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一期、二期と対比して見る劇場版のスクールアイドル ――「意志」で「いま」と「学校」を越えて (『ラブライブ!The School Idol Movie』考察)

2015.06.21 23:20|ラブライブ!
今回は、先日から上映中の『ラブライブ!The School Idol Movie』について考えます。
論題とするのは、スクールアイドルが一期、二期、そして劇場版への流れの中で、
主に通常のアイドルとの対比の中で、どのようなアイドルとして描かれてきたかということです。

劇場版が、『ラブライブ!』はあくまでスクールアイドルの物語であって、
アイドルの物語では決してないということを示していたことは疑う余地がありません。
だからこそ、劇中では、μ'sがスクールアイドルであることに非常に拘っていたと言えます。
それではスクールアイドルは、一期から劇場版までの流れの中で、
どのような軸において、アイドルとは区別されるものとして描かれてきたのでしょうか。
そしてその描かれ方は、一貫して変わらなかったのでしょうか。
このような問いから始めることで、劇場版で描かれたスクールアイドルを一層理解し、
結果として、劇場版までの物語を一層楽しむことができるようになるのではないかと考えます。
このような趣旨ですので、当然劇場版のネタバレを含みますが、
それでもよろしい方は、一期、二期を振り返りつつお付き合いいただければ幸いです。
以下、一期、二期、劇場版の順番で、スクールアイドルが如何に描かれていたかを論じます。



私は、一期、二期、劇場版への流れの中で、主に三つの軸でもって、
『ラブライブ!』がアイドルでなくスクールアイドルの物語であることを提示してきたと思います。
つまり、第一に「意志」、第二に「いま」、第三に「学校」の軸で、
μ'sがスクールアイドルであることが強調されていたのです。
とりわけ一期では、スクールアイドルが「意志」のアイドルであることを、
二期はこれに加えて、「いま」と「学校」のアイドルであることを表現していたと思います。
それぞれ順番に考えてみましょう。

(1) 一期のスクールアイドル:「意志」のアイドル

第一に、「意志」の軸についてです。
これは一期が、終盤で廃校阻止やラブライブ出場をさらっと片付けて、
最後まで強調し続けていたものと言えます。
スクールアイドルは、アイドルよりも「意志」が問題となるのです。
一期第四話におけることりの台詞は、象徴的なものかと思います。

「小泉さん」
「スクールアイドル本気でやってみない?」
「ええ!? でも、私、向いてないですから」
「私だって、人前に出るのは苦手です。向いているとは思いません」
「私も歌忘れちゃったりするし、運動も苦手なんだ」
「私はすごくおっちょこちょいだよ!」
「でも……」

プロのアイドルなら、私たちはすぐに失格。
 でも、スクールアイドルなら、やりたいって気持ちを持って、
 自分たちの目標を持って、やってみることができる!

「それがスクールアイドルだと思います」
「だから、やりたいって思ったら、やってみようよ」 (一期第四話)


つまり、スクールアイドルはプロのアイドルでないので、
始めるに際しては才能や努力の結果としての実力が相対的に問題となりません。
そのため、始めるに際してはより「意志」が重要となるアイドルと言えます。
これは辞めるに際しても同様で、義務や責任が相対的に問題にならないため、
いずれにしても「意志」が特に問題として浮き上がります。
以上二点を鑑みると、スクールアイドルは、
他の何かではなく「意志」によるアイドルなのです。

だからこそ一期はしつこいまでに、九人がスクールアイドルになろうと決意する姿を描いていました。

すなわち一期が最後に持ってきたのは、廃校阻止に至る劇的な展開でもなければ、
ラブライブ出場による華々しいステージでもなく、穂乃果が一度辞めて、
再びスクールアイドルになろうとする、その「意志」する姿でした。
第八話までに、メンバーのそれぞれがスクールアイドルを始めようとする、
その「意志」を描いた上で、最後にもう一度、穂乃果の「意志」を描いて終わるのです。

「私ね、ここでファーストライブやって、ことりちゃんと海未ちゃんと歌ったときに思った。
 もっと歌いたいって、スクールアイドルやっていたいって。
 辞めるって言ったけど、気持ちは変わらなかった。
 学校のためとか、ラブライブのためとかじゃなく、あたし好きなの、歌うのが!
 それだけは譲れない。だから……ごめんなさい!
 これからもきっと迷惑かける。
 夢中になって誰かが悩んでいるのに気付かなかったり、入れ込み過ぎて空回りすると思う。
 だって私、不器用だもん!
 でも! 追いかけていたいの!
 わがままなのは分かっているけど、私!」 (一期第十三話)


この穂乃果の台詞の中には、何故一期が廃校阻止の問題をあっさりと解決させ、
またラブライブ出場という目標をあっさりと取り下げたのかということが表れています。
それ以上に描くべきことが、一期にはあったに違いないのです。
学校のためでもなく、ラブライブのためでもなく、
純粋に歌を歌いたい、スクールアイドルをやっていたい。

この穂乃果の想いこそ、一期が取り上げたかったものでしょう。
スクールアイドルを描く作品として、一期は「意志」をひたすら強調していました。

このように、一期が廃校阻止やラブライブ出場を廃してまでも、
「意志」のアイドルとしてのスクールアイドルを強調したのに対して、
二期は、別の二軸でアイドルでなくスクールアイドルであることを強調しました。
すなわち、三年生の卒業を前にして、それを受け止めていく流れの中で、
スクールアイドルは「いま」のアイドルであることを、
学校のみんなの力を借りて、ラブライブ優勝を果たす流れの中で、
スクールアイドルは「学校」のアイドルであることを描いたのです。
一期において表れていた「意志」の軸に加えて、
二期においては第二、第三の軸が表れてきます。
それぞれを確認してみましょう。

