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ユリカとかえでがベストパートナーである理由 (アイカツ!第79話考察)

2014.04.28 17:00|アイカツ!
FOURTH PARTYFOURTH PARTY
(2013/06/26)
STAR☆ANIS、わか・ふうり・すなお・れみ・もえ from STAR☆ANIS 他

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今回は、『アイカツ!』第79話について考えていきます。
作中では、ユリカとかえでがタッグを組むまでの過程が主に描かれていました。
そこでこの記事では、二人がベストパートナーとして提示された理由を考えます。
ユリカとかえではともにトライスターで頑張ってきた同胞ですが、
何故ユリカのベストパートナーはかえでであったのでしょうか。

私は、二人が根幹の部分で非常に似通っていて、
同じ方角に向かってともに歩んでいけるためであったと思います。
このことについて、以下では説明していきます。



○『アイカツ!』第79話:ユリカとかえでがベストパートナーである理由


ユリカとかえでは、正反対に近いイメージを抱えているものの、
以下の二点については非常に似ていると考えることができます。
つまり二人とも、第一に「ファンを楽しませたい」という気持ちが強く、
第二に「一人でも頑張って輝くことができる」という点で共通なのです。
以下、それぞれについて順番に論じていこうと思います。


1. ファンを楽しませたいという気持ち

第一に、「ファンを楽しませたい」という強い気持ちは、
かえではもちろん、ユリカも同様に持っているものです。
現にユリカは今回の話の中でも、ファンがどう考えるかも考えた結果として、
かえでとは絶対に組まないという道を選ぼうとしています。

「トライスターは三人でトライスターです。
 私たちにとっても、ファンにとっても」(中略)

私たちが組んだら、誰でもトライスターを思い出すわ。
 美月さんはどんどん先に行くのに、私たちだけ、
 亡霊のように彷徨っているみたいじゃない」 (第79話)


ユリカ自身は、かえでに選ばれていたと知ったとき、明らかに嬉しそうにしていました。
それにも係らずユリカがその手を振り払ったのは、「ユリカ様」として、
亡霊のようにその場に留まるような選択をしたくはなかったためです。

その裏には、ファンをがっかりさせたくないという気持ちもあったと思います。
油断からスキャンダルに発展してしまった第20話を振り返ってみましょう。

「ファンは、吸血鬼きゃらの私を応援してくれていたの。
 それなのに、あんな姿を見せて、がっかりさせてしまった。
 私、もうアイドル辞める!」 (第20話)


ここでユリカは、ファンをがっかりさせた自分を責めています。
この件もあって、ユリカの中にはファンをがっかりさせないという強い意識が根付きました。
実際に立ち直ってから、ユリカは完璧に「ユリカ様」であり続けようとしています。
第20話のステージ後のユリカの言葉は、このことについての決意表明に他なりません。

あれは三百年に一度しか見られない超レアユリカ様よ。
 幸運だったわね。あなたたち、そんなにユリカ様に血を吸われたいの?」 (第20話)


一見、素の姿を見せてしまったことに関して開き直っているようにも見えます。
しかし、これは「ユリカ様」のキャラを崩さないままで、
もう二度と失態を晒さないことを宣言しているものと取るべきだと思います。
「三百年に一度」ということは、ファンは生きている間に再び素の姿を見ることは叶いません。
もう二度と素の姿をファンには見せないということを、ユリカはファンに婉曲に誓っていたのです。

ユリカが新生トライスターに選ばれたのは、その試みの完全な成功を示すものと言えます。
ユリカはいつでも「ユリカ様」であったからこそ、第38話で美月に見出されました。
ファンをがっかりさせたくないという意識の下、ユリカは完璧に演じ続けてきたのです。

さて、スキャンダル以降のユリカに特徴的とも言える、
「ファンをがっかりさせたくない」という強い意識は、
裏を返せば「ファンを楽しませたい」という意識と同義であると捉えることができます。
ファンを楽しませるために色々なパフォーマンスをするかえでと同じように、
ファンを楽しませるためにユリカは「ユリカ様」というキャラになり切るのです。
二人とも、根底にあるものは同じであると言えます。

だからこそユリカは、かえでのことを認めることができるのです。
ユリカは第79話で、かえでのことを次のように讃えています。

「あはは! 初めて本当のユリカを見た!」
「は、初めてですって?」
「うん。トライスターのオーディションのときも、三人で活動してるときも、
 美月がいなくなっても、ずっと吸血鬼だったよ。
 実はずーっと頑張っていたんだね、すごい!」
キャラじゃなくて、素でみんなを楽しませることができるかえでの方が、
 すごくないこともないけど」 (第79話)


