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天才と凡人の狭間に位置する主人公としてのゆめ (アイカツスターズ!第二話考察)

2016.04.17 17:15|アイカツ!
今回は、放送が始まりました『アイカツスターズ!』の第二話までを見て、
つれづれなるままに考えたことについて記していこうかと思います。
この作品に向かうに当たっては、
前作『アイカツ!』との類似性や差異が半ば不可避に目につくところではありますが、
この記事ではその中でも特に、虹野ゆめという主人公について考えます。
ゆめは、ある意味で、いちごとあかりという主人公を経験したからこその主人公であり、
同時に二人では描き得なかったテーマを描いていく主人公であるような予感があります。
最初の『アイカツスターズ!』の考察として、まずはこの点等について、
考えたことを雑駁に書き記していこうと思います。
もしよろしければ、内容を思い出しつつお付き合いいただけると幸いです。


(1) 天才と凡人の狭間に位置する主人公としてのゆめ

早速ゆめについて考えてみたいと思います。
ゆめは、第一話の卓越したステージと、第二話の普通のステージによって、
「天才性と凡人性を併せ持つ主人公」として提示されていたような気がします。
こうした主人公の下には、天才の主人公でも凡人の主人公でも描き得なかった、
固有のテーマを持つ物語があることが予感されます。

そもそも天才性と凡人性は、正反対の属性であり、
通常同居し得ないものと思われるけれども、万一それが同居してしまった場合には、
きっと自分自身の有する天才性と対峙しなければならないことになるのであって、
それが第二話においても強調されていたところだと思うんですよね。

いちごが当初から一種の天才として描かれてきて、
あかりが当初から一種の凡人として描かれてきた中で、
その両面を同時に持つゆめという主人公は、
これまでにその二人を描いて来たからこその主人公でありながら、
二人が描けなかったテーマを表すだろう主人公であると思います。

(2) ゆめの初めてのセルフプロデュース

第二話は、早くもゆめが自身のうちの天才性に対峙するような話となっていました。
第一話で卓越したステージをやり遂げてしまったばっかりに、
抜群の注目を受けながら、実際は現時点ではそこまでのパフォーマンスができない。
そのギャップに、ゆめは早くも直面することとなりました。
しかし、ゆめはそこで挫けることなく、ローラというライバルの助けも受けて、
自分で自分をプロデュースし、現在の自分でステージに立つに至りました。

この話の勘所は、ゆめがきちんと頑張っているローラの姿を見て、
自分も頑張ろうと志したときに、ローラを真似するわけではなかったというところだと思います。
あの場面でゆめは、自分の問題を解決するためのメニューを自分で考案しているのです。

しかも、ゆめの練習メニューは、空気椅子をしてみたり、バランスボールを使ってみたりと、
明らかに自身の組活動の経験から考え出したものと推察されるのであり、
その意味で現時点でのゆめならではのものであったと思うんですよね。
第二話は、「ゆめの初めてのセルフプロデュース」を描いた話でもありました。

そのため、組活動の場面は、単にそれぞれに個性的な、
各組を描くためだけのものではなかったと思います。
自分でトレーニングメニュー(ひめトレ)を考案して実践するひめに対して、
自分も自分のメニューで頑張るゆめを描いていくというような物語の流れがありました。

第二話は、一方でゆめが自分の天才性に直面する話でありながら、
他方で自分の凡人性(短所)にも向き合い、それを克服する話となっていたと言えるでしょう。

そして、その克服の過程で描かれたのは、第一話から強調されてきた、
花の歌組式なセルフプロデュースの考え方でした。

(3) ゆめたちのステージ後の噂話についての検討

最後に、第二話における周囲のゆめについての噂話に注目します。
ステージ後、ゆめは三人の生徒に、「普通だった」ことについて噂で笑われてしまいますが、
そもそも三人は何故、ゆめのことを笑っていたのでしょうか。
もちろん、三人の台詞のとおり、ゆめのステージが「普通」であったためですが、
それは、ゆめの初ステージは偶然であって、
本当は普通程度の実力しかないと考えたからではなかったように思います。
この点を含めて、噂話については二点触れておきたいことがあります。

まず、この噂話について重要なのは、
最終的に「ゆめが本気ではなかったのではないか」ということが言われていることです。
三人は、必ずしも、ゆめに普通程度の実力しかないと考えて笑っていたわけではありませんでした。

