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広がり開かれる、みんなで叶える物語 (ラブライブ!二期十話考察)

2014.06.29 13:03|ラブライブ!
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今回は、クライマックスを迎えつつある『ラブライブ!』の第十話について考えます。
第十話では、「みんなで叶える物語」というμ'sのキャッチフレーズが提示され、
μ'sは九人だけで進んでいくわけではないことが明確にされました。
μ'sは、学校のみんなともいっしょに、彼女たちの物語を紡いでいくのです。
そこで、学校のみんなは、μ'sの外側にいるだけの存在ではありません。
μ'sがアイドルとして対峙すべきファン以上の意味を持つこととなっています。
つまり、彼女たちは、μ'sと関わる中で彼女たちに巻き込まれ、
彼女たちとともに進んでいく仲間に、いつの間にか変化していたのです。
この、μ'sの外にいた者たちの、ともに歩む仲間への転換というのは、
アニメ第一期の流れを思い出させます。
そこでも最初はμ'sの外側にいたメンバーたちが、
主に穂乃果に巻き込まれる形で、ともに歩む仲間(メンバー)になっていったのでした。

そう考えると、学校のみんながμ'sとともに歩む側になる第二期の物語というのは、
メンバーの八人が穂乃果とともに歩む側になっていった第一期の物語が、
より「広がり開かれていく」ものに他ならなかったと言えるのではないでしょうか。

メンバーの八人が穂乃果に巻き込まれ、ともに歩んでいく物語は、
学校のみんながμ'sに巻き込まれ、ともに歩んでいく物語へと展開したのです。
この記事では、特に第二期第十話の内容に注目しつつ、
以上の点について詳らかにしていきたいと思います。



○『ラブライブ!』第十話:広がり開かれる、みんなで叶える物語


まず、穂乃果がμ'sの原動力が何かということを悟るきっかけとなった、
学校のみんなにおもちをご馳走する場面に注目してみましょう。

「何か考えてみたら、学校のみんなに何のお礼もしてないなあって」
「お礼?」
「うん! 最終予選突破できたのって、みんなのおかげでしょう?
 でも、あのまま冬休み入ちゃって、お正月になって」
「だからって、おもちにする必要ないじゃない」
「だって、他に浮かばなかったんだもん!」 (二期十話)


そして、μ'sの面々は学校のみんなにおもちを振る舞うわけですが、
このときの光景というのは、どこか二期第八話の次の光景と重ねられるものです。
希がふと思い出す、穂乃果がμ'sのみんなにお饅頭を振る舞う場面です。

lovelive15.png

この、いつかの光景というのは、穂乃果の家で食べ物を振る舞うという点において、
第十話でμ'sが学校のみんなにおもちを振る舞う場面と近いと考えられます。
ただし、振る舞う人物と、振る舞われる人物はすげ変わっています。
すなわち、第八話では穂乃果がμ'sのメンバーにお饅頭を振る舞うのに対し、
第十話ではμ'sのメンバーが学校のみんなにおもちを振る舞っているのです。

振る舞うのはμ'sのメンバーに、振る舞われるのは学校のみんなにシフトしています。

この第八話と第十話との差異は、これまでと今との差異と考えることができます。
というのも、第八話は希の想いを通して、μ'sの「これまで」を振り返る側面がありました。
先のお饅頭の場面というのも、第一期の物語の末、
希が現実に手に入れることができた「夢」の光景であったと言えるでしょう。
九人が歩んできた「これまで」の結果が、
あのお饅頭の場面で象徴される、いっしょの光景だったのです。
それは第一期の物語の結果とも言うべき、「九人の景色」でした。

それに対して提示されたのが、第十話の「今」だったとは考えられないでしょうか。
そこでは九人がいっしょなのは既に前提となっています。
そして、新たなメンバーが、先のいっしょの光景に加わっているのです。
その新たなメンバーというのが、学校のみんなでした。
第十話は、既に九人だけではないことを対比的に示したと言えるでしょう。
これは、第二期のここまでの物語の末、手にした結果に他なりません。
ラブライブ優勝を掲げたμ'sの面々が、学校のみんなに応援を呼びかけ、
学校のみんながそれに応えたからこその、「九人の景色の先」であったのです。

