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これからに向けて「開かれた」六人の関係 (ひだまりスケッチ四期全体感想)

2012.12.25 16:55|ひだまりスケッチ
ひだまりスケッチ×ハニカムが終わってしまいました。
そのことは寂しいのですが、内容は最後までとてもよかったと思います。
修学旅行という、ヒロと沙英の卒業を仄めかすところからスタートした以上、
本当は二人の卒業で締めるのが構成的により綺麗だったと言えるかも知れません。
しかし、そこは原作の進み具合の問題もありますし、
それを抜きにしても、「卒業に向けて六人の関係をどうするか」というテーマは、
最後までぶれていなかったのでよかったと思います。

「ヒロと沙英の卒業に向けて六人の関係をどうするか」。
その問いに対する答えは、ヒロが卒業について不安に思う六話や、
有沢さんがゆのに対して領導する七話などにおいて、繰り返し提示されてきました。
そして終盤においても、その答えと取れる関係の変化がしっかりと描かれていたと思います。
今回は、十一話と十二話において特に目立った、「ある一人の登場人物」と絡めて、
上述の全体的なテーマに関して論じていきます。

その人物とは、他の誰でもありません、夏目その人です。

終盤において、彼女がひだまり荘の六人の中に迎えられるという構図が強調されていました。
十二話においては、以下の場面が当てはまります。

「沙英!」
「夏目?」
「こ、こんなところで偶然ね」
「そうだね」
「あけましておめでとう……」
「あけましておめでとう、今年もよろしくね」
「こ、こちらこそ……」

「よかったら、ここで初日の出一緒に見ていかない?」


ヒロの一声で、夏目は後輩たちとも挨拶をして、一緒に初日の出を眺めることになります。
この場面のように、夏目が六人の中に入っていくという構図は、
クリスマスパーティに参加する十一話から続けて強調されていると取れます。

この点は、夏目が変わらずに沙英を中心に見ているために一際目立ちます。
すなわち、初日の出の場面でも分かるように、夏目が沙英を中心に見ているのなら、
本来沙英との距離を詰めたり、関係を変化させたりするだけで足りるはずです。
それなのに夏目は敢えて、「ひだまり荘の六人とも」距離を詰めています。
ここに、何らかの意味を見だせるのではないか。

けだし、夏目と六人との肉薄が作中で描かれたことは、
先の「卒業に向けて六人の関係をどうするか」というテーマに関連します。
端的に言えば、夏目という関係外部の存在がその中に招かれることにより、
六人の関係が「外に開かれた」ということを示しているのではないかと思うのです。
そのことを順を追って説明して参ります。



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テーマ:ひだまりスケッチ
ジャンル:アニメ・コミック

『ひだまりスケッチ』の「愛すべき中途半端」 (ひだまりスケッチ四期七話感想②)

2012.11.28 14:31|ひだまりスケッチ
環境が変わっても繋がっていようとすれば、ずっと繋がっていられる。

七話最後でのゆのの言葉です。
六話でヒロと沙英が、関係を「望んでいる」ことで「もっとよくなる」と結論付けたのに対応する形で、
今度はゆのの側から、「繋がっていようとする」ことで「繋がっていられる」という結論を出しています。
ほとんど同様の答えが、改めて、下級生であるゆのの口から発せられているわけです。

この辺りの繋がりは非常にアニメが上手く残した部分であると思います。
四期に入ってから、ストックが少ない原作側の事情もあるでしょうが、
これまでほど激しい「時系列シャッフル」が行われず、
むしろ「物語の連続性」を大切にする方針に変わっているように見受けられます。
そして、それが最も効果を上げていた話が、六話・七話の間の繋がりだったと思うんですよね。

上級生二人の答えから、下級生であるゆのの答えへ。

それにしても、六話・七話は見直していて、引用したいと思わせるような台詞が多いです。
こうした「言葉で持っていく」ような作品は私の大好物なので、
今までの話の中でも特に感動しながら見ることができました。
七話の有沢さんの名言は、きっとゆのの中にずっと残り続けるだろうと思います。

さて、というわけで六話を扱った前回の記事の続きです。
合わせて読む必要はありませんが、もしよろしければ。
それでは、今回は有沢さんとのデートがあった七話を中心に考えていきます。



