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多様で普遍的な「世界の音楽」 (ハニーサウンド新作アニメ感想)

2012.10.29 17:06|アイドルマスター
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(2012/10/25)
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「オーシャンビューですよっ!オーシャンビューっっ!」


バケーションアイランドでテンションが上がっている春香は、
律子の言う通り「興味津々」で、本当に可愛らしかったです。

けだし、少し幼くも見えるこうした春香の姿は、
今回のユニットであったから見れたものです。
というのも、例えば亜美真美を始めとする、年少組との組み合わせであれば、
春香はもう少し「お姉さん」として振る舞ったように思うのです。
それに対して、今作では非常に無邪気で可愛らしい。

周りが落ち着いた大人組(モバマスで言えば「クール」ということになるでしょう)だから、
彼女の天真爛漫な少女らしさ(同じく「キュート」ということになるでしょう)が、
くっきりと浮き彫りにされたと考えられます。
アイドル同士の関係が描かれると、こうした相対的な変化が非常に分かりやすいです。

ゆえに今回私は、天海春香というアイドルは一つの特徴を持つのではなく、
多様な側面を特徴として作中に表現するのだと改めて思い至りました。

だから、作品ごとに受ける印象も違いますし、同じ春香好きのPであっても、
春香の全然違うところを好きになっていて、時に議論にもなるのだと思います。
もちろん、他のアイドルも同様でしょう。
新作アニメを見ながら、そのようなことを考えていました。


さて、ついにシャイニーフェスタが発売されました!


私は前情報をあまり仕入れなかったので、
これまでで最高のごった煮感を戸惑いながらも楽しんでいるという状況でしょうか。
アニメや3Dが入り乱れたり、名刺で各アイドルが入り乱れたり、
結構尋常ではない「ごった煮感」ですよね。
この雰囲気には賛否両論があるでしょうが、このような類の混沌は、
「音楽と舞踊の祭」という舞台にはぴったりだと思います。

この記事では、そのようなシャイニーフェスタのごった煮感の中で、
とりわけ異彩を放っている新作アニメについて考えを書いていこうと思います。
今回はハニーサウンドのアニメ、「Music in the world」についてです。
本当は三本のアニメをそれぞれ見てから書こうと思ったのですが、
どう考えても長くなりそうでしたので、一作単位で書いていきます。
アニメの主題は何であったのかを自分なりに考えます。

もしよろしければ、少しの間お付き合いいただければ幸いです。



○「Pとアイドル」から「765プロ」へ:Pが解決しない物語


第一に、新作アニメの特徴として「Pとアイドル」という関係が、
これまでのゲームのような意味でほとんど描かれていないように思いました。

私の考える、これまでゲームでよく描かれた主な「Pとアイドル」の関係とは、
Pがアイドルの問題を解決し、アイドルがそれを経て成長するというものです。

これまでの大抵のゲームの作品においては、Pは仕事上の問題から、
アイドルの精神的な問題まで、幅広い範囲に関して「解決する者」として描かれました。
いわば、Pが「問題解決の主体」となり、アイドルが「成長の主体」となる。
そのような「Pとアイドル」の関係は、アニメではほとんど描かれなかったと言えます。
順に二つ、その根拠を挙げていきましょう。

まず、そもそもアニメで描かれた、「ライブの演出をどうするか」という問題が、
Pは介入せずにアイドルが解決するものとして位置づけられていました。

曲はPが決めたと言っても、それ以外はアイドルの担当とされています。
演出の問題については、「Pとアイドル」で解決するのではなく、
「アイドルたち」で解決する問題であると、初めから定義されていると言えます。

次に、当初Pは別の仕事で島についていけません。
代わりに律子がついていくことになるのですが、彼女は春香とあずさの説得により、
Pとしてではなくアイドルとしてついていきます。
そのことの明確な表現として、先の「アイドルたち」の問題に、
当初ほとんど関与していなかった律子が、壇上に立つと決まってから、
積極的に絡んでいったということが挙げられます。
今回のアニメでは、律子はあくまでアイドルだったと言えます。

ゆえに、当初島にはPが不在でした。
そのために、Pが問題解決に動く余地がなく、
演出に関する助言すら直接はできない状況にありました。

以上二点において、アイドルの問題解決に動くPという構図は崩壊しています。

特に象徴的なのが、以下の場面です。
アイドルたちがプールでのんびりしている場面ですね。

「おれは、何だか急に心配になったから、予定を変更して……。
 ああ、でもみんな大丈夫なのか? こんなところでのんびりしてて……」
「大丈夫です、見ててください」


心配して結局来てしまったPは、既に解決に至ったアイドルたちに出会うのです。
おそらく問題が解決できていないのであれば、
Pはそれを助けようとしてやってきたのでしょうが、肩透かしを喰らうことになります。
Pが問題解決に係らなかったということが、ここに明示されています。

