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紡がれていく「三人」という関係 (華々つぼみ『放課後アトリエといろ』)

2013.06.29 15:33|その他の漫画
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見ていて羨ましくなる 「可愛さ」の結晶!! (1巻帯)


今回は、華々つぼみさんの作品を紹介したいと思います。
結構ボケボケな寧々(ねね)と、しっかり者な香(かおり)を中心として、
二人の所属する美術部での日々をほんわかと描いていく本作。
その最大の特長は、「一人で」よりも「二人で」が重視されていることです。
「寧々」だけでなく、「寧々と香」という風に、登場人物の「関係」が凄く大切にされています。
「一人でも可愛い、けど二人だともっと可愛い」。
そのような文句がぴったりと当てはまる作品ではないでしょうか。

この作品の四巻が先日発売されましたので、華々つぼみさんの作品を語ってみます。
同じく華々つぼみさんの手による『コドクの中のワタシ』の話も交えていきますので、
もしよろしければ少しの間お付き合いください。



○紡がれる「三人」という関係:「二人」でも「三角関係」でもない「三人」


まず、個人的には白眉だったと考える、四巻のとある部分を引用します。
寧々と香の同輩である、すみれが級友に唆されて、
文化祭の「ミスメイドコンテスト」に立候補する場面です。

「ねえ華村さんが遊園地好きって知ってた?」
「なにそれっ 知らない!! だいたいなんで香のこと!?」

――よしっ

「このコンテストの優勝賞品…なんと遊園地のペアチケットなんだよっ!!」
「え!?」

――か、香と二人で遊園地…
 あ だめだめ 寧々がいるんだし 三人じゃないと
 そうだ寧々の分は三人で出し合って… そうすれば (4巻42-43ページ)


すみれは香の中学のときの同級生で、昔から香のことが大好きだったのですが、
その彼女が香との二人よりも、寧々も含めた三人を選び取っています。
これは一巻の時点では考えられなかった選択です。
実際、初登場時においては、すみれは香の傍にいる寧々をほとんど敵視していました。

「あ…あの この人は…」
「あ えっと 私の中学のときの同級生 同じ写真部だった」
「葛城すみれ …よろしく」

「ねえ この子だれ」
「え」
「入学式の日からいつも一緒にお昼食べたり
 一緒に帰ってるこの子は誰って聞いてんの」

――なんで知ってるの!? (1巻152ページ)


このように、香の傍にいる寧々に対してにべもない態度を取っていたのです。
当初、香と寧々とすみれの関係は、香を真ん中とした「三角関係」だったと言えます。
それが、同じ日々を過ごした末に、最初の引用のように「三人」を選ぶまでになる。
そこには、「三角関係」から「三人」への、明らかな進展を見出せます。

私は「三角関係」から「三人」へという、この変化こそ、
『放課後アトリエといろ』の見所の一つであると思います。
通常、「三角関係」は対立を含む不安定な関係と規定され、
「二人」になることが終着点に選ばれることが多い気がしますが、
この作品はそうしないで、それが「三人」になっていく様を描くのです。

そしてここに現れる「三人」という関係が、とても魅力的に描かれています。
香と寧々とすみれにせよ、成と藤乃と静にせよ。

この「三人」という関係は、『コドクの中のワタシ』の中にも見出せます。

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これは、宇宙人や吸血鬼、天使やエスパーやケモノっ娘など、
一癖も二癖もある生徒たちを集めた教室に、
極めて普通な高校生・真由が放り込まれるところから始まる物語です。
そこで真由は、特に宇宙人であるぐれ子に気に入られるのですが、
ある日、ぐれ子が人間の身体に寄生していたことが明らかになります。
その、ぐれ子の宿主である少女、麗華は真由に次のように語ります。

「わ 私はぐれ子さんに出会うまで、外に出るどころか
 歩くことさえままなりませんでした…
 そんな私を救ってくれたのが…ぐれ子さんなんです。
 私の命の恩人… 神様……
 私は面と向かって会うことすらかなわない憧れの人なのに
 それをあなたは毎日毎日ベタベタと……」(中略)

「けれど毎日ぐれ子さんと意識を共有して、
 真由さんを見ていて き 気づいたんです……」
――ちっ 近っ…
「どうせ叶わぬ願いならいっそ… いっそのこと…」
――私、もうだめかも…っ
真由さんの事を すっすす 好きになってしまおうと!!」 (1巻106-107ページ)