(2) 二期のスクールアイドル:「いま」と「学校」のアイドル

それでは第二に、「いま」の軸についてです。
これは、三年生の卒業への流れと関連して表れてきます。
二期は、第一話から三年生の卒業をテーマとして扱うことを明示していました。
絵里は次のように述べています。

「そうよ。三月になったら、私たち三人は卒業。
 こうしてみんなと一緒にいられるのは、あと半年」
それに、スクールアイドルでいられるのは、在学中だけ
「そんな……」
「別にすぐ卒業しちゃうわけじゃないわ。
 でも、ラブライブに出られるのは、今回がラストチャンス」
「これを逃したら、もう……」
「本当はずっと続けたいと思う。
 実際卒業してからも、プロを目指して続ける人もいる。
 でも、この九人でラブライブに出られるのは、今回しかないのよ」 (二期第一話)


九人での活動がやがて終わるものであることが確認されたことによって、
スクールアイドルは「いま」だけのものであることが強調されています。
より「意志」の産物であるという側面とは異なる、
より「いま」であるという側面が取り上げられているのです。
スクールアイドルは限られた「いま」しかできないという点で、
(プロの)アイドルとは明白に区別されます。

二期においてはまず、この「いま」の軸が新たに浮上しているのです。
二期第十一話で九人がμ'sを終わりにすることを選び取ったとき、
彼女たちはアイドルでなくスクールアイドルであることが、
一際強く表れてはいなかったでしょうか。

そしてもう一つ、第三に、「学校」の軸についてです。
これは、ラブライブ優勝への流れと関連して表れてきます。
一期から二期の序盤にかけては、μ'sの物語はあくまでメンバーの九人の物語であって、
彼女たちが進んでいくに当たっては、その九人の中での支え合いが鍵となっていました。
二期第二話の合宿における、穂乃果の言葉に注目してみましょう。
ラブライブの予選という大舞台を控え、
ことりが衣装づくりについてスランプに陥ったことを受けての言葉です。

「私、まだできてない……」
「できるよ!」
「でも……」
だって、九人もいるんだよ!
「穂乃果ちゃん!?」
「誰かが立ち止まれば、誰かが引っ張る。誰かが疲れたら、誰かが背中を押す。
 みんな少しずつ立ち止まったり、少しずつ迷ったりして、それでも進んでるんだよ!
 だからきっと、できるよ! ラブライブの予選の日は、きっと上手くいくよ!」
「うん!」
「そうだね」 (二期第二話)


重要なのは、ここでいう「みんな」がμ'sの九人のみを指していたということです。
この時点では、一緒に歩みを進めて、その最中において支え合う「みんな」の中に、
九人以外の人たちが入るということは意識されていませんでした。
しかし、この意識はラブライブの予選を経験する中で変わっていきます。
A-RISEという強敵を前にして、また、どうにもならない悪天候を前にして、
μ'sとともに歩み、九人を支えたのは学校のみんなに他なりませんでした。
第三話で、μ'sのステージの直前に駆けつけ、
第九話で、吹雪の中、雪をかき除け続けてくれた仲間たち。
彼女たちが、「みんな」の中に入ってくることになるのです。
穂乃果は、二期第十話において、次のように語っています。

「そっか! 分かった! そうだ、これだよ!」
「何なのよ、いきなり」
「μ'sの原動力! 何で私たちが頑張れるか!
 頑張ってこられたか! μ'sってこれなんだよ!」
「これが?」
「うん! 一生懸命頑張って、それをみんなが応援してくれて、
 いっしょに成長していける。それが全てなんだよ!
 みんなが同じ気持ちで頑張って、前に進んで、少しずつ夢を叶えていく。
 それがスクールアイドル! それがμ'sなんだよ!」 (二期第十話)


ここでは、最初の「みんな」において学校のみんなのことが指示され、
次の「みんな」において、μ'sの九人と学校のみんながともに指示されていると考えられます。
九人だけでは全員揃っての予選参加すら怪しかったときに、
学校のみんなに助けてもらったことを受けて、
彼女たちはただのファンではなくなりました。
九人と同じ気持ちで頑張り、前に進み、少しずつ夢を叶えていく仲間となったのです。
二期第二話の時点で九人だけであったものに、学校のみんなが含まれています。

この「みんな」の拡大の流れの中に、「学校」という軸を見出すことができます。
そもそも学校のみんながμ'sとともに歩み、μ'sのために頑張ってくれたのは、
μ'sが学校と深く結びついているアイドルであったためです。
二期第九話で、ヒデコ、フミコ、ミカの三人は、次のように語っています。

穂乃果たちは、学校のためにラブライブに出て、
 生徒会もやって、音ノ木坂のために働いてきたんでしょ
だから、今日は私たちが助ける番
私たちも協力したいから
「私たちだけじゃない。みんなもだよ」

「ここは私たちに任せて」
「穂乃果たちは、説明会の挨拶と、予選のことだけ考えてて。ね」 (二期第九話)


廃校阻止に向けて立ち上がり、これまで学校のために頑張ってきたからこそ、
学校のみんながμ'sとともに歩もうと思ったのです。
そのため、学校のみんながともに歩む仲間になっていくことの裏側には、
μ'sが「学校」のアイドルであるということを見出すことができます。
それは、「学校」のアイドルであるために、学校のみんなはファンとしてだけでなく、
同じ気持ちで頑張り、前に進み、少しずつ夢を叶えていく仲間として関わってくれたのです。

結論として『ラブライブ!』は、「意志」と「いま」と「学校」という軸でもって、
通常のアイドルとは区別されるスクールアイドルを描いて来たといえます。
限られたこの「いま」「学校」のみんなとともに、「意志」でもって活動するアイドル。
それがこの作品が二期の最終話までに描いてきたスクールアイドルです。

