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好きという気持ちに隠れていた競技者としての憧憬 (未幡『キミイロ少女』)

2015.07.26 19:36|百合作品
B00NMCE5LIキミイロ少女 (百合姫コミックス)
未幡
一迅社 2014-09-18

by G-Tools

今回は、未幡さんの作品で、『ひらり、』等に掲載されていた短編をまとめた、
『キミイロ少女』から、「好きの距離」と「一日白紙」について考えます。
それぞれの作品において、物語のテーマとして表れていることは何であったのでしょうか。
この問題について、物語を振り返りつつ考えていきます。
これにより、「好きの距離」と「一日白紙」という作品が百合作品として持っている、
特徴的な部分が明らかになっていくのではないかと思います。
もしよろしければ、内容を思い出しつつ少しの間お付き合いください。

(1) 「好きの距離」:好きという気持ちに隠れていた競技者としての憧憬

「好きの距離」は、菜月が由佳に向けているのが、好きという思慕の気持ちだけでなくて、
陸上で速く走れることに対する憧憬の気持ちでもあったということに、
菜月自身が気付く話であったとまとめることができると思います。
この中で印象深いのは、後者の気持ちが強調されているということです。

けだし、恋愛をよく描く百合というジャンルにおいては、恋心を何かと取り違えていて、
物語の中でそのことに気付くという流れは多い気がしますが、この作品は真逆の流れなのです。
競技者としての憧憬のために、由佳が好きという気持ちが隠れていたのではありません。
好きという気持ちのために、競技者としての憧憬が隠れていたという構図なのです。

具体的に言えば、例えば、同じ部活である同輩にやたら対抗心を燃やしていた主人公が、
その根幹にはどうしようもない複雑な恋心があったことに気付くという展開ではないのです。
自身の恋心に気付くというテンプレートの逆を行っています。
換言すれば、物語の中心を恋心からずらしている。

百合という言葉は、例えばガールズラブという言葉よりも広く曖昧で、
明白に「ラブ」と名乗らないがゆえに、恋愛以外も含み得ますが、
この曖昧さは、ある意味で特長とも言えるのだと思います。
百合はその中に、恋愛ならぬ関係をさらりと飲み込み得る。
そのように考えると、恋愛の好意でない気持ちを強調する作品は、
百合の中心ではないとしても、百合の勘所であるのではないでしょうか。
「好きの距離」は、そのような作品の一つとして、
好きという気持ちとは異なりますが、同様に強い重要な気持ちである、
競技者としての憧憬を敢えて強調している作品であったと思います。

(2) 「一日白紙」:空っぽに思えても今既に満ちている日常

「一日白紙」では、「花を挿さずに水だけを入れた花瓶」というモチーフが登場しますが、
ここに如何なる意味を見出すかということは、作品の一つの問題であるかと考えます。
水しか入っていない花瓶が、それで完成形として提示されている意味は何であったのしょうか。

というのも、水しか入っていない花瓶は、
展開の上では桐谷さんが上杉さんを追いかける理由になっているのですが、
仮にそれだけのためのものであったのならば、
花の刺さっていないそれを「完成形」として提示する意味がありません。
展開の上における小道具以上の意味があったと考えられます。

けだし、水しか入っていない花瓶が完成形と示されるのは、
上杉さんの考える「楽しかったこと」というのが、桐谷さんの考えることよりも、
遥かにちょっとしたことであるということを強調するためであったと思います。


つまり、桐谷さんが「楽しかったこと」と受け取らないような事象を、
上杉さんは「楽しかったこと」と取って、
「空っぽ」な一日と考えられそうな一日を、「空っぽ」でないと取るということが、
水しか入っていない花瓶によって表現されていたと思うのです。

現に、上杉さんが桐谷さんの代わりに書いた一日の感想、一日の中で、
楽しかったことは、一緒に花の手入れをしたという、あまりにもちょっとしたことでした。
それゆえに桐谷さんはこれを経験しながら、自分がまだ「空っぽ」であると考えていたのです。

そういう他から見れば「空っぽ」に映る、花のない水だけが入った花瓶のような一日を、
「楽しかった」一日として捉えることができるのが上杉さんであって、
「水しか入っていない花瓶」は、彼女のこの側面を浮き上がらせるために、
「完成形」として登場してきたのだと思います。

ゆえにこの作品は、一方で空っぽの花瓶を補充する上杉さんによって、
今後が満たされることを望む桐谷さんの心情をテーマとしながら、
他方で既に今の時点で桐谷さんが言うほど空っぽではなくて、
捉え方によっては既に満ちているのだということをもテーマにしていたと言えます。



○その他の百合作品の記事(2015年)

