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シンデレラガール「ズ」というタイトルの意味

2014.05.24 15:00|アイドルマスター
アイドルマスター シンデレラガールズ ニュージェネレーションズ (2)(完) (ガンガンコミックスJOKER)アイドルマスター シンデレラガールズ ニュージェネレーションズ (2)(完) (ガンガンコミックスJOKER)
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今回は、アニメ化も決定したシンデレラガールズの、漫画作品の一つである、
『アイドルマスター シンデレラガールズ ニュージェネレーションズ』について、
内容を少し紹介しつつ、考えていきたいと思います。
この作品は、どのような作品であったと言えるのでしょうか。

あらすじを簡単に説明すれば、所長のミスで事務所に入った卯月、凛、未央の三人が、
シンデレラガールズとしてアイドルの階段を駆け上がっていく物語です。
ニュージェネレーションズの三人を中心に据えながらも、
他のシンデレラガールズとの関わりが描かれていきます。

個人的には、ここが見所の一つではないかと思うところです。
特に、先輩アイドルとしての泰葉の登場は光るものがあるのではないでしょうか。

「…それにしても ライバルに塩をおくるなんて…私も変わったな」
「えっ!!」
「ライバルだなんて そんな…私達駆け出しですし 同じ事務所ですし…!」
ライバルはライバルだよ
 みんな仲間だけど でも それだけじゃないよ

「この前3人にみんな仲間だけどそれだけじゃないよって
 偉そうに言っちゃったよね」
「あ はい」
「あれは子役時代に学んだこと…
 でも みんなライバルだけどそれだけじゃない
 みんなには当たり前のことかもしれないけど それが
 アイドル目指してから私が覚えたこと」 (2巻96-97ページ、148-150ページ)


泰葉の言葉は、この作品のテーマの一つであったと思います。
そして彼女だからこそ、この言葉は抽象的な単なる箴言に過ぎないものではなくて、
きちんと現実の重みを伴った、経験に裏打ちされたものになっている気がします。
この作品は、卯月、凛、未央の三人以外のメンバーも重要な位置を占めているのです。

さて、この作品について私が注目したいのは、終盤にかけての展開です。
物語のクライマックスでは、凛一人がスポンサーに見出され、一人先に行ってしまいます。
これを受けて卯月と未央は、凛の背中を追いかけ、
「3人一緒に大きいステージに立ちたい」という夢を掴もうとするのです。
私はこの流れの中で、この作品が或るシンデレラガールの物語ではなく、
或るシンデレラガール「ズ」の物語であることを高らかに宣言していると思います。
タイトルが複数形であることの意味をしっかり見せている気がするのです。

現に凛を見出した、スターレディアンスグループの岩崎喜久子は次のように述べています。

「長年いろんなアイドルを見てきた私にはわかる
 あなたは新しいシンデレラガールになれる」 (2巻115ページ)


こういう台詞を置いた上で、再び三人へという流れに持っていた点に、
これはシンデレラガール「ズ」の物語であるという強いテーマが見出せると思います。
すなわち、凛が一人アイドルの階段を駆け上がっていく、
そのようなシンデレラガールの物語に、否を突き付けるのがこの作品なのです。

その結果示されるのは、三人で一緒に駆け上がっていく、
シンデレラガール「ズ」の物語に他なりません。

しかし、それでいて、凛は他の二人と歩幅を合わせて進んでいくわけではありません。
シンデレラガール「ズ」の物語であるからといって、いな、であるからこそ、
護送船団方式で三人が進んでいくことは良しとされないのです。
凛は一度喜久子の誘いを断ろうとしますが、それは否定されています。

「凛ちゃん 気持ちはわかるけど駄目だよ
 うづりんや未央ちゃんと一緒に歩んできたことも
 約束のこともわかってるつもり
 でも あの二人なら凛ちゃんが
 折角のチャンスを棒に振ることの方が怒ると思うの」
「それは…」
「凛くん その二人も仲間でありライバルだってこと
 忘れちゃいけないよ」 (2巻116-117ページ)


