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これからの祥子と歩む祐巳への ――優の「もっと上のステージを目指せよ」が持つ含意 (『マリア様がみてる 薔薇のミルフィーユ』)

2015.10.25 18:09|マリア様がみてる
今回は、『マリア様がみてる 薔薇のミルフィーユ』について考えます。
時期としては、祐巳が瞳子との問題に本格的に直面する直前、
一冊の本の中に、紅薔薇、黄薔薇、白薔薇――それぞれの姉妹の物語を詰めた、
題名どおり薔薇がミルフィーユのように折り重なった作品です。
アニメでは、第四期第五話において、紅薔薇の物語のみアニメ化されました。
この記事では、祐巳と祥子の物語の次の場面に焦点を当てます。
祐巳が祥子と念願の遊園地に向かうものの、
祥子の具合が悪くなったときに優のように対応できず、
それゆえに嫉妬していたのに対し優が言葉をかけた場面です。

「僕は確かに、さっちゃんを好きだし、愛しているかと問われればイエスと答える。でも、好きにもいろいろある」
「いろいろって」
「さっちゃんが好きだが、祐麒も好きだ。そして、もちろん祐巳ちゃんのことも好きだよ」(中略)

「最後に一つだけ。僕を倒したって、君は勝てないよ」
「それは、どういう――」
「僕に嫉妬しているようじゃ、まだまだってこと。こんな所に留まってないで、もっと上のステージを目指せよ」
 (「薔薇のミルフィーユ」、181-183ページ)


この場面の優の「もっと上のステージを目指せよ」というメッセージは、
単に祐巳と優は祥子との関係において、
別々の位置に立っているということを示唆するだけのものではありません。
そういったテーマと同時に、祐巳が優の位置にいては駄目だということ、
優の位置は「こんな所」に過ぎないことまでも示唆しているのです。

ゆえに、このときの優の言葉は、祐巳が自分の内には、
色々な部屋があることを知覚し(「くもりガラスの向こう側」、144-148ページ)、果てには典に、
「好きは比べられない」と述べるに至る(「薔薇の花かんむり」、94-102ページ)辺りで明確になる、
「人間関係には順位が付けられないことがあり得る」という、
紅薔薇の物語のテーマとはある意味で独立に存在していると捉えられます。

「もっと上のステージを目指せよ」の直前の、
「好きにもいろいろある」という優の言葉については、
「好き」に順位を付けることができない場合もあるというテーマを含んでいるので、
明らかに後の典との対峙の場面に繋がっていますが、
この「もっと上のステージを目指せよ」という言葉だけは、
そういったテーマ以上のことも示しているのではないでしょうか。

今回は、この問いから、祐巳と優の立ち位置の違いを考えたいと思います。

先の言葉の中で強調されているのは、祥子との関係において、
祐巳と優は別々の部屋の中にいるため、競い合う関係にないということと言うより、
祐巳が優に優越している(優越し得る)ということです。
優は祐巳が自分と競おうとするのを、「それぞれ違う立場だから」というのではなく、
「君はこんな所で競うべきではないから」という理由で諌めています。

これは何故かを考えてみると、祥子にとっての優との関係というのは、
「これまでの祥子」――それはお嬢様、ないし生粋のリリアン生というイメージに適合するものです
――を形成するものであるのに対して、祐巳との関係というのは、
それとは異なる「これからの彼女」を形成するものであるためです。

優が遊園地で祥子を助けたとき、祥子は人ごみでまいってしまう、
いかにもお嬢様的な「これまでの祥子」として扱われていると言うことができます。
優は、祥子が「これまでの祥子」のまま生きていけるように振舞うのです。
それは重要な役割ですが、祥子が変わろうとし、また変わる鍵にはなりません。

祐巳はそうした優の立場に対して、
「これまでの祥子」から祥子を抜け出させる位置にいます。
祐巳は、祥子をハンバーガーショップに連れ出し、
遊園地に連れ出し、果ては花寺に連れ出しました。
祐巳は、祥子を「これまでの祥子」から抜け出させて、
「これからの祥子」に成長させる鍵なのです。

だから、祐巳は優の位置で留まっていてはいけないと考えられます。
「これからの祥子」にしていく祐巳が、
「これまでの祥子」を補佐して肯定するような優と同じステージにいるべきではない。