もちろん学校のみんなは、第一期の時点で既にμ'sに近くありました。
特に、穂乃果のクラスメイトの、ヒデコ、フミコ、ミカの三人は、裏方を早くから手伝っており、
単なるμ'sのファンというだけのところから脱却していたと考えられます。
しかし、彼女たちも第一期の時点では、あくまで、
μ'sの外側にいる存在として強調されていた気がします。

第一期第十二話で、穂乃果がμ'sを脱退した後、
彼女たち三人と遊びに行っていたことは象徴的です。
あの状態の穂乃果が三人とともに在ることができたのは、
彼女たちがμ'sの外に在る三人であったからに他なりません。
第一期の時点では、彼女たちも含めた学校のみんなが、
μ'sといっしょに進んでいく者としては描かれていなかったと考えられます。


このことは、第二期第十話と対比的な、第二話の次の場面から判断できます。
というのもそこでは、穂乃果たちも、学校のみんなをともに歩く仲間とみなしていないのです。
合宿の最中、穂乃果がμ'sの在り方について、温泉で語っているところに注目します。

「私、まだできてない……」
「できるよ!」
「でも……」
だって、九人もいるんだよ!
「穂乃果ちゃん!?」
「誰かが立ち止まれば、誰かが引っ張る。誰かが疲れたら、誰かが背中を押す。
 みんな少しずつ立ち止まったり、少しずつ迷ったりして、それでも進んでるんだよ!
 だからきっと、できるよ! ラブライブの予選の日は、きっと上手くいくよ!」
「うん!」
「そうだね」 (2期2話)


ここで穂乃果は明らかに、μ'sの九人のみが、
いっしょに進んでいくことを想定しています。
そこに、学校のみんなは入り込んでいません。
少なくとも第二期第二話までは、学校のみんなは外部と考えられていたのです。
しかし、この状態は第十話では変化しています。
絵馬を前にして、穂乃果が気付く場面を見てみましょう。

「そっか! 分かった! そうだ、これだよ!」
「何なのよ、いきなり」
「μ'sの原動力! 何で私たちが頑張れるか!
 頑張ってこられたか! μ'sってこれなんだよ!」
「これが?」
「うん! 一生懸命頑張って、それをみんなが応援してくれて、
 いっしょに成長していける。それが全てなんだよ!
 みんなが同じ気持ちで頑張って、前に進んで、少しずつ夢を叶えていく。
 それがスクールアイドル! それがμ'sなんだよ!」 (二期十話)


ここでは、学校のみんながいっしょに進んでいく者とみなされています。
この第二話と第十話との違いを鑑みるに、
ラブライブの予選が重要なターニングポイントであったと言えるでしょう。
そこで、A-RISEという強大な外部と対峙するに当たって、
これまでμ'sがアイドルとして対峙すべき外部であった学校のみんなは、
μ'sの後ろに回って支えてくれる仲間となったと考えられます。

実際に、第三話や第九話は、彼女たちが後ろからμ'sを支えるところを描いていました。
これらの場面で学校のみんなは、μ'sが先へ進むために不可欠な役割を演じています。
彼女たちがいなければ、μ'sは敗退し、夢を叶えられなかったかも知れないのです。

ここが重要な転換点であったと思います。
第一期では、学校のみんなはそのような役割までは演じていませんでした。
ヒデコ、フミコ、ミカすらもそうです。
例えば、ステージの裏方がいなくて、このままではどうしようもないところに、
三人が颯爽と現れるというような描かれ方はされていませんでした。
しかし、第二期では、まさしくそのような描かれ方がされているのです。
第二期の中で、学校のみんながμ'sの前進に不可欠な存在として登場し、
その結果として、彼女たちはともに「夢を叶えていく」存在になったと言えます。
そう考えると、先のおもちを振る舞う場面は、
やはり、このような第二期の物語の結果としての、
「九人の景色の先」であったと言うことができるでしょう。

結論として第十話は、第一期で穂乃果がμ'sのメンバーを巻き込んだ結果、
手に入れることのできた「九人での景色」に対して、
第二期でμ'sが学校のみんなを巻き込んだ結果、
手に入れることとなった「九人での景色の先」を明示したと言えます。
「穂乃果とメンバー」の物語は、「μ'sと学校のみんな」の物語へと展開したことを、
お饅頭を振る舞う場面とおもちを振る舞う場面の違い、更には、
穂乃果の温泉での語りと絵馬の前での語りの違いが示していたのです。