ユリカがそう言えるのは、自身がみんなを楽しませたいという気持ちをもって、
キャラを演じているために違いなかったと思います。
ユリカとかえでは、「ファンを楽しませたい」という気持ちの点で共通なのです。


2. 一人でも頑張って輝いていける強さ

第二に、「一人でも頑張って輝くことができる」ということについては、
新トライスター結成までの段階で既に描かれていましたが、
第79話は特に、一人でも「頑張って」輝くことができるということが強調されていました。
普通に一人でも輝けるのではなく、一人でも「頑張って」輝ける。

このことは第79話のラストシーンで、ユリカが素の姿をかえでに晒し、
かえでが実はホームシックにかかっていたことが暴露されたことで強調されました。
二人でいっしょにパラシュートで降下していく場面に注目してみましょう。

なーんて言って、ときどき、
 ホームシックでアメリカに帰っていること、知っているんだから!
「うわああ! 何で知ってるの!? それ、みんなには内緒だよ!」
「さあ? どうしようかしらね」
「ユリカー!」 (第79話)


ここから分かるのは、二人は「寂しい」という気持ちとは無縁なのではなく、
一人でも「頑張って」輝いていくことができるアイドルであるということです。
仮に「寂しい」という気持ちを抱いていたとしても、アイドルとして一人でも強く輝いていく。
こういったユリカとかえでの姿は、『Growing for a dream』が描くテーマそのものです。

ウワサ話に興味はないの 決めた道ならJust truth
正しいことさえ 間違ってると 言えば言うほど 嘘みたい

寂しい… 孤独さえ もっと… 深い痛み
恐れない 未来へと Looking for myself

毎日がSpecial Day 強がらずに 君の涙 分けてほしい
Hold you Help you It's for you
夢にまで出てきた 君のその笑顔に Precious smile
まぶしすぎて 見えなくなる So I missing you


本編では流れませんでしたが、『Growing for a dream』は二番の歌詞が、
第79話には非常に合ったものであると思うんですよね。
悪い「ウワサ話」には目もくれず、「決めた道」を歩むことを選んだ二人。
「孤独さえ」恐れず、「未来へと」進んでいく二人。

『Growing for a dream』は、このペアにこそふさわしい曲であったと思います。
ユリカとかえでは、「一人でも頑張って輝いていける」という点でも共通なのです。


3. まとめ

結論として、ユリカとかえでは根幹の部分で似通っているアイドルであると言えます。
すなわち、二人ともファンを楽しませたいという気持ちを持って活動し、
一人でも頑張って輝いていける強さを持って前進できるという点で共通なのです。
ブランドのイメージを考えると、真逆にも見える二人ですが、
根元で通じ合っているからこそベストパートナーであるのだと思います。
蘭は、パートナーについて次のように語っていました。

「しもべじゃなくて、パートナーな。
 ステージをともに作るにふさわしい、
 ただ一人の、他に代えがたい、そんな相手」 (第79話)


まさしく二人は、この定義に恥じないベストパートナーと言えるでしょう。
同じ気持ちと、同じ強さを持った二人ならば、
本当にどこまでも進んでいけるのではないでしょうか。



○関連記事

   真似から脱け出ていくいちごとあかり (第77話考察)


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テーマ:アイカツ!
ジャンル:アニメ・コミック

漫画版「露草」がより重点を置いたもの (小沢真理『花物語』)

2014.04.27 08:41|百合作品
花物語 (愛蔵版コミックス)花物語 (愛蔵版コミックス)
(2014/03/25)
小沢 真理

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今回は、小沢真理さんによる、吉屋信子『花物語』のコミカライズについて紹介します。
『花物語』は、大正五年より連載の始まった、全五十二篇の短篇より成る少女小説です。
そこでは女どうしの出会いや別れが、主に思い出を振り返るという形で書き綴られていきます。
現在、河出文庫から上下巻で手に入りやすい文庫本が出ていますが
その下巻の裏表紙は、作品を次のように紹介しています。

 女学校中の憧れの的である下級生を思慕するあまり苦悩する少女、美しく志高い生徒と心通わせる女教師、実の妹に自らのすべてを捧げて尽くした姉……可憐に咲く花のような少女たちの儚い物語。「女学校のバイブル」と呼ばれて大ベストセラーになった、乙女たちの心に永遠に残る珠玉の短篇集。 (下巻、裏表紙)


作中では死や帰郷による別離が多く描かれ、紹介の通り「儚さ」の印象も強いですが、
他方で二人の関係を糧に、厳しい世の中を生きていこうとする「力強さ」も見出せます。
「『花物語』の主人公たちは世界に抗する」(下巻、380ページ)。
原作下巻の「解説」で、千野帽子はこのように語りました。
主人公たちは、単に世界に翻弄されるだけの儚い存在として登場するのではなく、
二人の関係や思い出を支えに、力強く生きようとする主体としても登場するのです。