麗華は、自身の憧れであるぐれ子に近づいていく真由に対抗すると見せかけて、
彼女のことを何故か好きになってしまう方向に行くのです。
ここでも、ぐれ子を中心にした典型的な「三角関係」ではなくて、
真由とぐれ子と麗華という、ちょっと不思議な「三人」の関係に至っているのが分かります。
この三人の関係は、二巻でも面白い部分ではないかと思います。

さて、色々と述べてきましたが、『放課後アトリエといろ』にせよ、
『コドクの中のワタシ』にせよ、「三人」という関係だけが美点であるというわけではありません。
例えば先述したように、「二人」の関係も作品の特長と言えるでしょう。
しかし、「三人」という関係もそれに負けないぐらい、作中で際立っているように感じます。

「二人」でも「三角関係」でもない、「三人」という関係。

もし既に作品をお持ちの方や、購入した方がいらっしゃったら、
そこに注目して今一度読んでみると、新たな作品の魅力を発見できるように思います。
ここに来て『放課後アトリエといろ』の四巻の表紙は、楽しそうな「三人」の姿なのです。


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テーマ:4コマ漫画
ジャンル:アニメ・コミック

主人公としての穏乃と、パートナーとしての憧 (『咲-saki-阿知賀編』感想)

2013.06.19 18:11|咲-saki-
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阿知賀編のアニメの最終回がついに各所で公開されました。
一話の放送からおよそ一年。
かなり長かっただけに、終わりを見たときの感慨も一入でした。
みなさまはどのような心持で、16話をご覧になったでしょうか。

今回は阿知賀編の完結記念ということで、本作全体を眺めながら記事を書きたいと思います。
特に注目するのは、阿知賀編の主人公である穏乃と、彼女のパートナーである憧です。
阿知賀編という作品の中で、彼女たちがどのような人物であったのかを考えていきます。

ゆえに、この記事は対局シーンを細かく考えていくという主旨ではありません。
それでもよろしければ、少しの間お付き合いいただければ幸いです。
私も、『咲-saki-』という作品の見所の一つは麻雀の場面であると思っているのですが、
そこから少し離れてみると、それはそれで違った作品の魅力が発見できる気がします。



○二つの顔を持つ主人公としての穏乃:「和の友達」かつ「阿知賀の大将」


それでは、穏乃について考えてみましょう。
彼女が主人公として特徴的なのは、二つの顔を持っているという点です。
すなわち彼女は、「和の友達」としての顔と、「阿知賀の大将」としての顔を有しています。
穏乃はそれぞれの立場から、二つの目標を物語中で掲げることになるのです。
それぞれの顔を順番に確認していきます。

まず、「和の友達」としての顔を見ていきましょう。
穏乃は中学に進学すると、かつての麻雀教室の仲間たちとどんどん疎遠になっていきます。
いつしか麻雀も「昔取った杵柄」(1巻65ページ)になってしまう。
そんな穏乃の日々を変えたのは、インターミドルでの和の雄姿でした。
それを見てから穏乃は和と遊ぶことを目指して、インターハイを目標とします。

「あと全国大会に行きたい!」
「全国!」
「春までに阿知賀の麻雀部を復活させて… インターハイに挑むんです…!!」
「面白そう!」
「そこにはたぶん和がやってきます…」
「和ちゃんが?」
「またそこで…みんなで遊ぶことができるんです
 麻雀をしていればいつかどこかで巡り会える!」 (1巻80ページ)


この直後に、「遊ぶんだ… 和と!!」(1巻88ページ)という、憧の代表的な台詞が来るわけです。
ここで穏乃は明確に、「和のかつての友達」として、彼女と遊ぶことを目標に掲げています。
言うまでもないかも知れませんが、この穏乃の目標はかなり個人的なものです。
憧や玄はともかく、阿知賀のメンバー全員で共有できる類のものではありません。
照との和解を目指す咲と同じように、「個人的な目標」から穏乃も全国を目指すのです。
これは『咲-saki-』という作品の主人公に共通の特徴と言えます。
彼女たちは「個人的な目標」から出発する。

しかし、それだけに留まらないのが、阿知賀編という物語であり、穏乃という主人公です。
けだし穏乃のもう一つの顔は、そのことをはっきりと示しています。

それでは次に、その「阿知賀の大将」としての顔を見ていきましょう。
穏乃は晴絵がプロ行きを断ったと聞いたことを契機に、
阿知賀の一員としての自分を強く意識したと考えられます。

