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恋の「凄まじさ」への反転 (大北紘子『Vespa』)

2014.07.20 22:20|百合作品
Vespa (IDコミックス 百合姫コミックス)Vespa (IDコミックス 百合姫コミックス)
(2014/06/19)
大北 紘子

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今回は、大北紘子さんの『Vespa』について、紹介しつつ考えていきます。
まずは、簡単に作品の雰囲気を紹介します。
裏表紙の概要が、表題作について簡潔にまとめています。

極端に男性の出生が減少した世界。
女性たちは貧富・身分の差から、
子供を産み育てられる身分と
労働に従事することで一生を終える身分に大きく分けられていた。
姫に仕える恋塚は、叶わぬ想いを胸に秘めて生涯を終えようと思っていた。
姫の隣国の女王への輿入れが決まるその日まで。
傲慢で、冷酷な女王に人身御供のように嫁ぐことになった姫は、
それでも恋塚に頼ることはなかった。
人形のように孕まされる役目を負った過酷な姫の運命を案じ、
婚姻記念式典の日恋塚はある計画を実行する――。 (裏表紙)


「Vespa」が壮絶な物語であることは、これだけでも十分に悟ることができます。
想いを寄せていた貴人が嫁いでしまうという身分違いの物語は、
さして珍しいものではありませんが、
極端に男性の出生が減少し、女性の間に明確な身分が存在するという世界の設定が、
物語に特有の「凄まじさ」を生んでいます。
次の部分は、これに息を飲むところであると言えるでしょう。

「姫様がどうなるかわかっているのか
 女王のところに嫁に行くのはただパートナーになるのとはちがう

 女王の国は代々血縁で続いている
 男が生まれにくいのは我が国と同様だが
 それでも精子のストックは十分にあるだろう
 逆に言えばそれさえあれば男はいらないんだ

 だったら女が女を嫁にもらうメリットは?
 女王が自ら子を生むとでも思うのか?

 姫様の腹を借りるんだ

 処女のままの人工授精と初産のリスクを避けるため
 一度適当な種で産ませてから正式に女王の卵を孕ませる
 わかるか?
 犯させるんだよ男に
 わざわざそのために希少な男を育てていると聞いたことがある
 もちろん姫様も承知だ お前それでいいのか」 (45-47)


男性の出生が少ない世界が生む、この類の権力関係が凄まじく描かれているのです。
とはいえ、「Vespa」はこの種の「凄まじさ」のみで覆われた作品ではありません。
クライマックスにおいては、むしろここから脱却していると見ることもできます。
姫と恋塚、そして女王は、そこでそれまで背負っていた役割を、劇的に脱ぎ捨てるのです。

このことを説明するためにも、今回は一つの問題提起から始めたいと思います。
私が疑問に思ったのは、物語の佳境における女王の行動についてです。



○大北紘子『Vespa』:恋の「凄まじさ」への反転


クライマックスにおいて恋塚は、婚姻記念式典を襲撃し、姫を連れて逃げ出しますが、
あと一歩のところで先回りしていた女王に道を塞がれてしまいます。

このとき女王は何故、「独りで」二人の前に立ち塞がったのでしょうか。

これまで彼女は、強大な力を持つ国家の女王として強調されていました。
その彼女が姫と恋塚の逃亡に気が付いたのであれば、
兵士に指示して二人を確保することもできたはずです。
仮にそうしていれば、二人に手痛い攻撃を受けることもなかったでしょう。
それなのにこの女王は、独りで二人の前に現れたのです。
このことは考えるべき一つの問題として捉えられると思います。

婚姻記念式典の全景を確認できる場面を見ると(74)、
警備の兵士は皆、恋塚と同じ格好をしていることから、
専ら姫の国の兵士をもってあてていたと考えられます。
しかし、女王も一国の女王であるからして、
その身一つで姫の国を訪れたとは普通考えられません。

やはり彼女がその身一つで立ち塞がったことは、違和感を覚え得ることです。
婚姻記念式典に女王の国から警備が回されていたかはともかく、
事実として女王は独りで二人の前に現れることとなった。
そこには如何なる意味があるというのでしょうか。