先月、この『花物語』のコミックスが発売されました。
この中では、原作の五十二の短篇のうち、十二が選ばれ漫画化されています。
私が読んだ限り、小説の雰囲気をとても大切にしている印象です。
コミックスの裏表紙の謳い文句も引用してみましょう。

「私、この花には忘れられない思い出があるの――」

いつまでも胸の奥にきらめく思い出。
甘く、ほんの少し痛い、棘のような青春。
少女小説の不朽の名作「花物語」を可憐な筆致で鮮やかに漫画化。 (漫画、裏表紙)


例えば「紫陽花」では、隆子が弟子入りして絵を習えるようにと、
舞い唄う身となって助けてくれたお俊ちゃんが、病気で亡くなってしまいます。
こういう部分には胸を刺す「棘」を確かに感じることができるでしょう。
ただし、決してそれだけでは物語は終わりません。
隆子はお俊ちゃんとの思い出を胸に、約束であった絵の制作に取り掛かるのです。
その姿には、二人の関係や思い出が生む、毅然とした意志を見出すことができます。
こういった二面性を持つ物語に興味があれば、読んでみると面白いかと思います。



○漫画版「露草」がより重点を置いたもの:一條さんの立ち位置の変化から


ここからは、特に「露草」の内容に踏み込んで考えてみたいと思います。
この作品は、元々ちょっと拘りがある作品でもあったので、読んで特に印象に残りました。
漫画では、一條さんという登場人物の立ち位置に決定的な変更が加えられています。
この点に注目して、漫画版「露草」を読み込んでみます。

「露草」は、本当の姉妹のように愛し合う秋津さんと凉子の物語です。
両親がなく「いじらしいほど弱い性格」の凉子のために、秋津さんは尽くしてきました。
学資が捻出できずあわや帰郷となったときには、その肩代わりを申し出るのです。

『凉ちゃん、心配しなくていいの、私ね、お母さんにお願いして凉ちゃんの学資ぐらいどうにかして貰うつもりよ、そして今までより私少し倹約して凉ちゃんの学資のためにつくしましょう。ね、それなら凉ちゃんは伯父さんのお世話にならなくてもいられるのですもの、いいでしょう、凉ちゃん』 (上巻、258ページ)


しかし凉子はこの後、秋津さんに強く反発するようになります。
凉子は、これ以上自分の不幸に秋津さんを巻き込みたくはなかったのです。
それでも変わらず尽くしてくれる秋津さんのために、凉子は自ら帰郷してしまいます。
これまで伝えることができなかった、本心を綴った手紙だけを残して。

 秋津様――
  私は今日留守の間にお別れして帰ります。お目にかかると私は悲しくてせっかく決心した帰国の心が折れるといけませんからこの手紙を残したままいり、もうけっして再びお目にかかる事はないと存じます。私はあなた様をお姉様のように心から世界でたった一人の方と思ってお慕いしておりました。あの伯父からの手紙がまいりました時にも、私のために学資まで出して下さるというお心を知りまして私は嬉しい中にも悲しく恐ろしくなりました。私のような不幸な運命の者をお愛し下さるために、あなたがいろいろの苦しい重荷をお持ちにならねばならないと知りましてから、私は苦しくなりました。 (上巻、262-263ページ)

 
結果、秋津さんと凉子の二人は、想い合うがゆえに別れることになってしまいます。
この大筋の流れについては、小説も漫画もほとんど変わりません。
ただ、一條さんという三人目の登場人物の立ち位置は大きく変えられています。
小説では、一條さんは凉子とは対照的なお嬢様として登場していました。
彼女も秋津さんを愛しましたが、凉子がいる秋津さんには愛してもらえません。
そのために萎んでしまうというのが、小説での一條さんでした。

対して漫画では、秋津さんと涼子の関係を眺める語り手の立場で登場します。
秋津さんへの好意や凉子との対照性はほとんど取り上げられていません。
この変更により、どのような効果が生れていると言えるでしょうか。
私は、秋津さんと凉子の二人の関係がより強調される結果になったと思います。
漫画で涼子の幸福は、単にお姉さまである秋津さんのためだけに手放されることになっている。

というのも小説では、凉子は明らかに一條さんのことを意識していました。
秋津さんに愛されずに彼女が萎んでしまったとき、凉子は苦しみを感じています。

 あれほど快活で華美に見えた一條さんが、沈んだ様子でどこかしょんぼりして見えました。
 たいていのお友達に取り巻かれて、ぱあと淡紅色の葩を散らすような笑い声を出して、よくはしゃぎまわったその人が俄に二つ三つ齢をとったかのように大人びて寂しい人になりました。(中略)
 それで凉子の心の中には新しい苦しい思いが湧きました。 (上巻、257-258ページ)