しかし、第二期第十話で、広がり開かれた「みんなで叶える物語」は、
第十一話において反転し、再びμ'sの九人に焦点を当て始めたように思います。
三年生三人の卒業を目前にして、もう一度「九人の景色」が強調され始めるのです。
ここをどのように解釈し、作品全体をどのように考えるのかという問題は残っていますが、
ともあれ第二期第十話までは、これまでの「穂乃果とメンバー」の物語が、
「μ'sと学校のみんな」の物語に広がり開かれていく作品であったと言えるでしょう。、
次回はこの今回の考えを踏まえ、作品全体をまとめたいと思います。



○関連記事

   「意志」と「いま」の物語へ (第一話)
   支え合い、補い合うμ'sというグループ (第二話)
   どうにもできないことを受け止めて (第五話)


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テーマ:ラブライブ!
ジャンル:アニメ・コミック

新しいシュシュでなく、ヘアピンであった理由 (竹宮ジン『game』)

2014.06.22 20:05|百合作品
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今回は、竹宮ジンさん『game』について、紹介も兼ねて考えたいと思います。
この作品は、二つの連作から成り立っていますが、
両方とも、相手を想うがゆえの心中の大混乱が非常に印象的でした。

焦燥、動揺、勘違い……。

そういうごちゃんごちゃした内面の表現に、
目を引かれる一冊ではないでしょうか。
例えば、一箇所引用してみると、次のような場面があります。

「さっき お姉ちゃんと…」
「あー… 瞳の色見せてたやつ?」
「…へ?」
「目だよ」
「…へ?」
「モリコも見る?」
――はぁ!?
「どぞ」

――うわあああ… あたしの勘違いかよっ…
――そりゃそうだよね… お姉ちゃんがあたしの友だちに
 手を出すわけないし…
――はー… 良かった… ――ん?

――良かったってなんだーー!? (45-47)


文字で抜粋しただけでは、なかなか伝わりづらいとは思いますが、
ここのてんやわんやした感じが、
何だか面白くもあり、共感できるところでもあるんですよね。
結構特徴的な部分であると思います。

また、この作品においては、同じ作者の『キラキラ』等でも登場していた、
さとみと那奈の関係がついに劇的に動きました。
今回は、こちらの物語にスポットを当てて、
一つの疑問について考えていきたいと思います。
既にお読みになった方は、もしよろしければ、以下お付き合いください。



○竹宮ジン『game』:新しいシュシュでなく、ヘアピンであった理由


それでは、さとみと那奈の物語が改めて始まる短編、
「ナクシモノ/オクリモノ」の内容を見てみましょう。
この冒頭でさとみは、那奈がいつも付けているシュシュに、
非常に執着していることに気付きます。

「このシュシュお気に入りなんだねー」
「って言うか コレしか持ってないから」
「え? そうなの!?」
――プレゼントしたーい!!
「あっ じゃあ今度一緒に買いに――…」
コレがあるから大丈夫!!

――何? その反応… (89)


那奈は、それが陽子からの贈り物であるから、大切にしていたのです。
さとみはその事実を確認し、那奈にそれだけ想ってもらえる陽子にムカつきながらも、
自分でも那奈に対する贈り物を購入します。

――いきおいで買っちゃたけど渡すタイミングがねぇ!! (96)


問題は、ここでさとみが購入したのが、シュシュではなかったということです。
さとみの贈り物は、シュシュでなくヘアピンでしたが、
初めて読んだとき、これが私には意外でした。
というのも、那奈が「前に進む」というテーマを推すだけなら、
「陽子のシュシュからさとみのシュシュへ」という変化で全く構わなかったと思うためです。
わざわざ、シュシュをヘアピンに変える必要はなかったはずです。
それでは、ヘアピンに変わっていた理由は何か。

私は、シュシュでなくヘアピンであったのは、
那奈が、陽子とのこれまでを持ち続けたまま、
それでもさとみとともに先に進んでいくという、
前への進み方を提示するためであったと思います。
けだし、この物語は、単に那奈が前に進むことを描きたかったのではないのです。
とにかく、前に進めばいいというわけではない。