○個人・関係それぞれのレベルにおける「中途半端」な変化の肯定

まず、前回から何について話しているのかを確認しましょう。
私は、ヒロと沙英の卒業という「環境の変化」が近づくにつれて、
現実味を帯びてくる「関係の変化」に対してどう振る舞うかという問題に関する、
『ひだまりスケッチ』という作品の答えを分析していたのでした。

対象は、中でもそのテーマが色濃く出ていた、ヒロが環境の変化を恐れ悩む、六話の「ヒロさん」と、
ゆのが有沢さんに大切なことを教えてもらう、七話の「秘密のデート」です。

そして六話に関しては、前回の記事で申し上げた通り、ヒロの問題解決を通して、
「望んでいれば」六人の関係は変わらず、むしろもっとよくなるということが、
三年生二人の答えとして受け入れられたというわけでした。

ここからは、その上級生の答えに応える形で提示された、
七話におけるゆのの答えを確認した後で、全体をまとめていきたいと思います。

最初は、七話の有沢さんとゆののデートに関して論じていきます。


(2)有沢さんの領導とゆのの答え


そもそも有沢さんとゆのが出会う話は、三期五話にアニメ化されたものでした。
タイトルまで挙げれば、後半の1月31日「まっすぐな言葉」です。
ここでゆのは進路について聞かれて、まだ「多分」美大としか答えられません。
一年生なのだから仕方ないことではありますが、
そのようなゆのに対して有沢さんは自らの考えについて述べます。

有沢さんは、大学に行って何をする予定なんですか。

決まってないよ。
去年の秋頃に、オープンキャンパスを見に行ってね。
圧倒されちゃった。
年は二つ三つしか違わないのに、作品の質も取り組み方も全然違うんだもの。
格好良くて、きらきらして、それで、あ、この中に入りたい、
この場所で自分を伸ばしていきたいって、そう思ったの。


この言葉は、ゆのにまっすぐ届きました。
ゆのがこの言葉に感銘を受けたことは、アニメの表現でとても強調されています。
このように有沢さんは、ゆのの前を行く二つ上の先輩として、
ゆのが前に進んでいくのを言葉で導く立場を時に担います。

初対面の時は、ゆのが遠からず抱える「進路」という問題に対して、
自分の選択姿勢を示すことにより領導しました。

この「進路という問題の先輩」という有沢さんの役割は、四期七話でもそれなりに維持されていて、
近況を伝え合う中で、彼女はゆのの参考になる美大の話を語っています。
しかし、今回はそれ以上に大きな役割が彼女に任されていました。
「卒業という問題の先輩」としての役割です。
彼女は卒業という環境の変化を経験した先人として、ゆのに以下のように述べています。
やまぶき祭のパンフレットの表紙となったとゆのが報告した後の言葉です。

折角ゆのさんとメールアドレス交換したのに、あれからもう半年以上経つのよね。
いつでも連絡しようと思えばできるって安心しちゃってたんだけど、
実際に連絡しなければ、繋がってないのと同じかなあって。
簡単に会える環境があると意識しないけど、
環境が変わっても繋がり続けるためには、行動が必要かなって思ったの。


個人的には、この一連の言葉が「秘密のデート」という物語の核だったと思います。
実際にゆのの側でもこれが最も印象に残った言葉として表現されており、
別れた後でゆのは「行動」が大切だという有沢さんの言葉を思い出しています。
さて、有沢さんはここで、卒業という「環境の変化」を実際に体験した先輩として、
ゆのに誰かと繋がり続けようとする「行動」の重要性を伝えています。

それはヒロと沙英の結論である、ひだまり荘六人の関係を「望んでいれば」、
環境が変わっても関係は変わらず、むしろもっとよくなるという考えに繋がるものです。

そして、有沢さんの言葉は、ゆのによって言い換えられて結論付けられます。
別れた後で、ゆのは有沢さんの言葉を以下のように言い換えます。

環境が変わっても繋がり続けるためには、行動が必要かなって思ったの。

それって言い換えると、環境が変わっても繋がっていようとすれば、
ずっと繋がっていられる。


そして、ゆのはヒロと沙英にメールを送信することにします。
「沙英さん、ヒロさん、これからもずっと仲良くして下さいね」
ゆのは「環境の変化」に対して、ずっと繋がり続けようという想いで、
それを表す行動で、関係を維持することを決意しました。
それは、関係を「望み続ける」ことで維持しようと考えた、上級生二人の答えと一致するものです。
『ひだまりスケッチ』の結論として、「当事者の想い」があれば「環境の変化」は、
悪い意味での「関係の変化」に繋がらないということが掲げられていると読めます。