優が祐巳に自分の位置を下げて語るのは、
彼が祐巳による祥子の変化を望ましく思っているからに他なりません。

実際、祐巳が優のように振舞えるようになったらどのような事態が想定されるかというと、
極端に言えば、祐巳が「これまでの祥子」のことを鑑みて、
遊園地等に連れ出すこと自体を躊躇するようになるのではないかと考えられます。
「これからの祥子」に変えていく祐巳が、そうあるべきではないことは自明です。

それでは、優自身が「これからの祥子」に変えていく立場に付くことはできないのでしょうか。
けだし、優との関係自体が、「これまでの祥子」を形作ってきたために、それはできません。
とりわけ顕著なのは、男性が苦手であるという「これまでの祥子」の中心的性質とも言えるものを、
作り出してしまったのは優その人に他ならなかったということです。
優は、祥子が「これまでの祥子」のままでいられるように補佐するだけでなく、
その「これまでの祥子」をある程度作ってしまった張本人でもありました。
それゆえに、祥子が祥子自身を克服する鍵にはなれないのです。

そこで、祥子が克服するために助けになるのが祐巳(と蓉子)でした。
優はただ、そこで祥子が「これから」へ移行しようとする際に、
必然的に生じる相応の摩擦を捉えて、
必要ならば「これまで」のやり方で支えるという立ち位置にあるのです。

結論として、優の「もっと上のステージを目指せよ」という言葉で表されているのは、
次に言うような、祥子に対する祐巳と優の立ち位置の違いに他なりません。
すなわち、優は「これまでの祥子でもいられるように補佐する立場」であり、
祐巳は「これまでの祥子から抜け出させる立場」なのです。
そして優は、祐巳による祥子の変化を好ましく思っているので、
祐巳が自分と「こんな所」で競おうとするのを諌め、
「もっと上のステージを目指せ」と言ったと考えられます。
それは、これからの祥子とともに歩む祐巳への、
これからの祥子を願う「同志」からの発破であったに違いないのです。



○関連記事

  テーマ別
   祐巳が瞳子の姉になるまで:「姉の心情」の否定

  タイトル別
   ミステリーからリトルホラーへ (『マリア様がみてる リトル ホラーズ』「ワンペア」)


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テーマ:マリア様がみてる
ジャンル:アニメ・コミック

出会いが変える「わたし」と「ステージ」 ――「空」に重ねられるあかりというアイドル (アイカツ!第153話考察)

2015.10.18 22:35|アイカツ!
今回は、先日放送されました『アイカツ!』第153話について考えてみたいと思います。
四年目に突入し、ルミナスが全国ツアーに出発した本話。
新しく登場したののとリサの今後の活躍も気になるところですが、
もう一つ印象的であったのは、新OP、『START DASH SENSATION』です。
太陽が出始める朝から始まり、星が瞬く夜で終わるこのOPは、
太陽が、星が、そして虹が煌めく、「空」が非常に強調されていたと思います。
サビの中にも、「もっと違う空に会える」というフレーズが登場します。

今日が生まれかわるセンセイション 全速力つかまえて
ここがスタートライン
もっと違う空に会える トキメキ指さす彼方
はじまる夢と (Sunny days) はじめるキセキ (Starry days)
わたしを待っている (Dream comes true) 
 (『START DASH SENSATION』)


今回は、この歌詞から考え始めてみたいと思います。
「もっと違う空に会える」とは、『アイカツ!』という作品において、
どういった意味を持っているフレーズなのでしょうか。

私は、この歌詞が、これまでの、そしてこれからのあかりたちの物語を、
直接的に表象しているものなのではないかと考えます。
このことについて、以下では考えてみたいと思います。
現在公式ホームページで第153話は視聴できますので、
もしよろしければ、内容を振り返りつつお付き合いください。

さて、それでは「もっと違う空に会える」というフレーズを考えていきましょう。
『アイカツ!』においてはよくアイドルが星に重ねられますが、
この場合において空はアイドルの集まるステージ(アイカツ界)と考えられます。
そうすると、「もっと違う空に会える」とは、
もっと違うステージに辿り着けるという意と単純に解せるわけですが、
問題は曲中で、「あたらしいわたしになれる」と、
「もっと違う空に会える」が並べられていることです。

『START DASH SENSATION』には、以下のとおり、
「あたらしいわたしになれる」という歌詞も出てきます。

アタマのなか膨らむイメージ カタチにしたら世界でひとり
あたらしいわたしになれる 大好きで育てなくちゃ
 (『START DASH SENSATION』)