「がんばろう! 準決!! 千里山強い 白糸台強い そんなのわかってる……!!
 でもうちらだって今朝よりも今この時の方が――強い…!!」
「県民未踏のベスト4」
「ハルちゃんが行きたかった場所――」
「目前だね」
「うん…」
「たどり着くんだ うちらの代で――… 決勝戦へ――!!」 (3巻37-40ページ)


ここで穏乃は部員の先頭に立って、阿知賀の悲願である「準決突破」を掲げています。
和と遊ぶこととは別に、新たな目標が明確に意識されているのです。
これが一つ目の目標と同列であるということは、どこか憧の「遊ぶんだ… 和と!!」を想起させる、
「たどり着くんだ うちらの代で―… 決勝戦へ――!!」という言い回しにも見ることができます。

ただ、これは先のものとは異なり、個人的な目標ではありません。
それは阿知賀に関わる人全員に共有され得る目標です。
こうした「みんなの目標」は、阿知賀編の特徴的な要素と言えます。

実際に作中では、準決勝が「10年越しのリベンジ」(4巻157ページ)であるため、
その突破は現役メンバーだけではない、周辺地域全体の悲願として描かれています。
このように阿知賀編では、「みんな」「阿知賀」が『咲―saki―』本編よりも強調されているのです。
以下の引用部もこの側面を押し出していると考えることができるでしょう。

「早速だけど インハイの地区予選は――個人戦はどうする?」
「誰か出たい?」
「個人戦はみんなでって感じがしないし…」
「和は団体戦にもエントリーしてたっぽいからね…きっと出てくる!」 (1巻140-141ページ)


また晴絵は勝利に重要なこととして「総合力」(1巻191ページ)を挙げています。
「みんなで」戦って勝つことが阿知賀編では特にテーマとなっているのです。
準決勝で結果的に、他校に比べて平板な収支で一位抜けを決めたことは、
こうした阿知賀の路線の到達点と言えるかも知れません。
準決突破は阿知賀の周辺地域に住む「みんな」の悲願であり、
阿知賀女子のメンバー「みんな」で追いかけるべき夢なのです。

穏乃はそのような阿知賀編という作品の中で、「阿知賀の大将」としても振る舞います。
つまり、彼女は和と遊ぶという個人的な目標だけではなく、
阿知賀全体で共有できる目標も掲げ、みんなを引っ張っていくのです。

ここが咲とは少し異なる、穏乃という主人公の特異性と言えるでしょう。
穏乃は「みんなの目標」も掲げて邁進する。


さて、上述のように、穏乃は二つの顔を持つ主人公です。
彼女はそれぞれの顔に対応する目標を掲げ、ついに決勝戦まで駆け上がっていきました。
ここで注目したいのは、穏乃がそれを成し遂げるに相応しい特徴を備えているということです。
すなわち、彼女の麻雀の特性は、「二つの顔」に結びつくようなものになっています。
まずは穏乃が、自身の麻雀に関して述べている場面を確認してみましょう。

なんかのインタビューで和が言ってた。
一年半くらいずっと一人でネットで打ってたって。
和の一人な時間は無駄にならず、今の和を形作っている。
私は二年半、一人で山を駆け巡っていただけ。
和と比べて最初はへこんだけど、今は違うんだ!
それもまた力になっているから! 視界良好! (アニメ16話)


ここで穏乃は山での経験が、今の自身の力に繋がっていると述べています。
その中でまず強調されるのは、それが「一人の時間」であったということです。
この「一人の時間」こそ、穏乃を和を目指す者たらしめると考えることができます。
麻雀から遠ざかっていた穏乃が、和と遊ぶことを目指すのは一見分不相応に見えます。
しかし、彼女は自分だけの「一人の時間」を過ごしたという点では、和と変わりありません。
この点において、穏乃は和と遊ぶことを目標に掲げて、それを実現する人物として相応しいのです。

また、山での経験は、少し後の場面で以下のようにも言及されています。

あの頃、山の中で一人でいることが多かった。
だからこそ、自分自身というものをはっきりと感じ取ることができたし、
色々と考える時間ができた気がする。
いつか意識は自然の中に溶け込んで、深い山の全てと一体化しているような。
そんな気分にもなったんだ。
今、牌の山も対戦相手も、あの頃の山のように感じる。 (アニメ16話)


ここで強調されるのは、山での経験が「地元の山々との一体化」をもたらすものであったということです。
この「山々との一体化」こそ、彼女を阿知賀の大将たらしめると考えることができます。
誰よりもその地域を駆け回り、半ば地元の山々と一体化するに至った穏乃だからこそ、
周辺地域の悲願を目標に掲げて、それを実現する中心人物として相応しいのです。

achiga2.png
 (地元の山々と一体化する穏乃 アニメ16話)