しかし、劇場版は更にその先に向かいました。
というのも、スクールアイドルを「いま」と「学校」のアイドルとして維持して描くと同時に、
それを越えたものとしても描いていたのです。
つまり、確かにスクールアイドルは、「意志」と「いま」と「学校」のアイドルですが、
同時に「意志」で「いま」を越えて行くアイドルでもあり、
また、「意志」で「学校」を越えて行くアイドルでもありました。

これが劇場版が再定義した、スクールアイドルの姿です。
それでは、このことを確認してみましょう。

(3) 劇場版のスクールアイドル:「意志」で「いま」と「学校」を越えて

まず、先述のようにスクールアイドルを「いま」と「学校」のアイドルと述べるとき、
彼女たちはあくまで高校三年間「だけの」アイドルであり、
学校の人たちと「特に」ともに在るアイドルであるというような、
時間的、空間的制限の下にあることが認められます。
こうした制限は、確かにスクールアイドルの特徴的な要素でした。

劇場版は、こうした要素を維持していたには違いないのです。
現に九人は、「限られた時間の中でせいいっぱい輝こうとする」、
スクールアイドルが好きなことを確認して、改めてμ'sを終わらせる決断をしました。
また、現に九人の想いは、音の木坂学院の部室において受け継がれようとしていました。
このような箇所には、スクールアイドルが「いま」のアイドルであり、
「学校」のアイドルであることが維持されていることを見出すことができるでしょう。

しかし、劇場版は、「いま」と「学校」のアイドルであることだけを、
描き続けたわけではありませんでした。
同時にスクールアイドルが、「意志」でもって三年間を越え、
「意志」でもって学校という括りを越え得るアイドルでもあることを描いていたのです。

第一に、雪穂と亜里沙が後輩にμ'sのことを紹介している場面があります。
ここで雪穂は、μ'sの「想いを受け継いで」活動していることを語っていました。
かつてスクールアイドルになろうという「意志」を抱いて、
ラブライブ優勝、ドーム大会実現まで突き進んだμ'sの九人。
その「意志」を受け継いで、同じくスクールアイドルとなった二人の姿が示されています。
スクールアイドルは、確かに高校在学中の三年間しか活動できない「いま」のアイドルです。
しかし、スクールアイドルが「いま」のアイドルであり、その活動が三年きりであったとしても、
彼女たちは彼女たちの「意志」でもって、「いま」を越えて受け継がれていくのです。

これが、劇場版の描いていた、スクールアイドルの姿であったと言えます。

第二に、各地のスクールアイドルが一つになってライブを行う場面があります。
ここでμ'sは、「想いをともにしたみんなといっしょに」、
スクールアイドルの素晴らしさを歌っていました。
かつてスクールアイドルになろうという「意志」を抱いて、
ラブライブで競い合ってきた各地のスクールアイドル。
その彼女たちが今度は同じ「意志」の下に集い、
自分たちのライブを作り上げる姿が示されています。
スクールアイドルは、確かに「学校」と深く結びついたアイドルです。
しかし、スクールアイドルが「学校」のアイドルであり、学校のみんなと特にともに在ったとしても、
彼女たちは同じくする「意志」でもって、「学校」を越えて集い繋がっていくのです。

これが、劇場版の描いていた、もう一つのスクールアイドルの姿と言えます。

結論として、劇場版は、雪穂と亜里沙が新入生にμ'sのことを語る場面で、
μ'sの「意志」が受け継がれ、卒業後も続いていくであろう様を、
μ'sが各地のスクールアイドルとともに一つの歌を歌う場面で、
スクールアイドルの「意志」で繋がり、一つになる様を描いたと言えます。
二期においては、三年生が卒業するまでの流れの中で、
スクールアイドルが「いま」のアイドルであることを描かれ、
μ'sがラブライブ優勝を果たすまでの流れの中で、
スクールアイドルが「学校」のアイドルであることが描かれていました。
これに対して劇場版は、μ'sの面々が卒業した後を描く中で、
スクールアイドルが「意志」でもって「いま」を越えていくことを、
ラブライブ優勝の先にあったドーム大会を実現するまでの流れの中で、
スクールアイドルが「意志」でもって「学校」を越えていくことを描いたのです。



○関連記事

  (1) 一期の記事

   「穂乃果の物語」ではなく「三人の物語」として (第三話まで)
   みんなで叶える夢として (第四話)
   にこの勧誘に見る「μ'sのやり方」 (第五話)
   穂乃果は「one of them」であること (第六話)
   本当の意味で、同じグループの一員へ (第十話)
   自分の想いとの邂逅、みんなの想いとの対峙 (全体の考察①)
   九人のμ'sへの帰着、新しい夢への出発 (全体の考察②)

  (2) 二期の記事

   「意志」と「いま」の物語へ (第一話)
   支え合い、補い合うμ'sというグループ (第二話)
   どうにもできないことを受け止めて (第五話)
   広がり開かれる、みんなで叶える物語 (第十話)


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テーマ:ラブライブ!
ジャンル:アニメ・コミック

広がり開かれる、みんなで叶える物語 (ラブライブ!二期十話考察)

2014.06.29 13:03|ラブライブ!
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今回は、クライマックスを迎えつつある『ラブライブ!』の第十話について考えます。
第十話では、「みんなで叶える物語」というμ'sのキャッチフレーズが提示され、
μ'sは九人だけで進んでいくわけではないことが明確にされました。
μ'sは、学校のみんなともいっしょに、彼女たちの物語を紡いでいくのです。
そこで、学校のみんなは、μ'sの外側にいるだけの存在ではありません。
μ'sがアイドルとして対峙すべきファン以上の意味を持つこととなっています。
つまり、彼女たちは、μ'sと関わる中で彼女たちに巻き込まれ、
彼女たちとともに進んでいく仲間に、いつの間にか変化していたのです。
この、μ'sの外にいた者たちの、ともに歩む仲間への転換というのは、
アニメ第一期の流れを思い出させます。
そこでも最初はμ'sの外側にいたメンバーたちが、
主に穂乃果に巻き込まれる形で、ともに歩む仲間(メンバー)になっていったのでした。