同じ曲中で「あたらしいわたしになれる」という言葉と、
「もっと違う空に会える」という言葉が同時に出てくることに、
如何なる意味を見出すことができるでしょうか。
けだし、『START DASH SENSATION』は、
今日「わたし」が生まれ変わる決意をすると、
「あたらしいわたしになれる」と同時に「もっと違う空に会える」、つまり、
自分が変わると同時に自分を取り巻く世界の方も、
変わっていくことを歌っているのではないでしょうか。

それで、この「わたし」と「空」の変化が並行する歌詞が、
「出会い」を中心的テーマとするあかりたちの物語に繋がっていると考えられます。

第153話では、あかりたちが様々な出会いを基に成長してきたことが、
あかりたち自身によって語られていました。

わたしたちのアイドルカツドウ、アイカツは、
 色んな人たちとの出会いがあったからこそ、パワーアップしてきました
「わたしたち三人も、お互いに出会って、刺激を受けて変わってきたんだよね」
「うん」
「今度は、このツアーで全国のファンのみなさんと出会いたいんです。
 みなさんと楽しんで、わたしたちもパワーをもらいたいと思っています」
「もう一つ、楽しみなことがあるそうですね」
「はい! 全国の色んな所にいる、アイドルとも出会うこと! だよね!」
「はい!」
「行く先々で、たくさんのアイドルと交流できればいいと思います!」 (第153話)

 
ここであかりたちは、新しい出会いが自分たちを変えてきたことを語っていますが、
新しい出会いがあれば「わたし」だけでなく、
「わたし」の立つステージの方も変わると考えられないでしょうか。

というのも、新しいアイドルとの出会いがあれば、
それが刺激となって新たな決意をして「わたし」が変わるとともに、
その新しいアイドルがステージに参画してくることになるわけで、
その意味でステージの方も「もっと違う」ものになるためです。
空に新たな輝きが加わっていくことになります。
このように、出会いは、「わたし」を変えるとともにステージを変える。

つまり、出会いによって「わたし」は成長し、ステージも変化していくというのが、
三年目からのあかりたちの物語であって、
これを『START DASH SENSATION』は端的に表していると考えられます。
あの歌は、出会いを中心に置くあかりたちの物語を表象するものです。

それで、ここで思い至るのが、三年目以降はそういった物語であるからこそ、
その主人公は空を名に冠する大空あかりなのだろうということです。
誰かと出会い、空と一緒に変わっていくアイドル。
ここにおいて「もっと違う空に会える」という言葉は、
一方で大「空」あかりが変わっていくということに、
他方でアイカツ界が変わっていくということに繋がり、
「わたし=ステージ」という形で接続されることになるのです。

あかりが「空」を冠するアイドルである意味の一つは、
彼女が「出会い」を司るという点に見出すことができると思います。
先述のとおり、空を星としてのアイドルが輝く場所と考えれば、
そこは星たちが一堂に集い会う場所として考えることができます。
個々のアイドルを繋ぐものとして、空という領域は在ります。

だからこそ、『Lovely Party Collection』というOPがあったのではないでしょうか。
第152話であかりたちの一段落を飾ったあの歌は、
学園長の誕生パーティにみんなを集めるイメージで語られてきましたが、
そこで表現されていたのは、「出会い」と深く結びついたアイドルとしてのあかり(たち)でした。

そして、だからこそあの劇場版の物語であったのではないでしょうか。
私は劇場版を見てから、何故いちごのステージに、
美月を連れていくのがあかりであったのかずっと考えていましたが、
最終的にはこのテーマに繋がってくるのだという気がしています。
「太陽」のいちごと「月」の美月に対して、「空」に重ねられるあかりです。

別々の時間に現れる、基本的に一緒にならない太陽と月は、
それでも、空という領域を介して繋がっていられます。
第一話では、空(ステージ)が別々のところにいたはずの二人を出会わせました。
そして劇場版では、そんな空を背負うアイドルであるあかりが二人を出会わせたのです。

結論として、『START DASH SENSATION』は、
「わたし」の決意から、「わたし」はもちろん、
「わたし」がいる世界の方も変わっていくことを歌っていますが、
このような「わたし」とステージの並列する変化は、
出会いによって同じく変化していく、あかりたちと、
あかりたちのいる世界と結びついています。