まとめると、穏乃の麻雀を根底で形作っている山での経験は、
それが自分を形作る「一人の時間」であった点で和と穏乃を結び付け、
「山々との一体化」であった点で阿知賀と穏乃を結び付けています。

そういった経験を持つ穏乃だったから、上述の二つの目標を掲げ、
やがて達成する「阿知賀編という物語の主人公」たり得たのではないでしょうか。
二つの目標の達成を決定づけるのに、穏乃の麻雀以上に相応しいものはなかったと私は思います。



○穏乃のパートナーとしての憧:同じ風景を共有する者として


ここからは特に憧について考えていきます。
彼女を考えることで、阿知賀編という作品をより理解できるようになると思います。

言うまでもなく、憧は「穏乃のパートナー」として描かれています。
阿知賀のメンバーの中で特に彼女がそのように描かれる理由は、
彼女が、二つの目標の両方とも穏乃と共有することができるためであると考えられます。
準決勝突破は阿知賀のメンバー全員で共有できる目標ですが、
「和と遊ぶ」という穏乃の個人的な目標を共有できる人物は限られています。
だからこそ、穏乃とともに両方を掲げ得る憧がパートナーなのです。

しかし、「二つの目標」は、和と一緒に麻雀をした玄も共有し得るものです。
何故彼女は憧とは異なり、穏乃のパートナーとして作中に現れて来ないのでしょうか。

けだし決定的なのは、穏乃や憧と、玄で想起する光景が違うことです。
穏乃と憧の場合、彼女たちの中で大切に保存されている光景は、
和と出会い、三人で駆けまわった際のものであると想像することができます。
穏乃は和が現れたからこそ、麻雀クラブでも「上級生4人で打てる機会が増え」(1巻35ページ)、
結果として「ちょっと楽しみ増えてきた」(1巻36ページ)と述べています。
ここから分かるように、穏乃にとっては「和との光景」が特別であり大切なのです。
憧は穏乃ほど和との時間を特別視しているわけではないでしょうが、
穏乃や和と最初から三人で一緒に過ごしてきたため、
穏乃が思いを馳せる光景と同じものを一緒に思い描くことができます。

しかし、玄にとって大切な光景は、二人のものとは少し違うところにあります。
すなわち、彼女にとっては「阿知賀こども麻雀クラブでの光景」こそ思い出深い光景なのです。
二年以上もの間、教室の管理を自主的に行っていたことにそのことは表れています。
この点において玄は、必ずしも穏乃と同じ光景を目指すことができるわけではありません。
彼女は穏乃や憧にとって重要な意味を持つであろう和との邂逅の瞬間にも立ち会いませんでした。
照との対局で窮地に陥った際に彼女を助けたのが、「和との光景」と言うより、
「和も含めたみんなとの光景」(4巻48ページ)であったことも示唆的です。
玄は穏乃のパートナーとして、彼女にとって大切な光景を一緒に取り戻そうとするのではなく、
少し違う位置から、自分にとって大切な光景を取り戻そうとしていると言えると思います。

以上の事情から、憧がとりわけ穏乃のパートナーとして描かれていると考えられます。

さて、その憧ですが、彼女は穏乃の目指す光景を共有できる無二のパートナーとして、
要所要所で穏乃に自身の目標を改めて意識させる役割を負っています。

例として、全国大会のために東京に来たシーンを挙げてみます。

「ついに来たね 東京… 全国大会」
「うん…」
「和に会いにいく?」
「いや 向こうが来ないならこっちも行かない」
「まず清澄と戦ってみたいね」 (1巻210ページ)


ここで和の話を振っているのは憧です。
憧はこのように、時折穏乃に目標の話を振ることがあります。
これは、穏乃に目標を改めて意識させる効果があると思います。
憧は穏乃のパートナーとして、穏乃に和のことを想起させる役割を負っているのです。

今の例は「個人的な目標」の方でしたが、「みんなの目標」も憧は穏乃に意識させています。
すなわち憧は、穏乃に「阿知賀の生徒」としての自覚をもたらすことで、後者を意識させるのです。
準決勝の大将戦の前に、そのシーンはあります。

「灼さん! お疲れ様です」
「制服?」
「憧に借りたんだけど。これ着てると何か自分が阿知賀の生徒って感じしますね」
「最初からそうだけどね。まあ、頑張ってほし」

――あとはよろしく、阿知賀の大将。
――はい、せいいっぱいやってきます。 (アニメ15話)