この、「問題解決の主体」がPではなく、アイドルであるということは、
2011年のアニメ版アイドルマスターを思い出させるものです。

あそこでは、一方でPも美希や真の問題解決に動きましたが、
他方でアイドルが直接的に問題を解決しようと動くことがありました。

20話と24話です。

千早と春香の問題に関して、最も直接的に問題解決の主体として現れたのは、
Pではなくて、それぞれ春香と千早でした。
ゲームであれば、まずPが解決に一番尽力する立場だったと思います。
しかし、Pは春香や千早に助言をすることによって、間接的に解決に関わるに留まりました。

ここで行われていることは、敢えてセンセーショナルに言うのであれば、
アイドルの問題解決を行う「Pの特権の一部剥奪」です。

言うまでもなく、これは育成ゲームとしてのアイドルマスターでは在り得ません。
Pがほとんど何もしなくても、アイドルが勝手に解決し成長するのであれば、
そもそもPは必要なく、ゲームにならないからです。
ゲームでは、Pには「アイドルの問題を解決する特権」が与えられています。
それが、アニメではアイドルが問題解決を行うことで少し揺らいでいる。

そして、シャイニーフェスタのアニメもこの延長で捉えることができます。
しかも、2011年のアニメ以上に、Pの特権は危うくされています。
この剥奪を通して、物語は最終的にどこに行きたかったのでしょうか。

私はそれが「765プロという家族」という関係であると思います。
これは2011年のアニメの最終的な強調点です。
それが、「Music in the world」でも再び描かれていると取れます。

何故、「Pの特権の剥奪」が「765プロという家族」に繋がるのかと言うと、
後者が、皆は「765プロの一員として同じ」であることを含むためです。
「Pとアイドル」という関係においては、問題解決の主体としてPが特権的なのに対し、
「765プロという家族」においては、皆が同質かつ水平的なのです。
ゆえに、2011年のアニメも今回のアニメも、Pの特権の剥奪を通して、
水平的関係である「765プロ」の方を強調したかったのだと思います。

「Music in the world」の末尾はその私の結論と符合します。
少し引用してみましょう。

「あの、プロデューサー。そのことで、みんなで考えて見たんですけど」
「最後はみーんなで歌いたいなあって!」
「なるほど、いいアイデアじゃないか!」
「にひひっ、あんたも出るのよ」
「もち、ぴよちゃんも!」
「社長もですよ」


ここでは、Pとアイドル、事務員と社長の区別なく、
「765プロの一員」として、全員が捉えられています。

アンコールを受けているのが「765プロのみなさん」だからこそ、全員が舞台に上がるのです。
『Music♪』のPVには、例外的にPも小鳥も社長も入っています。

結論として、「Music in the world」で強調されたのは、
「Pとアイドル」よりも、「765プロという家族」の方であったように思います。

その辺りがゲームの中のアニメでありながら、非常にアニメ的な作品でした。



○三つの「Music in the world」:多様で普遍的な「世界の音楽」


第二に、「Music in the world」というタイトルからも分かるように、
新作アニメは「音楽」と「世界」が主なキーワードであったと思います。
そこから主題を考えて見ましょう。

最初に、このタイトルは多義的なものとして解釈できます。
アニメの内容を鑑みると、三つの意味で考えることができるのではないかと思います。
すなわち、「世界中の人々の中での音楽」と、「世界の色々な音楽」、
さらに「世界にある音楽」という三つの「Music in the world」です。


一つ一つ詳らかにしていきます。

「世界中の人々の中での音楽」とは、
アイドルたちが国際音楽祭で披露する音楽のことであり、
特に実際に歌われた『Vault That Borderline』を示します。

また「世界の色々な音楽」とは、様々な国籍の人々が、
様々な楽器、様々な歌で音楽を奏でていた広場でのシーンに象徴される、
音楽の持つ多様性のことを特に示します。

更に「世界にある音楽」とは、
音楽はある領域にだけあるのではないという意味で「世界に」あるのであって、
世界においてどこにでもあるものであるという、音楽の普遍的な側面を特に示します。