この問いに対する答えのヒントとなるのが、恋塚を撃った後の女王の言葉です。
彼女は姫に、自分の過去について語り出します。

「あなたたちがまだ子どもだった時代
 生身の男がまだ少しはいたわ
 外国ではまだ十分数を保っている国だってあった

 …身ごもったの 好きな男だったわ

 利口で血統も良くて申し分なかった
 母国に金を積んだのがプライドに障ったのかしら
 わたくしの子は生まれる前に死んだ

 殺したわ… 男という男を
 わたくしが始末してあげる
 あなたの恋人 まるで男の子みたい」 (93-94)


このようなことは、女王はここまで全く語っていませんでした。
彼女は徹底的に大国の女王として、姫の前に登場していたのです。
非常に象徴的な場面として、「18日前の黒色」での一幕があります。

「…何かご用…? あらイザベル おはよういい朝ね…」
「泣いて…おられたので…」
「あら わたくしだって怖い夢くらい見るわ」
「毎日…?」
「偶々よ… いやだわすごい汗…
 ねえお風呂につき合いなさい そうすれば午後は一人にしてあげるわ」
「陛下… どうしていつも黒い服を…?
 毎日泣いていらっしゃることと関係が…?」
かっこいからよ ばかね」 (137-138)


ここで女王は、姫に自分の過去について語るなどということはしませんでした。
あくまで大国の冷酷な女王という位置を守っているのです。
その彼女がクライマックスで自分の過去について語るのは、
姫のために大それた計画を実行に移した恋塚が原因であったと考えられます。
実際に女王は過去についての語りを、
「あなたの恋人 まるで男の子みたい」と締めくくっています。
恋塚を始末するということを述べる前の枕として、
女王は自らの過去を導出しているのです。

考えてみると、恋塚もここでは一近衛兵の身分を逸脱しているのでした。
恋塚は始まりの一撃が訪れる直前に、確かに迷いを覚えています。

――姫様 わたしは自分が正しいのかわからない
 こんなことをして激怒されたらどうしたらいい (75)


恋塚がそう不安に思ったのは、計画が明らかに分を弁えぬ行動であるためです。
それでも彼女は、近衛兵という立場から逸脱して、姫を連れて逃げ出しました。
姫が姫の立場から逃げられないと述べたのに対し、
それを無視して、姫を抱えて橋から飛び降りる場面(84-85)は、
恋塚の立場からの逸脱を、姫という立場を守る姫との対比の中で示しています。

女王は、恋塚の逸脱に対して、自らも逸脱で応えたと考えられます。
すなわち、近衛兵という立場から逸脱して姫を連れて逃げ出した恋塚に対して、
女王は女王という立場から逸脱して二人の前に現れるのです。

確かに彼女の物言いは、以前冷酷な女王のものに他なりませんでした。
しかし、それは外形上のことに過ぎません。
女王は女王でありながら、独りで立ち塞がり、自らの個人的な過去を語ったのです。
この場面での彼女は、既に女王とみなすわけにはいかなくなっています。
彼女はここで、近衛兵という身分から離れて、ただ自分の気持ちだけで動く恋塚と同じく、
女王という身分から離れた、ただの一人の女として登場しているのです。

彼女の女王という立場からの逸脱は、最終的に彼女の次の独白に繋がります。

――いつも絶望していたの いつも ひとりぼっちだった
 笑わないあなたが泣くと嬉しかった
 ずっと一緒にいてくれたら とてもいいなって思っていたのよ… (99-100)


女王は姫に気持ちを寄せる一人として、水底に沈んでいきました。
ここで行われたことというのは、姫と近衛兵、そして女王の物語からの反転です。
土壇場において、近衛兵という立場を捨てた恋塚を端緒に、
それぞれがそれぞれの身分から逸脱していきます。
その逸脱の果てに残るのは、ただの一人の人としての、誰かへの気持ちに他なりません。
それに基づいて、恋塚は姫を連れ出し、
女王は独りで二人の前に現れ、姫は女王をぶん殴ります。
ここまでは、男性の出生が極端に減った世界ゆえの、
身分に基づく凄まじい関係性が物語の中心にありました。
恋塚たちは、姫や近衛兵、そして女王という身分に従って、
それぞれの役割に則って演じているに過ぎなかったのです。
それがクライマックスにおいては、ただの三人の物語に収斂しています。
だからこそ、姫と恋塚は女王のところから逃げ果せたと考えられます。