仮に、さとみが購入したのがシュシュであったなら、
那奈は上書き保存で、前に進んでいく形になった(見えた)と思います。
然るにこの物語は、それとは異なる「前への進み方」を示していて、
であるからこそ、シュシュではなくヘアピンであったのではないでしょうか。

現にさとみは、那奈の中で陽子が大切な人であり続けることについては、
ムカついてはいるものの、否定しようとはしないのです。

――正直 那奈にこんなに想ってもらえる陽子にはムカつく
 ――けど あたしがあげたヘアピンが
 いつか那奈の一番になればいいと思う (105-106)


シュシュとは全く違うところにへアピンを付けるように、
さとみとのこれからは、陽子とのこれまでとは全く違うところに積み上げられていく。

そうした「前への進み方」が、シュシュでなく、
ヘアピンであることで強調されていた気がします。


テーマ:漫画の感想
ジャンル:アニメ・コミック

ミューズでもあるパートナー (アイカツ!第85話考察)

2014.06.14 17:25|アイカツ!
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今回は、『アイカツ!』第85話「月の砂漠の幻想曲」を考えていきます。
個人的には、唐突に繰り出された蘭の必殺技が結構印象に残りました。
それがジョニーの言うように「ビューティフル!」であったことは、
「美しき刃」である蘭のイメージを受けてのものだと思いますが、
「魅惑の刃幻想剣」という名前は、どちらかというとそらを思い出させます。
そう考えると、とどめをさしたのは蘭一人でしたが、
あくまで蘭らしくもありそららしくもあった決め場であったと思うんですよね。
蘭とそら、二人の物語を、二人の色で締めくくったという印象です。

さて、この記事では、第85話を二つの観点から眺めてみたいと思います。
これまでの話とも関連させてみることで、第85話は一層面白くなる気がします。



○『アイカツ!』第85話:ミューズでもあるパートナー


(1) 蘭の成長:役に成りきるという課題

まずは、蘭の成長という観点から、物語を眺めてみましょう。
第85話は、新生スワロウテイルのオーディションをやった第21話の先の話と捉えられます。
そこでは役に成りきれなかった蘭が、今回は役に成りきることに成功するのです。

第21話では、蘭がアイドルのために何としてでもカードを奪いたいと思う、
スワロウテイルになり切れなかったから不合格になってしまいました。
このことは、次の場面で強調されています。

「まだだよ! 蘭これを! あとは任せたから!」
「いや、それじゃオーディションには……」
「美月ちゃんのファンにラブユーなステージを届けてください」
「うん! 美月ちゃんの願い、絶対絶対叶えてね」

――お願い! 私のアイカツカードを取り返して!
 このままじゃファンのみんなをがっかりさせてしまうわ!

「いちごたちは美月さんの想いをしっかり受け取って……」
私たち、大切なことを忘れてたみたいね」 (第21話)


蘭は、役に成りきるという点について、課題を抱えていたと言えます。
今回の話ではこれが、背後からの声に驚いてしまうということで表されていました。
蘭は当初、姫を守る凛々しく強い剣士にはなれていなかったのです。
しかし蘭は、特訓でそこをきっちり克服しました。
そして、その結果として剣士に成りきることができたため、蘭は合格できたのです。
この流れの中に、蘭の役者としての成長を見出すことができると思います。


(2) 蘭とそらの関係:ミューズでもあるパートナー

次に、蘭とそらの関係という観点から、物語を眺めてみましょう。
今回は恵方巻きのイメージガールの座を競った、第67話へのアンサーとも考えられます。
すなわち、第67話ではそらが蘭に、自分らしい恵方巻きでいいことを教えましたが、
今回は蘭がそらに、そららしい姫の解釈でいいことを伝えるのです。

それぞれの場面を確認してみましょう。

「こんなの今まで見たこと……」
「恵方巻きは自由な巻物。正解なんてない。
 だからこそ、自分が本当に信じるコーデを貫くしかない
「……おいしい」
「よかった」 (第67話)


「一緒になって戦う、か。そんなの全然思いつかなかったけど」
「ダメかな……?」
互いを信じ合う二人が、手と手を合わせて戦う。
 いいんじゃないか、すごく
「よかった」 (第85話)