(3)まとめ


これまで六話・七話を振り返る中で、「環境の変化」が近付き、
それに伴い現実に成り得る「関係の変化」の危機に対して、
『ひだまりスケッチ』という作品がどのような考えを提示しているのか探って参りました。
結果として、六話では関係を構成する当事者であるヒロと沙英の「望み」が重視されており、
また七話ではそれが少し具体化されて、「繋がり続けたいという想い」と「行動」が、
関係を継続させていくためには必要であると描かれていると分かりました。


私はこの結論の上に、もう一つ気付いたことを付け加えたいと思います。

それは『ひだまりスケッチ』が、個人レベルにおいても、関係(集団)レベルにおいても、
「変化」に際しては、変わる部分と変わらない部分を持つことが良しであるとしており、
いわば「愛すべき中途半端」を肯定しているということです。
少し詳しく説明します。

まず、個人のレベルにおける「変化」に関しては、七話の有沢さんの言葉があります。
ゆのとのデートの帰り道での会話です。

ゆのさんそういうとこ、全然変わってない。

うう、さっきはちょっと大人っぽくなったって言ってもらったのに。

そこは変わらなくてもいいところ。
ゆのさんなところよね。

私なところ?

うん。
変わったところと変わらないところ、どっちもあるから、また会いたくなるんだよね。


有沢さんは、一方でゆのが個人として変わったところを持ちながらも、
他方で変わっていない部分も持っているということを評価しています。

変化した部分も変化していない部分も両方とも持っているから、また会いたくなる。
彼女はただゆのが大人になり、変わることを望んでいるわけでも、
ずっと昔のままのゆので居続けることを望んでいるわけでもないのです。
その中間、変わる部分も変わらない部分もあるという「中途半端」こそ肝要とされています。

これは個人としての「成長」にだけ当てはまるのではありません。
関係(集団)にも当てはまることとして作中で描かれています。
前回も引用しましたが、もう一度、六話の重要な部分を引用します。
ヒロが寂しさを告白した後に、沙英が諭す六話の結論とも言える場面です。

そりゃあ私もさみしいよ、めちゃくちゃさみしい。
でもさ、大丈夫だよ、変わらないよ
私たちが望んでいれば大丈夫だよ。
きっと、今よりもっとよくなるよ


沙英は「六人の関係」について、望んでいれば「変わらない」とする一方、
そうすることで「もっとよくなる」とも言っています。

これは厳密に考えれば矛盾するものと捉えられるかもしれませんが、
沙英が言っているのは、当事者が望み続けることで、
六人の関係の変わらないべきである部分は変わらないし、
もっとよく成り得るところはそのように変わっていくということだと思います。
つまり、関係が絶えず変わりながらも(よくなりながらも)、
重要な部分だけはずっと変わらないことが目指されているのです。

関係においても、変わりゆく部分と変わらない部分が両方あるという、
「中途半端」こそが規範的に考えられているということが分かる台詞です。

結論として、「環境の変化」に対して差し向けられるもう一つの答えとして、
個人レベルでも関係レベルでも、変わる部分と変わらない部分があるという、
「中途半端な変化」を愛おしいものとして『ひだまりスケッチ』は肯定しています。
潔くこれまでとは違う世界に飛び出してしまうのではなく、これまでにしがみつくのでもなく、
変わらない部分を持ちつつも変わっていくということは、確かに重要なことではないかと私も思います。



以上になります。
最初でも述べましたように、六話・七話の名言率の高さは異常でした。
引用してて、何度もいい言葉だなあとしみじみしていた次第です。

既にアニメ八話も放送されていて、やまぶき祭の様子が描かれていました。
ゆのの表紙のデザインが採用されたパンフレットですが、
ゆのは「昨年の思い出」をそこに託していましたね。
アニメ一期一話のコラージュにせよ、四期の夏休みの自主制作にせよ、
ゆのはひだまり荘とやまぶき高校での「思い出」を、
作品に託すキャラクターとして描かれることが結構多いように思います。

パンフレットの表紙もゆのならではという感じがしますよね。

あと見返す中でEDを眺めていて思ったのですが、
四期EDは「六人で歩く」ということが後半の方でかなり強調されているように思います。
三期EDは「新入生二人を迎える」という構図になっていて、
SPのEDは眠っているゆのを気遣う五人の姿を描き、
「六人での日常」をよく表現しているものと解釈できますが、
それに対して四期は「みんなで前に歩いていく」ことを強調しているように見えます。