そして、そのように「わたし」と「わたし」のいる空が、
同時に変わっていく物語だからこそ、その中心にいるのは、
自ら「空」という名を冠する大空あかりというアイドルなのではないでしょうか。
あかりは「空」と結びつく「出会い」をテーマとするアイドルとして、
今回全国ツアーで新たなる大地へと出発したのです。



○関連記事

  あかりの表情が暗かった理由についての私見
    ――いちごのトップアイドルとしての態度に触れて、それでも(第百五十一話)


テーマ:アイカツ!
ジャンル:アニメ・コミック

あかりと花子の関わりの中に見出せること ――意識せずお姉さんらしく振舞えるあかり (『ゆるゆり さん☆ハイ!』第一話考察)

2015.10.12 21:13|ゆるゆり
今回は、先日第一話が放送されました、『ゆるゆり さん☆ハイ!』を考えます。
揃ってキャンプに行った夏休み後、二学期が始まるところからスタートする一話。
基となっているのは主に、「56★女王様ゲーム!!」(第8巻、61ページから)、
「69★京子ちゃんの女子力」(第10巻、103ページから)、
「intermission 19★お姉さんだよぉ だし」(第10.5巻、33ページから)の三話です。
ごらく部の面々が王様ゲームをしているところに、
生徒会の面々がやってきたりと、漫画から種々の改変が加わっていましたが、
今回は最後のあかりと花子の話に純粋にフィーチャーしてみたいと思います。
この話は、お姉さんらしく振舞おうとして空回りしてしまい、
むしろ花子に助けられてしまうあかりの姿が非常に際立っていますが、
それでいて、そればかりを描いた話ではなかったのではないでしょうか。

この記事ではこのことについて、以下で論じていこうと思います。
もしよろしければ、アニメや漫画の内容を思い出しつつ、お付き合いください。

三期第一話のあかりと花子の話は、
お姉さんらしく振舞おうとしてむしろ花子に助けられるあかりの姿が印象的ですが、
他方であかりのお姉さんらしい優しさも強調されている話であると思います。
あかりが「意識してできなかった」お姉さんらしい振舞いは、
それが「意識する前にできていた」ことを強調してはいないでしょうか。

つまり、確かにあかりはお姉さんらしく振舞おうと意識してから後は、
全然お姉さんらしく振舞えず、むしろ花子に助けられているのですが、
そのことは、振舞おうと意識する前にあかりが花子に対してやったことが、
完全にお姉さんらしかったということを気付かせてくれます。

あの場面で、あかりは意識すると、
全然お姉さんらしく振舞えないことが提示されていたのですが、
同時に、意識しないとお姉さんらしく振舞えることも提示されていたのです。
あかりと花子の話は、あかりのこの両側面を描き出した話であると、私は思います。

加えてあかりは、花子があかりに対してやって見せた「助ける」から、
一歩進んだ「助ける」を花子に対してやっていたと言えなくもありません。
というのも、あかりは花子を「助ける」に当たって、花子に気を遣わせないために、
助けたのではないという体を装って助けています。

つまり、偶然自分が花子の買ったジュースが欲しかったので、
私のためにも交換することにしようということにしているのです。

この、あかりの「助けられたと気を遣わせないような助け方」の意義は、
最終的にあかりが花子に助けられて、そのことを気にすることになっているため、
そこにおいて浮かび上がってきています。
その意味でやはり、この話は、あかりが花子に助けられる話でありながら、
同時に花子があかりに助けられる話でもあるのです。

更に言えば、花子があかりを助けることになるのも、
あかりが花子を助けたことがあってこそであったと考えられます。
花子もいい子なので、誰かが眼前で困っていたら、
自分がその人に助けられずとも助けたでしょうが、
あの時そもそも花子が公園に残ったのは、あかりに助けられたからと考えられるためです。

というのも、あのとき花子が公園に来たのは、
撫子のコーヒーを買いに来ていたためなので、櫻子ならともかく、
花子が敢えて公園に残ったことには相応の理由があると見るべきだと思うんですよね。
花子なら普通、お使いを頼まれたら、速やかにそれを撫子に届けようとするでしょう。