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テーマ:漫画の感想
ジャンル:アニメ・コミック

情熱ハラペーニョ二人の流儀 ――手を引き、手を引かれ、進んでいく (アイカツ!第141話考察)

2015.07.20 16:36|アイカツ!
今回は、情熱ハラペーニョの二人にスポットが当たった、
第141話を考えていきたいと思います。
特に印象的なのは、「世界げきからフェス」に参加する中で、
ひなきが珠璃のおかげもあって自分の殻を破り、
経験に基にした様々なアイデアを出していったところです。

ここにおいて、情熱ハラペーニョがユニットとしての完成を見たことは、
これまで辛さが強過ぎたハラペーニョドーナツが、
甘さと辛さの絶妙なバランスを達成したことから見て取れます。
足りなかった甘さは、珠璃に対するひなきの色であったと考えられます。
というのも、第132話の結成の時点で、ひなきが甘さを担当することは示されていたためです。
あかりはそこで、情熱的な珠璃が「ぴりっとしょっぱいポテトチップ」なのに対して、
ひなきは「それを甘く包み込むチョコ」と評しています。

辛さ(塩辛さ)を珠璃が担うのに対し、甘さをひなきが担うのです。
この上に、ハラペーニョドーナツのメタファーはありました。

さて、今回はこうして完成を迎えた情熱ハラペーニョというユニットが、
如何なるユニットであるのかということを、第141話の内容を中心に改めて考えます。
以前の記事で、情熱ハラペーニョが昔から芸能界にいる二人のユニットで、
それぞれが今は昔とは違う自分で活動している、
「新しいことを志向する二人」のユニットであることは既に述べたところですが、
第141話は二人がどのように新しい領域に踏み出るのかを示した回であったと思います。
ここに注目することで、更に情熱ハラペーニョの二人を理解できることでしょう。
もしよろしければ、第141話の内容をともに振り返りつつ、お付き合いいただければ幸いです。



(1) 手を引き、手を引かれ、進んでいく二人

第141話が描いたのは、ひなきと珠璃がともに手を引き合って、
新しい領域へと進み出て行くイメージであったと思います。
つまり、一方で珠璃はその熱さや前向きさでひなきの手を引き、
ひなきを新しいところに踏み出させるのですが、
他方でひなきは経験に裏打ちされたアイデアで珠璃の手を引いて、
珠璃に新しいところに踏み出させるというのが、
情熱ハラペーニョというユニットの在り方であったのではないでしょうか。

だからこそ、二人が表現するピーターパンとウェンディは、
ピーターパンがウェンディを先導するだけでは、決してありませんでした。
曲の最中、空へ飛んでいく箇所において、当初珠璃を先導していたひなきは、
直後珠璃に先導されているのであり、相互に先導し合っているのです。
ティンカーベルの魔法で二人が空へと飛び上がっていくところです。

aikatsu08.png
 当初は、ひなきが珠璃を先導している。

aikatsu09.png
 途中から、珠璃がひなきを抜かし、ひなきを先導している。

このピーターパンとウェンディの姿に、二人の在り方が表れていました。
ひなきが珠璃の手を引くだけではなく、珠璃がひなきの手を引くだけでもない。
珠璃がひなきを変わらせて、その変わったひなきのアイデアにより、
今度は珠璃が新しい世界に踏み出て行く。
それこそが情熱ハラペーニョであったのです。

今回の話は、ひなきがメキシコ料理とスペイン料理のコラボを提案する場面において、
スペインがメキシコ(新大陸)に渡っていくイメージを引っ張っているからこそ、
ピーターパンという物語が、この第142話の話にはぴったりと合っていると思います。

つまり、ひなきは両国の料理のコラボを提案したとき、
それはスペイン(珠璃)をメキシコに連れていっているのであり、これを受けての、
ピーターパン(ひなき)がウェンディ(珠璃)をネバーランドに連れていくステージでした。
物語中で提示された関係が、ステージ上で改めて再度引かれているのです。
ひなきが珠璃を新しいところに手を引いていく物語であったからこその、ピーターパン。

とは言え、先述のとおり、ひなきのピーターパンは手を引くばかりではありませんでした。
ウェンディの手を引きながら、ウェンディに手を引かれもしていたのです。
この、物語から剥離している部分にこそ、二人のユニットのテーマを見出せます。
情熱ハラペーニョは、「手を引き合う」二人のユニットに他ならなかったのです。

(2) 情熱ハラペーニョにおけるひなきらしい領域

ところで、第141話は、情熱ハラペーニョという、
名前からして全力で珠璃らしさが強く出ているユニットにおいて、
ひなきらしさはどこに出ているのかという疑問に答えるものであったと思います。
ひなきらしさは、「新しさ」を目指すという基底の部分に表れているのです。
様々な新しいものを企画する姿に、このことは表れていたのではないでしょうか。
このように考えると、二人がユニットを結成した、第132話の見え方も変わってきます。