さて、既に後半に入り込んでいますが、最後まで四期を楽しんでいこうと思います。
まだ某妹の彼女とか登場していませんし、まだまだこれからです。


テーマ:ひだまりスケッチ
ジャンル:アニメ・コミック

「環境の変化」を「関係の変化」に繋げないために (ひだまりスケッチ四期七話感想①)

2012.11.20 19:06|ひだまりスケッチ
「変わったところと変わらないところ、どっちもあるから、また会いたくなるんだよね」

ひだまり七話は、有沢さんのこの言葉が全てだったと思います。
この一節は、その短さであまりに多弁であり、胸を打つ類のものです。
ゆのは天の配剤で、本当にいい先輩と出会ったんだなと再認識いたしました。

お久しぶりです。

本当は六話がとてもよかったので、先週何かしら書こうと思っていたのですが、
週初めに大詰めを迎える企画があって忙しく、とても時間が取れなかったのでした。
文章を書くのって意外と体力が要るのだと、改めて思い知る日々です。
しかし、それでも楽しいから今日もこうして書き始めている次第です。

さて今回は、六話と七話でここ二週に渡って再び強調されている、
「環境の変化による人間関係の変化」について考えてみたいと思います。
近づいてくるヒロと沙英の「卒業」。
その大きな環境の変化によって、変わらざるを得ない「六人の関係」。
その重い事実に対して、『ひだまりスケッチ』という作品は如何なる答えを提示したのでしょうか。
話を振り返りながら、自分なりにまとめてみようと思います。
今回は少し長くなるため、前編後編に分けます。
前半は、六話の「ヒロさん」に関する話が中心となります。

もしよろしければ、少しお付き合い下さい。



○「環境の変化」を「関係の変化」に繋げないために

最初に、三期からの流れを確認しておきたいと思います。

三期は乃莉となずながひだまり荘に加入したために、
「六人になること」が主要なテーマとして描かれていました。
四期はその後を受けて、冬が近づいてくるに連れて現実味を帯びてくる、
ヒロと沙英の「卒業」が主要なテーマの一つになっています。
それは換言すれば、「四人になること」が問題となるということです。

ヒロと沙英がひだまり荘を空けるという意味で、
「疑似的な卒業」と言うことができる修学旅行の回において、
元々ひだまり荘にいた関係の深い「四人」と、
ヒロと沙英が卒業した後もひだまり荘に残ることになる「四人」が、
それぞれ強調されていたことは、前回の記事で指摘した通りです。

「乃莉となずなの入学からヒロと沙英の卒業へ」、「六人になるから四人になるへ」。
これが三期と四期の間のテーマの変化と言えるでしょう。

そして修学旅行で軽く示唆されたヒロと沙英の「卒業」が、
二学期となっていよいよ「近い未来」として現れ、問題化してきたことを示すのが、
六話、七話であったと考えることができます。
具体的には、9月29日~30日「ヒロさん」、10月6日~8日「ひみつのデート」です。
言うまでもないかも知れませんが、これらは「卒業」という環境の変化に対して、
どう振る舞おうとするのかということに関する答えを提示しました。

前者は上級生の、後者はゆのを代表とする下級生の、暫定的な答えです。
それぞれどのような答えであったのか、振り返ってみましょう。


(1)ヒロの悩みと三年生の答え


まず、六話の「ヒロさん」について考えていきます。
この話では、ヒロの進路の悩みを通して、
卒業という環境の変化に対して上級生が採用する態度が描かれています。
そしてヒロの進路の悩みの根底にあったものこそ「変化への不安」です。

私ね、卒業するのさみしい。
ひだまり荘出て、沙英とも離れ離れになっちゃうし……。


ここには、「環境の変化による関係の変化」へのヒロの恐れが表れています。
ヒロの悩みは、先生としてやっていけるか不安といったようなものとは異なります。
沙英や、後輩たちと離れてしまうことが、堪らなく不安だったのです。
この恐れの結果として、ヒロは環境の変化から逃げて、
「やまぶき高校に赴任する」という進路を、無意識に思い描いていました。
それは、変化したくないという想いの表現としての「後ろ向きの夢」でしかありません。
ゆえに、吉野屋先生は優しく諭すことになります。

先生が生徒に与える影響って大きくて、
ちょっとした一言で苦手意識を与えちゃうこともあるんですよ。
生徒たちの最も多感な時期に関わる。
教師というのは、そんな大事なお仕事です。
ヒロさん、あなたは先生になりたいのですか。
それとも、ここにいたいの?
もし先生になって、やまぶきに赴任できたとしても、そのときのやまぶきには、
沙英さんもゆのさんたちもいないけど、大丈夫?