私は、新作アニメが描いたものは、
上述した三つの「Music in the World」だったと言えると思います。
一つ一つ、アニメの中でどのように表れていたか見てみましょう。

まず、アニメで問題になるのは、初めの「世界中の人々の中で歌う音楽」です。
国際的な音楽祭の中でどのように歌うか。
それは終始、アイドルたちの考えるべき問題として表れています。

実際に「私たちにしかできない」表現を探して、四人は演出で悩みます。
その苦慮の中で目の当たりにするのが、他の「Music in the world」です。

次に、「世界の色々な音楽」は、広場のシーンに特に表れます。
すなわち、そこには様々な種類の楽器を持った色々な国の人がいて、
多様な音楽を生み出す光景が展開されていました。

その国際的な祭の情景にこそ、「世界にある色々な音楽」を見ることができます。
そこで視覚的に浮き彫りにされているのは「多様性」です。

律子と春香は本番前にこう言っています。

「プロデューサー殿、心配しないでください。
 昨日一日で色々な人と触れ合って、パワー貰いましたから」
「今度はこっちがお返しする番です!」


ここで貰ったものとは、音楽だけではないと思いますが、
歌を「お返し」する以上、第一に挙げられているのは、
「色々な人」による多様な音楽であったと見れるように思います。
彼女たちは色々な人と特に音楽を通じて触れ合った思い出を胸に、
自分たちの音楽を今度は届けようとすることになります。
音楽の「多様性」と、それを作る人の「差異」を見出せる部分です。

そして、「世界にある音楽」はアイドルたちの語りによって強調されます。
彼女たちは島で色々と考える中で、「音楽の普遍性」というものに思い至るのです。
以下の場面でそのことがはっきりと表れています。
高台でアイドルたちが、ライブの方針を決定する直前の一幕です。

「ねえ、千早ちゃん。千早ちゃん言ってたよね。
 海の向こうには何があるかって」
「ええ」
「海の向こうには、ここと変わりなく、音楽があるんじゃないかな。
 場所や人が変わっても、それだけは変わらないって思うんだ」


春香の言葉です。
それぞれの国で差異はあっても、音楽には「普遍性」があること。
その感覚が率直に表現されています。
「誰にでも楽しめる」。
少し前の広場の場面では、律子がそう言い表しています。
音楽の普遍性を換言したものであると受け取ることができます。

多様な音楽を生み出す「色々な人」。
海の向こうにも変わらずにある音楽。
「多様性」「普遍性」
この二つの向こうに、四人は「世界中の人々の中で歌う音楽」を決定します。
すなわち、「世界に歌を届ける配達人」というイメージで、彼女たちは音楽を「運ぶ」のです。
いわば、「世界の色々な音楽」と「世界にある音楽」、
二つの「Music in the world」を受けて、三つ目のそれが現れてくる。

それが、『Vault That Borderline』です。
これは国境という「差異」を前提にして、それを乗り越えていく歌です。

国による差異に基づく「音楽の多様性」を知り、
そして同時にそれでも存在する「音楽の普遍性」を学んだ彼女達だからこそ、
この曲で最高のパフォーマンスができたのではないでしょうか。


「差異」を前提にして、それを乗り越えて「一つになる」ということ。

これがアイドルたちが表現した最後の「Music in the world」であり、
既述の「765プロという関係」に並ぶ、アニメの第二の主題であったと思います。


それは、アイマス的な「団結」とも関連するものです。
詳細な説明に関しては以前の記事に譲りますが、
曲としての『団結』においても、自己紹介でそれぞれの「個性(=差異)」を強調して、
その結果としての対立を描きながらも、団結していく過程を描いています。
そこでも、「差異」を前提に「一つになる」ということが表されている。

ただ異なるのは、「団結」が基本的にアイドル同士という範囲の話だったのに対し、
今回は「世界中の人々」という大きな範囲であるというところです。
その意味では『The world is all one!!』にかなり近い部分があります。
しかし、『Vault That Borderline』は、「国境」という言葉で差異をより一層強調した後で、
それでも乗り越えて一つになるということを提示している曲と言えます。

そして、「差異を前提に一つになる」という、これまで幾度も取り上げられてきた、
アイドルマスターの主題の一つと言えるかも知れないテーマに対して、
アニメ「Music in the world」は、「音楽」が、
差異ある個々人を一つにする契機に成り得ると描いたのだと思います。

