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糸色望と終盤の展開に関する私見

2014.11.09 16:34|さよなら絶望先生
さよなら絶望先生(1) (講談社コミックス)さよなら絶望先生(1) (講談社コミックス)
(2005/09/16)
久米田 康治

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今回は、『さよなら絶望先生』の終盤の展開について考えたいと思います。
新連載が始まって久しいですが、ここで改めて思いを馳せてみることにしましょう。
これまでは、主に可符香や絶望少女たちについて考察してきましたが、
今度は望や男子生徒たちにまつわる二つの疑問について考察していきます。

まず考えてみたいのは、終盤において、何故望が真実を語らないのかということです。
絶望少女たちの卒業に際して、これまで明確に示されなかった、
作中で描かれてきた教室の真実が語られてきました。
しかしそこでの語り手は、命や智恵であって、決して望ではありませんでした。

これは、一見不可解にも思えることであると思います。
未練を残した死者が彼岸へと歩んでいけるように、
教室を作り上げて、その中で先生として動いていたのは望です。
この意味で、真実を語るのに最も適当な位置にいたと言えるでしょう。
『かってに改造』で言えば、望はすず(たち)に近い位置にいました。
それにも係らず、彼は作中で決して真実を語らなかったのです。
ここにはどのような意味を見出すことができるでしょうか。

あの教室の真実に関して誰より知っているはずの望が、
最後の最後までほとんど何も語らなかったのは、
彼の心がずっとあの教室の内部にあったためであると思います。
それゆえに、真実を語るという、外部にある者としての行為を行わなかったのです。
実際、命や智恵による真実の語りというのは、
ある現象を客観的に説明しようとする言葉が含む「冷たさ」を確かに持っていて、
教室から出てどこか俯瞰的に語る、「外部からの」ものであったと言えるでしょう。
望は、教室の真実をあらかじめ知っていながら、
それでいてずっとその内部に留まる者であって、そのために、
自身の口から真実を語らず、また語れなかったのではないでしょうか。

第30X話が「一つの可能性」としてあり得ることは、
この望の立ち位置を仄めかしていたと思います。
彼が絶望少女たちとの日々を、俯瞰して遠くから見ることができないからこそ、
彼女たちとの関係を継続して、あの光景に至ることになり得るのです。
仮に望が、あの教室での出来事を仮初の箱庭での出来事として、
一時的なものとして割り切って見ていたのならば、決して関係は続かなかったでしょう。
そして、望がこのように割り切って考えられない最大の理由は、
可符香や絶望少女たちへの気持ちが、本当であったためであると思います。

何も知らなかった絶望少女の望への感情が本当であったように、
望の可符香や絶望少女への感情も、教室を作った演じ手としてのものではなくて、
本当のものであったからこそ、望は演じ手であった者として振る舞えません。

ここまでの結論として、望が真実を語らないのは、
彼が可符香や絶望少女たちに対して本当の気持ちを有していたためです。
そのために、彼は命や智恵たちと同じように、
教室の外部から俯瞰的に語ることをせず、また語ることができなかったのだと思います。


次に、以上の問題と関連付けて語ることができる、
男子生徒たちに関わる疑問について、考えてみたいと思います。
それは何故、国也だけ不自然に登場しなかったのかということについてです。
この事実は、国也以外が揃って登場しているために際立っています。

けだし、彼が作中に登場しなかったのも、
望が真実を語らなかったのと同じ理由のためであったと思います。
すなわち、望が可符香や絶望少女たちに本当の想いを持っていたからこそ、
真実を語らなかったのと同じように、国也もまた、
愛に対して本当の想いを持っていたからこそ、登場しなかったのではないでしょうか。

言うまでもないかも知れませんが、国也は第98話で愛に気持ちを奪われています。

国也も望と同じように、絶望少女たち(のうちの一人)に、
本当の気持ちを持っていたと言えるでしょう。
だからこそ、あくまでこれまで演じていた者としては登場できなかったのです。
振り返ってみると、最終話での書店組の登場は、その台詞から分かるように、
教室の外側を知っていてその中で敢えて演じている者としての登場でした。

「そういえば他の男共は?」(中略)

ボクら先生に何かあった時の
バックアップメンバーとして集められたんだし
「君らもだろ」
「いかにもっ」
「父上の差しがねか ここまで手厚いバックアップ体制とは
 どこまでボンボンなのか お兄様最後までかっこ悪っ」

「まぁでもそんな風に集められた僕らも
 結局は女子と同じく 本当の級友でした」

――そして先生 あなたは 本当の先生でした (第30巻135-137)


国也が彼らと同様に、真実を分かっていて演じていたかということは分かりません。
しかし、どちらにせよ、国也の愛への気持ちは本当のものであったのでしょう。
それは演技で想っていたわけでない。
だからこそ、演じ手として登場せず、また登場できなかったと考えられます。
バックアップのために集められた青山たちは、「本当の先生でした」と述べるとは言え、
自ら知っていて演じていたことを言及した時点でどこか「外部の人」になります。
国也は望と同様に、外部の人ではあり切れていないからこそ、
彼らに並んでそう言及する立場にはいないのです。

同じ理由で、影郎も登場しなかったと考えられます。
彼の場合、影が薄かっただけとも考え得るところですが、
先の考えを敷衍してくるならば、彼もあびるに対して想う気持ちを持つ者であるため、
もはや演じ手として登場せず、また登場できなかったと考えられます。

男子生徒の中で少なくない登場回数を持ちながら、
最終話に登場しなかった二人の共通点は、誰かを想っていたということです。

結論として、国也が他の男子生徒たちとともに登場しなかったのは、
彼が愛に対して本当の気持ちを有していたためです。
そのために、准たちと並んで登場せず、また登場できなかったのだと思います。

望が真実を語らなかったことにせよ、国也が登場しなかったことにせよ、
その根っこにあったのは、絶望少女たちへの想いです。
望や男子生徒たち、普通の教室を「作り上げていた」側から読むと、
このような「想い」を描き出す、『さよなら絶望先生』の側面が見えてきます。



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