憧が服装を交換した直後のシーンです。
ここで穏乃は、憧の制服を着たことにより、「阿知賀の生徒」であることを再認識しています。
服装の交換は二人の絆が最も強調された部分であると言えますが、
ここで憧は結果的に、穏乃に「阿知賀」を意識させているのです。

その先には当然、彼女がかつて掲げた準決勝突破という目標があります。
制服は、穏乃を「阿知賀の生徒」に仕立て、目標を改めて意識させる効果があったと思います。

このように、穏乃に二つの目標を意識させることこそ、憧が物語において担っている役割と言えます。
憧は穏乃の隣で、彼女の目標への歩みを後押ししていくのです。
このことを象徴するかのように、阿知賀編は「二人で」駆けて行く姿で閉幕を迎えます。

achiga4.png
 (穏乃の手を引いて駆けて行く憧 アニメ16話)

結論として、憧は穏乃の思い抱くものと同一の光景を共有できる唯一のパートナーとして、
道中で穏乃に二つの目標を意識させる役割を担っています。
その意味で穏乃は、時に憧に手を引かれながら、
目標の達成へと突き進んでいったと言えるのではないでしょうか。

咲と和の関係は、「二人で指切りをする光景」で象徴されると思いますが、
穏乃と憧の関係は、こうした「二人で駆けて行く光景」でこそ象徴されると思います。


テーマ:咲-saki-阿知賀編
ジャンル:アニメ・コミック

「一文字違い」に見る二つのテーマ (井村瑛『ツミキズム』)

2013.06.09 19:55|百合作品
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(2013/05/18)
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――胸にぐんときたのは きっとその笑顔が生身の私に向けられていたからだね
 名前をきくのを忘れなくてよかった
 朝子さん…
 たったあれだけで 一瞬で あなたのこと 私のこと
 両方とも 好きになれたのです(120-121)


母親の意向に従って、「乙女系アイドル」を演じてきたほたるが、
ある日、朝子と名乗る女性に出会ったことで、「自分」でいくことを決断する――
本作に収録されている「キラキラの中身」は、そこから始まる物語です。
今回は、この物語を中心に『ツミキズム』を紹介していきます。
特に考えていくのは、ほたると朝子の間でやり取りされる言葉です。
ここに注目すると、本作の一つの読み方が提示できると思います。



○「一文字違い」に見る二つのテーマ:「自己の確立」と「本心の告白」


まず、ほたるは公園で自身の好きな作家である、
湯川旬の作品を読んでいる最中、朝子に声をかけられます。
そして、彼女の話に移ったとき、朝子はキャラで答えようとしたほたるを叱ります。

「実際 その湯川先生がここにいてさぁ 好き❤ とか言われたらどうすんの?」
「は はは… ありえないですよ そんなの…」

「う…」

――あ そうだ 〝倉見ほたる〟でいこう

「きゃーん それって今 じわじわきてる百合ってやつですかぁー お姉さま❤的なあー」
「なんで急にキャラつくったの 自分の心で言いなよ」(中略)

「ど 同性愛者…じゃないから 好かれても正直困る! 無理!」(116-118)


最後には「自分の心で」答えたほたるに対して、朝子は笑顔で応えます。
この朝子との出会いを契機に、ほたるはキャラを作って活動することを止めることにします。
母親に従って動くのではなく、「自分のままで」アイドルすることを決意するのです。
後日、ほたるは朝子にお礼を伝えようとしますが、朝子はほたるをあからさまに避け出します。
ゆえに、実は朝子は湯川旬そのひとだったわけですが、
ほたるはそのことを知る由もなく、彼女と疎遠になってしまいます。

二人が再会したのは、ほたるの写真集のサイン会で、
朝子が湯川旬としてゲストに呼ばれたためでした。
ここでほたるは、朝子が彼女を避けた理由を悟り、楽屋で彼女を問い詰めます。
彼女はほたるがアイドルであると知って、自分と噂になることを恐れたのです。

「会わないなんて言わないでください 私は朝子さんのこと…好きなんですから」
「悪いけど私は なんともおもってないから」
「じゃ じゃあ なんで公園で「好かれたらどうする」なんて聞いたんですか
 サイン会に来たのも… さっきだってどうも思ってない相手の映像なんていらないでしょう」
「あんまり私と会ってると
 週刊誌に下世話な記事書かれちゃうよ 事務所的にまずいんじゃないの」

