってはいけない、と」

「全部バレバレだね。始めたばかりのときは、何も考えないでできたのに、
 今は何をやるべきか、分からなくなるときがある。
 でも、一度夢見た舞台だもん。やっぱり私だって出たい!
 生徒会長やりながらだから、また迷惑かけるときもあるかもだけど、
 本当はものすごく出たいよ!」 (二期一話)

 
ここでは、一期十話で暴走してしまったことと、生徒会長という立場であることを考えて、
穂乃果が自分の「やりたいこと」を選ぶことができなかったということが示されています。
生徒会長ゆえに、「何をやるべきか」を考え動けなくなるという点は絵里に似ています。

「うちな」
「希」
「絵里ちと友達になって、生徒会やってきて、ずっと思ってたことがあるんや。
 絵里ちは、本当は何がしたいんやろうって。
 一緒にいると分かるんよ。絵里ちが頑張るのは、いつも誰かのためばっかりで。
 だから、いつも何かを我慢してるようで、全然自分のことは考えてなくて。
 学校を存続させようっていうのも、生徒会長としての義務感やろ!
 だから理事長は、絵里ちのことを認めなかったんと違う?
 絵理ちの、絵理ちの本当にやりたいことは?」

何よ、何とかしなくちゃいけないんだからしょうがないじゃない!
 私だって、好きなことだけやって、それだけで何とかなるんだったらそうしたいわよ!
 自分が不器用なのは分かってる。でも!
 今更アイドルを始めようなんて、私が言えると思う?」 (一期八話)


絵里も一期八話では、皆のためにどうすべきかを考えて、
自分の「本当にやりたいこと」を選ぶことができませんでした。
穂乃果が今回抱えた問題というのは、絵里がかつて経験したものであったと言えます。
一人では、自分の「意志」を選び取ることができない。
穂乃果は仲間の言葉を受けて、初めて「本当にやりたいこと」を表明することができました。
この辺りは、それぞれのμ's加入、あるいは穂乃果の再加入のときと同じ展開を取っています。
二期一話も、一期と同じように「意志」の物語であり続けていたのです。

しかし、そこから二期は、スクールアイドルの別の側面をも取り上げにかかりました。
すなわち、より「いま」であるという側面をです。
スクールアイドルは限られた「いま」しかできないという点で、
(プロの)アイドルとは明白に区別される。
二期一話では新たにこの点が浮上しています。

「そうよ。三月になったら、私たち三人は卒業。
 こうしてみんなと一緒にいられるのは、あと半年」
それに、スクールアイドルでいられるのは、在学中だけ
「そんな……」
「別にすぐ卒業しちゃうわけじゃないわ。
 でも、ラブライブに出られるのは、今回がラストチャンス」
「これを逃したら、もう……」
「本当はずっと続けたいと思う。
 実際卒業してからも、プロを目指して続ける人もいる。
 でも、この九人でラブライブに出られるのは、今回しかないのよ」 (二期一話)


九人での活動がやがて終わるものであることが確認されたことによって、
スクールアイドルは「いま」だけのものであることが強調されています。
より「意志」の産物であるという側面とは異なる、
より「いま」であるという側面が取り上げられているのです。
ゆえに、ここからは同じスクールアイドルの物語と言っても、
「意志」「いま」の物語になっていくのだと思います。
部活もの、青春ものという評価は一期の時点で多くありましたが、
むしろ二期こそ、本当に部活もの、青春ものらしく、
限られた九人の「いま」をも描いていくのではないでしょうか。

OPである『それは僕たちの奇跡』が描くのは、「残された時間」を握りしめて、
限られた「僕たちの季節」を全力で駆けていく「僕たち」の姿でした。
これからμ'sの九人も、かけがえのない「いま」を全力で駆けていくのです。



○関連記事

  自分の想いとの邂逅、みんなの想いとの対峙 (一期全体考察①)

    脱退した穂乃果が、復帰するまでのプロセスを考えました。

  九人のμ'sへの帰着、新しい夢への出発 (一期全体考察②)

    μ'sとはどのようなグループであったのかを考えました。


テーマ:ラブライブ!
ジャンル:アニメ・コミック

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