他の二人の側が、凛の隣にいることを認めさせようと頑張っていく。
それがここで提示されるシンデレラガール「ズ」の物語なのです。
ただ三人で歩んでいくことが肯定されているわけではありません。
「仲間」という言葉に薫る「甘さ」は、「ライバル」という言葉で払われています。
仲間でもありライバルでもある同輩たちとともに階段を上がっていく。
それがシンデレラガールの物語ではない、シンデレラガール「ズ」の物語です。
この作品の最後は、次の言葉で飾られています。

――みなさんは アイドルに大事なもの 何かわかりますか?
 容姿? スタイル? かけ出しの私にはまだわかりません
 でも――確かなことは一つ

 それは輝ける仲間が ここにいるということ―― (2巻199-200ページ)


シンデレラガール「ズ」の物語であるからこその、この言葉ではないでしょうか。



○関連記事

   凛・卯月・未央の持ち歌から考えるシンデレラガールズ ――新世代性、シンデレラ性、多様性
   『お願い! シンデレラ』から考えるシンデレラガールズ ――拡散するアイドル
   歌詞に注目して聴く『jewelries』 ――シンデレラガールズらしい恋愛ソング


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テーマ:アイドルマスター
ジャンル:アニメ・コミック

どうにもできないことを受け止めて (ラブライブ!二期五話考察)

2014.05.17 16:37|ラブライブ!
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(2014/05/28)
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今回は、『ラブライブ!』二期五話について考えていきます。
注目するのは、穂乃果が雨を止ませようとするも、
なかなか止ませられなかったという箇所です。

あの場面は、不可避に二期一話を思い出させるものだと思います。
つまり、雨を止ませてラブライブ優勝に向かって行く場面と対照的であったのです。
ここに如何なる意味を見出すかということは、二期五話の問題の一つだと思います。
そこでこの記事では、二期五話で雨が止まなかった理由について考えてみます。



○『ラブライブ!』二期五話:どうにもできないことを受け止めて


先に結論を述べてしまえば、上述した雨にまつわる二つの場面は、
二期の持つ対照的な二つテーマを浮き彫りにしていたと思います。
二つのテーマとは「ラブライブ優勝」「卒業」に他なりません。
早くも第一話において、この二つがテーマであることは宣明されています。

「そうよ。三月になったら、私たち三人は卒業。
 こうしてみんなと一緒にいられるのは、あと半年」
「それに、スクールアイドルでいられるのは、在学中だけ」
「そんな……」
「別にすぐ卒業しちゃうわけじゃないわ。
 でも、ラブライブに出られるのは、今回がラストチャンス」
「これを逃したら、もう……」
「本当はずっと続けたいと思う。
 実際卒業してからも、プロを目指して続ける人もいる。
 でも、この九人でラブライブに出られるのは、今回しかないのよ」 (二期一話)


ラブライブと卒業が、この後中心に据えられていくことが分かります。
「ラブライブ優勝」は、「どうにもできそうにないこと」と言うことができ、
「卒業」は、「どうにもできないこと」と言うことができるでしょう。
「ラブライブ優勝」は、実現できる万一の可能性がある事柄ですが、
「卒業」は何をしようと逃れられない事柄なのです。
そう捉えてみると、二期は一方で「どうにもできそうにないことに向けて頑張っていく姿」を、
他方で「どうにもできないことに向けて答えを見つける姿」を描く物語と言うことができます。

そうした二つのテーマを抱く物語であるからこそ、
穂乃果は雨を止ませられるし、また止ませられないのではないでしょうか。
「ラブライブ優勝」という「できそうにないこと」を前にするとき、穂乃果は雨を止めますが、
「卒業」という「どうにもできないこと」を前にするとき、穂乃果は雨を止められないと考えられます。

雨が止むか止まぬかという結果の違いが、扱うテーマの違いを仄めかしているのです。

実際に二期五話というのは、「ラブライブ優勝」を一先ず脇に置いておいて、
明らかに「卒業」の方にスポットライトを当てた回でした。
ここが、「ラブライブ優勝」への第一歩を中心的に描いた二期一話とは異なります。
物語の始まり、凛がリーダーに選ばれた場面に注目してみましょう。