ここでヒロの問題として二つのことが浮き上がっています。
第一に、この後でヒロ自身が認めるように「変わりたくない」と思っていること。
第二に、その後ろ向きな想いの結果として、先生を進路にしているということです。

この二つの問題を解決するのが、六話の「ヒロさん」という物語でした。
そしてその解決を促すのは、ヒロの場合には沙英以外には有り得ません。
沙英は、一人で思い悩んでいたヒロに対して率直に以下のように語ります。

すごくいいね、先生。
ヒロって人に説明するの上手いじゃん。
相手の立場になって教えてくれるから、分かりやすいんだよね。
優しいし、よく気が付くし、包容力もあるし、すごいぴったりな夢だよ。
ほら、私むかし、美術の先生の言葉で動物描くの苦手になったって話したよね。
ヒロが先生だったらよかったのに、って思うよ。


起床したヒロにまず向けられたこの言葉は、前向きに考えた場合でも、
ヒロには先生が合っているという、親友からの後押しです。

この言葉で、沙英はヒロの第二の問題を解決させています。
その証拠に、ヒロは翌日に吉野屋先生の前に立って、
改めて美術教師を目指して美大を受験すると宣言することができています。
「私よりも私のことを知ってくれている人に、背中を押してもらえたので」
この胸を打つ末尾の言葉の引用の他に、私が何か付け加える必要はないでしょう。

しかし、第二の問題の解決は、それが第一の問題と深く関連するために、
第一の問題の解決がない限り、もたらされなかったように思います。
ヒロの変わりたくないという想いが払拭されることなしに、
すっきりした表情で、「教師」を目指すと述べることはできなかったでしょう。

沙英は、卒業するのがさみしいというヒロの告白に対して、以下の答えを与えています。

そりゃあ私もさみしいよ、めちゃくちゃさみしい。
でもさ、大丈夫だよ、変わらないよ。
私たちが望んでいれば大丈夫だよ。
きっと、今よりもっとよくなるよ。


ヒロは、環境の変化が関係の変化に繋がると考え怯えていました。
それに対して沙英は、ただ一つ「私たちが望んでいる」という条件さえあれば、
環境の変化は関係の変化へ繋がらないと伝えることで、恐れからヒロを解放します。
ここでヒロは、第一の問題を解決しました。
環境が変わっても、関係までも変わるということはない。
そのことが分かったためにヒロは、環境の変化と向き合えるようになったのです。

そして「望み続ける」ことこそ、三年生の答えとして提示されています。
環境の変化は得てして関係をも変えてしまうものです。
しかし、環境の変化に対して、関係を望み続けるという、
変わらない部分を持つことで関係を維持していく。

それがヒロと沙英の「卒業」に対する答えと言えるでしょう。

前半の結論として最後に、二話の修学旅行のあるシーンを確認しておきたいと思います。
ヒロと沙英が一緒に夕食を取っている場面です。

私達ばかりこんなにおいしいものいただいて。
ゆのさんたちにも食べさせてあげたい。

そうだね、大人になったらみんなで来ようよ。

それ素敵ね、絶対に六人で来ましょうね。


六話は、このときの未来の夢を実現する具体的な手段を描き出しました。
卒業しても六人という関係を「望み続ける」という手段です。
大人になったら六人で北海道に行くというのは、普通なら実現できない夢かも知れません。
しかし私には、望み続けることでその夢を実現することは、
ヒロと沙英の二人ならば、十分に可能であるように思われます。

修学旅行で後輩四人と離れていても、気付くと四人へのお土産を探し、
気付くといつか六人で北海道へ来ることを考えてしまうような二人に、
それが成し遂げられないということが、どうしてあると言えるでしょうか。



前半の、六話「ヒロさん」に関しては以上です。
後半の、七話「ひみつのデート」に関する記事も数日のうちに書き上げたいと思います。

例えば卒業など、「環境の変化に対してどう振る舞うか」ということは、
様々な作品で取り上げられている重大なテーマと言えます。
それゆえに使い古されたテーマでもあると思うのですが、
同じテーマでも、それぞれの作品の答えは微妙に異なってくることも多いため、
それを比較しながら観賞するというのも、楽しみ方の一つであると思います。