そう考えると、学校のみんながμ'sとともに歩む側になる第二期の物語というのは、
メンバーの八人が穂乃果とともに歩む側になっていった第一期の物語が、
より「広がり開かれていく」ものに他ならなかったと言えるのではないでしょうか。

メンバーの八人が穂乃果に巻き込まれ、ともに歩んでいく物語は、
学校のみんながμ'sに巻き込まれ、ともに歩んでいく物語へと展開したのです。
この記事では、特に第二期第十話の内容に注目しつつ、
以上の点について詳らかにしていきたいと思います。



○『ラブライブ!』第十話:広がり開かれる、みんなで叶える物語


まず、穂乃果がμ'sの原動力が何かということを悟るきっかけとなった、
学校のみんなにおもちをご馳走する場面に注目してみましょう。

「何か考えてみたら、学校のみんなに何のお礼もしてないなあって」
「お礼?」
「うん! 最終予選突破できたのって、みんなのおかげでしょう?
 でも、あのまま冬休み入ちゃって、お正月になって」
「だからって、おもちにする必要ないじゃない」
「だって、他に浮かばなかったんだもん!」 (二期十話)


そして、μ'sの面々は学校のみんなにおもちを振る舞うわけですが、
このときの光景というのは、どこか二期第八話の次の光景と重ねられるものです。
希がふと思い出す、穂乃果がμ'sのみんなにお饅頭を振る舞う場面です。

lovelive15.png

この、いつかの光景というのは、穂乃果の家で食べ物を振る舞うという点において、
第十話でμ'sが学校のみんなにおもちを振る舞う場面と近いと考えられます。
ただし、振る舞う人物と、振る舞われる人物はすげ変わっています。
すなわち、第八話では穂乃果がμ'sのメンバーにお饅頭を振る舞うのに対し、
第十話ではμ'sのメンバーが学校のみんなにおもちを振る舞っているのです。

振る舞うのはμ'sのメンバーに、振る舞われるのは学校のみんなにシフトしています。

この第八話と第十話との差異は、これまでと今との差異と考えることができます。
というのも、第八話は希の想いを通して、μ'sの「これまで」を振り返る側面がありました。
先のお饅頭の場面というのも、第一期の物語の末、
希が現実に手に入れることができた「夢」の光景であったと言えるでしょう。
九人が歩んできた「これまで」の結果が、
あのお饅頭の場面で象徴される、いっしょの光景だったのです。
それは第一期の物語の結果とも言うべき、「九人の景色」でした。

それに対して提示されたのが、第十話の「今」だったとは考えられないでしょうか。
そこでは九人がいっしょなのは既に前提となっています。
そして、新たなメンバーが、先のいっしょの光景に加わっているのです。
その新たなメンバーというのが、学校のみんなでした。
第十話は、既に九人だけではないことを対比的に示したと言えるでしょう。
これは、第二期のここまでの物語の末、手にした結果に他なりません。
ラブライブ優勝を掲げたμ'sの面々が、学校のみんなに応援を呼びかけ、
学校のみんながそれに応えたからこその、「九人の景色の先」であったのです。

もちろん学校のみんなは、第一期の時点で既にμ'sに近くありました。
特に、穂乃果のクラスメイトの、ヒデコ、フミコ、ミカの三人は、裏方を早くから手伝っており、
単なるμ'sのファンというだけのところから脱却していたと考えられます。
しかし、彼女たちも第一期の時点では、あくまで、
μ'sの外側にいる存在として強調されていた気がします。

第一期第十二話で、穂乃果がμ'sを脱退した後、
彼女たち三人と遊びに行っていたことは象徴的です。
あの状態の穂乃果が三人とともに在ることができたのは、
彼女たちがμ'sの外に在る三人であったからに他なりません。
第一期の時点では、彼女たちも含めた学校のみんなが、
μ'sといっしょに進んでいく者としては描かれていなかったと考えられます。


このことは、第二期第十話と対比的な、第二話の次の場面から判断できます。
というのもそこでは、穂乃果たちも、学校のみんなをともに歩く仲間とみなしていないのです。
合宿の最中、穂乃果がμ'sの在り方について、温泉で語っているところに注目します。

「私、まだできてない……」
「できるよ!」
「でも……」
だって、九人もいるんだよ!
「穂乃果ちゃん!?」
「誰かが立ち止まれば、誰かが引っ張る。誰かが疲れたら、誰かが背中を押す。
 みんな少しずつ立ち止まったり、少しずつ迷ったりして、それでも進んでるんだよ!
 だからきっと、できるよ! ラブライブの予選の日は、きっと上手くいくよ!」
「うん!」
「そうだね」 (2期2話)


ここで穂乃果は明らかに、μ'sの九人のみが、
いっしょに進んでいくことを想定しています。
そこに、学校のみんなは入り込んでいません。
少なくとも第二期第二話までは、学校のみんなは外部と考えられていたのです。
しかし、この状態は第十話では変化しています。
絵馬を前にして、穂乃果が気付く場面を見てみましょう。

「そっか! 分かった! そうだ、これだよ!」
「何なのよ、いきなり」
「μ'sの原動力! 何で私たちが頑張れるか!
 頑張ってこられたか! μ'sってこれなんだよ!」
「これが?」
「うん! 一生懸命頑張って、それをみんなが応援してくれて、
 いっしょに成長していける。それが全てなんだよ!
 みんなが同じ気持ちで頑張って、前に進んで、少しずつ夢を叶えていく。
 それがスクールアイドル! それがμ'sなんだよ!」 (二期十話)