「ちょ、ちょっと待ってよ。何で凛?
 絶対他の人の方がいいよー、絵里ちゃんとか!」
「私は生徒会の手伝いがあるし……。
 それに、今後のμ'sのことを考えたら、一年生がやった方がいいでしょ?」 (二期五話)


絵里の「今後のμ'sのことを考えたら」という台詞は、
三年生三人が卒業する、来たるべき近い未来を思わせます。
二年生とは言え、「修学旅行」により「三人が離れてしまう」という展開自体も、
今後六人になるであろうという事実を突き付けます。

そういった「卒業」を仄めかす回であったからこそ、
この話の中で穂乃果は雨を止ませられないのです。


二期一話にもあった流れを入れた上で、その結果だけすげ替えたために、
「卒業」が「ラブライブ」とは性質を異にするテーマであることが強調されています。
それは、どんなに頑張っても回避することができない「この先」なのです。

結論として、どうにもできそうにないことを実現させようと頑張る、
「ラブライブ優勝」への物語においては穂乃果は雨を止ませられますが、
不可避な現実を受け止め、何らかの答えを出すことが求められる、
「卒業」への物語においては穂乃果は雨を止ませられないと考えられます。

けだし、二期五話というのは確かにそのような話でした。
台風はどうにもならないので、ライブには六人で臨むしかない。
そういった不可避な事実(≒卒業)を受け止めて、その中でどうするかを考えて答えを出していく。
そのような姿勢が、凛と花陽を中心とする六人の奮闘の中には現れていたのではないでしょうか。
結局九人でいることを選んだ、一期終盤の展開では描かなかったもの。
この後「卒業」を描く際にも大いに関わってくるであろう姿勢が示されていた気がします。



○関連記事

   「意志」と「いま」の物語へ (第一話)
   支え合い、補い合うμ'sというグループ (第二話)


テーマ:ラブライブ!
ジャンル:アニメ・コミック

月と花が出会う場所:「Suncatcher」というイメージ (アイカツ!第81話考察)

2014.05.14 17:22|アイカツ!
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今回は、『アイカツ!』第81話を、特に美月とみくるに注目して見ていきます。
二人は『笑顔のSuncatcher』という曲でもって観客を魅了していましたが、
あのステージは美月一人では作り得ないものであったのでしょうか。
そうであるとすれば、二人で提示する「Suncatcher」というイメージには、
どのような意味が込められているのでしょうか。
以上に掲げた問題について、この記事では考えていきます。

先に結論を述べてしまえば、『笑顔のSuncatcher』は、
元々「月」のイメージを持つ美月と「花」のイメージを持つみくるが、
パートナーになって初めて表現できるものであったと思います。
ゆえに、二人になって提示する「Suncatcher」というイメージは、
二人の元々のイメージに似ていながら、それらとは異なるものになっているのです。
以下では、このことについて順を追って説明していきます。



○『アイカツ!』第81話:月と花が出会う場所


美月とみくるのことについて掘り下げていく前に、まずは、
ここ数回のテーマである「パートナー」とは何かということを整理しておきます。
重要なのは、『アイカツ!』という作品において「パートナー」とは、
「同じ根っこを持つ相手」でもあると同時に、
「自分を変えてくれる相手」でもあるということです。
単に気の合う相手のことを、パートナーと呼んでいるわけではありません。
このことは、美月とみくるの出会いの述懐によって強調されていました。
つまり、変わりたいのに変われなかった自分を変えてくれたからこそ、
美月はみくるをパートナーに選んだのです。
いちごのパートナーがあおいではなく、セイラのパートナーがきいでなかった理由も、
こうした点に求めることができると言えそうです。

自分とは異なる誰かと組むことで、自分は変わることができる。
このことは、第81話におけるそれぞれの二人組の様子によっても示されていました。
例として、ユリカとかえでに注目して見ましょう。
第79話において「ベストパートナー」として提示された二人は、
自分たち「二人で」行うステージの計画を立てていました。

「実はわたし、ずっと好きだったの」
「え!?」
「かえでのマジック!」
「そうなんだ。じゃあトゥギャザーしちゃう?」
「え?」
ステージと一緒にマジックしよう! 二人で吸血鬼になって
「素敵!」 (第81話)