私の狭いアニメ知識で恐縮ですが、例えば最近の作品で言えば、
アニメ『けいおん』はどちらかというと、これまでの関係を維持するために、
環境をなるべく変えない方向に行ったと解釈できると思います。
また『ARIA』は、過去を思い出として抱えながらも、そこに留まるのではなく、
前に進んでいくということを何度も何度も形を変えて描いていました。

そうした中で『ひだまりスケッチ』は、作品の中で、
関係を構成する主体の「想い」を強調する立場にあるように思います。

想いがあれば、「環境の変化」は「関係の変化」に直結しないと述べる立場です。
次回も引き続き同じテーマに関して考察し、それを明らかにしていきます。

それでは、ここまで読んで下さってありがとうございました。
後半はなるべく早く書きたいと思います。


テーマ:ひだまりスケッチ
ジャンル:アニメ・コミック

修学旅行で強調される「四人」 (ひだまりスケッチ四期一話感想)

2012.10.06 11:31|ひだまりスケッチ
いよいよ、ひだまりスケッチ四期が始まりました。

この調子で絶望先生にも四期やってもらいたいものですね!
ひだまりスケッチと絶望先生は、同じシャフト制作で、
ひだまりスケッチがやると絶望先生が始まり、
絶望先生二期がやるとひだまりスケッチ二期が始まるみたいなところがあったので、
漫画も最終回を迎えましたし、どうにかやっていただきたい。
DVDが出たらもちろん買います。
ぱにぽに二期もそろそろお願いいたします。

と、贅沢な望みを告白しつつ、今回も始めていこうと思います。

ひだまりスケッチ四期も、以前から好きなアニメではあるので、
本当は毎週何かを考えていきたいのですが、
少し私が私生活で忙しなくなって参りましたので、
残念ながら毎週というわけにはいかないかも知れません。
特に何かあった場合、書き込みたいと思います。
今回は始まって嬉しかった上に、一話がよかったため、書かざるを得なかった。

一応最初なので、少し注意を申し上げておくと、
私の記事は個人の解釈、考察のようなものを含む感想であるため、
そういったものが嫌いな方は見ないことをお勧めいたします。
もしよろしければ、ちょっぴりお付き合いいただければ幸いです。

それでは、一話で私が注目した点をピックアップして参ります。



○修学旅行で強調される「四人」:「四人」から「四人」へ

まず、ひだまりスケッチは、ひだまり荘に住む「六人」の日常を描いた物語です。
ゆの、宮子、ヒロ、沙英、乃莉、なずなの六人ですね。
この「六人」という括りには、どこか「家族」のようなイメージを見出すことができます。
今回の話における冒頭は非常に象徴的な入り方でした。
ゆのが起床するシーンを少し引用してみましょう。

もうここに来てから一年以上経つのに。
久しぶりにお母さんのお味噌汁が飲みたいなあ。
何かちょっぴり寂しくなってきちゃった。
実家だと朝目が覚めると包丁の音が――


ここでゆのに聞こえてくるのは、料理をするヒロの包丁の音に、
沙英がファックスを使う音、乃莉となずなの楽しげな声、
そして宮子が立てたらしいひだまり荘全体に響く轟音です。
この冒頭のシーンが家族から離れたゆのの寂しさと、それを解消する、
ゆのにとって家族に近いひだまり荘の住人たちというものを手短に表していて、
この時点で私は胸いっぱいになりました。

特に最後の宮子に関してだけ、ゆのが特に説明しないのがいいと思います。
彼女が特に考えるまでもなく、宮子の行動であると自然に認識している感じがするので。
(これは後述する「二人」に繋がります)

以上の場面で仄めかされているように、作品中で「六人」は家族のイメージを持ちます。
かつては「四人」だったのですが、三期で乃莉となずなの参入を経て、
「ひだまり荘の六人」になりました。
ひだまり荘の住人全体を表す意味での「六人」は「家族」です。

次に、それに対してひだまりスケッチは「二人」も強調していきます。
ゆのと宮子、ヒロと沙英、乃莉となずな、このそれぞれの二人のペアは、
「六人」の中でも特に仲のいい組み合わせで、一言で言えば「親友」と言えます。
全員仲がいいのは間違いありませんが、その中でもそれぞれ特に親しいのが、
「二人」におけるそれぞれの相手であるように思うのです。
しかも、それは片想いではなく相互的で、ゆのにとって宮子が特別であるように、
宮子にとってゆのも特別であるところに特徴があります。