今回蘭は、以前そらに背中を押してもらったときのように、
今度は自分がそらの背中を押していると読めます。
姫の解釈に関しては、珍しくそらも不安になっている案件であって、
それを安心させてあげるのは、セイラでもきいでもなく、蘭だけであったんですよね。
この辺りが恵方巻きの回で、いちごでもあおいでもなく、
そらが蘭に最初に教えた場面とかなり重ねられていると思うのです。
二人が良きパートナーである所以を見出せる場面と言えるかも知れません。

また、二人は単にアイドルとして良きパートナーであるとだけ提示されていたわけではありません。
次の場面に注目してみましょう。

「すごいでしょう、蘭の殺陣の修行!」
「てやー!」
「あっ! 分かったかも。私が本当になりたいお姫さまは……!」
「あ、ちょっとストップ!」
「ああ! そらちゃん!」
「どうしたんだ?」
「今、できたの。一生懸命頑張ってる蘭ちゃんを見て、新しいイメージが浮かんだ。
 これ、蘭ちゃんのドレス」
「うわあ」
「すごくかっこいいです!」
「ああ。姫を守る剣士のイメージにぴったりだな」
「気に入ってもらえて、嬉しい!」 (第85話)


この、そらが蘭を見て衣装のイメージの着想を得る場面は、
第83話でマコトが、おとめを見てステージの着想を得る場面と重ねられています。
そらと蘭の関係が、マコトとおとめのような、
良いデザイナーとアイドルの関係でもあることが明確に示されていると思います。
デザイナーに着想を与える存在とは、まさしく「ミューズ」に他なりません。

「紫吹。この先、モデルとしてやっていきたいのなら、
 ミューズの本当の意味を知っておきなさい」

「ミューズ。それは神話の中に出てくる女神たちの総称。
 彼女たちの、美しさと知性、それぞれが持つ個性は、
 多くの芸術家にインスピレーションを与えたと言われている。
 つまり、ミューズがいたから、芸術家たちは作品を生み出すことができた。
 芸術家もデザイナーも人間だもの。
 何かに刺激されて、影響を受けて作品を生み出してるのよ。
 あなたもそうじゃない? 親しい友達が頑張っているのを見て、
 自分も頑張ろうと思っている」
「はい!」
「デザイナーもそれと同じ。だからファッション業界では、
 デザイナーの創作意欲を刺激するモデルのことをミューズと呼ぶの」 (第23話)


そらにとっては蘭が、既にミューズのような存在になっていると考えられます。
第85話では、二人が単にアイドルとして良い関係であることだけでなく、
デザイナーとアイドルとしても良い関係であることが示されていたのではないでしょうか。

蘭はそらにとって、ミューズでもあるパートナーなのです。



○関連記事

  自分も相手もハッピーに (第83話考察)


テーマ:アイカツ!
ジャンル:アニメ・コミック

ゆりかごに抱かれずとも (みよしふるまち『ゆりかごの乙女たち』)

2014.06.08 11:44|百合作品
ゆりかごの乙女たち (マッグガーデンコミックス Beat’sシリーズ)ゆりかごの乙女たち (マッグガーデンコミックス Beat’sシリーズ)
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”S”とは…、心の在り処をどこに定めるかということ。
特別な彼女のこと。

時は大正。
高等女学校では、上級生と下級生が特別な関係を結ぶ「S」が流行中。
開校以来の才媛・環と軍人の令嬢・雪子は、
「S」とは異なる普通の友情を育んでいたはず、だけど――? (帯より)


今回は、マッグガーデンの『ゆりかごの乙女たち』を紹介しつつ、考えてみます。
女学校を舞台とする作品は数あれど、大正時代の女学校を舞台とし、
明確に「S」をテーマにいている作品は、あまり多くはないのではないかと思います。
しかし、『ゆりかごの乙女たち』は徹頭徹尾、「S」をキーワードとして扱っています。
冒頭からして、「S」についての説明から入るのです。

「すごいわね 入江さん!」
「え?」
「きっともう噂が先輩のところまで届いたのよ 開校以来の才媛だって!」
「…今のはなんなの?
 私 あの方の名前も素性も存じ上げないわ」
「まあ あなた知らないの? ――あれは”S”よ
「エス?」
「今 流行ってるの 上級生がお眼鏡にかなった子を”妹”にして可愛がってくださるのよ
 ほら あすこの方々はきっと品定めにいらっしゃったんだわ」 (p.7)


