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このブログについて

2030.01.01 00:00|■はじめに
このブログは、好きなものについて考えを書き留めるブログです。
アニメや漫画、ゲームや小説の紹介や感想が中心になります。
ゆえに個人の意見や解釈が受け付けない方は、見ないことをお勧めいたします。

普段はツイッターでも考えをばらまいているので、よろしければフォローなどお願いします。
ページは以下のURLです。 (http://twitter.com/azure19s

未熟な部分が多いため、思い込みからの発言や誤った記述もするかと思います。
そういった場合も温かい心で見守ってくださると幸いです。
他方でつっこみなどは大歓迎なので、気軽にコメントを使っていただければと思います。
コメント返しはコメント欄より行いますので、ご確認ください。
昔に書かれた記事へのコメントにも、できる限りお返事させていただきます。

拍手やコメントありがとうございます、記事を書く励みになっております。



○それぞれの目次


   作品別の考察の目次
     漫画やゲームならこちらです。アイマス、百合作品、マリみて、絶望先生など。

   アニメの考察の目次
     アニメの考察ならこちらです。アイカツ!、ラブライブ!、きんモザなど。


○現在のおすすめ記事


 (1)作品別考察のおすすめ記事

   アイマスの「団結」について――強調される「差異」と「衝突」 (アイドルマスター)
   凛・卯月・未央の持ち歌から考えるシンデレラガールズ (アイドルマスターCG)
   みんなで「いっしょに」輝きの向こう側へ (劇場版アイドルマスター)
   ウェンディの真実がもたらした転換 (百合:宇河弘樹『二輪乃花』)
   私を私と認めてくれる「友達」 (百合:文尾文『さよならカストール』)
   風浦可符香と終盤の展開に関する私見 (さよなら絶望先生)
   祐巳が瞳子の姉になるまで:「姉の心情」の否定 (マリア様がみてる)
   主人公三人の役割と長四郎が朔夜を止める理由 (零 ~月蝕の仮面~)


 (2)アニメ考察のおすすめ記事

   アニメの改変による「ちなつの答え」の変化 (ゆるゆり♪♪)
   これからに向けて「開かれた」六人の関係 (ひだまりスケッチ×ハニカム)
   自分の想いとの邂逅、みんなの想いとの対峙 (ラブライブ!)
   主人公としての穏乃と、パートナーとしての憧 (咲-saki-阿知賀編)
   きんいろを描く絵本のような (きんいろモザイク)
   自ら輝く太陽として――「太陽」という目標からの卒業 (アイカツ!)
   みんなで勝とうとする戦車道へ (ガールズ&パンツァー)
   キス以外に注目して見る『桜Trick』 (桜Trick)


 それでは、拙いところの多い管理人ですが、よろしくお願いいたします。


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商店街のライブに見るセルフプロデュースの意味 ――私ならではの、私だからこそのプロデュース (アイカツスターズ!第三十七話考察)

2017.01.15 15:16|アイカツ!
今回は、昨年最後に放送された『アイカツスターズ!』第37話を考えます。
S4のライブ、幹部のパーティという先輩たちの活動を受けて、
自分たちも何かをやろうと思い立つゆめたち。
彼女たちが至ったのは、S4とも幹部とも毛色の異なる、「商店街」でのライブという企画でした。
結果として、M4も含めて、三種のクリスマスのアイカツが並行して描かれていたと思います。
「ライブ会場」での活動、「学園」での活動、そして「商店街」での活動です。
私は、この話の中で、セルフプロデュースとはどのようなものであるかということが、
明白に示されていたと思います。
けだし、それは単純に「私による私のプロデュース」と表すだけでは不十分な代物です。
この記事では、第37話において描かれたセルフプロデュースについて考えたいと思います。
もしよろしければ、お付き合いいただけると幸いです。

第37話のゆめたちのクリスマスのセルフプロデュースは、
「ライブ会場」でも「学園」でもなく「商店街」に帰着した点において、
S4やM4、幹部たちの活動とは一線を画するもので、
「人と同じこと」ではありませんでした。
この意味で第37話は、三つの別の活動を描いたものです。

「商店街」でのライブが「ライブ会場」でのライブと区別されるのは、
ゆめの劇中の言を踏まえると、その場所の近さ故に、
「仕事やお店で忙しい人」にもアクセスしやすいという点にあります。
ライブ会場が「ファンに来てもらう」面が強いのに対し、
商店街は「アイドルが行く」面が強いと捉えられます。

ここで肝要なのは、そういった「商店街」でのライブは、
ゆめにとってはライブ会場が取れなかったがゆえの、
苦肉の策ではなかったということです。
ゆめは、商店街の許可を取る際に語ったように、
ライブ会場でなく商店街でやる意義を見つけていて、
それゆえに商店街でやることを提案したのです。