第132話はいわば、ユニットの「骨格」を決める段階と、
「色」を決める段階の二段階に分かれていると考えられます。
つまり、チョコかけポテチのような「新しく意外な」ユニットを目指すことを決めた後で、
ユニット名が示すとおり、「情熱的な」ユニットを目指すことを決めるのです。

「新しく意外な」というのは、ユニットの基礎となるテーマであって、
この基礎の上に「情熱的な」というユニットの方向性が乗っかっています。
「新しく意外な」と言っても、キュートなのかクールなのか、進むべき方向はたくさんあります。
そこで二人は、「情熱的な」を選んだのです。

情熱ハラペーニョというユニット名は、この「色」決めに係る部分で、
ここで二人は「情熱的な」ユニットという方向性を選び取ったと考えられます。
しかし、ここでユニットの全てが決まったわけではなくて、
その時点においては既に「新しく意外な」という「骨格」は決まっていたのです。

そこで考えてみるべきなのは、確かに「情熱的な」という方向性は、
珠璃の方に寄っている、珠璃らしいものなのですが、
その時点で既に決まっていた「新しく意外な」という基礎的なテーマの方は、
どうであったかということです。
けだし、こちらがひなきらしいのです。
つまり、ひなきは初登場のときから、「新しい」ものを志向するアイドルとして登場していました。
それゆえに、あかりの新し過ぎるオーディションでの行動に魅かれていたわけです。
これを鑑みると、「新しく意外な」というテーマは、明らかにひなきらしいと言えます。

結論として、情熱ハラペーニョというユニットは、
「新しく意外な」というひなきらしい骨格と、
「情熱的な」という珠璃らしい色が合わさったユニットであったと言えます。
確かにユニット名は珠璃寄りなのですが、
それ以前に決まっていたコンセプトは、ひなき寄りであったのです。
ひなきが様々な新しい企画を出す第141話は、
一見全面的に珠璃らしい情熱ハラペーニョというユニットにおいて、
ひなきらしい領域があることを改めて示してもいたと思います。



○関連記事

   珠璃とひなきのユニットに見出せるテーマ
     ――二人の「新しい自分を志向する」という同質性 (第百三十二話)

  その他のユニットについて考えた記事

   スミレと凛のユニットに見出せるテーマ
     ――二人の「好きなことを選択する」という同質性 (第百三十一話)

   ぽわぽわプリリン三人の流儀 (第六十話)
   ソレイユ、一人でも輝ける星へ (第七十一話)
   ソレイユ、いつまでも輝き続ける星へ (第百二十五話)


テーマ:アイカツ!
ジャンル:アニメ・コミック

スミレと凛のユニットに見出せるテーマ ――二人の「好きなことを選択する」という同質性 (アイカツ!第131話考察)

2015.07.12 16:56|アイカツ!
今回は、スミレと凛のユニット、「ダンシングディーヴァ」を中心に考えます。
第130話で結成され、第131話で命名されたこのユニットは、
これまでにも数多のユニットを描いてきた『アイカツ!』という作品の中で、
どのようなテーマを提示するユニットであったのでしょうか。
以下、第130話、第131話の気になる部分を振り返りつつ、
最後に、そこでの考えも踏まえて、ダンシングディーヴァのテーマを示します。
もしよろしければ、この二つの話を思い出しながらお付き合いください。

(1) エンディングに食い込んだ公開プロポーズの意味

まず、第130話で、『アイカツ!』では非常に珍しいことに、
物語がエンディングに食い込んでいたことの意味を考えます。
『チュチュ・バレリーナ』は、夢への気持ちがいっぱいで、
一日を終えるべきところで終えられない感じを表した曲ですが、
第130話は物語もこの歌詞をなぞったものになっていて、
それゆえに一話を終えるべきところで終えていないと考えられます。

アニメのエンディングは、言うまでもなく、一話の終わりを示すものであって、
物語が終わると曲と映像が流れ始まるものなのですが、
第130話は、物語が終わって本来エンディングの映像が流れるところで、
この映像が流れずに、物語が続いていました。

物語がエンディングにはみ出る構成は、通常ならば、
決められた尺に一話分の物語が収まらなかったということだけを意味するでしょうが、
『チュチュ・バレリーナ』を直になぞった第130話では、それ以上の意味も持ちます。
つまり、このはみ出しは、『チュチュ・バレリーナ』の歌詞をなぞっているのです。