上級生が主人公にいきなり熱烈な文を送りつけてくるところから始まり、
そこでSについての説明が挿入されるという流れは、
川端康成の『乙女の港』を思い出させるものであると思います。
この作品も、上級生が「花選び」をするところから始まるのでした。

 基督教女学校は、官立の女学校よりも、生徒同志の友情がこまやかで、いろいろな愛称で呼び合っては、上級生と下級生の交際が烈しいということくらい、三千子もうすうす聞いていたけれども、それが実際どんな風に行われるものか……。
エスっていうのはね、シスタァ、姉妹の略よ。頭文字を使ってるの。上級生と下級生が仲よしになると、そう云って、騒がれるのよ。
 と、経子に聞かされても、
「仲よしって、誰とだって仲よくしていいんでしょう。」
「あら、そんなんじゃなくてよ。特別好きになって、贈物をし合ったりするんでなくちゃ……。」注1


『ゆりかごの乙女たち』は、往年の少女小説の香りを宿した作品であったと思います。
そこでこの記事では、想起される作品の話も少し交えつつ、
この作品が強調したテーマについて考えていきます。

環と雪子は、ハッピーエンドと考えられる結末を迎えるわけではありません。
その結末には如何なる意味が見出せるのか、私の答えを提示したいと思います。



○『ゆりかごの乙女たち』:ゆりかごに抱かれずとも


けだし、この作品で要になっているのは環の性格です。
環は、自立した個人であることを非常に重んじています。
だからこそ、絹子に執着しているよし乃のように、
雪子に執着してもらいたがっている自分を否定するのです。

よし乃さんがあそこまで絹子さんを慕っているなんて思わなかったわ

ぞっとした 想いのつよさを垣間見てしまったような気がして

でも少し羨ましい気もする
雪子はたぶん私のためにあんな顔をすることはないか ら…

いやいやいやおかしいでしょう 雪子は友達 友達でしょ
これだとまるで私に執着してほしいと思ってるみたいじゃない
ちがうわよ 我々は一個の自立した精神として友情を育んでいるわけだから
あの人たちとはちがくてもっと… もっと… (pp.102-103)


周囲から浮いてしまうほどに、流されず毅然としている(pp.7-8)のも、
自身の名誉を非常に大切に思っている(p.38、p.66、p.146)のも、
この、自立した自己であろうとする感覚に関連していると言えるでしょう。
自分は誰かに依存しない自分であろうという強い意識を有しているからこそ、
軽々しく周囲に同調せず、自分にプライドを持つことができるのです。
こういった人物であるため、環は時代や世の中に翻弄されず、
自分の意志で選択することができると考えられます。

実際に絹子も、環をそういった人物として捉えています。
絹子がよし乃と別れたことを環に伝える場面を見てみましょう。
そこで絹子は、「S」が所詮「今このときだけ」のものであることを語ります。

「私たちはみんな承知しているの 自由でいられるのは今だけなんだって
 だからせめてその間くらいは美しくやさしい夢だけを見ていようと
 してるんじゃない どうしてそれがわからないの?
 どうして夢がずっと続くなんて思い込めるのよ」
「でも……」
「でも愛しているんです だってお側にいたいんです?
 もううんざり それはこの学校の中だから許されることなんだって
 なぜわからないのかしら」
……そ それでも…… 自分の人生を生きたいなら
 自分で決める術はあるはずだわ……
そうかもね あなたなら
 けれど私たちはちがう あなたの大切なご友人もね」 (pp.135-137)


ここで絹子は、自分の意志は棚上げにして、
女学校以外では許されないために、別れることにしています。
彼女を別れさせたのは第一に、「世の中の規範」のようなものです。
彼女は一応は、それに流される人物として登場していると言えます。
この絹子と環は対峙しています。
彼女は「自分の意志」でもって生きていこうとしているのです。
このように、「世の中の規範」にただ従うことに対して、
「自分の意志」によって動くことを提示している点は、
例えば吉屋信子の『屋根裏の二処女』を思い出させます。
この作品においては、「世の掟」や「人の道」に対して、「自我」が提示されるのです。