結論として「Vespa」は当初、独特の世界の設定と、
それゆに起こる女王と姫の凄まじい権力関係を中心に据えて進行しながら、
クライマックスにおいてそこから劇的に飛翔してみせます。
姫と近衛兵、そして女王の物語は、恋塚たちの襲撃の土壇場で、
それぞれに誰かを想うただの人の物語に化けるのです。
女王が二人の前にたった一人で現れたことは、
このことの一つの現れであったと言えると思います。
「Vespa」は単に、その世界ゆえの「凄まじさ」だけで成り立っているわけではないのです。
そこから急反転して最後に前面に押し出されたのは、三人のそれぞれの想いに他なりません。
先のものとは別種の、その想いゆえの「凄まじさ」がそこにはあります。
これまで従っていた立場を投げ捨てさせて、
それぞれにとんでもない行動を起こさせる、人の恋の「凄まじさ」です。



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真冬が霧絵のところに残ることの意味

2014.07.13 10:36|零シリーズ
零~zero~零~zero~
(2001/12/13)
PlayStation2

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今回は、エンディングの後、再び災厄は起こり得ないのかという、
零シリーズの全作品に通じる問題を取り上げていきます。
そしてその視点から、無印で真冬が霧絵と共に残ることの意味を考えていくつもりです。
もうすぐ新作の映画も公開となる予定ですが、その前に原点に立ち返って、
特に無印について改めて考えてみたいと思います。
もしよろしければ、各作品を振り返りつつ、お付き合いください。



○真冬が霧絵のところに残ることの意味:災厄の再発生の可能性から


零シリーズの根本的な疑問として、災厄の元となる門を封印して終わるのはいいとして、
「それがいつか再び解けてしまうのではないか」というものがあると思います。
実際、これまで儀式は一度で済まず、門が疼く度に何度も繰り返してきたことが、
各作品の作中では明示されています。

ということは、エンディングの末に閉じられた門が、
そのままずっと大人しくしているという保証は全くないと言えます。
物語の末に円満に儀式が履行されたとして、
果たしてそれがどこまで効力を持つのかということは触れられていません。
ここは零シリーズの一つの考えどころであると思います。

この問題は、無印において特に鋭く刺さってきます。
というのも、災厄が人の「病」という形で発生する月蝕は、島に人がいなくなった時点で、
また、近しい人を亡くした人たちの痛みを引き受ける刺青は、
引き受けさせる風習が途絶えた時点で、惨劇が再発生しないと確信できるためです。
この二つの作品においては、その場所に人がいることが、
災厄の発生には必要不可欠でした。

それゆえに、人がいなくなったことで問題は起こり得ないと考えられます。

しかし、ただその場所が理不尽に儀式を必要とする、
黄泉に近い場所であった無印と紅い蝶においては、
その場所が再び騒ぎ出し問題を起こすことは有り得ます。
刺青や月蝕のように、そこに住んでいた人がいなくなったことによって、
当然に円満な解決が果たされるわけではないのです。

それでも紅い蝶の場合は、村がエンディングの後に水没しています。
ゆえに虚が残り続けるとしても、それが人に影響を及ぼす可能性は極小であると言えるでしょう。
よって、ただ無印において、エンディング後の再発が大きな問題で有り得るのです。

というのも零無印においては、氷室邸の付近に「ふもとの村」が存在し、
そこでは氷室邸に近付かないようにという風にはなっているものの、
いつ誰かが巻き込まれてもおかしくないということが、
真冬のメモの内容等によって確認されています。