ここでは、学校のみんながいっしょに進んでいく者とみなされています。
この第二話と第十話との違いを鑑みるに、
ラブライブの予選が重要なターニングポイントであったと言えるでしょう。
そこで、A-RISEという強大な外部と対峙するに当たって、
これまでμ'sがアイドルとして対峙すべき外部であった学校のみんなは、
μ'sの後ろに回って支えてくれる仲間となったと考えられます。

実際に、第三話や第九話は、彼女たちが後ろからμ'sを支えるところを描いていました。
これらの場面で学校のみんなは、μ'sが先へ進むために不可欠な役割を演じています。
彼女たちがいなければ、μ'sは敗退し、夢を叶えられなかったかも知れないのです。

ここが重要な転換点であったと思います。
第一期では、学校のみんなはそのような役割までは演じていませんでした。
ヒデコ、フミコ、ミカすらもそうです。
例えば、ステージの裏方がいなくて、このままではどうしようもないところに、
三人が颯爽と現れるというような描かれ方はされていませんでした。
しかし、第二期では、まさしくそのような描かれ方がされているのです。
第二期の中で、学校のみんながμ'sの前進に不可欠な存在として登場し、
その結果として、彼女たちはともに「夢を叶えていく」存在になったと言えます。
そう考えると、先のおもちを振る舞う場面は、
やはり、このような第二期の物語の結果としての、
「九人の景色の先」であったと言うことができるでしょう。

結論として第十話は、第一期で穂乃果がμ'sのメンバーを巻き込んだ結果、
手に入れることのできた「九人での景色」に対して、
第二期でμ'sが学校のみんなを巻き込んだ結果、
手に入れることとなった「九人での景色の先」を明示したと言えます。
「穂乃果とメンバー」の物語は、「μ'sと学校のみんな」の物語へと展開したことを、
お饅頭を振る舞う場面とおもちを振る舞う場面の違い、更には、
穂乃果の温泉での語りと絵馬の前での語りの違いが示していたのです。

しかし、第二期第十話で、広がり開かれた「みんなで叶える物語」は、
第十一話において反転し、再びμ'sの九人に焦点を当て始めたように思います。
三年生三人の卒業を目前にして、もう一度「九人の景色」が強調され始めるのです。
ここをどのように解釈し、作品全体をどのように考えるのかという問題は残っていますが、
ともあれ第二期第十話までは、これまでの「穂乃果とメンバー」の物語が、
「μ'sと学校のみんな」の物語に広がり開かれていく作品であったと言えるでしょう。、
次回はこの今回の考えを踏まえ、作品全体をまとめたいと思います。



○関連記事

   「意志」と「いま」の物語へ (第一話)
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   どうにもできないことを受け止めて (第五話)


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どうにもできないことを受け止めて (ラブライブ!二期五話考察)

2014.05.17 16:37|ラブライブ!
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(2014/05/28)
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今回は、『ラブライブ!』二期五話について考えていきます。
注目するのは、穂乃果が雨を止ませようとするも、
なかなか止ませられなかったという箇所です。

あの場面は、不可避に二期一話を思い出させるものだと思います。
つまり、雨を止ませてラブライブ優勝に向かって行く場面と対照的であったのです。
ここに如何なる意味を見出すかということは、二期五話の問題の一つだと思います。
そこでこの記事では、二期五話で雨が止まなかった理由について考えてみます。



○『ラブライブ!』二期五話:どうにもできないことを受け止めて


先に結論を述べてしまえば、上述した雨にまつわる二つの場面は、
二期の持つ対照的な二つテーマを浮き彫りにしていたと思います。
二つのテーマとは「ラブライブ優勝」「卒業」に他なりません。
早くも第一話において、この二つがテーマであることは宣明されています。

「そうよ。三月になったら、私たち三人は卒業。
 こうしてみんなと一緒にいられるのは、あと半年」
「それに、スクールアイドルでいられるのは、在学中だけ」
「そんな……」
「別にすぐ卒業しちゃうわけじゃないわ。
 でも、ラブライブに出られるのは、今回がラストチャンス」
「これを逃したら、もう……」
「本当はずっと続けたいと思う。
 実際卒業してからも、プロを目指して続ける人もいる。
 でも、この九人でラブライブに出られるのは、今回しかないのよ」 (二期一話)


ラブライブと卒業が、この後中心に据えられていくことが分かります。
「ラブライブ優勝」は、「どうにもできそうにないこと」と言うことができ、
「卒業」は、「どうにもできないこと」と言うことができるでしょう。
「ラブライブ優勝」は、実現できる万一の可能性がある事柄ですが、
「卒業」は何をしようと逃れられない事柄なのです。
そう捉えてみると、二期は一方で「どうにもできそうにないことに向けて頑張っていく姿」を、
他方で「どうにもできないことに向けて答えを見つける姿」を描く物語と言うことができます。

そうした二つのテーマを抱く物語であるからこそ、
穂乃果は雨を止ませられるし、また止ませられないのではないでしょうか。
「ラブライブ優勝」という「できそうにないこと」を前にするとき、穂乃果は雨を止めますが、
「卒業」という「どうにもできないこと」を前にするとき、穂乃果は雨を止められないと考えられます。

雨が止むか止まぬかという結果の違いが、扱うテーマの違いを仄めかしているのです。

実際に二期五話というのは、「ラブライブ優勝」を一先ず脇に置いておいて、
明らかに「卒業」の方にスポットライトを当てた回でした。
ここが、「ラブライブ優勝」への第一歩を中心的に描いた二期一話とは異なります。
物語の始まり、凛がリーダーに選ばれた場面に注目してみましょう。

「ちょ、ちょっと待ってよ。何で凛?
 絶対他の人の方がいいよー、絵里ちゃんとか!」
「私は生徒会の手伝いがあるし……。
 それに、今後のμ'sのことを考えたら、一年生がやった方がいいでしょ?」 (二期五話)