そして、その商店街でやる意義は、
ゆめが洋菓子屋の子であるがゆえに思い至れたものでした。
仕事だけでない、これまでのゆめがあってこそ、
ゆめが提案できた企画であったのです。
ここに、セルフプロデュースの意味が端的に表れていたと思います。

つまり、セルフプロデュースを、「私による、私のプロデュース」と考えるとすると、
ここで言う「私による」とは、単純に「私による」というだけではなくて、
「私ならではの」とか「私だからこその」という意味も含まれるのではないでしょうか。
そうしたゆめならではの企画が、S4や幹部に並ぶ、第三の企画に成り得るのです。

結論として、第37話は、ゆめがゆめだからこそ行えるセルフプロデュースでもって、
S4やM4のライブ会場でのライブとも、幹部の学園でのパーティとも異なる、
第三の企画を提示し得た話であったと言えるでしょう。
そこで表されたのは、ゆめによる「私ならではの」、
「私だからこその」プロデュースであったと思います。


テーマ:アイカツ!
ジャンル:アニメ・コミック

『きんいろモザイクPretty Days』と原作の比較から ――忍と綾の過去と現在を架橋する作品として

2017.01.09 15:01|きんいろモザイク
今回は、昨年劇場公開された『きんいろモザイクPretty Days』(以下「劇場版」といいます。)を考えます。
原作五巻の、綾が忍との関係を再確認する話(に受験時のエピソードを加えたもの)と、
忍が学校祭の演劇の脚本等のリーダーを任される話を一つにまとめた本作。
この記事では、原作に対して劇場版がどのような作品であるかと、
そうした劇場版に対して原作がどのような作品であるかを考えます。
この問いを考えることで、それぞれが特に示そうとしている関係が見えてきます。

まず、劇場版が、綾が忍との関係を再確認する話(に受験時のエピソードを加えたもの)と、
忍が学校祭の演劇の脚本等のリーダーを任される話の二本を軸としたことにより、
原作に対して如何なる作品となっていたかという課題を考えます。
それは、原作で個別に存する二つの話が、如何に捉えられ、一つと成ったかという問題でもあります。

思うに、劇場版は、学校祭の話を、
「忍と綾の友情の先にこそ成立する話」として捉えていた感があります。
そうして、個々の二つの話は架橋されていたのではないでしょうか。
つまり、受験時における忍と綾の関係の延長線上に、
学校祭の話における忍と綾の関係を捉えて、描き出していたと思うのです。

具体的に、受験時のエピソードが描き出した忍と綾の関係とは如何なるものであったかと言えば、
それは、一方で綾が、忍が勉強を頑張るから自分も勉強を教えるのを頑張り、
他方で忍が、綾が勉強を教えるのを頑張るから自分も勉強を頑張るという「お互いに頑張る関係」でした。

この高校受験時における二人の関係が、
現在もまた生き続けていることを示す話として、学校祭の話があったと思います。
綾が、忍がリーダーとして頑張って来たことを受けて代役を引き受け、
忍が、そういう綾の頑張りを受けて、綾を助ける即興脚本を書くという関係です。

そう考えると、学校祭の話で提示されているものというのは、
受験時の話にも表れていた、忍と綾の関係の在り方に他なりませんでした。
綾が忍との友情を再認識するのと並行して、
忍と綾の関係があの時と変わらない形で現にあることが示されています。

そこにこそ、原作の二つの話を基に一つの物語を作り上げた、
劇場版という作品の意味があります。
綾が忍との友情を再認識する話(に受験時のエピソードを加えたもの)だけでは足りません。
それに、忍が学校祭の演劇の脚本等のリーダーを任される話を合わせて、
過去の二人の関係の先に、変わらない現在の二人の関係を提示してこそなのです。


次に、原作に対して劇場版が如何なる作品であるかということと同様に、
劇場版に対して原作が如何なる作品かということも原作読者としては考えるべき課題に他なりません。
「綾と忍の関係」に焦点を当てた劇場版に対して、原作を如何に読むかという問題です。

個人的に一つ強調したいのは、学校祭の後のアリスの「金髪じゃなくてシノを褒めて!!」の一言です。
劇場版でもここはエンディングのところで入っていましたが、
原作だとこの一言は、前話の「みんなもっとシノを褒めて!!」からの、再度の「褒めて!!」です。

学校祭本番の前話は、忍が珍しく皆に怒る話でもあるために、
皆の中でアリスだけが(忍の服装につき)「褒めて!!」と言っていることが際立っています。
学校祭の話は、これを受けて、皆が金髪を褒める中で、
再度アリスだけが「シノを褒めて!!」という流れになっているのです。