そして最後の手紙の中でも、一條さんのことについて触れているのです。

 お姉様をお慕いしていらっしゃる一條様やそのほかの方達は、けっしてお姉様の重荷にはならない、幸い多い方でいらっしゃいます。私はいくら自分は不幸な身の上でございましても、自分の不幸のためにお慕いするお姉様までにお苦しみをかける事は、できません。私はどうしてもお別れして行かねばなりません。 (上巻、263-264ページ)


以上のように小説で涼子は、一條さんが萎んだことに対しても苦しんでいます。
そして不幸な自分が愛され、幸い多い一條さんが愛されないという対比から、
秋津さんに愛されることへの申し訳なさが生れたと考えることもできます。
しかし漫画では、そもそも一條さんの立ち位置が異なるため、
凉子は彼女のために苦しみもしなければ、手紙で彼女のことを取り上げることもしません。

ゆえに、秋津さんへの気持ち以外に帰郷の原因を考えることはできません。
漫画の凉子はただ秋津さんのためだけに苦しみ、帰郷を決めているのです。
凉子に帰郷を決めさせるほどの二人の関係にこそ重点が置かれていると言えます。

このように、漫画は小説の雰囲気を大切にしながら、いくつかの変更を施してもいます。
そうしたところに注目して読んでみても、面白いのではないかと思います。



 
  注 以下、小説からの引用は、吉屋信子『花物語 上』、河出書房、2009年5月と、
     吉屋信子『花物語 下』、河出書房、2009年5月による。


テーマ:漫画の感想
ジャンル:アニメ・コミック

「意志」と「いま」の物語へ (ラブライブ!二期一話考察)

2014.04.20 09:04|ラブライブ!
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μ's

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今回は、二期が始まりました『ラブライブ!』について考えてみたいと思います。
ラブライブ出場に消極的だった穂乃果に火をつけ、再び走り出したμ'sの九人。
一話では、一期のテーマを踏襲しつつも、新たなテーマを提示し始めた気がします。
このことは、『ラブライブ!』を「スクールアイドル」のアニメとして見ることで分かります。
この記事では、『ラブライブ!』が単なるアイドルではない、
スクールアイドルを描いていく物語である意味を考えつつ、
二期に至って新たに提示され始めたテーマについて指摘していきます。
私は、一期は「意志」の物語であったのに対し、
二期は「意志」「いま」の物語になっていくのだと思うのです。

それではよろしければ、一期の内容も思い出しつつ、少しの間お付き合いください。



○『ラブライブ!』二期一話:「意志」と「いま」の物語へ


スクールアイドルを描くという点は、『ラブライブ!』の大きな特徴の一つであると思います。
アイドルを描く作品であれば世に数多ありますが、
スクールアイドルなるものを描く作品は、他にはなかなか見つけられないでしょう。
それではスクールアイドルは、(プロの)アイドルとどこが異なっているのでしょうか。
スクールアイドルを描く物語は、どこでアイドルを描く物語と区別されるのでしょうか。

一期では明らかに、「意志」が両者を分ける鍵として提示されています。
スクールアイドルの物語ではアイドルの物語よりも、相対的に「意志」が重要なのです。
スクールアイドルをやりたい、やってみようという「意志」。
もちろん、アイドルを描く物語においても、こうした「意志」は重要でしょう。
しかし『ラブライブ!』という物語においては、他の何よりも「意志」が突出しているのです。
これはスクールアイドルと(プロの)アイドルの性質上の違いより生じています。

スクールアイドルと(プロの)アイドルの違いは、以下の二つの場面によって説明されています。
順番に確認してみましょう。
第一に、一期四話でことりが花陽に次のように述べる場面です。

「小泉さん」
「スクールアイドル本気でやってみない?」
「ええ!? でも、私、向いてないですから」
「私だって、人前に出るのは苦手です。向いているとは思いません」
「私も歌忘れちゃったりするし、運動も苦手なんだ」
「私はすごくおっちょこちょいだよ!」
「でも……」

プロのアイドルなら、私たちはすぐに失格。
 でも、スクールアイドルなら、やりたいって気持ちを持って、
 自分たちの目標を持って、やってみることができる!