絵里の「今後のμ'sのことを考えたら」という台詞は、
三年生三人が卒業する、来たるべき近い未来を思わせます。
二年生とは言え、「修学旅行」により「三人が離れてしまう」という展開自体も、
今後六人になるであろうという事実を突き付けます。

そういった「卒業」を仄めかす回であったからこそ、
この話の中で穂乃果は雨を止ませられないのです。


二期一話にもあった流れを入れた上で、その結果だけすげ替えたために、
「卒業」が「ラブライブ」とは性質を異にするテーマであることが強調されています。
それは、どんなに頑張っても回避することができない「この先」なのです。

結論として、どうにもできそうにないことを実現させようと頑張る、
「ラブライブ優勝」への物語においては穂乃果は雨を止ませられますが、
不可避な現実を受け止め、何らかの答えを出すことが求められる、
「卒業」への物語においては穂乃果は雨を止ませられないと考えられます。

けだし、二期五話というのは確かにそのような話でした。
台風はどうにもならないので、ライブには六人で臨むしかない。
そういった不可避な事実(≒卒業)を受け止めて、その中でどうするかを考えて答えを出していく。
そのような姿勢が、凛と花陽を中心とする六人の奮闘の中には現れていたのではないでしょうか。
結局九人でいることを選んだ、一期終盤の展開では描かなかったもの。
この後「卒業」を描く際にも大いに関わってくるであろう姿勢が示されていた気がします。



○関連記事

   「意志」と「いま」の物語へ (第一話)
   支え合い、補い合うμ'sというグループ (第二話)


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支え合い、補い合うμ'sというグループ (ラブライブ!二期二話考察)

2014.05.04 21:19|ラブライブ!
どんなときもずっとどんなときもずっと
(2014/05/08)
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今回は、『ラブライブ!』二期二話について考えていきます。
二期二話「優勝をめざして」は、各部分で一期を思い出させ、
その頃と変わったこと、あるいは変わっていないことを提示していく物語であったと思います。
とりわけ一期における次の三つの話を想起させるものであったのではないでしょうか。
すなわち新しい順で言って、第一に一期十話の海での合宿、
第二に一期九話のことりの作詞、第三に一期六話のセンター決めの三つです。

二期二話は特にこれらと関わりの深い物語になっていたと思います。
そこで以下では、これら一期との関連を明らかにしつつ、
二期二話の内容を考えてみることにします。



○ラブライブ!二期二話:支え合い、補い合うμ'sというグループ


それでは、先に挙げた三つの話との関連について、順に説明していきます。

第一に、二期二話の「山での合宿」は、一期十話の「海での合宿」のことを思い出させ、
特に真姫の変化を強調していると読めます。
乗り気でなかった前回と比べ、真姫の態度は全体的に全然違いますが、
特に三人ユニットに分かれた次の場面での変化が印象的です。

「それじゃあ三班に分かれましょう。
 ことりを中心に衣装を決める班と、海未を中心に作詞する班、
 そして、真姫を中心に作曲する班、これで三班よ」
「ふんっ」
「よーし、じゃあユニット作戦で、曲作り、頑張ろー!」
「「「おー!」」」
おー」 (2期2話)


このワンテンポ遅れた「おー」が、真姫によるものです。
真姫は少し遅れて、みんなの掛け声に追随しています。
これは、輪の中に入れていなかった一期十話では有り得なかったことです。
それが、今や皆に乗っかっていけるようになったということが強調されています。
一期十話との対比の中で、真姫の変化が強調されていると考えられます。

第二に、作詞作曲衣装の三人がそれぞれ一人で取り組んでスランプに陥った後、
仲間と一緒に取り組むことでそこから脱するという流れは、
一期九話でことりが作詞を任されたときと同じ流れです。

「うまくいってよかったね。ことりちゃんのおかげだよ」
「ううん、私じゃないよ。みんながいてくれたから、みんなで作った曲だから
「そんなこと。でも、そういうことにしとこうかな」 (1期9話)


実際にことりは当初、一人で歌詞作りに取り掛かったものの行き詰まっていました。
そして、穂乃果の提案で全員揃って一緒に考える中で、アイディアが出てきたのです。
二期二話でも、歌詞、曲そして衣装の三つが、「みんながいてくれた」結果として完成します。
これは一期十話の展開を彷彿とさせるもので、二期三話の「前回のラブライブ!」で言うところの、
「みんなで助け合うことで乗り越える」というμ'sのやり方が再度提示されています。

第三に、作詞作曲衣装の作成という活動の要の部分について、
穂乃果が基本的に役立たないということが、一期六話に続いて二期二話でも提示されていました。
一期六話で穂乃果が何故リーダーなのか問われる場面を確認してみましょう。

「これで歌詞を考えたりするんやね」
「うん! 海未ちゃんが!」
「え?」
「歌詞は大体、海未先輩が考えるんだ」
「じゃあ、新しいステップを考えたりするのが?」
「それはいつもことりちゃんが」
「じゃあ、あなたは何してるの?」
「うーん、ご飯食べて、テレビ見て、他のアイドル見てすごいなーって思ったり、
 あ、もちろん二人の応援もしてるよ!」
「それだけ?」
「え?」
「うち、前から思ってたんやけど、
 穂乃果ちゃんって、どうしてμ'sのリーダーなん?」 (1期6話)


二期二話でも、置き去りにされる最初の駅の場面より始まり、穂乃果は基本的に終始寝ています。
ユニット作戦の最中も、ことりが衣装作りに奮闘する一方で完全に寝ているのです。
ただし、全く役に立っていなかったというわけではなく、
温泉の場面での言葉によって、不安を覚えていたことりの背中を押してはいます。
しかし、ほとんど寝ていたということの方が、物語中では目立っているのです。