つまり、三人がゆめについて、「本当は大したことない」という主旨で笑っていたなら、
そこに「本気でなかったのではないか」という考えが浮かぶはずもないんですよね。
三人は、ゆめの初ステージが偶然であったと想定して笑っているのではなく、
ゆめの今回のステージが本気でなかったと想定して笑っていたのです。

三人はあの場面で、ゆめに本当は実力があると考えながら、
それでもゆめのことを笑っていたと言えます。
この点、実力で勝る者が劣る者を笑うというテンプレートには必ずしも当てはまらないのです。

ここから、ゆめが本気で今回のステージに取り組まなかったことこそが、
三人にとって笑うべき、噂話の対象であったと考えることができます。
それは、ゆめにいくら実力があったとしても、
ゆめがアイカツに真剣でないことの証左であって、
それこそが実力がないこと以上に重大な問題であったのではないでしょうか。

三人の噂話は、その行為自体は前作にあまり見受けられず、珍しく映ったとしても、
その内容が実力よりも本気度を問題にしているという点において、
「真剣であるべきアイカツ」という意識の現れとも取れると思います。
だからこそ本気でやらないことが問題視され、噂の対象にもなるのです。
アイカツが真剣であるべきであるという意識は、
改めて言うまでもなく、前作においても提示されていたところです。

次に、三人の噂話の場面で特筆すべきだと思うのは、
ローラが三人に言い返した後、三人がそれを素直に受け取り、肩を落としてと去っていくことです。
ローラの言は、必ずしも反駁を許さないものではなかったのにもかかわらず、
三人は捨て台詞の一つもなく去っていくのです。

こういったところを見ると、三人は、嫌な三人組のテンプレートから外れていたと思います。
ローラから言い返されて、自分たちのやっていることが、
「噂して笑っている」ことに他ならないと悟り、それを反省していた感があります。
この点、三人はただの嫌な三人組としてのみ登場させられているわけではありませんでした。

とは言え、三人は噂でゆめを笑ったには違いなかったのですが、
ローラに言われて多分反省している点を鑑みるに、
噂で人を笑うという行為がよくないという感覚はあったと考えられます。
そのため、噂話の場面から、この作品の世界観を無理矢理にでも読み取りたいならば、
噂で人を笑うような生徒がいるということのみに着目するだけでは足りず、その生徒すら、
その行為がよくないことであると認識していそうな点まで、含めて考える必要があるでしょう。

結論として、第二話の噂話に関連して言えるのは、
アイカツで本気を出さないと、ローラのように面と向かって追及するにせよ、
陰口を叩かれるにせよ、問題視されるということと、
噂して笑うということはよくないことという意識が、
噂して笑う側にすらあったのではないかということです。
この一つの描写を取り上げて、そこからこの作品の世界観を読み取ろうというような、
大胆な試みをもし本気でやろうというのであれば、
こういった細部をも含めて答えを出さなければならないと思います。


以上、『アイカツスターズ!』第二話までの物語について考えたことを述べてみました。
個人的には、この作品が持つ前作との差異があったとするならば、
その差異が持ち込まれている意味を考えることこそが重要なのではないかと思います。
それによってこそ、この作品の理解は進み、またそれに伴って、
前作を理解し直すことにも繋がるのではないかと考えます。
今後も、前作について念頭に置きながらも、されどそれを意識し過ぎずに、
『アイカツスターズ!』という作品を考えていきたいと思いますので、
そのときにはもしよろしければ、お付き合いいただけると幸甚の至りです。


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テーマ:アイカツ!
ジャンル:アニメ・コミック

繭にとっての「約束」エンドについての一考 ――必ずしも最良ではない、不確定なはじまりを描くもの

2016.04.10 14:59|零シリーズ
今回は、零シリーズのうちの『眞紅の蝶』について考えていきます。
この作品においては、主に五つのエンディングが用意されています。
「紅い蝶」、「虚」、「約束」、「陰祭」、「凍蝶」エンドの五つです。
今回は、この中でも澪にとって明らかに最良のエンドである「約束」エンドについて、
繭にとってどのようなものであるかという視点で改めて考えてみたいと思います。
これにより、単なるハッピーエンドではない「約束」エンドの側面を、
浮き彫りにすることができるのではないかと考えます。
けだし、他のエンドと比較して、「約束」エンドは極めて特異な位置にあります。
それだけは、二人の行く末を確定させる類のエンドではなかったのです。
以下では、主にこの側面について比較しつつ論じていくつもりです。
もしよろしければ、ゲームの内容を思い出しつつ、お付き合いいただけると幸いです。