「それがスクールアイドルだと思います」
「だから、やりたいって思ったら、やってみようよ」 (一期四話)


スクールアイドルはアイドルとは異なり、それになるに当たって、
厳しいオーディション等を突破する必要がありません。
ただ「やりたいって気持ち」があればスクールアイドルになることができます。

つまり、入口に関門がないのです。

このことは、スクールアイドルとアイドルを決定的に区別します。
(プロの)アイドルであれば、パフォーマンスは仕事であり、
才能や努力、それらの結果としての歌やダンスの技術は絶対に要求されます。
だからこそ、入口には厳重な関所があり、ほとんどの入場を拒否するのです。
「意志」だけで直ちになることができるスクールアイドルと、なれないアイドル。
比較してみると、スクールアイドルの場合は「意志」だけに重点が置かれます。
入口の関門の有無が、スクールアイドルとアイドルを分離していると言えます。

第二に、一期十二話で穂乃果が辞めてしまう場面です。
スクールアイドルは仕事ではないため、辞めようと思ったら、
穂乃果のように簡単に辞めることができてしまいます。
アイドルであれば、仕事であるという義務感や責任感から続けるかも知れません。
しかしスクールアイドルの場合、「意志」がないなら比較的楽に辞められるでしょう。

つまり、出口にも関門がないのです。

相対的に簡単に辞めることができてしまうのがスクールアイドルです。
「意志」がなくても、続けなければいけないというような精神的な圧力が小さい。
このことも、スクールアイドルとアイドルを明白に分離しています。

以上の二点よりスクールアイドルは、より「意志」の上に成り立っていると言えます。
そしてこのことが、それを(プロの)アイドルとは区別するのです。

「意志」があっても「才能」がなければなることはできず、
「意志」がなくても「義務感」ゆえに相対的に辞めることが難しい。

このように「意志」以外のものも重要性を持ち得るアイドルと比べれば、
スクールアイドルは「意志」のみが特に重要性を持つと言えます。
だからこそスクールアイドルを描く物語である『ラブライブ!』一期は、
一人ひとりの「意志」を八話までかけて描いた上に、十二話から更にもう一回描いたのです。

穂乃果の脱退と再加入が再度描いたものは、彼女の「意志」に他なりませんでした。
また、だからこそ理事長は、絵里の生徒会としての活動をしつこいくらいに拒否し続けたのです。
絵里の「義務感」に対して、一人ひとりの「意志」が持ち上げられていました。
一期は徹底的に、スクールアイドルになろうという「意志」を強調する物語であったと言えます。

こうした「意志」の物語という路線は二期一話にも引き継がれていました。
すなわち、そこでは「何をやるべきか」を考えて動けなくなった穂乃果が、
仲間の言葉を受け、「何をしたいか」で動き出すという流れで話が進んでいきます。

「また自分のせいで、みんなに迷惑をかけてしまうのではと心配しているんでしょう。
 ラブライブに夢中になって、周りが見えなくなって、
 生徒会長として、学校のみんなに迷惑をかけるようなことはあってはいけない、と」

「全部バレバレだね。始めたばかりのときは、何も考えないでできたのに、
 今は何をやるべきか、分からなくなるときがある。
 でも、一度夢見た舞台だもん。やっぱり私だって出たい!
 生徒会長やりながらだから、また迷惑かけるときもあるかもだけど、
 本当はものすごく出たいよ!」 (二期一話)

 
ここでは、一期十話で暴走してしまったことと、生徒会長という立場であることを考えて、
穂乃果が自分の「やりたいこと」を選ぶことができなかったということが示されています。
生徒会長ゆえに、「何をやるべきか」を考え動けなくなるという点は絵里に似ています。

「うちな」
「希」
「絵里ちと友達になって、生徒会やってきて、ずっと思ってたことがあるんや。
 絵里ちは、本当は何がしたいんやろうって。
 一緒にいると分かるんよ。絵里ちが頑張るのは、いつも誰かのためばっかりで。
 だから、いつも何かを我慢してるようで、全然自分のことは考えてなくて。
 学校を存続させようっていうのも、生徒会長としての義務感やろ!
 だから理事長は、絵里ちのことを認めなかったんと違う?
 絵理ちの、絵理ちの本当にやりたいことは?」

何よ、何とかしなくちゃいけないんだからしょうがないじゃない!
 私だって、好きなことだけやって、それだけで何とかなるんだったらそうしたいわよ!
 自分が不器用なのは分かってる。でも!
 今更アイドルを始めようなんて、私が言えると思う?」 (一期八話)


絵里も一期八話では、皆のためにどうすべきかを考えて、
自分の「本当にやりたいこと」を選ぶことができませんでした。
穂乃果が今回抱えた問題というのは、絵里がかつて経験したものであったと言えます。
一人では、自分の「意志」を選び取ることができない。
穂乃果は仲間の言葉を受けて、初めて「本当にやりたいこと」を表明することができました。
この辺りは、それぞれのμ's加入、あるいは穂乃果の再加入のときと同じ展開を取っています。
二期一話も、一期と同じように「意志」の物語であり続けていたのです。

しかし、そこから二期は、スクールアイドルの別の側面をも取り上げにかかりました。
すなわち、より「いま」であるという側面をです。
スクールアイドルは限られた「いま」しかできないという点で、
(プロの)アイドルとは明白に区別される。
二期一話では新たにこの点が浮上しています。