この親しい「二人」という関係が、作中で最も強調されるのは、
いわずもがなですが、ひだまり荘の中でも付き合いの長い三年生ペア、ヒロと沙英です。
ヒロが沙英の最たる理解者であることは、何度も色々な側面から語られてきました。
例えば、沙英の仕事に関連して、あるいは二人の喧嘩の中で。
「二人」は特別な空気を共有していて、そこには「六人」の他のメンバーすら入れません。

今回の話の中でも、修学旅行において、ヒロと沙英は友人たちと行動を共にしながらも、
ふと気付くといつしか「二人」になっています。
最も目立つのは、沙英がロデオをするシーンでしょうか。
ヒロは動画で沙英の雄姿を撮影してしまいます。

ヒロ、消して。
消して、返して。
ヒロ!

ふふふ。


この場面で花畑を走るヒロと沙英は、明らかに「二人」の世界に入っています。
また、後の温泉に入るシーンでも、いつの間にか「二人」になっている。
このように作中で「二人」は強調されることが多いわけです。

「六人」「二人」
それがひだまりスケッチを構成する主な関係性であったと思います。
今作のOPとEDもそのことを示すものになっています。
そこでは常に「六人」が一緒にいる。
しかし、OPの最初や気球に乗り込むシーン、EDの中盤辺りなどで、
特に「二人」で手を取り合うことが描写されています。

ひだまりスケッチは、「六人」と「二人」を描く物語と言えます。

しかし、私は今回の修学旅行の話では最早それだけではないと感じました。

一話で更に強調されたのは、「四人」という関連性だったと思います。
乃莉となずなが入居する前のひだまり荘の住人全員を表す、「四人」ではありません。
「六人の中の四人」です。
この新たな関係が取り沙汰されている。
そのことについて、この記事では述べていきます。
指摘すべきことは二点あります。

第一に、三年生の修学旅行前夜において、
ゆの、宮子、ヒロ、沙英という「四人」が強調されています。

その場面を具体的に例示してみましょう。
まずは、ゆのと宮子が沙英の部屋に探りを入れる場面です。
内偵して見つかった二人に、沙英の友人たちは言います。

もしかして、ゆのちゃんと宮ちゃん?

え、あ、はい。
何で分かったんですか?

だって、沙英もヒロもよく話すんだもん。
かわいい――


ここにおいて乃莉となずなは入っておらず、「四人」が取り上げられています。
一年生二人は、むしろ別件に関わっている最中であるためです。
それはなずなが誤って乃莉のデータを消してしまうという事件です。
宮子は「これは我々が追っている事件とは関係なさそうですな」と言っています。

沙英とヒロが「かわいい」後輩と言っているのは、あくまでこの場面では、
乃莉となずながその場にいないために、ゆのと宮子に限定されているのです。

もちろんヒロと沙英のことなので、乃莉やなずなも「かわいい」後輩として、
色々友人たちに話していると考えられますが、あくまで作中のこの場面では、
「かわいい」の対象がゆのと宮子に狭く限られています。
元々ひだまり荘にいた、「四人」が問題にされていると言えます。

しかし、この後ですぐに乃莉となずなも合流しているため、
もしこの場面だけであれば通常のこととしての許容の範囲内であり、
私も「四人を強調している」とは言わなかったでしょう。
けれども、さらに「四人」が強調される場面がこの後にもあります。

で、何故買い出しについてくる?

四人寄れば文殊を超えるよ!

でも一理あるかもよ。
目が増えれば忘れ物が減るかも。

そうかな?


ここで、修学旅行の買い出しに行くヒロと沙英の後を付けるのも、
ゆのと宮子に限定されており、乃莉となずなは追ってきません。

「四人寄れば」文殊を超えるのです。
ここでも「四人」の物語になっています。
「六人」や「二人」も全く描かないということはないのですが、
ゆの、宮子、ヒロ、沙英という「四人」は、
修学旅行前夜において、かなり強調されていると言えるのではないでしょうか。

これがまず最初に指摘したかったことです。

第二に、三年生がいなくなるので必然とも言えますが、修学旅行が始まった後は、
ゆの、宮子、乃莉、なずなという「四人」が強調されることになります。

まず、見送りの場面で、「四人」がヒロと紗英を見送ります。
そして、居残った「四人」に度々焦点が当たります。

三年生がいない間は、私と宮ちゃんが最上級生なんだよね。
うん!
先輩らしくしっかりやらなきゃ!