それでは、「約束」エンドについて考えていきましょう。
「約束」エンドは、澪にとっては最良のエンドですが、
繭にとってはそれだけでは最良のエンドではないと考えられます。
それは、澪と繭の間で約束が結び直されるだけに過ぎず、
二人が後年一緒に死ぬ時になって初めて、
繭にとってもそれがハッピーエンドとして確定されるのではないでしょうか。

繭にとっては、「一つになる」こと、あるいは「一緒にいる」ことが、
撤回されずに確定される「紅い蝶」、「陰祭」エンドや、
ほぼ確定される「虚」エンドこそ、至上のハッピーエンドだったと思います。
「約束」エンドは繭にとっては始まりでしかなく、
「一緒にいること」が確定される二人の死の間際にこそ、
ハッピーエンドが獲得されると考えられます。

しかし、その私の繭の解釈には、「澪に一人で無事に逃げ帰る」ことを勧めた、
澪を思いやる姉としての繭を看過しているとの批判を当てられるかも知れません。
ああいう場面に現れていた姉としての繭にとっては、
二人で帰ることができた「約束」エンドが紛うことなきハッピーエンドであったと言えるでしょう。

作中において繭は、一つの強固な想いを持つ者として描写されておらず、
様々な、場合によっては相互に対立するような想いを、
同時に複雑に抱え込んでいる者として描写されているので、
繭にとっての「約束」エンドについても一概には評価できないのです。
繭は、それを最良と捉えられそうであり、かつ、捉えられなそうでもある。

ただ眞紅の蝶においては、繭が自分だけ澪に対して置いてかれ得る、
マイナス状態であるという意識を持ってもいたのは確かです。
そして、この不安定状態が唯一解消されるエンドは、
澪が視力を失う「虚」エンドに他ならなかったと思います。
繰り返しになりますが、「約束」エンドは、繭の心理的な不安定状態を必ずしも解消しないので、
その意味では彼女にとって必ずしも最良の選択ではないのです。

だからこそ、「約束」エンドの繭は、微妙な表情で明ける夜を見送るのではないでしょうか。
繭にとっては、自身の足の被傷に対応する澪の被傷によって、
「ずっと一緒にいる」ことが「確定」される「虚」、「凍蝶」エンドと比較して、
澪と繭の間の約束が結び直されたに過ぎず、
相対的に繭の最良とは言えないからこそ微妙な表情をしているのではないかと思います。

そういう感覚を抱きつつ、「陰祭」エンドについて考えてみましょう。
作中の繭の基本的な二つの希望は、①澪と一つになること(紅い蝶)と、
②澪とずっと一緒にいられる保証を得る(虚、凍蝶)ことであり、
澪の最大の希望は、繭と一緒にいられる(約束)ことであるので、
一緒に死ぬという「陰祭」エンドの結論は、
二人の希望が両立されているエンドであると言えると思います。


考えてみると「陰祭」エンドは、「約束」エンドの向こう側を見せてくれたとも思うのです。
仮に生涯にわたり約束が果たされて、繭と澪がともに死ぬことができるのだとしたら、
そのときにこそ初めて二人(特に繭)は、
「陰祭」エンドの二人のように安らかな表情で眠り救われるはずです。
その意味では、「約束」エンドは、今後のハッピーエンドに続き得るエンドであり、
「陰祭」エンドは、その今後のハッピーエンドを仄めかすようなエンドです。

実際、陰祭エンドにおける繭の幸福そうな姿は、
最後まで澪と一緒にいられたという「確定」の事実によると解釈でき、
その点から見ると、「約束」エンドは澪にとっては最良のエンドですが、
繭にとっては終わりでなくはじまりに過ぎず、
その後二人で死ぬ時にこそ最良のエンドになるのだと思います。

さて、ここまでは、「約束」エンドのいわば「不確定性」を取り上げ、
それゆえに繭にとっては最良ではないのではないかということを論じてきましたが、
それでは何故、繭はその不確定な約束を目下受け入れることができたのかを考えてみましょう。

繭にとって、「澪とずっと一緒にいる」ということは不可能に近いからこそ、「一つになる」(紅い蝶)か、
「ずっと一緒にいられる保証(確定)を得る」(虚、凍蝶、陰祭)を望むに至ったと解釈できますが、
そうすると「約束」エンドで、繭が一度は信じられなくなった約束に、
何故回帰できたかということが問題になります。