「そうよ。三月になったら、私たち三人は卒業。
 こうしてみんなと一緒にいられるのは、あと半年」
それに、スクールアイドルでいられるのは、在学中だけ
「そんな……」
「別にすぐ卒業しちゃうわけじゃないわ。
 でも、ラブライブに出られるのは、今回がラストチャンス」
「これを逃したら、もう……」
「本当はずっと続けたいと思う。
 実際卒業してからも、プロを目指して続ける人もいる。
 でも、この九人でラブライブに出られるのは、今回しかないのよ」 (二期一話)


九人での活動がやがて終わるものであることが確認されたことによって、
スクールアイドルは「いま」だけのものであることが強調されています。
より「意志」の産物であるという側面とは異なる、
より「いま」であるという側面が取り上げられているのです。
ゆえに、ここからは同じスクールアイドルの物語と言っても、
「意志」「いま」の物語になっていくのだと思います。
部活もの、青春ものという評価は一期の時点で多くありましたが、
むしろ二期こそ、本当に部活もの、青春ものらしく、
限られた九人の「いま」をも描いていくのではないでしょうか。

OPである『それは僕たちの奇跡』が描くのは、「残された時間」を握りしめて、
限られた「僕たちの季節」を全力で駆けていく「僕たち」の姿でした。
これからμ'sの九人も、かけがえのない「いま」を全力で駆けていくのです。



○関連記事

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テーマ:ラブライブ!
ジャンル:アニメ・コミック

真似から脱け出ていくいちごとあかり (アイカツ!第七十七話考察)

2014.04.13 09:00|アイカツ!
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今回は、『アイカツ!』第77話について考えます。
あかりは入学後、自身の憧れるいちごのようなアイドルになることを目指しますが、
いちごの言葉を受けて「自分らしく」進んでいくことを決意します。
最後の髪を切る場面は印象的です。
そこには、他ならぬあかりとして輝いていこうという意志が見出せます。
あかりはいちごの言葉を受けて、輝く「自分」を発見したのです。
ゆえに第77話は、いちごに憧れてきたあかりがいちごの真似を止めて、
いちごに認めてもらった「自分で」歩んでいく決意をする話のように見えます。

しかし、実際はあかりが「自分」を見つけるだけではありません。
同時にいちごも、あかりとの関係を通して「自分」を見つけていくのです。
この記事では、このことについて指摘していきたいと思います。



○『アイカツ!』第77話:真似から脱け出ていくいちごとあかり


いちごも、あかりとの関係を通して「自分」を見つけているというのは、
いちごがそこで、「自分のプロデュース」を見つけているということです。
当初いちごは、プロデュースということがよく分からなかったために、
誰かを真似することであかりをプロデュースしていくのですが、
最後には彼女自身のプロデュースとでも言うべきものを見つけるのです。
このことは第77話を振り返ってみると分かります。

まずいちごが、誰かの真似から入っていることを確認していきましょう。
以下は、食堂でセイラたちと話す場面と、
あかりのプロデュース(特訓)を開始する場面です。

「それにさ、星宮は直感で見出したかも知れないけど、
 選んだ時点で大空あかりの人生を変えてるんだ。
 だから責任を持って、しっかり軌道に乗せてやらないとな」
「うん、そうだよね!」(中略)

「私はあかりちゃんを合格させた。
 だから、あかりちゃんの力になれたらなって思うんだ。
 特に最初の一歩はね」 (77話)


始まりの言葉からして、セイラにもらった言葉を受けてのものになっています。
そしてここからいちごは、美月の特訓、涼川の助言と、続けて誰かを真似していきます。
すなわち、スペシャルアピールを出すための特訓と、
歌詞を自分のものにするという助言を受け継いでいくのです。
途中までは、いちごは自分がやってもらったことをあかりにやっています。

いちごが誰かを真似するのは、それだけ人から多くを学んできたということでもあります。
必ずしもそれが未熟さを表すものと捉えられるわけではないでしょう。
しかし今回の場合は、いちごの「プロデュースって今一よくわからない」という言葉から、
自分がよく分かっていなかったからこそ、真似に至っていたとも考えられます。
また第77話は、あかりがいちごの真似をすることを止める話でもありました。
そういったことを鑑みると、プロデュースに際してのいちごの真似というのも、
ポジティブな意味でだけ捉えられるべきではないと思います。