ここで二人は、ユリカらしく、かえでらしくもあるステージを計画しています。
注目すべきは、その中で相手に歩み寄ることで二人が自分を変えていることです。
つまり、ユリカはかえでと組むことで普段やらないマジックを、
かえではユリカと組むことで普段やらない吸血鬼をやろうとしているのです。
「パートナー」に肉薄することで、二人は新しい領域へと踏み出しています。
さくらと皐月も、二人の「らしさ」を掛け合わせたステージを企画していました。
すなわち、「歌舞伎とパンクの融合」が、彼女たちの到達点でした。
さくらは皐月に歌舞伎と出会わせ、皐月はさくらにパンクと出会わせています。

この二組を初めとして、第81話では、それぞれのペアが「二人らしさ」を模索していました。
そして、この「二人らしさ」の模索の中で、二人はそれぞれ自分を変えていたのです。
相手とパートナーとして組むことで、新しいものと出会い、それに挑戦することができる。
今回の話では、このことが極めて強調されていました。

美月とみくるについても、二人が「WM」として組むことで、
お互いに新しい領域に踏み出すことができたと考えられます。
そしてその到達地として提示されたものこそ、
『笑顔のSuncatcher』であったのではないでしょうか。

美月は元々、「月」のイメージを持って登場してきました(第28話等)。
それに対して花屋で働くみくるは、「花」のイメージを持って登場してきます(第78話、第81話)。
「月」と「花」に共通するのは、「太陽の光を浴びて輝く」ということです。
しかし、輝く時間や場所は対照的であると考えられます。
つまり、「月」は「夜中に空で」輝くのに対して、「花」は主に「昼間に地上で」輝くのです。
そこからパートナーになって、「二人らしさ」を追求していく中で、
「月」と「花」は全く別のイメージに生まれ変わったのではないでしょうか。


その新たに生まれた「二人の」イメージこそ、「サンキャッチャー」に他なりません。


サンキャッチャーとは、窓辺に吊るすインテリアアクセサリの一種です。
主にガラス製のそれは、太陽の光を反射して、数多の色を部屋の中に散りばめます。
それは、太陽の出る昼間に、空(空中)で、輝くのです。
「月」は「花」と出会い、昼という時間に引っ張り込まれ、
「花」は「月」と出会い、空という空間に引っ張り上げられたとは考えられないでしょうか。

美月とみくるは、いちごたちに次のように語っています。
二人の出会いについての話の締めくくりの部分です。

「それで、みくるさんにパートナーを申し込んだんですね」
「ええ。みくるが新しい輝きをくれたから
「私だってそうだよ。私はお店でいつも、一対一でお客さんと向き合ってるけど、
 美月はいつもたくさんの人と向き合ってて、
 それだけ大勢の人に笑顔を届けようとしている美月って、
 かっこいいって思ったんだ。私もあんな風になりたいって。
 そんな美月と一緒に頑張れるなんて、最高過ぎる!」 (第81話)


これまでの美月のステージと言えば、『Move on now!』や、
『Moonlight destiny』など、どこか夜空のような穏やかな雰囲気を宿したものでした。
対して今回のステージは、太陽を真正面から浴びる、全力で明るいものになっています。
美月はみくると出会うことで、より強く輝ける「昼」という領域に飛び出したのです。
他方でみくるはこれまで、花屋でお客さんと一対一で向き合ってきました。
それがダブルMの一員として、たくさんの人と向き合うことになります。
みくるは美月と出会うことで、大勢の目に留まる「空」という領域に飛び出したのです。
「月」とも「花」とも異なり、それでいて両方に似ている、昼間に空で輝く「サンキャッチャー」は、
相手に出会って変わった二人を象徴するイメージであると言うことができます。

結論として、『笑顔のSuncatcher』は、美月とみくるが出会い、
お互いに変わったからこそ表現できる「二人の」ステージです。
それぞれに輝いていた「月」と「花」が、出会ったことで到達できる場所として、
「サンキャッチャー」というイメージは提示されていると考えられます。
二人は二人であるからこそ、太陽の下で、大勢の前で、輝くことができるのです。



○関連記事

  ユリカとかえでがベストパートナーである理由 (第79話考察)