自分の心を言いなよ ここなら他に誰もいないから」

「わ 私も… 私だって… 私のほうが… ずっと前から…だもん」
「朝子さんっ」
「…ひゃっ 誰か来たらどうすんの」

そうだ あやまらなきゃ 「好かれても困る」なんてごめんなさい 全部嘘でした。(132-134)


かつて自分に向けられた言葉を、ほたるが返していることが分かります。
朝子の言葉で変わったほたるが、今度は朝子に言葉をぶつけるという綺麗な展開です。
ほたるが湯川旬のエッセイをなぞって、敢えて朝子の言葉を使ったとも言えます。
参考までに、作中に出て来る湯川旬のエッセイの一説を引いてみます。

しかし恋愛となるとどうも不器用になってしまう。
普段えらそうなことばかり言うものだから、さらに困る。
恋に落ち、まぬけになった私を過去の言葉たちがここぞとばかりに打ちとろうとしてくるのだ。
(113)


まさしく朝子の過去の言葉で、ほたるが打ちとることになったわけです。
この物語は確かに、ほたるが朝子の言葉を受け取って、それを朝子に返す形になっています。

しかし、私が本当に強調したいのはそこではありません。
私が強調したいのは、二人の言葉の間にある「一文字の違い」です。
すなわち、朝子は「自分の心で」と述べるのに対し、ほたるは「自分の心を」と述べています。
この「で」と「を」という一文字の違いこそ、重要な点であると思います。
けだし、そこにこそ背中合わせの二つのテーマが隠れているのです。
それぞれ順番に考えてみましょう。

まず、ほたるへ向けられた「自分の心で言いなよ」の方では、
「自分を確立すること」が問題にされています。

他人に流されてキャラを作り、自己を埋没させるのではなく、
他ならぬ「自分として生きること」を、ほたるは朝子から学ぶのです。
それはほたるが湯川旬に憧れを抱いた理由であり、ほたるに出来ていないことでした。
ほたるの物語は、朝子との関わりの中で、
「自己の確立」という最終目標を達成する物語であったと言えると思います。

次に、朝子へ向けられた「自分の心を言いなよ」の方では、
「自分の本心を告白すること」が問題にされています。

実際に朝子は、ほたるとの初会話の時点から、彼女に対して極めて「不器用」に振る舞っていました。
「痴女?」という最初の一言から分かるように、非常に尖った対応をしていたのです。
朝子は、ほたるの言葉を受けて初めて、彼女に素直な気持ちを伝えることができました。
朝子の物語は、ほたるとの関わりの中で、
「本心の告白」という最終目標を達成する物語であったと言えると思います。

「自己の確立」と「本心の告白」。

非常に近いけれども確かに差異のある、この二つのテーマこそ、「で」と「を」の間にあるものです。
『ツミキズム』で言えば、「自己の確立」は、「迷彩トルソー」や「Dr.LunchBox」でも描かれました。
また「本心の告白」の方は、「見つけちゃ、ダメ」が描いていると考えられます。
「キラキラの中身」は、その二つの潮流が出会い、一つになっている物語なのです。
この作品の中では、ほたるが朝子の言葉を受け取って、それを返すという枠組みの中で、
それぞれのテーマを持つ二つの物語が進行していると考えられます。

「自分の心で言いなよ」と「自分の心を言いなよ」。
けだし、似て非なる二つの言葉は、彼女たちがそれぞれ経験した物語を端的に示しています。
二人の想いの成就は、ほたると朝子、それぞれの物語の先に位置する共通の終着点なのです。


テーマ:百合
ジャンル:アニメ・コミック

「神さまの物語」の終焉 (一花ハナ『神さまばかり恋をする』)

2013.06.02 18:02|百合作品
神さまばかり恋をする (1) (まんがタイムKRコミックス つぼみシリーズ)神さまばかり恋をする (1) (まんがタイムKRコミックス つぼみシリーズ)
(2012/08/10)
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神様は人の願いを叶えてくれるんじゃない
きっかけをくれるだけ
ほんの少し背中を押してくれるだけ
あとは 自分がどう動くか (1巻21ページ)


半人前の縁結びの神様、コトリを主人公としている点で異色な本作。
最終的にコトリが選択したのは「全部の事 応援したい」(2巻135ページ)という立場でした。
彼女は誰かと誰かの縁を繋げる能力を持っています。
縁を切る能力を持つ者が存在することも知っています。
しかしコトリは、全部を応援し、能力を行使せずに「見守る」立場を選択するのです。
この結論にどのような意味があるのか、今回は読み解いていきたいと思います。