この流れにこそ、「忍を愛する者」としてのアリス(単行本第五巻57ページに「愛の言葉」とあります。)が、
忍とアリスに固有の関係が、ここに表れていると思います。
そういった原作の流れだからこそ強調されていることに、この機会に是非注目しておきたいところです。

結論として、劇場版は、綾が忍との友情を再認識する話だけでなく、
そこに忍が学校祭の演劇の脚本等のリーダーを任される話を合わせることで、
受験時における、お互いの頑張りを受けてお互いに頑張る忍と綾の関係が、
現に今も継続しているのだということを示していると考えられます。
また、他方で原作は、アリスが忍を「褒めて!!」と連続で述べる展開により、
忍とアリスに固有の関係をも示していると考えられます。


テーマ:きんいろモザイク
ジャンル:アニメ・コミック

麦わら帽によって表現されたあやかの二つの気持ちの調停について(缶乃『あの娘にキスと白百合を 5』)

2016.12.25 23:21|百合作品
今回は、先日発売された、缶乃さん『あの娘にキスと白百合を 5』を考えます。
特に注目するのは、あやかとゆりねが海に行くワンシーンです。
海に行く一連の流れの中で、あやかの心情は目まぐるしく移り変わりました。
あやかは、母からの電話を受けて、認められるために頑張って来た、
今までの自分を全否定するに至り、学校をさぼって海に行きます。
ゆりねは、そんなあやかをたまたま見かけて一緒についていくことになります。
この海へ行くシーンにおいて印象的なアイテムとして登場しているのが、「麦わら帽」です。
作中で文字による特段の説明はなく、いつの間にかゆりねに購入され、
そしていつの間にかあやかに被せられた麦わら帽。
この記事では、この麦わら帽に込められた意味を考えてみたいと思います。

麦わら帽による表現を考える前提として、
あやかが海に行くときに、制服を着ていっているという問題があります。
何故あやかは、学校をさぼって海に行くのに、
そのような海に行くのに適していない、
学校に行く恰好をしていたのでしょうか。
このことは、重大な疑問であり、この話の核心とも言えます。

あやかが海に行くのに制服を着ていった点に表れているのは、
一方で「一番じゃなくてもいい」を極端に突き詰めた結果として、
「認められなくてもいい」という気持ちを抱くに至りながら、
他方で依然「認められたい」という気持ちをも抱いている、
あやかのアンバランスな心理状態です。

学校をさぼって海に行くという反優等生的行動が、
あやかの「認められなくていい」という気持ちを、
制服をきちんと着ていくという優等生的行動が、
あやかの「認められたい」という気持ちを両極端に表現しています。
海に行く時点で、あやかの心中はこの両極端な気持ちによって揺れていたと言えます。
そのことが、学校に行かずに海に行くのに制服を着て行くというちぐはぐな様に表れています。

麦わら帽は、その両者の調停的位置にあるものとして登場しています。
というのも、麦わら帽は、一方で海にそぐわない装備でなく、
他方で制服にそぐわない装備でもないためです。
麦わら帽が制服にそぐわないということについては、違和感があるかも知れません。
しかし、例えば涼しげなTシャツであれば、それを制服の上から着るわけにはいきませんが、
麦わら帽は制服とともに身に着けることができます。
この意味で言えば、麦わら帽は制服にそぐわないわけではないのです。

あやかの二つの気持ちの調停的位置にある麦わら帽を、
ゆりねがあやかに被せてあげるということ、
そして最後には、あやかが自らそれを手に取って被るということ。
ここには単なる物理的な麦わら帽の移動以上の意味を見出せるのではないかと思います。

すなわちそれは、一方で両方の気持ちを持って海までやって来たあやかを、
最終的に否定せず受け止めるゆりねの気持ちを表し、
他方でゆりねからの言葉を受け止めて、
両方の気持ちを持つ自分を肯定するあやかの気持ちを表していると思うのです。

第五巻94ページにおいて麦わら帽を大事そうに抱える幼少期のあやかは、
そういったことを想起させるイメージであったと考えることができます。
かつて誰かに麦わら帽を被せてもらえなかった少女は、
ここでようやくゆりねから麦わら帽を被せてもらえたのであり、
それにより両方の気持ちを持つ自分を肯定できるようになったのではないでしょうか。