テーマ:アイカツ!
ジャンル:アニメ・コミック

朔夜が救われず、止められる理由 (零-月蝕の仮面-)

2014.05.11 16:39|零シリーズ
零 ~月蝕の仮面~零 ~月蝕の仮面~
(2008/07/31)
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今回は、『零-月蝕の仮面-』のエンディングについて考えてみたいと思います。
けだし、零シリーズの中で月蝕の仮面だけは、最後に対峙する相手を救う形を取りません。
すなわち、朔夜は主人公たちに「救われる」のではなく、単に「止められる」のです。
ここは月蝕の仮面という作品の特異な点と言える気がします。
まずは歴代の作品のエンディングを振り返りつつ、このことについて説明していきます。



○『零-月蝕の仮面-』:朔夜が救われず、止められる理由


まずは、第一作目の霧絵の場合を振り返ってみましょう。
この作品では、彼女の想い人に似ていた真冬が霧絵とともに残ることにします。
その場面において、真冬が霧絵を「救う」という形式が提示されています。

「深紅、やっぱり僕は行かなくては」
「何を言ってるの、兄さん!?」
「僕にしかできないことがあるんだ」(中略)

「深紅、霧絵に導かれてる間、ずっと彼女の悲鳴が聞こえていたんだ。
 助けてと。縄の巫女として門を封じる宿命。
 想う人とともにいたいという気持ち。
 その狭間で、彼女は引き裂かれていた。
 それが禍刻を招いてしまった。
 瘴気を浴びた彼女の霊は、自分と同じ苦しみを与えるだけの存在になっていた。
 瘴気から解放された今、彼女は縄の巫女の役目を果たそうとしている。
 彼女の魂は、未来永劫、この門を封じなければならないんだ。
 たった一人で。途切れることのない苦しみ。
 その苦しみが少しでも軽くなるのなら、彼女の望みが少しでも叶えられれば、
 僕は、彼女の傍で、少しでも力になりたいんだ。深紅……」
「兄さん……。ああ。魂たちが、還っていく」
「深紅、どうしてここに導かれたのか、今なら分かる気がする。
 僕はこの運命を、受け入れようと思う。深紅、今までありがとう」

――あの日から、私が、あり得ないものを見ることはなくなったのです。 (零)


霧絵がそれで実際に救われるのかという部分は明らかではありませんが、
ここで霧絵は止められるだけではないことがはっきりと示されています。
『零』は瘴気を浴びた霧絵を深紅が止めるだけでなく、
真冬が救いもする物語として現れてくるのです。

八重が紗重のところに帰ってくる『零-紅い蝶-』でも、同じことが言えるでしょう。
少なくとも紅い蝶エンドにおいては、紗重を救う側面が大きいと考えられます。
紗重は、儀式のやり直しで「止められる」というより「救われる」のです。
そして、『零-刺青の聲-』についても、零華は止められるだけではありません。

もう、目を閉じていいから……

「ゆきなさよ はたて ゆきなさよ はたて
 ゆきぶね ゆらして はたて
 このきし ひらいて はたて
 ろうろう みわたり かのきしに
 ゆきなさよ はたて ゆきなさよ はたて」 (零-刺青の聲-)


怜が目を閉じさせることで、確かに零華は救われるのです。
このように、零は最後に対峙する相手を救う物語であったと言えます。
それぞれの作品で、真冬が霧絵を、八重が紗重を、
怜が零華を救うという形になっていることが分かります。

然るに、『零-月蝕の仮面-』においては事情が明らかに異なっています。
上述の引用部に表れているような、「救い」の形式が全く取られていないのです。
朔夜は単に、止められて向こうに還っていくことになります。
彼女が「救われる」というような描かれ方がされていません。
この月蝕の仮面の特異性というのはどこからくるのでしょうか。

けだしこれは、朔夜を救う「資格」を持つ人物が既にいなかったというところから生じています。
無印は想い人の面影を有する真冬が、蝶は紗重が待ち続けていた八重が、
聲は零華の悲しみを十分に知った怜がいましたが、
月蝕では朔夜を救えるような人物が既にいなかったのではないでしょうか。
強いていえば、朔夜と深い関係を持つ海咲であれば救えたかも知れませんが、
彼女は子どもの頃より朔夜に「救われる」側であって、
その関係は海咲が戻ってきた時点においても変わってはいませんでした。
つまり、朔夜が止められたまさにそのとき、海咲は彼女に閉じ込められていたのです。