それに関しては、けだし繭が、最後までずっと意志を同じくして、
遂に悲願を達成した幸せな紗重と八重を実際に見たためです。

だから、澪の「私たちは一つになれないけれど」、
「もうこの手を離さない」という約束を再び信じることができたのではないでしょうか。
紗重と八重が、それは達成できるのだということを繭に実証したのです。
そう考えると、「約束」エンドは、他のエンドのように二人が一緒にい続けることを確定し、
また十分に担保しないけれども、い続けることを繭も夢見ることはできるような、
それだけの希望に満ちたエンドでもあると考えることができるのだと思います。

結論として、「約束」エンドは、澪と一緒にい続けることを確定しないという意味で、
繭にとっては必ずしも最良のエンドではないと言えます。
澪と一緒にい続けることを確定し、または高度に保証する、
他の四つのエンドに対して、「約束」エンドだけは「不確定」なものなのです。
それは、澪と繭の結び直された約束の「はじまり」を描いたに過ぎません。
単なるハッピーエンドではない、そうした側面を見出せるのではないでしょうか。



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テーマ:零シリーズ
ジャンル:ゲーム

祐巳の中での祥子の存在の相対化について ――聖や優との関わりを踏まえて

2016.04.03 15:19|マリア様がみてる
今回は、『マリア様がみてる』という作品において、
祐巳が瞳子にスールになるようお願いするまでの間に、
祥子の存在を相対化することに成功しているということについて短く論じようかと思います。
けだし、祐巳の二年生後半からの物語において、
彼女の成長の主だったものとして描かれたのは、この「相対化」でした。
ここに注目して、祐巳について考えてみたいと思います。

祐巳が瞳子を妹に迎えるまでの間で、
祐巳が祥子への感情を相対化することに成功していることは、
あまり触れられませんが、彼女の成長の一つだったと思います。
原作の言葉を借りれば、祐巳は十二月の告白のときまでに、
彼女の心中に「瞳子用の部屋」を作り終えています。
これは、それまでの祐巳からの大きな変化でありました。

なぜなら、祐巳はこれまで「好き」の気持ちを向ける相手、
すなわち彼女の心の中に専用の重要な部屋を持つことができる相手として、
祥子しか想定していなかったと考えられるためです。
祐巳が「分からない」、理解できない相手として、
聖や優を相手取られるのは、祐巳の中にその前提があったからです。

祐巳は、この二人の考え方が当初理解できませんでした。

すなわち、まず祐巳は志摩子を妹に持ちながら、
彼女に姉妹らしい感情を向けず(選挙時)、
むしろ自身に好意を向けて来る聖に対して疑問を覚えていました。
これは祐巳の中で姉妹(彼女にとっては祥子)への感情が絶対的であったことを示します。
ただ一人の特別な存在としての祥子があってこそ、聖の態度へ疑問を抱き得るのです。

また、ミルフィーユでの優への敵意は、祐巳が祥子の中での自身と優を、
同一直線に並べて比べようとしていることから生じたものです。
しかし優は「好きにも色々ある」という立場であるから、
「もっと高いステージを目指せ」と言いました。
これについても、このときの祐巳には理解できませんでした。

聖と優は、無印の頃から反目しあう間柄ですが、祐巳との関係においては、
同じく「好きにも色々ある」ということを教える立場を担っています。
それを学んで、祐巳にとって最高位にあった祥子への感情は、
ここにきてその地位を下げないままに、彼女の持つ「大切な部屋のうちの一つ」になります。

つまり、それまでは絶対的だった祥子への感情を祐巳は相対化し、
他の感情とは異なり、かつ、同列のものとして、心中の一室に仕舞うことを覚えたのです。
まず瞳子や仲間たちが同列の、しかし祥子とは異なる部屋に入れられるのですが、
薔薇さま選挙を経ると、祐巳はリリアンの生徒まで入れることに成功します。

すなわち、祐巳はバレンタインのチョコ探しで、昨年の祥子と同じように、
瞳子だけが察するであろう場所に隠そうとしながら、最終的にそれを止めました。
これが祐巳の達成した相対化の極致であると言えます。
乃梨子の言うように、「瞳子(姉妹)だけ」を考えるところから抜け出したのです。

まとめると、祐巳は彼女の中で「祥子が絶対」という当初の状況から、
聖や優とのやり取りや、自身の中で大きくなる瞳子の存在を通して抜け出して、
それを相対化していき、最終的には、選挙中にあった瞳子の母親との会話を契機に、
一般生徒まで自身の中に入れることに成功したのです。
こうした「相対化」が、祐巳が瞳子を妹に迎えるまでに経験した、
成長の一つとして描かれていたのではないでしょうか。



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テーマ:マリア様がみてる
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