実際に第77話は、そこから「いちごによるプロデュース」に至る物語となっているのです。

それでは次に、いちごが「自分のプロデュース」を行う場面を引用します。

スターはあかりちゃんなんだよ
「えっ!? 私、ですか? 小さくたって、自分だけの光。
 オリジナルスター、目指してるスター」
「オリジナルスターを目指してるスター。それってあかりちゃんだよ。
 あかりちゃんだって、もうステージにあがるアイドルだもん」
「私がスター? 私が?」
「うん!」
「目指してるスターって、いちご先輩だって思ってました」
「オーディションのとき、あかりちゃんがアイドルに見えたのはね、
 目が離せない光があったからだと思う。アイドルの光!」
「アイドルの光?」
「私が美月さんに感じたような光、きっとあかりちゃんが私に感じたような光」
「そんな光が私に?」
「うん! 私には見えたよ。あんな風に目が離せないアイドル初めてだった。
 あかりちゃんは、あたふたしてたけど一生懸命だったよね
 小さな光でも、あかりちゃんの光り方で光ってた。
 うん! それが、あかりちゃんを合格にした理由!」
「いちご先輩!」
だからあかりちゃん、自分らしく頑張ろう!」 (77話)


「あかりがスターである」ということは、いちごが自分で考えたことです。
このことは夜に自室で、あおいがいちごに声をかけなかったことで強調されています。
いちごがあかりのことで考え込んでいることに気付きながら、あおいは声をかけないのです。
これにより、いちごが「一人で」辿り着いたということが浮き彫りにされています。
いちごが一人で考えて掴んだ答えというのは、誰の真似でもない、彼女の答えに他なりません。

また、それによって成されるのは、他の誰でもない「いちごによる」プロデュースです。
上記の場面というのは、いちごが自分のプロデュースをやってみせた場面と言えるでしょう。
そして、いちごが真似のプロデュースから脱け出るとき、あかりも真似から脱け出ていきます。

結論として、以下のことが言えると思います。
すなわち、アイドルである上でいちごを真似していたあかりと、
プロデュースする上で誰か(特に美月)を真似していたいちご。
第77話は、そうした似た者同士の二人が、それぞれ「自分」を見つける物語であったのです。
真似から脱け出ていく二人こそ、今回のテーマに他ならなかったと思います。



余談ですが、今回の展開というのは、いちごがさくらの面倒を見た、
第26話の展開に似ていると考えることができます。
が、あのときよりも明らかにいちごは「プロデュースする側」として成長しています。
というのもあのときは、美月と涼川の力を借りたプロデュースでした。

星宮が傍にいるって分かるだけで、さくらちゃんは大丈夫だと思うよ」(中略)
「あ! 美月さん、ありがとうございます! 失礼します!」

「さくらちゃんは一人じゃないよ! 私がいるよ!
 それにきっと、これから沢山の友達ができる!
 私も、ここで蘭やおとめちゃんやヒカリちゃんや、
 しおんちゃんやユリカちゃんや、他にも沢山友達ができたから! だからきっと!
 明日はこの満開のさくらみたいに、最高のオーディションにしよう! 私がついてる!」
「はい、はい! いちごさま!」
ったく、人づかい荒いっつーの」 (26話)


このように、さくらのときというのは、美月の助言を受け、
涼川の助けを借りて、いちごはさくらのプロデュースを成功させたと言えます。
それが今回は、まさしく「その二人」の真似から脱け出ていく構図になっています。
最終的にいちごは、他ならぬ自身の言葉でもってプロデュースを成功させるのです。



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テーマ:アイカツ!
ジャンル:アニメ・コミック

前に進むために必要な「慰め」と「励まし」 (サブロウタ『citrus』)

2014.04.05 12:24|百合作品
citrus (2) (IDコミックス 百合姫コミックス)citrus (2) (IDコミックス 百合姫コミックス)
(2014/03/18)
サブロウタ

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今回は、先日二巻も発売された『citrus』について考えたいと思います。
最初に、読んだことのない方向けに裏表紙の概要を引用してみます。

見た目はギャルなのに一度も恋をしたことがないjk・柚子は、
親が再婚した都合で女子高に編入することに。
彼氏ができない!と不満爆発の転校初日、
黒髪美人の生徒会長・芽衣と最悪の出会い方をする。
その後、偶然芽衣とイケメン担任教師のキスシーンを目撃し、
心とは裏腹にそのシーンが胸に焼き付いてしまった柚子。
さらに生徒会長と義理の姉妹の関係になり、
同室で生活することになってしまい…!?
正反対のjkふたりが反発して惹かれ合って。
姉妹のlove affair、始まる! (1巻裏表紙)


かなり長い紹介文ですが、要所を的確に掴んでいると思います。
一言で言えば、帯にあるように、「純情ギャル」の柚子と、
「黒髪ビッチ」の芽衣が姉妹になり、段々と近付いていく物語です。
そう書くと軽い感じがするかも知れませんが、実際は二人の姉妹としての関係、
家族と芽衣の関係、柚子の芽衣への想いなどを丁寧に描いています。
興味を持った方はお手に取ってみるとよろしいかも知れません。