結論として、「Music in the world」のもう一つの主題は、
「差異」を前提に「一つになる」ということです。

世界中の人たちが、多様でかつ普遍的である音楽を契機として、
一つになっていく理想的情景が、祭の中には表れていたように思います。



以上です。

実はまだハニーサウンドしか起動していないので、
これから他の二作も順次やっていこうと思っております。
「Music in the world」が『Vault That Bordrline』の内容に関連していたので、
特に他の二作のアニメがどのようなものになっているのか、今から見るのが楽しみです。
『ビジョナリー』や『edeN』からは、内容が全く想像できないので。

私はリズムゲームがあまり上手くはないので、
ゆっくりと自分のペースで進めていければと思っております。
同じ曲のレギュラーよりもプロの方が簡単なことがあるのは私だけでしょうか。
鬼畜で有名なジブリはプロの方でA取れても、
レギュラーではDという体たらくです……。

ともあれ、ゲームの方はまだまだ進んでいませんので、
時間が許す場合にはさくさく進めていければと思います。
忙しなさのせいで、最近記事を書く頻度は減っておりますが、
考えたことはなるべく時間を作って記事にしていけたら嬉しい。

それでは、長く拙い文章をここまで読んで下さり、ありがとうございました。


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テーマ:アイドルマスター
ジャンル:アニメ・コミック

修学旅行で強調される「四人」 (ひだまりスケッチ四期一話感想)

2012.10.06 11:31|ひだまりスケッチ
いよいよ、ひだまりスケッチ四期が始まりました。

この調子で絶望先生にも四期やってもらいたいものですね!
ひだまりスケッチと絶望先生は、同じシャフト制作で、
ひだまりスケッチがやると絶望先生が始まり、
絶望先生二期がやるとひだまりスケッチ二期が始まるみたいなところがあったので、
漫画も最終回を迎えましたし、どうにかやっていただきたい。
DVDが出たらもちろん買います。
ぱにぽに二期もそろそろお願いいたします。

と、贅沢な望みを告白しつつ、今回も始めていこうと思います。

ひだまりスケッチ四期も、以前から好きなアニメではあるので、
本当は毎週何かを考えていきたいのですが、
少し私が私生活で忙しなくなって参りましたので、
残念ながら毎週というわけにはいかないかも知れません。
特に何かあった場合、書き込みたいと思います。
今回は始まって嬉しかった上に、一話がよかったため、書かざるを得なかった。

一応最初なので、少し注意を申し上げておくと、
私の記事は個人の解釈、考察のようなものを含む感想であるため、
そういったものが嫌いな方は見ないことをお勧めいたします。
もしよろしければ、ちょっぴりお付き合いいただければ幸いです。

それでは、一話で私が注目した点をピックアップして参ります。



○修学旅行で強調される「四人」:「四人」から「四人」へ

まず、ひだまりスケッチは、ひだまり荘に住む「六人」の日常を描いた物語です。
ゆの、宮子、ヒロ、沙英、乃莉、なずなの六人ですね。
この「六人」という括りには、どこか「家族」のようなイメージを見出すことができます。
今回の話における冒頭は非常に象徴的な入り方でした。
ゆのが起床するシーンを少し引用してみましょう。

もうここに来てから一年以上経つのに。
久しぶりにお母さんのお味噌汁が飲みたいなあ。
何かちょっぴり寂しくなってきちゃった。
実家だと朝目が覚めると包丁の音が――


ここでゆのに聞こえてくるのは、料理をするヒロの包丁の音に、
沙英がファックスを使う音、乃莉となずなの楽しげな声、
そして宮子が立てたらしいひだまり荘全体に響く轟音です。
この冒頭のシーンが家族から離れたゆのの寂しさと、それを解消する、
ゆのにとって家族に近いひだまり荘の住人たちというものを手短に表していて、
この時点で私は胸いっぱいになりました。

特に最後の宮子に関してだけ、ゆのが特に説明しないのがいいと思います。
彼女が特に考えるまでもなく、宮子の行動であると自然に認識している感じがするので。
(これは後述する「二人」に繋がります)

以上の場面で仄めかされているように、作品中で「六人」は家族のイメージを持ちます。
かつては「四人」だったのですが、三期で乃莉となずなの参入を経て、
「ひだまり荘の六人」になりました。
ひだまり荘の住人全体を表す意味での「六人」は「家族」です。

次に、それに対してひだまりスケッチは「二人」も強調していきます。
ゆのと宮子、ヒロと沙英、乃莉となずな、このそれぞれの二人のペアは、
「六人」の中でも特に仲のいい組み合わせで、一言で言えば「親友」と言えます。
全員仲がいいのは間違いありませんが、その中でもそれぞれ特に親しいのが、
「二人」におけるそれぞれの相手であるように思うのです。
しかも、それは片想いではなく相互的で、ゆのにとって宮子が特別であるように、
宮子にとってゆのも特別であるところに特徴があります。