第130話は、凛がダンスの指導をしたスミレが『チュチュ・バレリーナ』をやり切って、
それに対して何か一言あって幕引きでも良かったと思います。
現にそういうパターンの例は、これまでにいくらでもあった気がします。
しかし第130話は、スミレがやり切ったところで眠りに付けなかったのです。

第130話の時点でスミレも凛も、二人で『チュチュ・バレリーナ』をやる、
明日(放送的には来週)のことを既に思っていると考えられます。
その意味では二人は眠れないバレリーナに重なっていて、
それを構成上で表現するものとして、
エンディングに食い込んだ公開プロポーズがあったと思います。


(2) 「1+1の足し算」ではないユニットの魔法

次に第130話で気になるのは、スミレたちのユニット名について、
あかりが「ステージに踊る氷の稲妻」と案を述べて、
ひなきに「足しただけだぜ~」とつっこまれた場面です。
あのやり取りは、ユニットが単なる「1+1の足し算」ではないというテーマを、
さりげなく表していたと思います。

最後にスミレと凛が語っていたように、
ユニットとは単に二人が一緒にいるものを言うのではなくて、
「お互いにお互いを輝かせる」二人が一緒にいるものを言います。
それは数式で表せば、「1+1」でなくて、「(1+□)+(1+■)」なのです。
お互いにお互いを輝かせた加算分が加わることとなる。

つまり、スミレと凛の元々の輝きを1だとして、二人がユニットを組むとすれば、
その結果は単純に「1+1」になるのではなく、
スミレが凛を輝かせたことによる■の輝きと、
凛がスミレを輝かせたことによる□の輝きを加えた、
「(1+□)+(1+■)」になるんですよね。

この二人が組んで生まれる加算分を、
織姫は「ユニットの魔法」と呼んでいたと思うのですが、
これを描きたかった第130話だからこそ、
単に二人の二つ名をくっつけたあかりのユニット名の案は、
「足しただけだぜ~」とつっこまれたのではないかと思います。
ユニットは単に足し合わせただけのものではないのです。

(3) 「Dancer & Singer」でなかった理由

第131話では、スミレと凛のユニット名が「ダンシングディーヴァ」に決定しますが、
案としては「Dancer & Singer」が挙がっていました。
「ダンシングディーヴァ」は、これを却下した上で決定した名前でした。
ただ二人を足し合わせて並べただけではなかったのです。

実際第131話では、スミレと凛は織姫たちにダンシングディーヴァという名前について、
前半が凛を、後半がスミレを表すと説明しているのですが、
それならば「Dancer & Singer」も同じであって、これでもよかったと思います。

だから、スミレの歌と凛のダンスを組み合わせた名前を考えながら、
それでも「Dancer & Singer」ではダメであった点に、
ダンシングディーヴァでなければいけなかった点に、
何らかの意味を読み込むべきではないかと思うんですよね。
私はここに、アイカツのユニット観が表れていると思います。

「Dancer & Singer」でなく、ダンシングディーヴァであったのは、
このユニットは、二人がそれぞれダンサーとシンガーとして個々にあるユニットではなくて、
二人ともがダンシングディーヴァとなるユニットであるからに他なりません。

だからこそ、凛のダンスはダンシングという形容詞とされて、
一つだけの名詞でユニットは表されたのだと思います。
凛は歌が好きなスミレの助言を受けて、ダンサーからダンシングディーヴァに、
スミレはダンスが好きな凛の助言を受けて、ディーヴァからダンシングディーヴァとなる。

そのことが、二人のユニットが「Dancer & Singer」でなく、
「ダンシングディーヴァ」であったことに見出せるのではないかと思います。

(4) ダンシングディーヴァの提示するテーマ

最後に、ダンシングディーヴァがユニットとして提示するテーマを考えます。
それは、ユニットを構成する二人の共通項から見えてきます。
スミレは第117話でモデルでなく歌を選んでおり、
凛は第127話でかつて体操でなくダンスを選んだことが明らかにされているため、
二人は歌とダンスという別の方向を向くアイドルではあれど、
その根元においては同じ心を持つアイドルと言えると思います。
ダンシングディーヴァは、「好きなことを選んだ二人」によるユニットなのです。

そして、ダンシングディーヴァは、「モデルでなく歌を選んだ」スミレと、
「他の習い事でなくダンスを選んだ」凛という、
「好きなことを選んだ二人」によるユニットなので、
その魅力は、その好きなことに対する本気にこそ表れると思います。
これこそ、ダンシングディーヴァのテーマなのではないでしょうか。



○関連記事

   珠璃とひなきのユニットに見出せるテーマ
     ――二人の「新しい自分を志向する」という同質性 (第百三十二話)


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天秤と申します。
アニメや漫画など、好きなものについて考えたことを書き込みます。
よろしくお願いいたします。

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