これにより示されたのは、一期六話と同じく、
μ'sは穂乃果一強のグループではないということです。
もちろん穂乃果は、ここぞというところでの推進力とはなります。
しかし、彼女だけが重要な役割を担うというわけではありません。
例えば海未は行き過ぎた穂乃果のブレーキになりますし、
ことりは穂乃果と海未の間の調整役となります(1期11話等)。
以前の記事で述べたように、メンバーがそれぞれの役割を担い、進んでいくのがμ'sなのです。
二期二話は、穂乃果を絶対必要なリーダーとしてあまり描かないことで、
それぞれが支え合い、補い合うというμ'sの流儀の方を強調しています。

温泉の場面で穂乃果は、これを端的に言い表しています。

「私、まだできてない……」
「できるよ!」
「でも……」
「だって、九人もいるんだよ!」
「穂乃果ちゃん!?」
誰かが立ち止まれば、誰かが引っ張る。誰かが疲れたら、誰かが背中を押す。
 みんな少しずつ立ち止まったり、少しずつ迷ったりして、それでも進んでるんだよ!
 だからきっと、できるよ! ラブライブの予選の日は、きっと上手くいくよ!」
「うん!」
「そうだね」 (2期2話)


μ'sは、リーダーの穂乃果が引っ張っていくグループであると言うよりは、
メンバーがお互いに支え合い、補い合いながら進んでいくグループなのです。

結論として、二期二話は一期を思い出させるような物語でした。
そして、その中で特に示されていたのは、みんなの輪の中に入れるようになった真姫、
誰かが躓いたときには「みんなで助け合うことで乗り越える」という九人の流儀、
メンバーが補い合いながら進んでいくμ'sというグループの姿の三つであったと思います。
二期二話は、一期の内容を受けて、変わったことと変わらないことを示す物語であったのです。



○関連記事

  「意志」と「いま」の物語へ (二期一話考察)

    スクールアイドルと普通のアイドルの違いを考えてみた記事。


テーマ:ラブライブ!
ジャンル:アニメ・コミック

「意志」と「いま」の物語へ (ラブライブ!二期一話考察)

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今回は、二期が始まりました『ラブライブ!』について考えてみたいと思います。
ラブライブ出場に消極的だった穂乃果に火をつけ、再び走り出したμ'sの九人。
一話では、一期のテーマを踏襲しつつも、新たなテーマを提示し始めた気がします。
このことは、『ラブライブ!』を「スクールアイドル」のアニメとして見ることで分かります。
この記事では、『ラブライブ!』が単なるアイドルではない、
スクールアイドルを描いていく物語である意味を考えつつ、
二期に至って新たに提示され始めたテーマについて指摘していきます。
私は、一期は「意志」の物語であったのに対し、
二期は「意志」「いま」の物語になっていくのだと思うのです。

それではよろしければ、一期の内容も思い出しつつ、少しの間お付き合いください。



○『ラブライブ!』二期一話:「意志」と「いま」の物語へ


スクールアイドルを描くという点は、『ラブライブ!』の大きな特徴の一つであると思います。
アイドルを描く作品であれば世に数多ありますが、
スクールアイドルなるものを描く作品は、他にはなかなか見つけられないでしょう。
それではスクールアイドルは、(プロの)アイドルとどこが異なっているのでしょうか。
スクールアイドルを描く物語は、どこでアイドルを描く物語と区別されるのでしょうか。

一期では明らかに、「意志」が両者を分ける鍵として提示されています。
スクールアイドルの物語ではアイドルの物語よりも、相対的に「意志」が重要なのです。
スクールアイドルをやりたい、やってみようという「意志」。
もちろん、アイドルを描く物語においても、こうした「意志」は重要でしょう。
しかし『ラブライブ!』という物語においては、他の何よりも「意志」が突出しているのです。
これはスクールアイドルと(プロの)アイドルの性質上の違いより生じています。

スクールアイドルと(プロの)アイドルの違いは、以下の二つの場面によって説明されています。
順番に確認してみましょう。
第一に、一期四話でことりが花陽に次のように述べる場面です。

「小泉さん」
「スクールアイドル本気でやってみない?」
「ええ!? でも、私、向いてないですから」
「私だって、人前に出るのは苦手です。向いているとは思いません」
「私も歌忘れちゃったりするし、運動も苦手なんだ」
「私はすごくおっちょこちょいだよ!」
「でも……」

プロのアイドルなら、私たちはすぐに失格。
 でも、スクールアイドルなら、やりたいって気持ちを持って、
 自分たちの目標を持って、やってみることができる!

「それがスクールアイドルだと思います」
「だから、やりたいって思ったら、やってみようよ」 (一期四話)


スクールアイドルはアイドルとは異なり、それになるに当たって、
厳しいオーディション等を突破する必要がありません。
ただ「やりたいって気持ち」があればスクールアイドルになることができます。

つまり、入口に関門がないのです。

このことは、スクールアイドルとアイドルを決定的に区別します。
(プロの)アイドルであれば、パフォーマンスは仕事であり、
才能や努力、それらの結果としての歌やダンスの技術は絶対に要求されます。
だからこそ、入口には厳重な関所があり、ほとんどの入場を拒否するのです。
「意志」だけで直ちになることができるスクールアイドルと、なれないアイドル。
比較してみると、スクールアイドルの場合は「意志」だけに重点が置かれます。
入口の関門の有無が、スクールアイドルとアイドルを分離していると言えます。

第二に、一期十二話で穂乃果が辞めてしまう場面です。
スクールアイドルは仕事ではないため、辞めようと思ったら、
穂乃果のように簡単に辞めることができてしまいます。
アイドルであれば、仕事であるという義務感や責任感から続けるかも知れません。
しかしスクールアイドルの場合、「意志」がないなら比較的楽に辞められるでしょう。