自我のないところに個人としての生命があるでしょうか――いいえ、ありません――
 秋津さんはこう言い切った。
「滝本さん、ふたりは強い女になりましょう、出てゆけというならこの屋敷を今日にも明日にも出ましょう、ふたりの行く手はどこにでもあります――ね、ともあれ、ふたりでここまで漕ぎつけたのです、これからふたりはここを出発点にして強く生きてゆきましょう、世の掟にはずれようと人の道に逆こうと、それがなんです、ふたりの生き方はふたりにのみ与えられた人生の行路です、ふたりの踏んでゆくべき路があるに相違ありません、ふたりの運命をふたりで求めましょう、ふたりのみゆく路をふたりで探しましょう、――これから――」注2


環も「個人」として生きていける人物として描かれていると考えることができます。
現に彼女は、景気が悪くなって女学校を退学しなくてはならなくなったときも、
そのことをただ悲しむだけでなく、戻ってくるという大志を胸に歩んでいくのです。
そこには自分の道を歩む主体としての環を見出すことができます。
世の中に流されていくのではない、自分の足で歩む環がそこにはいます。

しかし、それにもかかわらず、物語は二人の別れにて幕引きとなります。
環は『屋根裏の二処女』のように、二人で歩んでいくという決断はしません。
環は結局、雪子とは別れて歩んでいくことにするのです。
それはむしろ、自分の意志でもって道を選べず、世の中の規範に流された結果、
よし乃の申し出を拒否した絹子と同じ選択をしたように見えます。

この不可解な部分こそ、『ゆりかごの乙女たち』において最も重要なところであると思います。
自分の意志で道を選んでいくことができるはずの環が、それでも別れを選択するということ。
そこには、一見世の中に流された結果に見える、別れという選択にも、
彼女たちの意志が宿っていることが有り得るというテーマが見て取れます。

世の中に流されて別れるのではなく、自分の意志で別れる。
このような別れが、絹子たちとの対比で提示されていたのではないでしょうか。

けれども、そう考えると一つの疑問が湧いてきます。
すなわち、環は雪子に強い想いを抱いていたはずです。
それなのに何故、自分の意志で彼女と別れることにしたのでしょうか。
この答えは、作品の次の場面から読み取ることができます。

「…学校」
「ん?」
「お辞めになるって… 本当ですか?」
「…そうね 暮らしぶりは変わるけど… 昔に戻るだけだから」
「また…会えますよね?」
「…それは出来ないわ」
「どうして?」
「あなたといると 私どんどん欲張りになってしまうの
 もっとそばに もっと一緒にって
 きっとあなたの幸福すら いつか願えなくなってしまう
 そんな事は絶対したくないから…」 (pp.161-162)


環は、雪子の幸福を願うからこそ、雪子と別れることにするのです。
それは見方によっては、雪子の心情を考えない、身勝手な整理とも取れます。
しかし少なくとも、世の中に流されたがゆえの意志なき選択ではありません。
そこには、雪子の幸せを願い続けたいという環の意志があります。
このような別れの中にある「意志」こそ、作品の強調するものではないでしょうか。

雪子もまた、環の意志に対して自身の意志でもって返します。
すなわち、雪子は環との日々を「忘れないこと」を誓うのです。
雪子は今後、「世の中の規範」の方へ流されていくことでしょう。
しかし、その中にあっても彼女は環のことを忘れません。
そこに、雪子の意志の顕現を見ることができるでしょう。

別れようという意志と、覚えていようという意志。

環と雪子は、世の中に流された結果に見える、別れるという答えに至りました。
しかし、彼女たちは決して、世の中に負けて別れたということではありませんでした。
「世の中の規範」の前に「自分の意志」を覆い隠されてしまうのではなく、
あくまで「自分の意志」で別れることを、そして覚えていることを選んだのです。

卒業を契機に当然にという、「S」である二人の典型的な別れに対して、
こういった意志ある別れをこそ、この作品は描いたのではないでしょうか。
この作品は、次のような形で締めくくられます。

「なあ! …戻ってくんだろ? またそのうちにさ」
「そう出来るように 努力するわ」

そしたらきっと 違う形であの子に会う事も出来るだろう

「…忘れません」

あなたのいた このゆりかごのような日々だけは (pp.171-174)


ここから想像できるのは、自分たちを優しく抱いてくれるゆりかごから離れた結果、
世の中の荒波に翻弄されていくだけになった二人の姿ではありません。
ゆりかごに抱かれずとも、自分の意志を持って歩いていく二人の姿であったと思います。