正直、本作のラストには物足りなさを感じた方も多かったのではないでしょうか。
事実、作中ではそれぞれの想いがどう決着するかは描かれません。
私も一読後には、そこにもやもやとしたものを感じずにはいられませんでした。

では何故この作品は、関係の決着を描かず、上述のコトリの選択で終幕を迎えたのでしょうか。
そのことを考えてみると、物語は違った姿を現してくるように思います。
コトリの考え方の変化に注目しつつ、もう一度作品を読み直してみましょう。



○「神さまの能力」から「人の意志」へ:コトリの「見守る」という選択


コトリは当初、「縁は繋げてこそ」(2巻112ページ)であると考えており、
非常に積極的に縁を結ぶ能力を行使していました。
実際に、一巻では聡香や、見知らぬ子どもたちや動物たちにまで、力を使っています。
彼女曰く、それは対象の「気持ちをいじるような事」ではなく、「お手伝い」です(1巻18ページ)。
ゆえに二人の絆の行く末は、最終的に当事者がどう動くかということにかかっています。
そうした性質の「お手伝い」ないし「応援」を行うことを、
コトリはみんなの幸せのためになることであると考えていました。

このコトリの考え方が揺らぐきっかけが、縁を切る神であるヒワとの邂逅です。
縁を結ぶことがみんなの幸せのためであると考えていたコトリは、ここで思い悩むことになります。
そしてその最中、千佳と出会うのです。
彼女はコトリに、人を好きになってみることを勧めます。

「みんな幸せになるにはどうしたらいいと思います!?」
「…無理だと思うけどなー そんなの」

――変な子だなあ

「視点変えたら?」
「視点?」
「人に好かれたいなら まず人を好きになる、とか
 受動と能動で そんなの うまくいくか知らないけど」 (1巻119-120ページ)


そこで、コトリは千佳を好きになってみることにします。
そして、この千佳との関わりと、後のヒワとの語らいが、コトリの考え方を変化させるのです。
この過程が二巻では描かれていくことになります。
順番に二人とコトリのやり取りを見ていきましょう。


神さまばかり恋をする (2) (まんがタイムKRコミックス つぼみシリーズ)神さまばかり恋をする (2) (まんがタイムKRコミックス つぼみシリーズ)
(2013/04/12)
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第一に、千佳との関わりです。
コトリが日々千佳を追いかけ続けていると、ある夜、示唆的な夢を見ます。
まず、夢の中のコトリが自身と千佳の間に「赤い糸」を結びます。
そして、今度は聡香との間に赤い糸を結ぼうとします。
しかし、どうしても結べないのです。
この夢の意味を、コトリは千佳から聞くことになります。

「まあ…なんていうか あんたが私にまとわりついて
 仲良くなりたい云々は置いておいて
 赤い糸って運命の赤い糸でしょ?」
「そうです それです!」
「じゃあそれっておかしくない? 運命って特別ってことだから 色んな人と繋がったら
 特別じゃなくなっちゃうじゃない 一人とじゃなきゃ」 (2巻53-54ページ)


ここでコトリが悟るのは、ある縁を結ぶということが、
他の縁を排してしまうことが有り得るということです。

これまでコトリは自身の「お手伝い」を極めてポジティブに捉えていましたが、
このときそれに限界があることを学んだと捉えることができます。
縁を結ぶという行為は、時に「どれか」を応援することになりうるのです。

第二に、ヒワとの対話です。
コトリが何となく学校に向かってみると、
ヒワがまさに、聡香としおりの縁を切ろうとしている場面に出くわします。
それを何とか制止して、コトリはヒワと語らいます。

「縁結びの神 貴方は人間に肩入れし過ぎだし 振り回され過ぎだと思うわ」
「…それは…分かってます でも大事な人達なんです
 それに縁は繋げてこそですよ! どの縁を太くするかは人間が決めることで!」
「余分な縁は切り落としてこそ 洗練された先にその人間の未来がある」 (2巻112ページ)


片や人の想いを拾って縁を結ぶ神、片や人の想いを拾って縁を切る神。
二人はここで「一般論として人の縁を結ぶべきか切るべきか」ということに関して議論を行っています。
縁を結ぶのが人のためなのか、縁を切るのが人のためなのか。
二人の意見は真っ向から対立していることが引用部から分かります。

