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ゲームのおわり、恋のはじまり (かずまこを『名前はまだない』)

2013.04.26 17:03|百合作品
名前はまだない (百合姫コミックス)名前はまだない (百合姫コミックス)
(2013/04/18)
かずま こを

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今回は紹介も兼ねて、かずまこをさんの『名前はまだない』を考えていきます。
表題作を扱ってもよかったのですが、ここでは敢えて先鋒を務めた物語、「3秒ルール」に注目します。
この作品は、たった11ページから成る掌編です。
しかし、短くまとまっている反面、多くのものが詰まっていると思います。
作中の表現に着目しながら、ここで描かれたテーマについて私の考えを提示していきます。



○仄めかされる二人の間の壁:「あなた」はそれを乗り越える


それでは、「3秒ルール」を読み解いていきましょう。
この作品で秀逸なのは、二人の間に存在する心理的な壁を、
非常に上手く作中で表現しているということに尽きます。

具体的に言って、「3秒ルール」では三つの方法で壁が仄めかされます。
以下、その三つの方法を一つずつ確認して参ります。

まず、「二人の呼び名」です。
この作品には、二人の名前が登場しません。
作中で二人は、それぞれ「あなた」、「キミ」という呼称を徹底しています。
これは『名前はまだない』に収録されている他の作品と比較しても異例な事態です。
ここに、二人の間に距離があることを見出すことができます。
二人は気軽に名前で呼び合える関係というわけではないのです。

次に、二人の間で「正反対のゲーム」が展開されています。
これは、タイトルにもなっている「3秒ルール」に関連するゲームです。

「だったら私と付き合いませんか」
「えっ」

待ち時間は3秒まで
1 2… 
「えッ!?」
3…

--ハイ 次の手
「あなたが言ったんじゃないですか」(5-6)


ここで「私」が自身に「3秒ルール」を課していることが分かります。
沈黙は三秒まで、相手の言葉に対しては三秒で答える。
「私」は会話をする中で、こうしたゲームを行っていると言えます。

これに対して、相手は「私」とは正反対のゲームに取り組んでいます。
すなわち、「私」の「3秒ルール」を崩すことが相手の一つの目的になっているのです。

「私は好きな子の前で 「彼氏ほしい」とか 言っちゃうタイプ」

1 2 3…

「え」
「やっと言葉に詰まったね」(12-14)


ここで、淀みなく三秒で答えてくる「私」を止めようとしていたことが分かります。
「私」が三秒で答えようとしているのに対して、相手は三秒を妨げようとしていたのです。
二人は会話の中で「正反対のゲーム」に取り組んでいたと言えるでしょう。
そして二人が会話をしながら、別のことを志向していたという点に、壁を見出すことができます。
二人は同じ空間にいるけれども、当初同じ方向を見てはいなかったのです。

更に、二人はお互いに「相手を試すような言葉」をかけています。
相手は「私も彼氏ほしい!」と述べ、「私」は「だったら私と付き合いませんか」と述べる。
これは両方とも、相手を試す目的でかけられた言葉と言えます。
何故、相手を試す必要があるのでしょうか。
お互いに相手のことが分からないためであると考えることができます。
相手のことが分からないから、その内心を探るような言葉が入り用になるのです。
やはりここにも、二人の間の壁を見出せます。

「二人の呼び名」、「正反対のゲーム」、「試すような言葉」。
以上の三つの方法で、二人の間に当初存在する壁が仄めかされています。
たった11ページの作品で、直接的な説明なく、それが綺麗に素描されているわけです。
そして、その壁を相手が乗り越えていくのがこの作品の主旨であると考えられます。

「それじゃあ 恋しようか」(15)


「私」の言葉を詰まらせた後で、相手はさらっと殺し文句を言ってのけます。
ここで注目して欲しいのは、それまで「対面」にいた相手が「隣」に移動していることです。
実際の距離が詰められることで、象徴的に壁が乗り越えられたことが示されています。
当初二人の間に立ちはだかっていた壁は、ここで既に意味をなさないものとなっているのです。
ゲームのおわりから、恋のはじまりへ。
二人が名前を呼び合うとしたら、それはこの短い物語の、遠くない未来のことなのでしょう。
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テーマ:百合
ジャンル:アニメ・コミック

それが「虚像に彩られたもの」だったとしても (柏原麻実『少女惑星』)

2013.04.14 20:07|百合作品
少女惑星 (百合姫コミックス)少女惑星 (百合姫コミックス)
(2013/03/18)
柏原 麻実

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今回は、柏原麻実さん『少女惑星』の表題作に関して、少し考えて見ようと思います。
タイトルや袖の作者の言葉からも分かるように、何処か不安定な「少女期」を描いている本作。
中でも表題作「少女惑星」は、由美浜先輩に憧れる映像写真部の少女、
木蓮の心理描写を通して、彼女の先輩への想いを細かく取り上げています。