 もし、このメモを読んだのなら、協力して欲しい。

 氷室家の呪いの元凶は、霧絵という女性だ。
 ある儀式で生贄になった彼女の悲しい記憶が、
 黄泉からあふれだした瘴気にさらされ、全てを呪う存在となってしまったようだ。

 彼女はどうやら、想いをよせていた男性の面影を私に重ねているらしい。
 彼女がふれた時、そのことがわかった…

 私はこのまま、彼女に会うつもりだ。

 そうしなければ、この屋敷は犠牲者を出しつづけるだろう。


ここでは氷室邸の場所自体は、
犠牲者を出し続けることができる位置にあることが提示されています。
仮に再び門が開けば、誰もその影響を受けないとは言い切れないのです。

以上のように考えていくと、深紅は真冬と共に帰ることはできませんでしたが、
少なくとも氷室邸の問題については解決されたという、
一般的であろう理解は、それだけでは不十分なのではないかと考えられます。
問題は当面解決されましたが、今後についてはどうなるのか分からないのです。

では、結局氷室邸の問題も解決されず、エンディングの光景も、
当面の平穏の奪還であったとしか考えられないのかというと、そういうわけではありません。
なぜなら無印は、霧絵の目を覚まさせて、これまでに何度も繰り返してきたように、
彼女一人に門を閉じる役目を託したというわけではなかったためです。

無印は、かつて失敗した儀式を再現するだけでなくて、
その「儀式の先」をいっているのです。
つまり、これまでは一人で巫女が門を封じていましたが、
今回は一人ではなく、真冬が残って傍にいるのです。
ここに、門が再び開かない可能性を見つけることができます。

確かに、巫女が一人で門を封じ続けるのであれば限界があり、
これまでと同じように、やがて封印が解けてしまうかも知れません。
しかし、二人であればどうかということについては分かりません。
それはこれまでにやったことがないのです。
これまではむしろ、現世に執着してしまうという理由で、
巫女が誰かと共にあることは徹底的に否定してきたのでした。
そうしたこれまでとの剥離が、真冬が残ったからこそ生まれています。

結論として、再び惨劇が起こってしまう可能性は、
無印において特に問題になると考えられます。
しかし無印においては、これまでの儀式と異なる点、すなわち、
真冬が霧絵と共にあるという点が一条の光となっていると考えられます。

それは、巫女が「未来永劫」門を閉じ続けるという、
これまでの儀式の度に達成できず、
そもそも目標にすらされなかった過酷な大目標に対する、
ただ一つの希望になっているのです。
逆に言えば、真冬がそれでも霧絵のもとに残ったことには、
そのような意味を見出すことができると言えるでしょう。



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テーマ:零シリーズ
ジャンル:ゲーム

誰かの手を引く私は、誰かに手を引かれた私 (アイカツ!第89話考察)

2014.07.06 09:30|アイカツ!
TVアニメ/データカードダス アイカツ! POP ASSORTTVアニメ/データカードダス アイカツ! POP ASSORT
(2014/06/25)
STAR☆ANIS、りすこ from STAR☆ANIS 他

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今回は、『アイカツ!』第89話「あこがれは永遠に」を考えていきます。
前半は新CM、後半は星座ドレスでのステージと、見せ場の多いユリカの一話であったと思います。
この話の中で最初に目を引くのは、ユリカが朝食のシリアルのCMに出たということです。
作中でも強調されているように、これはユリカの新しい挑戦であったと思います。
それも、一つ間違えれば吸血鬼のキャラが崩壊しかねない、リスクのある挑戦です。
それでも挑戦し、成功できた点に、ユリカの成長を見出すことができます。
きいの言うように、ユリカに「自信」があったからこそのCM出演でした。

しかしCMは、ユリカ個人の成長の結果としてだけ提示されているわけではありません。
彼女の新展開の影には、パートナーの存在もあったと考えられます。
この記事では、第89話のこの側面をピックアップすることから始めて、
そこからユリカとある人物との類似を指摘したいと思います。