つまり、出口にも関門がないのです。

相対的に簡単に辞めることができてしまうのがスクールアイドルです。
「意志」がなくても、続けなければいけないというような精神的な圧力が小さい。
このことも、スクールアイドルとアイドルを明白に分離しています。

以上の二点よりスクールアイドルは、より「意志」の上に成り立っていると言えます。
そしてこのことが、それを(プロの)アイドルとは区別するのです。

「意志」があっても「才能」がなければなることはできず、
「意志」がなくても「義務感」ゆえに相対的に辞めることが難しい。

このように「意志」以外のものも重要性を持ち得るアイドルと比べれば、
スクールアイドルは「意志」のみが特に重要性を持つと言えます。
だからこそスクールアイドルを描く物語である『ラブライブ!』一期は、
一人ひとりの「意志」を八話までかけて描いた上に、十二話から更にもう一回描いたのです。

穂乃果の脱退と再加入が再度描いたものは、彼女の「意志」に他なりませんでした。
また、だからこそ理事長は、絵里の生徒会としての活動をしつこいくらいに拒否し続けたのです。
絵里の「義務感」に対して、一人ひとりの「意志」が持ち上げられていました。
一期は徹底的に、スクールアイドルになろうという「意志」を強調する物語であったと言えます。

こうした「意志」の物語という路線は二期一話にも引き継がれていました。
すなわち、そこでは「何をやるべきか」を考えて動けなくなった穂乃果が、
仲間の言葉を受け、「何をしたいか」で動き出すという流れで話が進んでいきます。

「また自分のせいで、みんなに迷惑をかけてしまうのではと心配しているんでしょう。
 ラブライブに夢中になって、周りが見えなくなって、
 生徒会長として、学校のみんなに迷惑をかけるようなことはあってはいけない、と」

「全部バレバレだね。始めたばかりのときは、何も考えないでできたのに、
 今は何をやるべきか、分からなくなるときがある。
 でも、一度夢見た舞台だもん。やっぱり私だって出たい!
 生徒会長やりながらだから、また迷惑かけるときもあるかもだけど、
 本当はものすごく出たいよ!」 (二期一話)

 
ここでは、一期十話で暴走してしまったことと、生徒会長という立場であることを考えて、
穂乃果が自分の「やりたいこと」を選ぶことができなかったということが示されています。
生徒会長ゆえに、「何をやるべきか」を考え動けなくなるという点は絵里に似ています。

「うちな」
「希」
「絵里ちと友達になって、生徒会やってきて、ずっと思ってたことがあるんや。
 絵里ちは、本当は何がしたいんやろうって。
 一緒にいると分かるんよ。絵里ちが頑張るのは、いつも誰かのためばっかりで。
 だから、いつも何かを我慢してるようで、全然自分のことは考えてなくて。
 学校を存続させようっていうのも、生徒会長としての義務感やろ!
 だから理事長は、絵里ちのことを認めなかったんと違う?
 絵理ちの、絵理ちの本当にやりたいことは?」

何よ、何とかしなくちゃいけないんだからしょうがないじゃない!
 私だって、好きなことだけやって、それだけで何とかなるんだったらそうしたいわよ!
 自分が不器用なのは分かってる。でも!
 今更アイドルを始めようなんて、私が言えると思う?」 (一期八話)


絵里も一期八話では、皆のためにどうすべきかを考えて、
自分の「本当にやりたいこと」を選ぶことができませんでした。
穂乃果が今回抱えた問題というのは、絵里がかつて経験したものであったと言えます。
一人では、自分の「意志」を選び取ることができない。
穂乃果は仲間の言葉を受けて、初めて「本当にやりたいこと」を表明することができました。
この辺りは、それぞれのμ's加入、あるいは穂乃果の再加入のときと同じ展開を取っています。
二期一話も、一期と同じように「意志」の物語であり続けていたのです。

しかし、そこから二期は、スクールアイドルの別の側面をも取り上げにかかりました。
すなわち、より「いま」であるという側面をです。
スクールアイドルは限られた「いま」しかできないという点で、
(プロの)アイドルとは明白に区別される。
二期一話では新たにこの点が浮上しています。

「そうよ。三月になったら、私たち三人は卒業。
 こうしてみんなと一緒にいられるのは、あと半年」
それに、スクールアイドルでいられるのは、在学中だけ
「そんな……」
「別にすぐ卒業しちゃうわけじゃないわ。
 でも、ラブライブに出られるのは、今回がラストチャンス」
「これを逃したら、もう……」
「本当はずっと続けたいと思う。
 実際卒業してからも、プロを目指して続ける人もいる。
 でも、この九人でラブライブに出られるのは、今回しかないのよ」 (二期一話)


九人での活動がやがて終わるものであることが確認されたことによって、
スクールアイドルは「いま」だけのものであることが強調されています。
より「意志」の産物であるという側面とは異なる、
より「いま」であるという側面が取り上げられているのです。
ゆえに、ここからは同じスクールアイドルの物語と言っても、
「意志」「いま」の物語になっていくのだと思います。
部活もの、青春ものという評価は一期の時点で多くありましたが、
むしろ二期こそ、本当に部活もの、青春ものらしく、
限られた九人の「いま」をも描いていくのではないでしょうか。

OPである『それは僕たちの奇跡』が描くのは、「残された時間」を握りしめて、
限られた「僕たちの季節」を全力で駆けていく「僕たち」の姿でした。
これからμ'sの九人も、かけがえのない「いま」を全力で駆けていくのです。



○関連記事

  自分の想いとの邂逅、みんなの想いとの対峙 (一期全体考察①)

    脱退した穂乃果が、復帰するまでのプロセスを考えました。

  九人のμ'sへの帰着、新しい夢への出発 (一期全体考察②)

    μ'sとはどのようなグループであったのかを考えました。


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