そこでそうしなかった理由を考えてみると、やはり、
自分を助けてくれた「お姉さん」が、
自分を助けたがゆえにグロッキーな状態になっているからと考えられます。

その意味で花子は、あかりに助けられたからこそ公園に残り、
その後にあかりを助けることになったと言えます。

よって、結論として、あかりは花子に色々と助けられ、
他方で自分は「なにひとつお姉さんっぽいことできなかった」ことを気にしているのですが、
その実お姉さんっぽいことをしているし、花子があかりを助けたのも、
まさしくあかりが花子を助けたからこそであったと言えると思います。

それにもかかわらず、あかり自身が物語中で、
「なにひとつお姉さんっぽいことできなかった」と締め括ったことで強調されるのは、
彼女の不憫さなどではなく、お姉さんらしく振舞おうと意識する以前に、
自然体でお姉さんらしく花子を助けることができる、
あかりの「お姉さんとしての側面」であったのではないでしょうか。



○関連記事

  『ゆるゆり』一般の記事

   撫子の彼女についての考察
   『ゆるゆり』を百合作品として読む ――ちなつとあかりの関係から

  アニメ二期の記事

   「物語の外部の主人公」としてのあかり (第一話「帰って来た主人公」)
   『ゆるゆり』の日常を描いた二話 (第二話「ゆるゆりなる日々なるなり」)
   「対岸の比喩」で見るバレンタイン回 (第三話「チョコと涙と女と女と磯辺揚げ」)
   千歳と綾乃、先生と会長、それぞれの関係性 (第四話「ひっちゅ」)
   五話から見る、京子とあかりの差異 (第五話「日本の夏、ゆるゆりの夏」)
   六話は「コムケ回」ではないということ (第六話「【速報】ゆるゆり完売」)
   「ゆるゆり」の本質的条件としての「中学生」 (第七話「姉妹事情あれこれそれどれ」)
   アニメの改変による「ちなつの答え」の変化 (第八話「ちなつ無双」)
   「幼さ」という観点からの櫻子と京子の比較 (第九話「何かありそうで何もなさそうな日」)
   あかりとちなつの間の「距離」の演出について (第十話「修学旅行R」)
   あかりは「想われている」ということ (第十一話「時をかけるあかり」)
   終わらない『ゆるゆり』の日常 (第十二話「さようなら主人公、また会う日まで」)


テーマ:ゆるゆり
ジャンル:アニメ・コミック

そのきんいろの毎日の先には ――夢へと繋がる忍たちの関係 (ハロー!!きんいろモザイク:第十二話考察)

2015.10.04 16:57|きんいろモザイク
今回は、『ハロー!!きんいろモザイク』の最終話、第十二話について考えます。
アリスとカレンのイギリスでの生活と、日本への帰国までの話と、
忍が英語の勉強に奮闘する話で構成されていた本話。
一つの大きな疑問としては、何故最終話の最後を飾る話が、
忍が英語の勉強に奮闘する話であったのかということが挙げられるでしょう。

アリスとカレンの帰郷は、アリスが来日してから、
ずっと一緒にいた忍とアリスが初めて離れ離れになる、作品上の一大イベントであり、
アニメでも満を持して最終話にかけて提示された感があります。
しかし、二期はこの一大イベントの末の大団円をもって最終話を締めずに、
忍たちの極めて平凡な一日をもって最終話を締めたのです。
その心とは何であったのでしょうか。
この記事では、このことについて、OPである『夢色パレード』の歌詞も絡めつつ、
一期との比較において考えていきたいと思います。
先に結論を行ってしまえば、私は、この忍が英語の勉強に奮闘する話にこそ、
二期において強調すべきテーマがあったからであると考えています。
もしよろしければ、原作やアニメに触れつつ、お付き合いいただければ幸いです。

それでは、二期の終わり方について考えを巡らせてみることにしましょう。
二期は、第一話と最終話で、忍とアリスにフィーチャーして、
二人の出会いを思い出させていく点では一期と変わらないのですが、
一期がそれを「二人の関係の始まり」として強調したのに対して、
二期は「忍の夢の始まり」として強調している点で特徴的だと思います。

一大イベントとして最終話にかけてアリスたちのイギリス帰国を描きながら、
彼女たちが日本に帰ってきたところで終わりにしないで、
もう一話、忍の夢が確認される、テストの話を挟んで終わりにしているのには、
一期が二年生への進級というきりのいいところで終わりにしなかったことと同様に、
何か意味があったのではないでしょうか。

けだし二期が、イギリス帰国編で終わりにせず、忍が英語を頑張る話で終わりにしたのは、
忍たちの関係を「夢へと繋がる関係」として強調するために他なりません。
これは、二期の主題歌である『夢色パレード』が歌う、次の部分に関連します。