  注1 川端康成『乙女の港』、実業之日本社、2011年10月、p.21
  注2 吉屋信子『屋根裏の二処女』、国書刊行会、2003年3月、p.316


テーマ:漫画の感想
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自分も相手もハッピーに (アイカツ!第83話考察)

2014.06.01 11:39|アイカツ!
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今回は、おとめの過去が明かされた第83話について考えていきます。
第83話で強調されていたのは、アイドルはファンを「ハッピーにさせる」と同時に、
自分も「ハッピーになる」ということではなかったかと思います。
おとめの姿を通して、このことは示されていました。
自分だけでも相手だけでもなく、「自分も相手も」というのが、
今回の物語の根底にあったのではないでしょうか。
これは、『アイカツ!』という作品が提示するアイドル像である気もします。
この記事では、第83話の内容を振り返って、このことを説明したいと思います。



○『アイカツ!』第83話:自分も相手もハッピーに


それでは第83話から、「自分も相手も」というテーマが見出せる三つの部分を抽出していきます。

第一に、おとめとなぎさの関わりについては、おとめはなぎさを年長者として見守り、
いわば彼女を「成長させる」立場であったのですが、
同時に自分も「成長していく」立場にありました。
なぎさと一緒に、やりたくてもできなかったことを叶えていくわけです。

「なぎさたん、約束しましょう」
「え?」
おとめ、滑り台滑れるようになります!
 だから、なぎさたんもドロシーやりましょう!
「でも……」
「ドロシーやりたくないですか?」
「やりたいよう!」
「なぎさたんとおとめの約束です」 (第83話)


なぎさだけではなく、おとめもいっしょに成長していくのです。

第二に、おとめのステージについては、
ファンを「ハッピーにさせる」ものでありながら、
おとめ自身も「ハッピーになる」ものでした。

ステージが始まったときのマリアの言葉と、
終わった後のおとめの言葉に注目してみましょう。

「そう! おとめちゃんは、みんなを明るくハッピーにしてくれる女の子
「うん!」 (第83話)


「まことさん! どうしてステージに滑り台を置いてくれたのですか?
 おとめびっくりなのです!」
「おとめが滑り台を滑っているのを見てね。
 そこに、あたしの服を着てもらえたらって思ったから」
「わー! ものすごくハッピーでした!」 (第83話)


おとめはみんなをハッピーにしてくれるアイドルでありながら、
同時にステージでは自分もハッピーになっていくのです。

第三に、おとめの『CHU‐CHU❤RAINBOW』の歌詞についても、似たテーマを描いていました。
つまり、サビ直前の「元気をあげたいの だって君もくれたんだよ」という部分が、
「君」に元気をあげようとする「わたし」は、
「君」に元気をもらった「わたし」でもあったことを示しているのです。

相手を成長させながら、同時に自分も成長していく。
相手をハッピーにしながら、同時に自分もハッピーになっていく。
相手に元気をもらいながら、自分も元気をあげていく。
第83話というのは、このような「自分も相手も」というアイドル像を、
描き出していたのではないかと思います。
おとめの姿を通して、相手と共有するアイドルが提示されていました。

実は、この「自分も相手も」という感覚は、
『アイカツ!』という作品において度々示されているものであると言えます。
例えば、第54話には次のような言葉があります。

「みんな思いがけないいい顔になるのは、好きなことをしているとき」
「うん! そうかも! 私パフェ見るだけでわくわくしちゃうし!」
私たちの心がわくわくしてれば、
 撮影してくれるファンのみんなもきっと楽しくなってくれる!」 (54話)


ここでアイドルとファンは、共に楽しくなっていくものであることが語られています。
第62話も、楽しませながら楽しむアイドルの姿を示していました。
また、古くは第4話にも同じテーマが見出せます。
つまり、そこでいちごは太田を勇気付けながら、
同時に自分のファンである太田の存在に勇気付けられるのであり、
勇気付けながら、勇気付けられていたと言えます。
ここにも、「自分も相手も」というアイドル像を見出すことができます。

単にファンをハッピーにしたり、勇気付けたりするだけでなく、
アイドルも一緒にハッピーになり、勇気付けられるというのが、
『アイカツ!』のアイドルの在り方なのではないでしょうか。




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テーマ:アイカツ!
ジャンル:アニメ・コミック

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