この親しい「二人」という関係が、作中で最も強調されるのは、
いわずもがなですが、ひだまり荘の中でも付き合いの長い三年生ペア、ヒロと沙英です。
ヒロが沙英の最たる理解者であることは、何度も色々な側面から語られてきました。
例えば、沙英の仕事に関連して、あるいは二人の喧嘩の中で。
「二人」は特別な空気を共有していて、そこには「六人」の他のメンバーすら入れません。

今回の話の中でも、修学旅行において、ヒロと沙英は友人たちと行動を共にしながらも、
ふと気付くといつしか「二人」になっています。
最も目立つのは、沙英がロデオをするシーンでしょうか。
ヒロは動画で沙英の雄姿を撮影してしまいます。

ヒロ、消して。
消して、返して。
ヒロ!

ふふふ。


この場面で花畑を走るヒロと沙英は、明らかに「二人」の世界に入っています。
また、後の温泉に入るシーンでも、いつの間にか「二人」になっている。
このように作中で「二人」は強調されることが多いわけです。

「六人」「二人」
それがひだまりスケッチを構成する主な関係性であったと思います。
今作のOPとEDもそのことを示すものになっています。
そこでは常に「六人」が一緒にいる。
しかし、OPの最初や気球に乗り込むシーン、EDの中盤辺りなどで、
特に「二人」で手を取り合うことが描写されています。

ひだまりスケッチは、「六人」と「二人」を描く物語と言えます。

しかし、私は今回の修学旅行の話では最早それだけではないと感じました。

一話で更に強調されたのは、「四人」という関連性だったと思います。
乃莉となずなが入居する前のひだまり荘の住人全員を表す、「四人」ではありません。
「六人の中の四人」です。
この新たな関係が取り沙汰されている。
そのことについて、この記事では述べていきます。
指摘すべきことは二点あります。

第一に、三年生の修学旅行前夜において、
ゆの、宮子、ヒロ、沙英という「四人」が強調されています。

その場面を具体的に例示してみましょう。
まずは、ゆのと宮子が沙英の部屋に探りを入れる場面です。
内偵して見つかった二人に、沙英の友人たちは言います。

もしかして、ゆのちゃんと宮ちゃん?

え、あ、はい。
何で分かったんですか?

だって、沙英もヒロもよく話すんだもん。
かわいい――


ここにおいて乃莉となずなは入っておらず、「四人」が取り上げられています。
一年生二人は、むしろ別件に関わっている最中であるためです。
それはなずなが誤って乃莉のデータを消してしまうという事件です。
宮子は「これは我々が追っている事件とは関係なさそうですな」と言っています。

沙英とヒロが「かわいい」後輩と言っているのは、あくまでこの場面では、
乃莉となずながその場にいないために、ゆのと宮子に限定されているのです。

もちろんヒロと沙英のことなので、乃莉やなずなも「かわいい」後輩として、
色々友人たちに話していると考えられますが、あくまで作中のこの場面では、
「かわいい」の対象がゆのと宮子に狭く限られています。
元々ひだまり荘にいた、「四人」が問題にされていると言えます。

しかし、この後ですぐに乃莉となずなも合流しているため、
もしこの場面だけであれば通常のこととしての許容の範囲内であり、
私も「四人を強調している」とは言わなかったでしょう。
けれども、さらに「四人」が強調される場面がこの後にもあります。

で、何故買い出しについてくる?

四人寄れば文殊を超えるよ!

でも一理あるかもよ。
目が増えれば忘れ物が減るかも。

そうかな?


ここで、修学旅行の買い出しに行くヒロと沙英の後を付けるのも、
ゆのと宮子に限定されており、乃莉となずなは追ってきません。

「四人寄れば」文殊を超えるのです。
ここでも「四人」の物語になっています。
「六人」や「二人」も全く描かないということはないのですが、
ゆの、宮子、ヒロ、沙英という「四人」は、
修学旅行前夜において、かなり強調されていると言えるのではないでしょうか。

これがまず最初に指摘したかったことです。

第二に、三年生がいなくなるので必然とも言えますが、修学旅行が始まった後は、
ゆの、宮子、乃莉、なずなという「四人」が強調されることになります。

まず、見送りの場面で、「四人」がヒロと紗英を見送ります。
そして、居残った「四人」に度々焦点が当たります。

三年生がいない間は、私と宮ちゃんが最上級生なんだよね。
うん!
先輩らしくしっかりやらなきゃ!