さて、今回は二巻の「8. out of love」(以下「八話」)を中心に考えていきます。
この話は、学院には今後戻らないという父親の意志を知り、
芽衣が不安定な精神状態になってしまったところから始まります。
そこから柚子が芽衣を立ち直らせるのですが、
そのときに必要だったものとは何であったのでしょうか。



○サブロウタ『citrus』:前に進むために必要な「慰め」と「励まし」


まずは、八話において極めて重要な場面を引用します。
「芽衣が本当に必要としてるもの」に、柚子が気付く場面です。
クラスメイトのはるみと話している中で、柚子は気付きます。

芽衣のためにあたしができること…
芽衣が本当に必要としてるものって… 家族…? お父さん?
なんかちがうんだよなぁ……
ううう… わからん……

「っぷ あはははははは」
「なに急に笑い出して……」
「いやぁ ユズっち 今日は朝から ずーっと同じ顔してるんだもんさ」
「あたしだって悩みごとくらいあるよー」
「ごめんごめん いろいろ大変そうだもんな ユズっち
 まーなんかあったら いつでもこのはるみママが慰めてやっからよ」
「人を犬みたいにー」
「おーよしよしユズっちー」
…… あ…! これだー!!」 (2巻127-129ページ)


ここで柚子は「芽衣が本当に必要としてるもの」に気付いていますが、
それが何かということは物語中で明示されているわけではありません。
この後柚子は芽衣を前に進ませることに成功しますが、
結局芽衣に何が必要であったかということは、改めて述べられるわけではないのです。
八話はそれを曖昧にしたままで終わってしまいます。
そこでこれが何であったのか、考えてみる必要があります。

柚子がはるみに慰めてもらっている最中に答えに気付いたことを鑑みると、
それは、頑張りを認めて慰め、励ましてくれる存在であったと考えられます。
実際に柚子は、直後に校内放送を使って芽衣を慰め、励ましています。

「芽衣聞いて! お父さんのため 学院のために…
 一生懸命な芽衣を…あたし 見てたから!
 芽衣はよくやったよ! だからもう 自分を責めないであげて
 誰かのために頑張るのはおしまいにしようよ
 芽衣! …パパのお見送り行こう?
 待ってるから!」 (2巻134-136ページ)


これを受けて芽衣は立ち直り、自分の意志で進むことを表明することになります。
こうした「慰め」「励まし」が、ここでは必要なものとして提示されていたと思います。
それらにより傷が癒されなければ、前へと進んでいくことはできないのです。

一見一人で果敢に行動してきたように見える柚子も、
要所においてははるみの「慰め」や「励まし」を受けて再起してきました。
とりわけ退学処分を受けた後の柚子の復活というのは、今回の芽衣の再起と重ねて考えられます。
はるみのおかげもあって柚子が立ち直る場面を引用してみましょう。

「アイツのためにいろいろやったけど…
 本心もわからなかったし思いっきり傷えぐったみたいだし…
 結局あたしはアイツのお姉ちゃんにはなれなかったってことか」
「まぁまぁユズっち ユズっちは頑張ったと思うよ
 そんなに頑張ってくれる姉がいたら 妹は本当に幸せモンだね
 きっと気持ちは伝わってるって」
「……」

――気持…ち…? あたしはアイツになにを伝えたかった――?
 ああ…そうか… これが恋なんだ…

「ユズっち! 大丈夫か? 愚痴なら全部あたしに言え な?」
はるみん励ましてくれてありがとう
 あたし まだまだやれることあったわ
「なんかよくわかんないけど吹っ切れたみたいじゃん
 いつものユズっちだ!」 (1巻103-106ページ)


柚子にははるみの「励まし」が必要であったことが分かります。
この柚子が立ち直る場面も、後の芽衣が立ち直る場面も、
これまで通り一人では進めなくなった状況において、
そこまでの頑張りを誰かに認めてもらったことで再起を果たしています。

柚子にはこの退学処分のときの経験があったために、
八話で「芽衣が本当に必要としてるもの」に気付けたとも言えるでしょう。

結論として、八話の「芽衣が本当に必要としてるもの」というのは、
これまでの頑張りを認め、「慰め励ましてくれる存在」であったと思います。
傷ついた芽衣が「進む」ためには、彼女の父親とは別のそういった存在こそ必要でした。
この作品で「支える」(2巻125ページ)ということは、そのような形で現れています。

そう考えてみると八話は、「柚子にとってのはるみの重要性」が示された回でもあります。
形だけの「親友ポジション」ではなくて、柚子が進むためには欠かせない、
「慰め、励ましてくれる存在」として、彼女は登場しているのです。


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