○『アイカツ!』第89話:誰かの手を引く私は、誰かに手を引かれた私


(1) 挑戦のきっかけとしてのパートナー

まず、注目したいのは、ユリカのCMが決定する場面の最初に、
「2ヶ月前」という字幕がついているということです。
このように具体的に時間が指定される例は、ここまでにもあまりなかったと思います。
何故珍しく、「2か月前」ということがわざわざ示されたのでしょうか。

私は、ユリカのCMへの挑戦が、ある出来事の直後であることを強調するためであったと思います。
ある出来事とは、ユリカがかえでとパートナーになったことに他なりません。
二人がパートナーとなる第79話の放送があったのは、現実の4月末のことでした。
『アイカツ!』という作品は、クリスマス等のイベントの回を確認すれば分かるように、
現実の時間の進行と大体足並みを揃えているため、
二人がパートナーになったのも、4月末であったと推定できます。

これに対して、ユリカが朝日に挑戦する決意をしたのは、
今から「2ヶ月前」の5月上旬の頃です。
ユリカが4月末にかえでとパートナーになった直後であったと考えられます。
この時期に、ユリカは自身のイメージとは異なる領域に飛び込んでいるのです。
その決意の裏には、かえでといっしょに行う活動があったと思います。
実際に、ユリカはかえでとの活動において、
自分の領域ではない、かえでの領域にも挑戦しています。

「実はわたし、ずっと好きだったの」
「え!?」
「かえでのマジック!」
「そうなんだ。じゃあトゥギャザーしちゃう?」
「え?」
ステージと一緒にマジックしよう! 二人で吸血鬼になって
「素敵!」 (第81話)


パートナーとの活動は、新しい挑戦への契機と位置付けられているのです。
パートナーとして活動する中で、相手の領域にも踏み入って、
結果として自分にとっては新しいものを取り入れていく。

第81話の記事でも述べましたが、こういったテーマが、
特にパートナーズカップに際しては提示されていました。

第81話で、ユリカが最高のパートナーの証として、かえでに絞りたての血、
もとい「ブラッドオレンジジュース」を差し出す場面は象徴的です。
あれは、第20話等のように「トマトジュース」でなかったことに意味があると思います。
というのも、オレンジはかえでのイメージカラーです。
ユリカが自分を保ちながらも、かえでに近付き、自分を変えてもいるということが、
血のような赤さは保ちつつ、トマトをオレンジに変えているという点に見出せます。

第89話の朝日を浴びるCMも、ユリカが自分を保ちつつ、
自分を変えてもいく挑戦に他なりませんでした。
ユリカのCMを見たセイラは、次のように評価しています。

「ハッピーレインボーは新鮮で可愛く映ってたし、
 藤堂本来のバンパイアキャラは、微塵もぶれてない!」 (第89話)


ユリカはパートナーとの活動と同じように、自分一人の活動においても、
自分をぶれさせることはなく、新しい領域へと挑戦していくのです。
そして、その挑戦のきっかけが「シリアル」のCMであったことは、
ブラッドオレンジジュースと同じように意味ありげに映ります。
というのも、シリアルは「アメリカ」生まれの食品です。
新CMの裏にはかえでの存在があったことが仄めかされています。
朝日への挑戦は、ユリカ自身の成長の結果として提示されていると同時に、
かえでと組んだことにより始まった新しい挑戦の一つとしても提示されているのです。


(2) ユリカと美月の類似

次に、ユリカが太陽の下に出たという事実に注目します。
新しい挑戦の結果、バンパイアらしく月の下に現れていたユリカは、
これまで縁のなかった朝日の下に出ることになりました。
これは、みくると出会い、『太陽のSuncatcher』で太陽の下に出た美月を彷彿とさせます。
美月もユリカと同様に、専ら月のイメージの下に自分を置いていました。
それが、みくるとパートナーになったことで太陽の下に出て、
果てはソレイユの光を受けて、それ以上に輝くサンキャッチャーとなったのです。

このWMの美月に、今回のユリカは重ねられていたと思います。
つまり、ユリカも第79話でかえでとパートナーになって、
そこから朝日の下へと進み出て行ったのです。

よって、ユリカが今回やり遂げたことというのは、
かえでというパートナーの存在を一つの鍵として、
月のない朝日の下に出て行くということに他ならなかったと思います。
これは美月が、みくるというパートナーを鍵として太陽の下に出て行ったのと同様で、
ユリカが美月と並べて描かれていると考えられます。