ゆのが後輩たちとの関係において、先輩らしく奮闘するのが残された側の本筋となります。
北海道において、ヒロと沙英の「二人」が描かれる一方、
ひだまり荘では、頑張るゆのを中心とした「四人」が描かれることになる。

いわば物語の強調点は、ゆの、宮子、ヒロ、沙英という「四人」から、
ゆの、宮子、乃莉、なずなという「四人」へと移行しています。
これが次に述べておきたかったことです。

以上の二点を、どのように解釈できるでしょうか。
「修学旅行」が、疑似的な卒業として扱われていることが分かると思います。
そもそも、修学旅行に行ったメンバーと行かないメンバーの両面を描くという形式の時点で、
最近の有名どころで言って、『けいおん!!』を思い出した方も多かったのではないでしょうか。
あの作品においても、梓が寂しさを感じるところ、あるいは憂や純との演奏で、
それが次第に払拭されるところを鑑みると、
修学旅行はどこか卒業後を仄めかす、「疑似的な卒業」でした。

話が逸れました。
とにかくひだまりスケッチにおいては、修学旅行の前後で、
「四人」から「四人」へ、物語の軸である関係が移っていると言えると思います。
そしてそれが、修学旅行が疑似的な卒業として扱われているという読みを可能にするのです。
ゆのの一時的な最上級生だから「先輩らしく」という意識は象徴的です。
どこか、ヒロと沙英の「卒業後」を感じさせる。


私は、そのような話を一話に持ってきた意味を考えながら今後作品を見たいと思います。
ひだまりスケッチは、時系列をシャッフルしているため、
一層「日常もの」の雰囲気が強くなってはいるものの、
毎回一話には何らかの意味で重要な話が配置されいています。

二期の一話は、ゆのの高校受験の話でした。
まさしく「物語のはじまり」が配置されています。
三期の一話は、乃莉となずながやって来る話でした。
そのため、三期には「四人から六人へ」というテーマが色濃く出たと思います。

それでは一期の一話は何であったのか。
ゆのが冬休みの宿題を忘れ、昼休みに作る話で唐突に始まったけれども、
あれにはどのような意味があったのでしょう。
私は、ゆのが宿題として提出した「コラージュ」が、
アニメのひだまりスケッチ全体を象徴するものであったと取っています。
すなわち、時系列のシャッフルを示します。

アルバムのように、思い出の写真を順に配置していくものではなく、
上から無造作に、けれども芸術的にぺたぺたと貼り付けていくコラージュというやり方。

そこに、アニメ『ひだまりスケッチ』全体の特徴と言える、
「時系列のシャッフル」に似たものを見出すことができます。
「コラージュ」を内包し、時系列シャッフルという形式を仄めかしているという意味で、
一期の一話は、アニメ全体を象徴する回だったのです。


さて、それらに対して四期の一話は、「四人から四人へ」でした。
既に三期を経て「六人」になったひだまり荘は、
ヒロと沙英の卒業が近づくにつれて、
「四人」を再び意識せざるを得ないのではないでしょうか。

そのことを示す一話であったように、私には思えます。

「六人」と「二人」に加えて現れる、「四人」という単位。
それに着目して、私は今後四期を見て参りたいと思います。



以上です。
いよいよ始まったひだまりスケッチ四期、
みなさまはどのようにご覧になったでしょうか。

今回は触れませんでしたが、アニメのひだまりスケッチは、
全体的に淡い色調で彩られていて、それも見どころであると思います。
「色がいいアニメ」というのが一期の頃の第一印象でした。
それは健在であるようなので、癒されながら色々考えていきます。

あと私が一番ほっこりしたのは、OPの気球のシーンで、
宮子がゆのの手をぎゅっと握って、お互いに微笑みあうところですかね。
ひだまりスケッチのこうした「二人」という関係性は素晴らしいと思います。
OPは今までのものとは少し毛色の違うものでしたが、
「六人」と「二人」をよく表した、私の好きなタイプのOPでした。

それでは、ついに始まった「ひだまりスケッチ×ハニカム」。
毎週楽しんで見ていこうと思います。

テーマ:ひだまりスケッチ
ジャンル:アニメ・コミック

プロフィール

天秤

Author:天秤
天秤と申します。
アニメや漫画など、好きなものについて考えたことを書き込みます。
よろしくお願いいたします。

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