一人一人の力じゃ 越えられない壁だって
一つになれたら 何かが変わり出すよ (『夢色パレード』)


この部分は、忍が英語を頑張る話においてこそ表されたテーマと言えないでしょうか。
そしてこれこそ、二期が一期から一歩進んで強調したことであったと思います。
一期は、忍が渡英し、その後アリスが来日したことを第一話で描き、最終話で強調して、
二人の関係が始まったことによる、きらきらしたきんいろの毎日を提示していました。
二期はそこから、その関係と夢との関連を描き出していったのです。
第二弾PVで忍は、「私たちの毎日は――きらきらしたきんいろです!」と述べていましたが、
二期が問題としたのは、そのきんいろの毎日の先であったような気がします。
きんいろの毎日は、どこへと繋がっていくのか。
だから、第一話が忍の夢のきっかけがアリスであることが示される話で、
最終話が忍が皆に支えられて夢に一歩踏み出す話であったのではないでしょうか。
それぞれで提示されているのは、一方で「夢へのきっかけ」となり、
他方で「夢への支え」となるものとしての、忍たちの関係です。

この、忍たちの関係と夢との関連が二期の強調点と言えます。
忍たちの関係によって紡がれる毎日の先にあるのは、夢に他ならないのです。

そして、忍たちの「夢へと繋がる関係」を象徴するものとして、
OPで示されるタイトルロゴの背景に、
新たに「虹」のモチーフが加えられていたのではないでしょうか。
一期では、青い空の中に桜の花と飛行機雲がありましたが、
二期はこれらを受け継ぎつつ、ここに「虹」を加えています。

kinniro18.png
 二期のタイトルロゴの背景は、虹が印象的。

桜の花は「ハロー!!」の部分に、
飛行機雲は「ハロー!!」が付け加わる際の演出に残されています。
桜の花と飛行機雲は、それぞれアリスの来日と忍の渡英を象徴すると考えられますが、
それでは二期で加わった虹は、何を象徴していると考えられるでしょうか。

そこでOPの『夢色パレード』の歌詞を読み返してみると、
「虹」は、一方でみんなで集まって作っていくものであり、
他方で夢に繋がる道であるとされていることに気が付きます。

次に引用するそれぞれの箇所から、それぞれのことを読み取れます。

皆で輪になれば 毎日がハッピーデイ
大きな虹 一つ一つかけていこう
たまに喧嘩したって すぐに仲直り! ネ!?
世界中で きっと 一番輝くよ (『夢色パレード』)


一人一人の力じゃ 越えられない壁だって
一つになれたら 何かが変わり出すよ
皆で作った虹は キラキラ光る道
きっと見つけるよ わたしたちだけの夢を この手で! (『夢色パレード』)


虹は、みんなで集まって作っていく、夢への道なのです。
これは、言うまでもなく二期の第一話と最終話で強調されたテーマと関連します。
忍は、アリスとの関係があったからこそ夢を見つけることができ、
みんなとの関係があったからこそ夢へと改めて進んで行くことができました。
忍たちの関係は忍にとって、「夢へと繋がる関係」であったのです。
虹は、こうした忍たちの夢へと繋がる関係を象徴するものと考えられます。

それは、みんなとの関係があって初めてかかる夢への道に他ならないためです。
こうした意味で、虹は新たにモチーフに加えていたのではないでしょうか。

結論として、二期は忍たちの関係を「夢へと繋がる関係」として強調していて、
だからこそ第一話で忍の夢のきっかけがアリスであったと分かる話を、
最終話で忍が皆のおかげもあって改めて夢に一歩踏み出す話を持ってきたのだと思います。
それは、『夢色パレード』を踏まえて言えば、
夢へと続く虹をかけていく、かけがえのない関係です。



○その他の『ハロー!!きんいろモザイク』の記事

   勇のスランプの話における二つのアレンジ ――忍とみんなの二方向の強調 (第五話)
   カレンが語らなかった本当の気持ち (第八話)
   綾の中で併存する二つの想い ――第九話に咲くマリーゴールドの花 (第九話)
   穂乃花が望むカレンとの関係 ――つい出てしまう従者的態度の裏に (第十一話)


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天秤と申します。
アニメや漫画など、好きなものについて考えたことを書き込みます。
よろしくお願いいたします。

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