これから論じていく対象は、その「木蓮の想い」についてです。
他の作品の話も少しだけ交えながら、「少女惑星」の主題について考えて見たいと思います。
というのも、この作品の「木蓮の想い」の取り上げ方が、私には意義深いものに見えるのです。



○「恋愛」と「憧憬」の対比:敢えて「憧憬」を描いた『少女惑星』


まず、木蓮の由美浜先輩への想いは、「恋愛」に結びつく感情ではありません。
そのことは、由美浜先輩と土井部長のキスを目撃する場面で痛烈に提示されています。

…え? うそ なに… 今の
「うそ… なんで…?」
だって由美浜先輩… 土井部長…女の人だよ?
「え…? なに? 私… え?」
私の今までの気持ちも… どういうことなの?(121-122)


先輩二人のキスを目の当たりにして木蓮が示すのは、
由美浜先輩に恋人がいたことへの動揺ではなく、
はっきり言って、彼女の同性愛への拒否感でした。
「運命」を感じて由美浜先輩に積極的にアプローチをしかけていた木蓮にとって、
この自身の同性愛への疑義は衝撃的であり、彼女は自身の想いが分からなくなります。

おそらく木蓮はそれまで、自身の想いを「恋愛」に通ずるものと考えていたのでしょう。
それが、咄嗟に出た自身の本音によって完全に否定されてしまいます。

ここでこの作品が行っているのは、由美浜先輩と土井部長の間にある「恋愛」と、
木蓮が抱いてきた、恋愛ではない「憧憬」との間の対比です。
木蓮の感情が「恋愛」ではなかったことが、鮮明に表現されています。

こうした対比は、特に女子校が舞台の百合作品においては珍しいものではありません。
女子校だからこそ育まれるような「疑似恋愛」、群を抜く美貌を持つ同輩への「憧れ」、
エス的な「お姉さまへの思慕」、「女子校恋愛」、言い方は様々あるでしょうが、
そうした「恋愛」ではない恋愛に似た好意と、「恋愛」との対比は他の作品にも見出せます。

二つばかり例を、『少女惑星』と同じ百合姫作品から探してみましょう。

まず、乙ひよりさん『オレンジイエロー』に所収されている「恋の証明」があります。
一部を引用してみましょう。

オレンジイエロー―短編集 (IDコミックス 百合姫コミックス)オレンジイエロー―短編集 (IDコミックス 百合姫コミックス)
(2010/05/18)
乙 ひより

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「あ さっきの彼女?」
「違いますよ 告白されて… キスしてくれたら諦めますって言われたんです
 キスしたら忘れられるなんて ホント お手軽ですよね
 バカみたい 女(わたし)を好きなんて… 
 あのこ 今 女子校(ここ)だから言えるんですよ」(82-83)


最後の二行が端的で痛快ですね。
「恋の証明」は、同輩の少女に告白を何度も受けたことのある主人公が、
自身の想い人である先生に告白の場面を見られたところから始まる物語です。
主人公は卒業後も想い続けることにより、自身の感情が本当に「恋」であることを証明します。
「恋愛」と、それとは異なる「憧憬」を峻別していることがお分かりいただけるでしょう。

次に、大沢やよいさん『ブラックヤギーと劇薬まどれーぬ』の「さかしまシンデレラ」です。
以下の引用は、「さかしまシンデレラ」の冒頭からのものです。

ブラックヤギーと劇薬まどれーぬ (百合姫コミックス)ブラックヤギーと劇薬まどれーぬ (百合姫コミックス)
(2012/05/18)
大沢 やよい

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女子校でありがちな―― 女同士の恋なんていうのは
思い描かれるような耽美で甘やかなもの ではなく
実際は友だちの延長でしかないと思う
愛を告白して それなりに二人で過ごして 悲しみながら別れを告げる
そんなテンプレートをなぞるだけ
ようは退屈な学生生活の 暇つぶしでしかないんだろう(71)


「さかしまシンデレラ」では、そのような考えを持っていた主人公が、
軽い気持ちで恋人になった相手の少女に、初デートでラブホテルに連れて行かれ、
当初の彼女の「常識」をがりがりと一気に崩されていくことになります。
相手の少女の「恋人同士になったらセックスをする 違いますか?」という台詞が印象的です。
ここでも、「女子校でありがちな」女同士の恋と「恋愛」が区別されています。

さて、「少女惑星」もこうした対比を行っている作品と言えます。
しかし上述の作品と異なるのは、主題が「恋愛」の側ではなく、「憧憬」の側にあるという点です。
「少女惑星」は二つを並べながら、敢えて木蓮の「憧憬」の方を描いています。

けれども、それでいて「恋愛」に対して「憧憬」を持ち上げるわけではありません。
実際、木蓮自身が自分の想いを、二人に比べて「ちっぽけ」(140)と述べています。
「恋愛」を、疑似恋愛的な「憧憬」以上に肯定している点では、上述の作品と変わらないのです。
特徴的と考えられるのは、自身の想いが「憧憬」に過ぎないと悟って、
落ち込んでいた木蓮に友人が向けた以下の言葉に他なりません。