また、ここでは二人が、大切な人に対して対照的な態度を取っていることが強調されています。
一方でコトリは、大切な人の縁こそ応援しようとします。
実際に彼女は、一巻の冒頭で聡香としおりの友情を取り結んであげていました。
そして今回もヒワが聡香たちの縁を切るのを止めようとします。
彼女は「大切な人だから縁を結びたい」という気持ちを持っているのです。

他方でヒワは、しおりが大切だからこそ彼女の縁を切ろうとしています。
彼女の心中の言葉から、そのことは窺い知ることができます。

……しおり… 私は
 貴方の心の中から私の存在が消えるのが怖いんだわ (2巻122ページ)


ヒワはしおりが多くの縁を抱える中で、自身の存在が消えることを恐れています。
だからこそ彼女は千佳の気持ちに寄り添い、しおりの縁を切ろうとします。
それが彼女の未来のためでもある。
ヒワは以上のように考えて、「大切な人だから縁を切りたい」と思っているわけです。

コトリが、以上のように自身とは対照的なヒワとの対話で学んだのは、
同じく大切な人がいるとしても、全く異なる立場に至ることが有り得るということです。

それは彼女にとっては不可解なことに他なりません。
しかし、ヒワが同じく大切な人を持つ神さまであると知って、コトリは彼女に歩み寄りたいと考えます。
何故ヒワは自分とこんなにも似ているのに、正反対の位置にいるのだろう。
その答えを知るために彼女は、「納得できるまで色々聞かせてほしい」と頼むことにするのです。


さて、この二つの学びの結果、コトリは立場を変えることになります。
つまり、「見守る」という選択に至るのです。
ヒワとの対峙の後、コトリは千佳に告げます。

「ねぇ千佳」
「走ることをやめないで下さいね
 先輩に追いつくんでしょう? 応援してますから」 (2巻123ページ)


ここでコトリは、これまでのように千佳としおりの縁を結ぼうとはしていません。
能力を使うことなく、普通に「応援」しています。
その理由は、みんなの笑顔のために「縁を積極的に結ぶ」という手段を取ることが、
必ずしも正しいわけではないことを千佳やヒワとの語らいを通して学んだためです。

縁を結ぶことは「どれか」を応援することで有り得るために、他の縁を排することがある。
大切な人がいるという点で似通っているのに、縁を切る立場にある少女がいる。
そこからコトリは、縁を結ぶという行為を相対的に見るようになったと考えられます。

そして、コトリはその先で「見守る」という不作為を選択します。
彼女は縁結びで「どれか」を応援するのではなく、見守ることで「全部の事」を応援しようとするのです。
最終話での聡香との会話にそのことは表れています。

「いいの? 大好きな石松さん しおちゃんに取られちゃうぞー」
「良いですよー 2人とも大好きですもん」
「その理由ってさ どうなんだろう 意味が分からないなあ」
「そうですか? まあー… それにほら」
「千佳がしおりを追いかけるみたいに
 私も千佳を追いかけられたらいいかなって思うんです」
「…ねぇ それってどういうこと?」
「んー…」

――笑顔を見守っていたい あなたもそう思うでしょう? ヒワ

「今はまず全部の事 応援したいって思うんです」 (2巻130-135ページ)


神さまのみが持つ種々の能力こそ、神さまを特徴づけるものでした。
コトリがそれを、行使せずに「見守る」という決断をした時点で、
縁結びを行う「神さま」の物語は終焉を迎えたと言えます。

代わりに始まるのは、他ならぬ「人の物語」です。
それは「能力」で特徴づけられる「神さまの物語」とは異なり、
誰かを追いかける「意志」で特徴づけられます。
そこでは、神さまが能力でもって介入することはありません。
神さまは、想い人を追いかける人をただ見守るか、
人と同じように誰かを追いかけることで物語に参加することになるのです。
実際にコトリは、人を「見守る」ことと、人のように「追いかける」ことを選択しています。

『神さまばかり恋をする』は、コトリの能力の行使で幕を開ける「神さまの物語」でした。
ゆえに、その能力の物語の閉幕をもって、作品も終わりを告げるのではないでしょうか。
それぞれの想いの決着は全く描かれていません。
それは「人の物語」の領分であり、「神さまの物語」が終わった後の話であるためです。
あくまで「神さまの物語」として、「人の物語」にバトンを渡すところで敢えて止まる。

以上のように考えると、決着を付けない最後を選んだからこそ、
この作品は「神さまを描いた百合作品」として完成しているとすら言えるのではないでしょうか。
好みは人それぞれでしょうが、その点で本作は、確かに異彩を放っていると思います。


テーマ:百合
ジャンル:アニメ・コミック

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