(3) 誰かの手を引く私=誰かに手を引かれる私

最後に、『永遠の灯』に触れつつ第89話のテーマについて考えてみます。
ここに至るまでに、今回のユリカは、
美月と並べられて描かれているということが明らかになりました。
それもあってか、今回披露されたユリカの『永遠の灯』は、
偶然か同じCDに収められることとなった『笑顔のSuncatcher』に非常に似ています。
もちろん、二つは曲調からすれば全く異なるものと言えるでしょう。
しかし、二つの曲の大まかなテーマは、そこまで異なるものではないのです。
それぞれの歌詞の一部を引用してみましょう。

シエスタみたいに 枯れた海辺の街へ
バスから降りてきたシャイニーガール
色めきたつ波 曇りから青空に
噂の渦まきおこす

みんなだってもっと イキイキと輝ける
ハートは踊る 嬉々らキラキラして(中略)

そう あなたもサンキャッチャー  『笑顔のSuncatcher』


終焉を待つ世界みたいに 暗闇の中 視線彷徨う
君の願いを叶えたはずなのに...

鳥籠の中 どうして君は ずっとそこから出てこないの?
扉の鍵は僕が壊してきたのに  『永遠の灯』


『笑顔のSuncatcher』は、「シャイニーガール」が「みんな」に、
もっと輝けることを呼びかけていく歌詞に、
『永遠の灯』は、「僕」が「君」を鳥籠から連れ出そうとする歌詞になっています。
両方とも、誰かが誰かの手を引いていこうとする点では似たテーマと言えます。

そして重要なのは、それぞれの曲を歌うアイドルが、
曲中に登場する二種類の人物の、どちらにも重ねられるということです。
美月は一方で、自ら輝き周囲を熱く輝かせる「シャイニーガール」ですが、
他方で、みくるやソレイユに一層輝かせてもらう「サンキャッチャー」でもあります。
同様にユリカも、ちまきとの関係においては、鳥籠を開ける「僕」の側でもありますが、
かえで(第79話)やいちごたち(第20話)に鳥籠から連れ出してもらう「君」の側でもあります。
アイドルは、曲に登場する二種類の人物のどちらでもあるのです。


誰かの手を引く私は、誰かに手を引かれた私でもある。


ユリカは、美月と重ねられる中でこのテーマを今一度提示したと言えます。
第88話では、織姫に教示を受けた者である美月が、
今度はいちごたちに教示を授けていく姿が描かれていました。
第89話でユリカが行ったことというのも、これと変わりありません。
ユリカは末尾で、マスカレードの像を見上げて、物思いにふけります。

「昨日はお疲れ様。いいステージだったわ。何か考え事でもしていたの?」
ここに座って、偉大な先輩たちのことを考えてると、
 今もたまに、自分がアイカツしてるのが信じられなくなるんです
「藤堂は一歩一歩、自分の道を切り開き、階段を上ってきた。
 あなたは間違いなく、唯一無二のアイドルよ」
「ありがとうございます」 (第89話)


ここでは、ユリカに「偉大な先輩たち」への憧れもあったことが示唆されています。
「偉大な先輩たち」の中の一組は、『変身カレンダー』の主人公を思い出させる、
マスカレードに他ならなかったでしょう。
そうやって、「偉大な先輩たち」に手を引かれてきたユリカが、
今度は先輩としてちまきの手を引いていくのです。
こういった「つながり」は、『SHINING LINE』で歌われているものに他なりません。
ユリカは自分がもらったバトンをちまきに繋ぎ、彼女と光のラインで繋がったのです。



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  月と花の出会う場所:「Suncatcher」というイメージ (第81話)
  ミューズでもあるパートナー (第85話)


テーマ:アイカツ!
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プロフィール

Author:天秤
天秤と申します。
アニメや漫画など、好きなものについて考えたことを書き込みます。
よろしくお願いいたします。

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