「はじけた中にだって… なにか残っている想いがあるんじゃないの…?」(131)


これこそ、「少女惑星」の根幹をなす問題提起であったと思います。
本当の「恋愛」に遠く及ばない「憧憬」の中にだって、
何らかの大切な想いが存在し得るのではないか。

この問いへの答えとして、木蓮は登校日に由美浜先輩に告げます。

「でもあのとき本当に想い合う二人を前にしたら 私の想いなんてちっぽけすぎて…!
 今までの想いも… 全部はじけて丸裸にされちゃって…!
 どうしたらいいかわかんなくなっちゃって……っ
 でも……はじけとんだ中にあったのはやっぱり…
 センパイが好きっていう気持ちでした……!」

たとえ土井部長にはかなわなくても…… 憧れに似た気持ちであっても
一緒に笑うやわらかい表情や仕草 日に透ける細い髪とか 共にしてきた時間全部--

「やっぱり全部全部… 大好きでした……‼」(140-141)


由美浜先輩の言うように、木蓮の「憧憬」は「淡い虚像に彩られたもの」(137)でした。
しかし、それが「淡い虚像に彩られたもの」だったとしても、
その根底には木蓮の「大切な想い」が存在していたのです。

それが「少女惑星」の結論であって、また特徴的な部分であったと私は思います。
「恋愛」と「憧憬」という二項の対比を引き継ぎながら、敢えて「憧憬」を掘り下げる。
そこで描かれる「憧憬」の是非はともかく、その点で「少女惑星」は興味深い作品です。


テーマ:百合
ジャンル:アニメ・コミック

それでも彼女が「刹那的でいい」と述べる理由 (紺野キタ『女の子の設計図』)

2013.04.04 18:32|百合作品
女の子の設計図 (ひらり、コミックス)女の子の設計図 (ひらり、コミックス)
(2013/03/30)
紺野 キタ

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今回は、紺野キタさんの『女の子の設計図』(ひらり)について考察しようと思います。
表題作の中になかなか難しい表現がありましたので、そこについて考えてみます。
それは次の部分です。

「青音ちゃん おばあちゃんになっても一緒にいよ?」
「うん」

刹那的でいい 約束もいらない ただ ここに 想いがあるだけの(85-86)


この部分が問題なのは、最初の花南の台詞とその後の地の文の記述が、
一見相反する内容であるように見えるためです。
「おばあちゃんになっても一緒にいよ?」と「刹那的でいい」という言葉ですね。

これがほとんど並列されて出て来るのはかなり不可解です。
今回はこの表現を考えることで、作品を掘り下げてみたいと思います。



○変わらないと分かっている想いと、いつ訪れるか分からない天罰


さて、上述の表現ですが、これは花南の抱く問題が二つに分かれていることから生じています。
まずはそれを確認していきましょう。
少し前の場面で花南は、きょうだい間の恋愛だからいつか罰せられるという不安と、
いつか青音の気持ちは他者に移ってしまうという不安の二つを抱えています。

当初、この二つの事情より、花南は自分たちの恋愛を「刹那的」な恋愛とみなしていました。

しかし、青音が気持ちはこれまで変わっていないということを示すことで、
このうちの「青音の気持ちはいつか他に移る」という花南の不安は払拭されたと言えます。
「おばあちゃんになっても一緒にいよ?」という台詞は、これを受けてのものです。
これに対して、「きょうだいの恋愛ゆえにいつか神様に罰せられる」という花南の認識は、
最後の「追伸」から分かるように変化していません。
青音がそれに関して、「今」の重要性を強調するだけであって天罰の存在自体を否定しないためです。

けれども、青音が「今」を強調したことで、花南は天罰への不安は振り払っています。
ここで花南は、天罰はありえないというのではなく、今が大切なのだから、
将来天罰があっても今の気持ちを諦めないと決意することで不安を克服しています。


ゆえに、最後の「追伸」に繋がるわけです。

追伸 神様 天罰は甘んじて受けます(88)


この時点で花南は天罰を受ける覚悟を持っています。
こちらをうけての「刹那的でもいい」です。
いつ天罰がくるか分からなくても、今の気持ちが大切というスタンスを地の文が表しています。

つまり、「おばあちゃんになっても一緒にいよ?」は、
二人の想いが変わらないという確信から出た台詞であり、
「刹那的でもいい」は天罰に対する覚悟を言い表したものなので、それぞれ対象が異なります。
それゆえに、一見相反する記述に見えますが、それでいて実は矛盾していません。

自分たちの関係はいつ罰せられるか分からないという意味で「刹那的」かも知れないけれど、
二人の想いが「おばあちゃん」になるまで変わらないものなのだとしたら、
それでも構わないということを、花南は答えとして提示しているというわけです。

テーマ:百合
ジャンル:アニメ・コミック

プロフィール

Author:天秤
天秤と申します。
アニメや漫画など、好きなものについて考えたことを書き込みます。
よろしくお願いいたします。

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