ゆのが後輩たちとの関係において、先輩らしく奮闘するのが残された側の本筋となります。
北海道において、ヒロと沙英の「二人」が描かれる一方、
ひだまり荘では、頑張るゆのを中心とした「四人」が描かれることになる。

いわば物語の強調点は、ゆの、宮子、ヒロ、沙英という「四人」から、
ゆの、宮子、乃莉、なずなという「四人」へと移行しています。
これが次に述べておきたかったことです。

以上の二点を、どのように解釈できるでしょうか。
「修学旅行」が、疑似的な卒業として扱われていることが分かると思います。
そもそも、修学旅行に行ったメンバーと行かないメンバーの両面を描くという形式の時点で、
最近の有名どころで言って、『けいおん!!』を思い出した方も多かったのではないでしょうか。
あの作品においても、梓が寂しさを感じるところ、あるいは憂や純との演奏で、
それが次第に払拭されるところを鑑みると、
修学旅行はどこか卒業後を仄めかす、「疑似的な卒業」でした。

話が逸れました。
とにかくひだまりスケッチにおいては、修学旅行の前後で、
「四人」から「四人」へ、物語の軸である関係が移っていると言えると思います。
そしてそれが、修学旅行が疑似的な卒業として扱われているという読みを可能にするのです。
ゆのの一時的な最上級生だから「先輩らしく」という意識は象徴的です。
どこか、ヒロと沙英の「卒業後」を感じさせる。


私は、そのような話を一話に持ってきた意味を考えながら今後作品を見たいと思います。
ひだまりスケッチは、時系列をシャッフルしているため、
一層「日常もの」の雰囲気が強くなってはいるものの、
毎回一話には何らかの意味で重要な話が配置されいています。

二期の一話は、ゆのの高校受験の話でした。
まさしく「物語のはじまり」が配置されています。
三期の一話は、乃莉となずながやって来る話でした。
そのため、三期には「四人から六人へ」というテーマが色濃く出たと思います。

それでは一期の一話は何であったのか。
ゆのが冬休みの宿題を忘れ、昼休みに作る話で唐突に始まったけれども、
あれにはどのような意味があったのでしょう。
私は、ゆのが宿題として提出した「コラージュ」が、
アニメのひだまりスケッチ全体を象徴するものであったと取っています。
すなわち、時系列のシャッフルを示します。

アルバムのように、思い出の写真を順に配置していくものではなく、
上から無造作に、けれども芸術的にぺたぺたと貼り付けていくコラージュというやり方。

そこに、アニメ『ひだまりスケッチ』全体の特徴と言える、
「時系列のシャッフル」に似たものを見出すことができます。
「コラージュ」を内包し、時系列シャッフルという形式を仄めかしているという意味で、
一期の一話は、アニメ全体を象徴する回だったのです。


さて、それらに対して四期の一話は、「四人から四人へ」でした。
既に三期を経て「六人」になったひだまり荘は、
ヒロと沙英の卒業が近づくにつれて、
「四人」を再び意識せざるを得ないのではないでしょうか。

そのことを示す一話であったように、私には思えます。

「六人」と「二人」に加えて現れる、「四人」という単位。
それに着目して、私は今後四期を見て参りたいと思います。



以上です。
いよいよ始まったひだまりスケッチ四期、
みなさまはどのようにご覧になったでしょうか。

今回は触れませんでしたが、アニメのひだまりスケッチは、
全体的に淡い色調で彩られていて、それも見どころであると思います。
「色がいいアニメ」というのが一期の頃の第一印象でした。
それは健在であるようなので、癒されながら色々考えていきます。

あと私が一番ほっこりしたのは、OPの気球のシーンで、
宮子がゆのの手をぎゅっと握って、お互いに微笑みあうところですかね。
ひだまりスケッチのこうした「二人」という関係性は素晴らしいと思います。
OPは今までのものとは少し毛色の違うものでしたが、
「六人」と「二人」をよく表した、私の好きなタイプのOPでした。

それでは、ついに始まった「ひだまりスケッチ×ハニカム」。
毎週楽しんで見ていこうと思います。

テーマ:ひだまりスケッチ
ジャンル:アニメ・コミック

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