おそらく朔夜を「救う」資格があったのは、他の誰でもない耀だけでした。
その耀が絶望し、朔夜とともに全てが咲くのを受け入れてしまったからこそ、
朔夜はよもや救われず、単に止められるしかなかったのではないでしょうか。

耀の諦念は、長四郎との「鬼ごっこ」を止めにするところから推察できます。

「霧島か… 鬼ごっこも… 結構面白かったな でも… もう終わりだ」(中略)

「もう鬼ごっこはお仕舞いだ 全部無くなるんだ 俺も あんたも」 (零-月蝕の仮面-)

 
長四郎が仮面の欠片を流歌に渡した後からの言葉です。
既に「全部無くなる」ということを受け入れていることが分かります。
彼は結局朔夜を救うことができず、そのことについて諦めてしまった。
だからこそ、耀の思惑に対抗するものとしての長四郎が、朔夜を「止める」ことになります。
長四郎には朔夜を救う資格を持つほどの、彼女との縁は持ってはいません。
ただし、以前の記事で述べたように、彼には灰原家を止める資格はあります。

ゆえに、朔夜は「救われる」のではなく「止められる」のだと思います。
月蝕の仮面は儀式の失敗の後の物語ですが、
その失敗の際に彼女の「救われる物語」は完結しているのです。
耀の失敗と絶望という、最悪の結果でもって。
だからこそ、主人公たちがやって来た時点においては、
朔夜が長四郎たちによって「止められる物語」だけが進行します。
月蝕の仮面はこれまでの作品とは異なり、
救うべき者が、救うことを諦めた後の物語でした。
そこが月蝕の仮面の結末の特異性を生んでいると考えられます。



○関連記事

  主人公三人の役割と長四郎が朔夜を止める理由

   月蝕の仮面のラストで、何故長四郎が朔夜を止める役を引き受けるのかを考えました。


テーマ:零シリーズ
ジャンル:ゲーム

支え合い、補い合うμ'sというグループ (ラブライブ!二期二話考察)

2014.05.04 21:19|ラブライブ!
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今回は、『ラブライブ!』二期二話について考えていきます。
二期二話「優勝をめざして」は、各部分で一期を思い出させ、
その頃と変わったこと、あるいは変わっていないことを提示していく物語であったと思います。
とりわけ一期における次の三つの話を想起させるものであったのではないでしょうか。
すなわち新しい順で言って、第一に一期十話の海での合宿、
第二に一期九話のことりの作詞、第三に一期六話のセンター決めの三つです。

二期二話は特にこれらと関わりの深い物語になっていたと思います。
そこで以下では、これら一期との関連を明らかにしつつ、
二期二話の内容を考えてみることにします。



○ラブライブ!二期二話:支え合い、補い合うμ'sというグループ


それでは、先に挙げた三つの話との関連について、順に説明していきます。

第一に、二期二話の「山での合宿」は、一期十話の「海での合宿」のことを思い出させ、
特に真姫の変化を強調していると読めます。
乗り気でなかった前回と比べ、真姫の態度は全体的に全然違いますが、
特に三人ユニットに分かれた次の場面での変化が印象的です。

「それじゃあ三班に分かれましょう。
 ことりを中心に衣装を決める班と、海未を中心に作詞する班、
 そして、真姫を中心に作曲する班、これで三班よ」
「ふんっ」
「よーし、じゃあユニット作戦で、曲作り、頑張ろー!」
「「「おー!」」」
おー」 (2期2話)


このワンテンポ遅れた「おー」が、真姫によるものです。
真姫は少し遅れて、みんなの掛け声に追随しています。
これは、輪の中に入れていなかった一期十話では有り得なかったことです。
それが、今や皆に乗っかっていけるようになったということが強調されています。
一期十話との対比の中で、真姫の変化が強調されていると考えられます。