テーマ:漫画の感想
ジャンル:アニメ・コミック

劇場版が描いたあかりの物語のもう一つの到達点について ――「いちごとステージに立つこと」と並置される「皆とステージに立つこと」

2016.12.04 16:50|アイカツ!
今回は、先の劇場版『アイカツスターズ!』と同時上映された『アイカツ!』の物語を考えます。
あかりが、いちごが監督を務める映画の主役を務めることとなるこの話の中では、
当初の台本とおり撮影は進まず、他の撮影をしていたアイドルたちを巻き込みつつ、
最終的にはあかりが「皆とステージに立ちたい」と願って、皆でステージに立つこととなりました。
他のアイドルたちがあかりたちの映画に次々と巻き込まれていく展開は、
ドタバタコメディの様相を呈しています。
しかし、その中で描き出されたのは、テレビ版の最終話で描き出されたことに対応する、
『アイカツ!』という作品のもう一つの結論とでも言うべきものであったと思います。
この記事では、『アイカツ!』という作品を振り返りつつ、
ドタバタコメディに見える劇場版の物語を捉えなおしていきます。

テレビ版の最終話におけるあかりの「いちごとステージに立ちたい」という願いと、
劇場版における「皆とステージに立ちたい」という願いは、
『アイカツ!』という作品の両輪で、一方で先輩に追いつきそれ以上に輝く物語の筋と、
他方で色々なアイドルと関わり共に輝く物語の筋と関連しています。

そして、前者はアイドルの個の輝きに焦点が当たっているという意味で、
「星の物語」とでも呼ぶべきもので、
後者はアイドル界全体の輝きに焦点が当たってくるという意味で、
(星の輝く場所である)「空の物語」とでも呼ぶべきものであると思います。
そして、あかり世代の物語に特に託されたのが後者です。

象徴的なのは、いちごがセイラとWMに勝ったときに、
美月がアイカツ界全体のことを語るシーンです。
あそこで美月は、アイカツ界全体のことを語る点において、
いちごたちに先んじている感がありました。
いちご世代の最後に、美月に勝ったその先に、それが課題として提出されていました。

この課題に対していちごは、あかり世代に移った後において、
劇場版、そして最終的には第146話から第150話の流れの中で答えていくことになります。
そこでいちごは、「アイカツに、もっともっと盛り上がって欲しい」から、
三人組で競い合うという企画を持っていくことになります。

それであかりも、こういうアイカツ界を盛り上げるという流れの中で、
各地のアイドルと繋がっていくことになります。
それがアイドルに会いに行く全国ツアーで、これによりあかりは、空の範囲を広げていくのです。
空で共に輝けるよう、星々を引き上げていく。

それは、これまで『アイカツ!』という物語の範疇に入らなかった、
地方のアイドルを巻き込んだという意味だけに留まらず、
あかりは実際に全国ツアー以前に、スミレやひなき等、つまづいたときの助けとなるとともに、
全国ツアーにより、ののやリサ等、一歩を踏み出す助けともなり、実際に空を広げているのです。

何が言いたいかというと、先の同時上映の劇場版の『アイカツ!』は、
単なるドタバタコメディでなくて、そういった文脈の先にある、
あかり世代のもう一つの到達点を描いたものに他ならなかったということです。
あの映画の物語の内容は、あかりの道程を象徴するものに他なりません。

つまり、当初セットで撮影していた物語の一つでしかなかったあかり主演の物語が、
期せずして他の物語をその内に含み拡大していく様は、
当初あかりの物語が小さな星の灯の物語であったところから、
最後には他の物語と繋がる中心的な物語となっていったことの比喩であったと思います。

そして、冒頭で台本からの逸脱が起こったときに、
続行の指示を出す監督としてのいちごが際立っています。
あかりの物語が多くの物語のうちの一つでしかなかったところから、
他の物語を繋いでいく主人公の物語となるのに欠かせなかったのは、
第101話であかりに夢を再認識させたいちごの存在でした。

そして、そうしてあかりの物語を想起させるような、
劇中のあかり主演の物語の末に提示されるのが「皆とステージに立ちたい」とあかりが願い、
皆でステージに立つ様で、それは、テレビ版の最終話で描かれたものに対置される、
もう一つの到達点に他ならなかったと思います。

先ほどの言葉で言えば、テレビ最終話の、あかりがいちごとステージに立つことを望み、
ユニットとしてステージに立つ様は、あかりの星の物語の結論であって、
劇場版の、あかりが皆とステージに立つことを望み、皆とステージに立つ様は、
あかりの空の物語の結論であったのではないでしょうか。

劇場版の物語は、あかりが全国ツアーを企画し、様々なアイドルと出会い、
空の範囲を広げてきたことを想起させつつ、
最後に、テレビ版における「いちごとステージに立ちたい」という願いを持ち、
実際にいちごとユニットを組んでステージに立ったあかりに相当すべき、
「皆とステージに立ちたい」という願いを持ち、
実際に皆とステージに立ったあかりを描くものであったと考えられます。


テーマ:アイカツ!
ジャンル:アニメ・コミック

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天秤

Author:天秤
天秤と申します。
アニメや漫画など、好きなものについて考えたことを書き込みます。
よろしくお願いいたします。

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