第二に、作詞作曲衣装の三人がそれぞれ一人で取り組んでスランプに陥った後、
仲間と一緒に取り組むことでそこから脱するという流れは、
一期九話でことりが作詞を任されたときと同じ流れです。

「うまくいってよかったね。ことりちゃんのおかげだよ」
「ううん、私じゃないよ。みんながいてくれたから、みんなで作った曲だから
「そんなこと。でも、そういうことにしとこうかな」 (1期9話)


実際にことりは当初、一人で歌詞作りに取り掛かったものの行き詰まっていました。
そして、穂乃果の提案で全員揃って一緒に考える中で、アイディアが出てきたのです。
二期二話でも、歌詞、曲そして衣装の三つが、「みんながいてくれた」結果として完成します。
これは一期十話の展開を彷彿とさせるもので、二期三話の「前回のラブライブ!」で言うところの、
「みんなで助け合うことで乗り越える」というμ'sのやり方が再度提示されています。

第三に、作詞作曲衣装の作成という活動の要の部分について、
穂乃果が基本的に役立たないということが、一期六話に続いて二期二話でも提示されていました。
一期六話で穂乃果が何故リーダーなのか問われる場面を確認してみましょう。

「これで歌詞を考えたりするんやね」
「うん! 海未ちゃんが!」
「え?」
「歌詞は大体、海未先輩が考えるんだ」
「じゃあ、新しいステップを考えたりするのが?」
「それはいつもことりちゃんが」
「じゃあ、あなたは何してるの?」
「うーん、ご飯食べて、テレビ見て、他のアイドル見てすごいなーって思ったり、
 あ、もちろん二人の応援もしてるよ!」
「それだけ?」
「え?」
「うち、前から思ってたんやけど、
 穂乃果ちゃんって、どうしてμ'sのリーダーなん?」 (1期6話)


二期二話でも、置き去りにされる最初の駅の場面より始まり、穂乃果は基本的に終始寝ています。
ユニット作戦の最中も、ことりが衣装作りに奮闘する一方で完全に寝ているのです。
ただし、全く役に立っていなかったというわけではなく、
温泉の場面での言葉によって、不安を覚えていたことりの背中を押してはいます。
しかし、ほとんど寝ていたということの方が、物語中では目立っているのです。

これにより示されたのは、一期六話と同じく、
μ'sは穂乃果一強のグループではないということです。
もちろん穂乃果は、ここぞというところでの推進力とはなります。
しかし、彼女だけが重要な役割を担うというわけではありません。
例えば海未は行き過ぎた穂乃果のブレーキになりますし、
ことりは穂乃果と海未の間の調整役となります(1期11話等)。
以前の記事で述べたように、メンバーがそれぞれの役割を担い、進んでいくのがμ'sなのです。
二期二話は、穂乃果を絶対必要なリーダーとしてあまり描かないことで、
それぞれが支え合い、補い合うというμ'sの流儀の方を強調しています。

温泉の場面で穂乃果は、これを端的に言い表しています。

「私、まだできてない……」
「できるよ!」
「でも……」
「だって、九人もいるんだよ!」
「穂乃果ちゃん!?」
誰かが立ち止まれば、誰かが引っ張る。誰かが疲れたら、誰かが背中を押す。
 みんな少しずつ立ち止まったり、少しずつ迷ったりして、それでも進んでるんだよ!
 だからきっと、できるよ! ラブライブの予選の日は、きっと上手くいくよ!」
「うん!」
「そうだね」 (2期2話)


μ'sは、リーダーの穂乃果が引っ張っていくグループであると言うよりは、
メンバーがお互いに支え合い、補い合いながら進んでいくグループなのです。

結論として、二期二話は一期を思い出させるような物語でした。
そして、その中で特に示されていたのは、みんなの輪の中に入れるようになった真姫、
誰かが躓いたときには「みんなで助け合うことで乗り越える」という九人の流儀、
メンバーが補い合いながら進んでいくμ'sというグループの姿の三つであったと思います。
二期二話は、一期の内容を受けて、変わったことと変わらないことを示す物語であったのです。



○関連記事

  「意志」と「いま」の物語へ (二期一話考察)

    スクールアイドルと普通のアイドルの違いを考えてみた記事。


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